エピソード2 難攻不落(笑) 沈黙の塔(笑)
「ああ~いいな」
あの日からそこそこ頻繁にカフェに来ている。授業がなかなか難しいので勉強したり、そうでない場合は読書したり、携帯電話でこの辺りの地理を調べてみたりと、いろいろ落ち着いてのんびりしていた。
拓也を含めて友人はできたが、みんななにかしらの部活に参加している。
俺は前の学校でも特に何もしていなかったし、2年生の途中から部活に参加するというの言うのは、運動部はもちろんだが、文化部でも気まずい。
やるとしたら新しい部活の新設だが、そこまでやりたいことがあるわけではない。
仮につくってもどうせ3年生になればまた受験になって忙しくなる。
改めて部活をしたいとは思わなかった。
「あら、今日も来たの。こちらどうぞ」
俺の席は入って1番近い最も左端のカウンター席。
すでに俺専用の席みたいになっていた。
「えーと、紅茶」
「はいはい」
もうすでに具体的な紅茶の名前を言わなくても出てくるようになっていた。
カフェにいつもいる人は一緒だが、開店時間が16時から20時と短く、営業日も基本的には学校が授業をする平日だけ。
部活がある人は店に残らないので、必然的にカフェ内にいる人は限られるから、俺も覚えられやすいのだろう。
お互いに話しかけるわけではないが、なんとなく今日もいるんだなっていう感じだった。
ガタッ!
俺がいつもどおり座っていると、横から音が聞こえる。
カウンターにも計16席あり、埋まっているのは多くても8席くらい。
となると、隣に人が座ることはない。
まだ少ししか通っていないとはいえ、俺の隣に人が座ったことはない。
俺が嫌われているわけじゃないよな。普通あいてれば隣には座らないだろう。
とはいっても、隣というのはプライベートな空間。
気になって真横を見た。
そこにいたのは大きな瞳で俺を見る俺のクラスメイト。藤川杏里であった。
「ん、ごめんなさい。迷惑だった?」
軽く右手で髪をかき上げる。彼女の髪はコシが強く、彼女の手に絡むことなくすぐに重力にしたがってまっすぐになる。
そのとき髪からいい香りがする。紅茶のいい香りと混ざって頭がくらくらしそうになる。
「何か用事か? 藤川さんから話しかけてくるなんて」
そんな気持ちを悟られないよう平常心を装いながら藤川さんに答える。
藤川さんの声は10日ほどクラスメイトとして授業を受けていたが、1度も聞いたことはなかった。
それはとても高くて通る声で聞いていて心地よかった。
声の分析はまぁいいか。何の用事だろう?
「あ、うん。私話せる人が少なくて」
「いつも話しかけられるのにか?」
「皆私を見るときに、特別なものを見るような目で見てくる。それが怖い」
確かに難攻不落って言われているくらいだし、お姫様扱いって感じだよな。
「私には対等な友人が1人もいない。私は普通に話しただけなのに、男の子はなんか怖い目線で見てきて、一緒にどこかに誘ったりしてくる。女の子も同じで、まるでアイドル扱い。私は普通の学園生活を送りたいだけなのに。だったら話しかけなければいいと思ったけど、それでも扱いは変わらなかった。それが2年生になっても変わらなくて、あきらめてたんだけど、あなたはちょっと違った」
「まぁ俺は自分の身の程を知ってるからさ。藤川さんみたいにとんでもなく可愛い子を相手に何かしようと思わない」
「可愛い?」
「ああ、自分でも分かってるだろ。皆仲良くしたいのは藤川さんが可愛すぎるから仲良くしたいんだけど、レベルが高すぎて緊張してんだろう」
俺がそう言うと、頬が赤くなった。肌が白いのでその差でより赤く見える。
「どうしたんだ?」
「えーとね。可愛いなんて男の子に言われたことないから、緊張しちゃって」
「いや、言われたこと無いってことはないだろう」
このレベルの女子が可愛いといわれないわけが無い。
「本当に無いよ」
なんだろう? 逆にレベルが高すぎて声をかけにくかったタイプか? いつも集まってた男子は何を話してたんだ?
