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ひとは、生きていく為に働かなくてはならない。
私は前の職場【退職金がない(笑)】の給料を何とかやりくりしながら、面倒な保険切り替えと、とある看護師のコンシェルジュサイトで仕事を探した。
ヘルニアの所為で病院で働けないのだ。また再発すると今度は手術になる。そうしたら今度は働けるかも分からない。
私は大好きな老人ホーム、デイサービス、訪問入浴で時を過ごした。
今まで十二年、急性期の中核病院で、一応中堅として相当やってきたつもりだった。
泣かせた後輩は数多いが、母までとは行かずとも、患者家族からは絶大な信頼を得ていたと思う。
現に名指しでお礼を言われたり手紙や何やら差し入れもされたくらいだ。
仕事に対するやりがいに溢れ、私は東京でも最初の病院ではこうやって働いていくんだ、と思っていた。
でもそこで立ち止まる。地元を出たのは何のため?と。
私は看護師よりも昔からものを書いたりするのが好きだった。
それが既に閉鎖した何でもありなホームページなわけなのだが、あれをやっていた頃から、どこかダイレクトに意見が貰える所で小説を書きたいと思うようになっていた。
それが、【なろう】の出会いだ。
私はテレビもさほど興味なく、インターネットさえあれば生きていけるような電子人間だったので、貯めたお金でパソコンを買い、晴れて【なろう】で小説を書き始めた。
三年間眠っていた私のハードディスクから過去の小説を取り出しアップ。
しかし、よく考えたら、ホームページ閉じて十年。私の名前など覚えている人などいない。ミクシィも友人に渡したし、ハンゲームアカウントも友人にあげた。今の私の名前で果たして何人が知ってくれるのか。
ともあれ、仕事を辞めたきっかけで、私はバイトをしながら夢を目指す事にした。
勿論、それでは生きて行けないし、かと言って誰かを頼りたくは無かったので、仕事は続ける。出来れば、ヘルニアに負担のない職場との出会いを望みながら。
七月の中旬に、私に仕事の出会いがあった。
それが、今働いている職場との出会いだ。
心惹かれる事務長とな出会いは、私の中の何かを変えた。
事務長の壮絶な人生を聞いて、私は涙が止まらなかった。彼女は、亡き夫の残した職場をもう一度蘇らせたのだ。
孤高奮闘しながらも、昔からの患者さんと笑顔でコミュニケーションをとる素敵な事務長。
彼女は、「わたしは何もできないの」と口を開くがそんなことはない。
ただ、そこに居るだけで違う。
彼女がいることで、院長先生を慕っていた患者が戻ってくる。
私は給料云々ではなく、ここで働きたいと思い、雇って欲しいと願った。
しかし、急性期でのプライドが邪魔をして、私は外来業務に向いていなかった。
はっきり言って、いてもいなくても良い仕事しかない。
注射こそ過去のスキルはあれど、一度デイサービスなどでふらふらしていたせいか、腕が鈍っていた。
浴びせられた主任からの言葉は今でも覚えている。
「使えないんだったら、困るから」
そりゃあそうだ。私達はサービス業。
はっきり言って、注射の100発100中は当たり前。
最初の頃は怖い主任に怯え、私は対人恐怖症がまた蘇り、手が震えてミスすることが多かった。
一言で言えば、十二年?笑わせてくれる、だ。
経歴なんてものは、結果が結びつかないとただ履歴書がご立派なだけだ。
そういえば、私が東京に出る前に精神科のクリニックを希望したが、あの時も高飛車な自分の態度で落とされたような気がする。
八月から、この職場で【仮】採用されたものの、時給制のバイトだった。
医者は日替わりで、みんな良い先生、スタッフも小規模ながらみな優しい。
それでも、私はヘルニアを言い訳にして、私はまだ急性期に戻れるのに、と思っていた。
私の悩みを一番近くで感じてくれたのは心の綺麗な事務長だけだった。
彼女は、大切な物を失った分、誰よりもひとの痛みがわかる。さらに、彼女も私以上に壮絶な過去があり、ストレスで言葉を失った時期もあったと聞いて私は驚きを隠せなかった。
どうして、彼女はこんなにも強いのだろう?
私はもしかしたら、来月お役御免で首になるかも知れない、相当焦りがあった。
でも、此処で働きたいという気持ちは次第に強くなり、私はこの時初めて、十二年間働いてきた自分をかなぐり捨てて、【新人】に戻る事を決意した。