架空書評の例
ここでは、「架空書評」の例を挙げたいと思います。またこれは、「連載の一話としての架空書評」の例でもあります。ただし、後述の理由により、これを「架空書評祭」に応募することはあまり適切とは言えないことをお断りしています。
例として挙げるのは、宮沢弘による「あの頃の明日はどうであっただろう」の最終話「1990年版へのあとがき」です:
https://ncode.syosetu.com/n3546cy/24/
これを応募することがあまり適切ではない理由は次の2つによります:
1. 最終話以前として宮沢弘が書いた著作に対する書評であること:
最終話以前の内容も創作ですので、「架空の書籍・文書に対する
書評」ではありますが、その「架空の書籍・文書」がこれ以前と
して書かれています。「作品内書評」として「架空書評」ではあ
りますが、基本的に応募を受け付けない対象となります。「作品
内書評」やそれに近いものとして「架空書評祭」で受け付けるの
は、作品内においてはそのタイトルのみ現れているもの、あるい
は内容のほんの一部のみ現れているものと考えて下さい。
2. それ以前の内容を把握していることを前提としていること:
「作品内書評」ということもあり、1.にも書いたとおりその対象が
これ以前に書かれており、かつそれを読んだことを前提とした構成
になっています。「架空書評祭」における書評は、それ自体として
作品となっていることが望ましいとします。その点において、この
例は適切とは言えません。
とは言え、「架空書評」というものに馴染みのない方にとっては、「架空書評」がどういうものか自体がわかりにくいかもしれません。この例でOKというわけではありませんが、イメージとしてなんらかを把握していただくための例として挙げさせていただきます。