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十二月十六日、私は手術のため入院した。
まあ連絡先は職場と、北海道の母に骨折した経緯を告げて、当日担当の看護師には、悪いけど、手術終わったらおかんに電話して欲しい事を告げた。
命に関わる手術ではないことは知っている。(私も手術場にいたので)
大体三時間くらいかと思い、私は孤独なまま手術場に向かった。
当日入院して、午後手術と聞いていたのに、9時に入院、11時半には入室というなんとも心の準備ができないまま強制連行された。
久しぶりに名前の確認や抗生剤の確認をされて当時を思い出して面白くなってしまい、思わず笑ってしまった私は相当変な患者だったろう。
手術台に乗っても不安よりも、心電図や麻酔器を見て当時の感覚が戻り、私はニヤニヤしてしまっていた。
本当に寝るのかよ? と思っていた麻酔は、五秒まで記憶があったが、その後は知らない男の人(麻酔科の医者ではない)に、戻ってこい。と言われて目が覚めた。
よく、麻酔がかかっていると気持ちいい夢をみるとか言うのだが、残念な事に全く夢を見なかった。むしろ、完全にノンレム睡眠状態で意識は深く落ちていたし、視界は真っ暗だった。
本当に、あの謎の男の声がするまでは私の意識は無かったのだ。
起きた瞬間、感じたのは、左腕を釣り上げる包帯と、言いようのない激痛。
そして麻酔の覚醒が悪くて強烈な吐き気。
痛みと吐き気で私は目眩と過換気の発作と戦っていた。
ああ、これが皮膚を切り裂く痛みなんだな、と。
遥か昔患者に「どれくらいの痛みですか?」と単調業務で聞いていたが、本気で痛かった。
しかも、私は同業者なので扱いが雑…
忙しいその病院はナースコールを押しても看護師がそのフロアにいない。なんてこったい、一応私手術後なんですけど……
日勤の看護師はそこそこ来てくれたものだが、夜勤の看護師は忙しすぎて周りきれていなかったようだ。
とりあえず私は吐き気どめの注射依頼と、痛み止めはいつ使えるのか尋ねたものの、その日は絶飲食で、百パーセント座薬対応になるだろうから、涙を堪えて痛みを我慢した。
座薬だけは絶対に嫌だ……。
しかし、やせ我慢が続いたのは19時くらいまでのことで、それ以降は再びジリジリと続く痛みがあった。
親に連絡しないとと思い、なんとか看護師に携帯を取ってもらった私は片手で器用にメールをしていた。ベッド上安静だったので、なんとも打ちにくいこと。
おまけに、私はドライアイなのでほとんど携帯の画面が見えなかった。目薬も欲しいなと思いながら、テーブルまでの一メートルが酷く遠かった記憶がある。
私は北海道の時に仕事をしていた仲間から帰ってこいと言われたがこんな手で帰っても仕事がないのはわかっていた。おまけにあちらは車社会だ。
ペーパードライバーに成り下がった私が、積雪20センチを超える市内を運転出来るわけがない。まして、車も親父に譲ったので帰るならまた車を調達しなきゃいけないし、そのプランは心の中で即打ち消した。
この寂しい入院生活を支えてくれていたのが、ごく一部の【なろうユーザー】の方々だ。
私はこの入院前に、二人の仲間を失った。
これは決して忘れてはいけないことだが、もう誰が悪いとかは書かない事にする。
多分、根元を辿ると全て言葉が足りなかっただけなのだ。
しかし、漫画やドラマとは違い、一度失ったものの修復というものは難しい。
私はずっと支えあってきた「二人」を失った事で頼れるものを無くし、これ以上人を傷つけるのはダメだと思い、再び殻を作る事にした。
殻を作るのは簡単だ。連絡を取らなきゃいい、誰とも関わらない。なんて気楽なんだろう。また一人に戻ったのだ。
ユーザーを非公開にして、活動報告も上げずにただ悶々とする日々。
しかし、それが少しずつ虚しい事に気付く。
私と一緒に支えあってきた「二人」は、私が私らしくやっているから応援してくれていたのに。
今やっていることは真逆ではないかと。
結局私は悩んでつまらない活動報告をあげる機会が増えた。しかし、何を求めているわけでもなく、これでは確かにちょっと異常か、と自分を嘲笑い何度も上げては消した。
私のその異常な行動にいち早く気づいた方から
何度も激励メールをもらい、どうしてリアよりもネットの人の方が優しいんだろうなぁと不思議に思っていた。
しかし、残念な事に私がさした言葉のナイフの代償は大きかった。
心優しい人がいれば、その逆も然り。
私は転落してから数日後に、失った人の片割れから心無いメールをもらった。
内容は要約すると、『お前のせいで人が死ぬかも知れない、お前のような奴が小説を書くなんて信じられない』と書かれていた。
それを私に送った人はすでに退会されており、色々拡散された【うわべだけの話】を聞いていたら、間違いなく私が悪となるのだろう。
未だに私はこれを送った人と腹を割って話したいと思っている。
要するに私がやってきた精神論、心理学の話しが、片側に通用しなかっただけの話なのだ。
決して相手が悪い訳ではないのだが、SNSを通じて私の悪口を散々拡散され、酷く遠回しな言い方で相手が悪いと痛めつける。
それに辟易していたのもあったし、あの人が私の前から消えたのは、すでにそういう時期だったのだと今は受け入れている。
手術の後は眠れない一夜を過ごしたのだが、消灯になっても心配してメールをくれていた二人の【仲間】には頭が上がらない。
そして、この頃から私の異常活動報告にいち早くメスを入れた勇気ある現・相棒の存在にも。