存在がパイルバンカー
キオの国の支配者──真祖吸血鬼バイロンは倒された。
抑圧されていた人々は解放され、都シジュにも平和が訪れた……かのように見えたが、それは違った。
まだ人間の王も決まっていないので、実質的な無政府状態へと突入したのだ。
そしてここにも、それに巻き込まれる者がいた。
「ま、まってくれよ! 俺だって仕事で門番をやってたんだ……!
別に好きで人間たちをどうこうしてたわけじゃねぇし、実際に殺したこともねーよ!?」
「うるせぇ! グール野郎! てめぇの言葉が正しいはずねーだろう!」
都シジュの大通り。
一人のグール兵士が、人間の集団に囲まれていた。
グール兵士は、住んでいたバイロン城兵舎が銀杭旅団に占領されたので、私物を持って引っ越し先を探している最中だった。
「オラッ!」
「いでぇ!?」
力一杯に殴られるグール兵士。
人間と違って多少は打たれ強いが、痛いものは痛い。
「く、くそ! やりやがったな! 先に手を出したのはお前ら人間だ、俺からも殴り返して──」
「おぉっと? いいのかな?
てめぇらのご主人様であるバイロンは、我らが英雄、姫騎士アロンソと、その腹心の黒騎士にぶっ殺されちまったぜ?
てめぇも人間に逆らえば、銀杭旅団に言いつけて同じようにぶっ殺されるってわけだ」
「うぐぐ……」
グール兵士を囲んでいる人間たちはニタニタとしながら、再び殴る蹴るの暴行をしだした。
「オラッ! オラァッ! いやぁ、ほんと銀杭旅団様々だぜ?
姫騎士がバイロンの一撃を防ぎ、その片腕を見えないスピードで一刀両断。
腹心の黒騎士にトドメをゆずって、二人揃って前例のないSSランクって話だ」
アロンソがバイロンの一撃を防いだのは本当だが、その片腕はバイロンが自ら引き千切ったものである。
見物人からは丁度見えない角度だったので、アロンソがやったよう勝手に吹聴されたのだ。
黒騎士がバイロンを倒したその後、Sランク真祖吸血鬼をたった二人で倒したということで、想定されていなかったSSランクが授けられることになったのだが、前代未聞すぎて手続きが遅れているのだ。
「へへ……。だが、人間様はグールと違って慈悲深い……。
出すもんを出しゃ、命だけは助けてやるよ?」
「も、もう金はねーよ! お前たちと同じような人間にむしり取られたあとだ!」
「あぁん? なんか大事そうに抱えてるカゴがあるじゃねーか? それを寄越せ!」
「や、やめろ! それだけは──」
人間の一人が、グール兵士が持っていたカゴをひったくった。
中身を覗いてみると、そこには一匹の小動物。
「んだこれ? ネズミか?」
「……ペットのハムスターだ。そんなもん金にならねぇ、もういいだろう……」
人間の一人は何かを思いついて、カゴを地面に置いた。
そして、それに靴のカカトを乗せる。
「ダァ~メェ~だねぇ! グール野郎のもんは、なにをしたって構わないだろぅ!」
足に力を入れ、体重をかけていく。
ミシミシと歪んでいくカゴ。
中のハムスターは何が起きてるのか理解できず、その場で縮こまっている。
「や、やめてくれ! 俺の唯一の友達なんだ!」
「ゲハハ! んな大事なもんなら、金目の物を出せよ、まだ隠してるんだろう?」
「もう干物しかねぇ!」
「……ふざけやがって、ハムスターを踏みつぶしてやる」
ついにカゴは耐えられなくなったのか、悲鳴のような音をたててひしゃげ、折れていく。
「お、俺はどうなってもいい! だから、そのハムスターだけはやめてくれぇ!!」
グール兵士は羽交い締めにされながらも、ジタバタと必死にもがいていた。
その手は虚しくも、踏みつぶされそうになっているハムスターには届かない。
「知るか! 人間様に逆らえないってことを教えてやるぜ!」
「──了解! 梶木のパイルバンカァァァァアアアア!!」
突如、黒い何かが現れて、ハムスターを踏みつぶそうとしていた人間を吹き飛ばした。
「ウギャアアアッ!?」
「な、何者だテメェ!? 黒い鎧なんか着て──。く、黒い鎧……まさか!?」
「あなたは無冠銀杭のSSランク……黒騎士様!?」
現れたのは黒騎士姿のトロフだった。
いつものように無言の威圧感を放ち、拘束されているグール兵士の元に近づいた。
「ひ、ひぃっ!? ほ、本当に俺をグールだからって理由だけで殺しにきたのか!? バイロンと同じように!?」
「離してやれ」
「え?」
トロフの要求に、人間もグールも耳を疑った。
この国を真祖吸血鬼から救った張本人が、その手下であるグールを離せといっているのだ。
「で、でもこいつはグールですよ?」
「俺の知り合いにも似たような種族のラハヴがいる」
「そ、それにしたって、このグールはバイロンの元で好き勝手に人間を殺していて……」
トロフはすでに“魂の実績”を使っていた。
「その干物好きのグールは、まだ一回も人を殺してはいない」
「なんでそれを……。
確かに俺は殺すのも殺されるのも怖くて、戦いになると隠れていた……」
「なっ!? そ、そんなものがわかるはずねぇ!?
