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 私はこの人生の中で「三回」死ぬかもしれないという体験をしている。それが死ななかったのは、私についているご先祖様のお陰である(昔は見えていたのですが、純粋じゃなくなったら見えなくなった…)


 一度目は三歳の時。長ブランコから落ちて頭から石に激突。10針縫う手術で、この時『幽体離脱』ということを初めて体感した。

 どうしてこんな昔の記憶が残っているのか分からない。しかし、あの時私は、病院で眠る私を見つめていた。変な管が沢山ついていて、母は憔悴しきって泣いていた。あの仕事人間の母がだ。

 私は病院の窓ガラスに近づいてもそこに壁があるようで近づけなかった。知らない女の人に手を引っ張られた記憶がある。

 二度目はホームページ時代に知り合ったドクターコトー先生のような爽やかなお兄さん(身バレ怖い……)に会う為に、札幌まで車を飛ばしていた。その時にブラックアイスバーンに引っかかり、交差点を抜けた先でスピンして電柱にぶつかる『寸前』の縁石車体が乗り上げた。あと速度が1キロでも早かったら、私の車がオートマだったら100パーセント死んでいた。

 あれも助かったのは、一瞬私の頭にエンジンブレーキをかける事を促した誰かだ。

 三度目は、千葉ロッテマリーンズの応援の為に札幌ドームへ向かっていた。合流はいつもの札幌市内なので、まず車を市内に向けて夜勤明けの私は車を走らせていた。速度も30キロ程で、アイスバーンだったので慎重に走っていたのに、わだちに引っかかり、反対車線に飛び出した。

 朝の四時だったので、対向車線の車はなく、やばい死ぬーーと思った私はハンドルもブレーキも効かない車を5キロくらい不安と戦いながら、とにかくどこかに突っ込める場所を探した。

 反対車線の民家の一角にある雪山。私は幸運な事にそこに車を突っ込ませて一命をとりとめた。とはいえ、結構な衝撃で、身体がムチウチ気味だった記憶がある。


 そして、この十二月五日。

 仕事は夕方のピークを終えて多少暇になっていた。

 私は暇な時間で小説の企画や妄想をしている事が多かったのだが、この時は他のスタッフが年末に向けての薬などを運んでいたので、私も手伝うといって普段行わない仕事をしたのがいけなかったのだろう。


 全て、「〜たら」「〜れば」の話になってしまうし、未だに「なってしまったことは仕方がない」と言われるものの、やはりこの時余計な事はするべきではなかった。


 あの時私は1キロもない軽いダンボールを二箱抱えて階段を降りていた。階段の幅も太く、滑り止めもついているので、一般のひとであればまず落ちない。

 しかし、魔というものはいつ訪れるか分からない。

 私は階段五段目で足に違和感を感じ、身体が浮いた気がした。それも前のめりにだ。

 目の前には階段。これは確実に頭から落ちて死ぬ。

 自己防衛本能が働き、私は咄嗟に利き腕側に身体を寄せた(のだと思う)

 しかし、運の悪い事に、職場には左側には鉄のレール、昇降機が設置されている。

 私はその鉄に左肘を強打し、意識を半分持っていかれた。あまりの激痛に、表現する言葉もないくらいだ。

 さらに運の悪いことに、痛みの所為でまたバランスを崩してそのまま階段から転落した。

 十一段程落ちただろうか。奇跡的に私を救ってくれたのは、皮肉にも手伝いで運んでいたダンボールの箱であった。

 それも誰かが守ってくれたのであろう、私は顔面をダンボールにぶつけたが、肘以外は奇跡的に無傷に近かった。顔も目をぶつけたものの、角では無かったので多少腫れた程度で済み、痛かったなあ、と思い身体を起こそうとした瞬間、最悪な発作まで起こした。

 激痛と不安で過換気になり息は吸えない、動けない、痛いのトリプルパンチでそのまま横たわっていた。

 これは折れたな。どうしようーー

 そんな事ばから考えていたが、心優しい後輩スタッフが近所の外科まで私を車椅子に乗せてずっと付き添いをしてくれた。

 字も書けない、何もできない私の為に外来の受診手続きを全て変わってくれ、さらに一時間以上もずっと付き添ってくれた。


 ひとのありがたさ、ひとの本性というものはこういう時に一番出るもので、私は彼女の存在に感謝した。

 その後落ち込んだ事務長もずっと付き添ってくれて、私は自分が勝手に転落したのに、こんなにも人に迷惑をかけてしまった事を恥じた。

 やはり、仕事に集中しきれていなかった自分が悪いのだ。

 ネットと現実を隔絶出来ていなかった。これがそもそも私がこの『転落』に至った経緯だ。


 昔からネット依存気味で、当時もホームページやネトゲの時間が長すぎるくらいだったので、この多少不眠であることや、とある気になる事についても数名と連絡を取り合うくらいでいつか穏やかに消えていくだろう。そう思っていたのに、事態は最悪の結末を迎えた。


 この前日に、私は気にしていた事と大揉めした。理由は酷くつまらない内容で、たった一言がナイフとなったのだ。


 私は大切な人程容赦なく真実を突きつける傾向にあったので、今思えば相当傷つけてきたと思う。

 だから、それを繰り返さない為にもこの肘の傷は私にとって心の戒めになると思いたい。

 これ以上私が言葉のナイフで傷つけないために。傷つける前に、また何か起きたら自分から去ろう。


 十二月上旬、私は人生初の手術が決まり不安と戦っていた。

 周りには誰もいない。頼れる人もいない。両親は遠い。

 そんな中で私を陰ながら支えてくれたメールと激励の言葉は生きるという事の大切さを語りかけていた。

 このメンタルが落ちた中で、その人のメールは決して優しいものではなかったが、顔も知らない、名前も知らない、【なろう】のユーザーさんが私に生きる希望を与えてくれたのは事実だ。


 私が怪我に至った要因も、つまらない内輪揉めをした要因も、そして未だに傷で不安になり眠れなくなったり、体調を崩したり一喜一憂するのも全て【なろう】で沢山の人と関わった事が大きい。


 それは決してマイナスではなく、プラスの方に傾いている。

 実際に、自分の現実からかけ離れた部分を沢山の人と和気藹々楽しくする事で良き作品への糧と出来ているという事実は変わらないのだから。

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