「でも嬉しいな。こんな風に気を使わないでしゃべれるのいつ以来かな? 実は初日から気になってたんだけど、やっぱりあなたは違うんだね。私と仲良くしてほしいな」
こんなかわいらしい子に気になったとか、仲良くして欲しいとか言われるとうれしくないわけではない。
仕草も両手を合わせて右の頬にくっつけて顔を傾けるポーズ。クラスの皆が見たら悩殺されかねん。これを断れる人はあまりいないだろう。
「だが断る」
それでも断る自分はまぁかわいくないと思う。
「なんで? 私のこと嫌い?」
「あのな、藤川さん。君と仲良くしたら、教室で俺も君も絶対悪目立ちするだろ」
ただ言い回しがどストレートな上に、泣きそうな顔で言っている彼女にこんなことを言ったら、俺明らかに悪者だな。あ、まずい泣きそうになってる。
「教室では話さないから……、できるだけ周りに見えないところで話すから」
何で俺にそこまで譲歩するのか。
「私、もっと普通の学生生活がしたい。ただそれだけなの。だから放課後だけでもいいから……」
ああ、そう言われては断れない。これで断ったら可愛くないとかそんなレベルで許されない。鬼だ。
「分かった分かった、じゃあ程々にしてくれればいいから」
「ほんと、うふふありがとう」
とてつもなくまぶしい笑顔。どこが難攻不落だ。城を攻め込んでもいないのに勝手に落城してるじゃん。
自分で放火して自分の城が燃えたようなものだろう。
次の日は久々にカフェに行かなかった。
今日俺が向かったのは駅の近くにあるデパート。
この辺りで最も大きな百貨店である。
簡単な買い物は近くのスーパーでいいが、時によってはここにこなければならないこともあるだろう。
その件で拓也にここを薦められたので、今日はここを見に来たというわけだ。
拓也は部活動で忙しくて案内できないことを申し訳なく言っていたが。
5階建ての大きな百貨店は1人で歩くにはちょっと寂しい。
よく見ると、学生くらいのカップルももちらほらいた。
遊べる施設も多くあって、デートにも向いているな。
ああ、せっかくだから、藤川さん誘ってあげればよかったかな?
いや、そこまでの関係じゃないか。
2階から最上階まで覗き、最後に1階をのんびりと周る。
1階は半分が食品売り場、半分はレストラン街。
レストラン街には、ラーメン屋、ファーストフード、洋食屋、スイート店、丼物があり、品揃えが豊富である。
先ほどと同じく若い学生はいたが、俺が見たことのある生徒はいなかった。
それもそのはず、ここは明星高校から3駅離れた遠い場所。
知り合いがいる可能性は低かった。
「ああ、またやってしまった……。こんなところにレストラン街があるからいけないんだ。最低だ」
レストラン街の最も端までいくと、小さい出入り口と公衆電話があるくらいの狭い場所に来た。
人気はほとんど無かったが、1人だけうな垂れている人がいた。
俺は絶対に関わらない方がいいと思い、その場を去ろうとする。
「ああ、もう帰ろう……」
だが、俺がその場を去る前に、その人がこちらを向いて俺に気づいてしまった。
「あ、ああ、申し訳ございません。最低なのは私です。今のは決してこのレストラン街を悪く言ったわけではありません。ここはすばらしいところです。むしろ私がいることでこの場をすばらしくなくさせてます」
その人はでたらめな好スタイルで身長も俺と変わらないくらいの女子で、そんな彼女が90度へし曲げてお辞儀をすると恐ろしく目立つ。
「頭上げてくれ、別に俺はここで働くアルバイトでも関係者でもない。クラスメイトだぞ、山口さん」
そう、その女性は山口由美だと思う。
確証が持てないのはあまりにも見た目と発言のイメージが違いすぎたからだ。
教室にいる彼女は凛としたクールな女子という感じだが、今の彼女はクールというより発言が狂っているような感じだ。
仕草もおどおどして、髪を振り乱していた。
そのせいで貞子みたいに長い髪で隠れていた目元が完全に見えて、俺は初めて山口さんの表情を伺うことになったが、べらぼうな美人であった。
