4
九月下旬の本採用有無の面談でも、私は日雇いパートから昇給しなかった。勿論焦りは常につきまとう。何故なら、時給が安いのだ。
私のスキルであれば時給2000〜2200円(派遣)は何処にでもある、要するに仕事の選り好みさえしなければ派遣だけで年収を稼ぐ事は可能だ。
勿論、私は誰かを養ったり守る存在もなかったので、自分の為に出来るだけ働きたかった。
そんなある日、仕事に虚しさを感じてきた。
要するに、単調業務に飽きたのだ。また言い訳になってしまうが、やはり最初の病院を辞めるべきではなかった。人間嫌いの私が、あそこで得た人間関係は本当に大きい。
あの後から仕事はうまくいかない、心臓発作起こしても自分で何とかするしかない。唯一の救いは、一応ピンチの時に連絡できる存在を得た事だ。
その存在と、小説を書く事だけが私の日々のツマラナイ日常から救ってくれていた。
事務長は引きこもり気味(患者がいない時はスタッフ自由)なわたしによく声をかけてくれた。
私はその時また笑顔を失っていたらしい。
主任の言葉がきつくてごめんね、と言われても、それは社会人として当たり前の事を言われてるわけだし、業務上使えない看護師は不要なのは分かる。サービス業なのだから。
口ではそう理解して、頭でもそう理解して、私は「言われても当然ですから」と必死に暇な時間で勉強をした。
バカにされたくない。ただその一心で。
要するに、私の勉強は自分の為で、そこに先にいる筈の患者が居なかったのだ。
それが、私が子供によく泣かれる原因だったのだろう。
それ以外は医者の介助もソツなくこなしていたが、やはり月末の面談で言われた言葉は『もう一ヶ月様子を見させてほしい』だった。
しかも悲しいかな。十月頭には私の歓迎会を計画してくれていたのに、私は本採用でないまま、一ヶ月を送る事になる。
このままでは私も先を考えないと……
再び人生の岐路に立ち、私が選んだ道は、何がしたいのかだった。
また急性期の病院であくせく働いて趣味を潰すのか?
私は、生きていくためと、趣味を楽しみたいからこっちに来たんじゃないか。それ以外にも理由はあるけれども。
私はもう一度自分を振り返る事にした。
何がダメだった?自分なりに失敗したことは全部メモしてる、注射だってノーミスだ。
健康診断も手際はいい方だし、心電図だって慣れた。
子供の扱いは下手なりに、スタッフと仲良くしながらコツを掴んで多少は出来るようになってきた。それでもダメなのか。
私はまだ気づいていなかった。
技術だけではなく、私の心のあり方がいけないのだと。
この仕事をしていると、人間観察が趣味かってくらいひとをよく見る。まして、仕事上これから付き合う人間に、嘘や偽りは通用しない。
元々ポーカーフェイスや人を騙す事が下手くそな私は大体落ち着きないからすぐにバレる。つまりは主任から見て私はちょっと……というレベルなのだろう。
今でも忘れない。『コンシェルジュの看護師さんは優秀だから』と言われたあの一言。
そりゃあ私にとって外来は新人一年生だ。
だからってバリバリ外来やクリニックで経験を積んできたママさんナースと比較されても正直いい気分ではない。
【新人】に戻って三ヶ月、がむしゃらに働いたが、私がやっと変わらないとと感じたのは十月中旬に入ってからだった。
この最後の面談で、もしもまた先延ばしにされたら、私はここをやめよう。それはご縁が無かったのだ。
そう感じて最後の面談の日。
「あなたはどうしたいですか?」
と率直に尋ねられた。
勿論、私は尊敬している事務長(語れないが人間性、人生における色々な面)の下で働きたいと思っていたので、ここで頑張りたいです。と言い、自分なりにミスしたことや、反省点について全て正直に述べた。
事務長はありがたいことに、貴方をここで一緒に働く仲間としたいと言ってくれた。
私にダメな点は多々あれど、それでも十一月一日から、バイトではなく、時給制のパートへ昇格した。
まあ、仕事がまだ【新人】なので、給料は上がらないし、色々支払いが大変であることは、この際仕方がないとして。
「貴方との出会いはある意味ご縁だと思っています。これからも、一緒に頑張りましょう」
私は、人に『必要とされる』喜びに、面談中だと言うのに息が止まる程泣いた。