だ、だいたい、被害者の人間であるこっちからしたら、グールなんて連帯責任でどれも一緒だ! 奪われたんなら、奪っても構わねぇだろう!?」
周囲の空気は、グールに味方をしなかった。
野次馬達も、グールが殺されるところを見たかった。
「そうだ! グールに味方をするなんてありえない!」
「きっと偽物の黒騎士だ!」
「そいつも敵だ!」
トロフは無言で立ち尽くしていた。
アロンソならともかく、人心掌握というのはトロフにとっては苦手な分野なのだ。
この状態では正論すらも掻き消される。
集団心理という空気。
それを打破するには、さらなる空気を生み出す存在が必要だ──。
「おや、騒がしいな。どうしたんだい?」
そこに一人の少女が現れた。
きらびやかな白銀の鎧を身に纏い、子竜を従える──。
「キャー! 竜の姫騎士アロンソ様よー!」
「うおー!? 本物だー!?」
アロンソが登場した瞬間、男女問わず黄色い歓声が飛び交った。
普段は残念すぎるアロンソだが、外面だけを知っている民衆にとっては英雄なのだ。
「ふむ、我が腹心である黒騎士が迷惑をかけたようだな。謝罪しようではないか」
アロンソはスッと膝を折り曲げ、腕を胸の前にやり、流麗な一礼をした。
王宮でしかみないような優雅な作法。
人々は息をのんだ。
ピンとした姿勢に戻すときにふと見える上目遣いに、卒倒しそうになる女性たち。
一瞬にして、その場がアロンソという、空気を作り出す存在に呑まれた。
「さて、なにがあったのか説明してくれるかな?」
「そ、それがその……。人間の敵であるグールがいたので、ちょっと……」
「こいつら──人間たちが急に俺を囲んで、殴ってきたんだ!
そして金を出せって!」
「チッ、グールが余計なことを」
それだけでアロンソは空気を読んで、事情を察した。
チラッとトロフの方を見るも、問題はなさそうと判断。
空気の入れ替えを実行に移す。
「聞いていれば、勇猛果敢で名高いシジュの民が情けない!
我が銀杭旅団の──人類の敵は種族にあらず!
すでに戦いは終わらせたのだ!」
「で、でも……奪われたこっちが、逆にちょっと奪うくらい……」
トロフは首を横に振った。
「実績からして、お前たちは裕福な元上級国民でなにも奪われていなかったはずだ。
しかも、ここ数日で10件ほどの強盗を繰り返しているな」
トロフは実績ですべて把握していたのだ。
グールを集団で襲ったのは金品目的。
元より正当性は薄かった。
「ヒィッ!? なんでそれを……!? こいつ本当に人間かァッ!?」
「に、逃げろ!? 逃げさえすれば──」
「了解! 峰打ちのパイルバンカァァァアアアア!!」
逃走しようとしていた集団は、重そうな外見とは違って俊敏なトロフに、次々と気絶させられたのであった。
「ふっ、金銭や感情のみで殺せば、それはモンスターと一緒だ……」
最後にアロンソが、黒騎士に背を預けてのキメゼリフ。
黒と白──二者のマントが合わさり、風になびいて、非常に絵になっていた。
アロンソは喋っていただけで何もしていないが。
「あ、あの……。助かりました。ありがとうございます黒騎士様……」
無事だったハムスターカゴを抱えながら、元グール兵士がお礼にやってきた。
「気にするな。俺はバイロンにも、グールにも恨みを持ってはいない」
「り、立派だ……。格好良すぎる……。あ、干物食いますか?」
「いや、いらない。それよりなぜ干物だ?」
「俺が干物好きってのと……。
あと、その腕にくっついてるカジキマグロで、海産物が好きなのかなって……」
トロフは左腕に装着されている冷凍カジキマグロを眺めて、やっぱりパイルバンカーの代わりにはならないなと思った。





