トロフ35歳、冒険者人生に幕を下ろす
35歳の冒険者トロフ・ウィンドは、今日も4人パーティーでダンジョンに潜っていた。
男盛りといえる頑強な肉体は、パーティーで盾としての役割に適しているように見えた。
その身を包む鋼の鎧とあわせて、ベテランの落ちついた風格を思わせる。
「敵はゴブリン4、それとボスらしきホブゴブリン1だ!」
シーフの少年が視力強化スキル“イーグルアイ”を使用して報告してきた。
「わかったわ! 打ち合わせ通りの連携いくわよ!」
魔術師の少女はすぐ現状を把握して炎障壁魔術“ファイアウォール”を唱え、敵を分断させた。
「オレはザコ処理をするから、ボスは頼んだぞトロフ! うおぉぉ!!」
パーティーリーダーである剣士の青年は、トロフに向かって叫びながら、ゴブリンたちに切り込んでいく。
トロフはこくりとうなずいて、自らのエモノを構えた。
この世界において珍しいとされる銀杭──パイルバンカーである。
仕組みとしては腕部装着型の大型ボウガンに、ぶっとい槍をつけて、魔石によって撃ち出す近距離武器である。
使用できるスキルはカウンター系。
適性者が非常に少ないため、レアな使い手といえるのが、このトロフである。
「ボスのホブゴブリンがいったぞトロフ! きっと奴は大技を繰り出してくるはずだ!」
「ふむ……」
トロフが始めて言葉を発した。
ふと、どうするか考えたからだ。
この彼のカウンタースキルは、二つの条件が揃って始めて発動可能となる。
一つ目は、相手の攻撃を見極めて、瞬間的にスキル発動をしなければならないこと。
いわゆる当て身である。
トロフならば、こちらは難なくこなせる。
二つ目は、相手の“攻撃方法”を当てなければならないこと。
これは先読み勝負となる。
例えば“近接攻撃”と指定をすると、遠距離攻撃との二択で当たる確率は高いのだが、その分のカウンター攻撃力は低くなる。
逆に相手のスキル名までピンポイントで当てると、即死クラスのカウンターを返すことができるのだ。
簡単に例えるのなら、カジノのルーレットの出目を当てて、その払い戻しが威力になるような感じだ。
当てやすいものは威力が低く、当てにくいものは威力が高い。
スキル一点賭けなら破格の威力だが、現実的ではないギャンブルスキル。
「トロフ! ホブゴブリンは大技をやってくるはずよ! そういう雰囲気よ!」
「いっけぇー! トロフゥー!! 大技カウンターだぁー!」
つまり……このカウンタースキルは、空気を読む力が必要とされるのだが──。
「グォォー! “ハイパーヘビースマッシュ”!!」
ホブゴブリンは叫びながら、大技を繰り出してきた。
トロフは難なく、右手に持つ小型盾を構えて、当て身を成功させる。
あとは先にカウンター指定しておいたモノが当たれば、すさまじい威力でホブゴブリンは倒れるだろう。
勝利は目前──とパーティーメンバーの誰もが思っていた。
「……あ、スマン失敗した。スキル無しの近接攻撃を指定していた」
──トロフは空気を読まない人間なのであった。
パーティーメンバーはいつものように敗走した。
* * * * * * * *
「また俺のせいでスマン」
「チッ……」
「あ、あはは……トロフさんのせいじゃないって……」
「うん。そうだよな、うん……。トロフのせいじゃないよ……」
トロフは落ち込んでいた。
大きな身体も、今は小さく見える。
あのダンジョンでホブゴブリンを倒しきれなかったあと、付近にAランク魔族である“吸血鬼”がきているかもしれないと連絡があり、急いで町の冒険者ギルドまで戻ってきたのだ。
「吸血鬼が本当に付近にいたら、Aランク冒険者のパーティーじゃないと対処できないしね……。わたし達、Dランクだし……」
「そう……か。そうだな……」
空気を読まないトロフも、今だけは慰めの言葉を否定できなかった。
空気を読む、読まないというのは一般の人間にとっては普通のことだが、彼にとっては幼少期からのトラウマなのだ。
まだ幼かった頃のトロフは神童と呼ばれていた。
その理由は、人の“魂の実績”を読むユニークスキルを持っていたからだ。
それは読心術とは違い、生まれてから今までの実績を覗き見ることができる。
たとえば生まれたときに“ジョンと名付けられた”とか、数年前に“アタックスキルを覚えた”とか、昨日“アタックスキルを50回達成”とかが見えるのだ。
個人の重要な起点や成果──それを実績として他人が覗き見るということは、神々の領域にもひとしい行為である。
ゆえに、人の身に余るスキルともいえた。
それを痛感させる事件が起きたのは、まだトロフが多感な少年時代のころ。
父親が、頻繁に一人の若い女性と会っていることに、母親が不貞の疑いをかけていたのだ。
父親は、トロフや村人から見ても、とても厳格な存在であった。
戦士でもあり、地位ある神父でもある。
武と信仰をあわせもつ完璧な人間像。
絶対の信頼感、ただの誤解だと安心していた。
周りのみんなも“空気を読んで”トロフの父親は絶対に潔白だ! と言っていた。
だから“空気を読んで”誤解を証明するために、一番近しい存在──家族である父親に実績読みスキルを使うことにしたのだ。
視た、視えてしまった。
それは昨日付けで“不倫の性行為10回達成”という実績だった。
ショックだった。
信頼していた父親が、母親を裏切っていたのだ。
そのトロフの様子を察して、問い詰めてきた母親。
つい──視たことを話してしまった。
家庭は崩壊した。
……『お前のスキルなんて、悪魔が与えたモノに違いないッ!!』と非難された。
その日から、トロフは“魂の実績”スキルと“空気を読む”というのを封印した。
「──おい、トロフ。きいているのか。おい?」
物思いにふけっていたトロフは、戦士に呼びかけられていることに気が付いた。
「あ、悪い……聞いてなかった」
「だーかーらー、お前、冒険者引退しろよ?」
「い、引退……?」
ずっと舌打ちして不満げにしていた戦士は、トロフに引退を突き付けていた。
トロフはわけがわからず聞き返してしまう。
「どうして俺が引退なんだ……?」
「足引っ張るし、空気を読めないからだ!? 当たり前だろう!?
へへ……何度も冒険者ギルドに苦情を入れておいてな、やっとお前への強制引退勧告が決まりそうだって話だ……!」
「そうか……」
トロフは反論しなかった。
彼らから見たら、自分は足を引っ張っている存在なのだろうと自覚はしていたからである。
「ご、ごめんねトロフさん。ぼくも“空気を読んで”ギルドに苦情を……」
「わたしも……」
パーティーメンバーの盗賊の少年と、魔術師の少女も渋々といった感じだ。
「わかった。迷惑をかけた。最後くらいは“空気を読んで”引退勧告を受け入れよう……」
トロフは35歳にして冒険者人生に幕を下ろした。