「あ、ああ、クラスメイトの男子? 私に男子が話しかけてくるのはどういうことですか?」
見た目はやはりクールで大人っぽい美人。そんな彼女が、顔を紅潮させて、汗をかき、髪が乱れて目線も安定しない状態というのはえらいギャップを感じて、可愛らしく見える。しかも敬語だし。
「いや、クラスメイトが同じクラスの人間に話すことはそんなに変じゃないだろう。後同学年だから敬語もやめろ」
「ご、ごめん。と、いうかもしかして私がここのレストラン街をはしごして大食いしていたのを見ていたのか?」
「山口さんが言わなければ知らなかったな」
「あ……。しまった。君も私を悪く言うのか?」
もし明日世界が終わるならばこういう表情をするだろうという表情をしていた。
「いや、別にいわねぇよ」
「私のことを太っていると馬鹿にするんじゃないですか?」
「いやしないって。お前が太ってたら誰が太ってないってことになるんだ。あと敬語に戻ってる。」
彼女は身長に反して腕やら足やら全て長くて細い。これ以上痩せたら健康に悪そうだ。
「そうか、君はいい人だな」
うな垂れたままの彼女がようやく立ち上がってくれる。
背の高い彼女がきちんと立つと、本当に俺と背が変わらない。というか俺よりでかい。
そういえば、拓也に聞いたが、彼女にも藤川さんみたいなニックネームがあったな。
全くしゃべらないことと、大きな身長に例えて、「沈黙の塔」って呼ばれてるらしい。あまりセンスがいいとは言えないな。
「私はとにかくたくさん食べることが幸せなんだ」
先ほどの話を詳しく聞いてみると、この辺りの店を全てはしごしている途中だったらしい。
ハンバーガー、すし、カレー、お好み焼き。
授業が終わってから1時間も経っていないのだが、すでにこれだけ食べており、反省しているところに俺が来たらしい。
「実は私は中学生の頃とても太っていて、それをいじられることが多かった。でも食べることが好きだからやめられなかった」
「信じられないな……」
今の彼女は標準体型を通り越して痩せすぎに見える。
「だが、私にはモデルをやっている8つ上の姉がいる。姉は今の私以上にスタイルが良くて、そんな姉がいるから、よく比べられた」
山口さんは今まで見た中でもかなりの美人。その彼女よりもスタイルがいいというのは、モデルに詳しくない俺でもモデル界のレベルの高さを痛感する。
「父と母も、私よりも姉を褒めて、姉のようになれとよく怒られた。だったらせめて勉強をがんばろうと思って、ここに合格できたけど、私の食べすぎをとがめることはなくならなかった。だったらどうすればいいかと考えて、食べた分運動することにした。これが今の私。でもやっぱり姉には勝てない。それに油断するとすぐに太ってしまう。太ることは私にとって恐れることだ」
彼女の話を聞くと、彼女がとんでもない美人なのに自分に自信を持てない発言が目立つ理由が分かった。
彼女の上位互換が姉として存在することと、自身の太りやすい体系と、たくさん食べたいという衝動の2つに揺られる自分の体質の2つの大きなコンプレックスに悩まされてきたからであるのだ。
「でも今の山口さんは間違いなく努力の成果が出てるんだから、自信もっていいんじゃないのか?」
「そうか、君は本当にいい人だな。優しいのだな太一」
彼女にとって大食いであることはかなりのコンプレックスであるらしく、それを俺が受け入れたことからか、ずいぶんと心を開いてくれた。
敬語がどうしてもなくならないので呼び捨てにさせたところ、話し方がだいぶ崩れた。
あまり女性らしいしゃべり方ではないのだが、一見すると大人っぽいクールな美人の彼女の顔には似合っていた。
「私のことは由美と呼んでくれ。私は友人が多いとは言えないが、数少ない信頼できる友人には下の名前で呼んでもらっている。私の名前に『美』が入っているのはちょっと名前に悪い気がするがな」
「そんなことないだろう。いい名前でよく合ってる」
「ふふ、ありがとう」
眉を下げて控えめに微笑む彼女は、美人というより可愛らしさも感じられた。両方兼ねあえるとか得してるな。
「ただな、この話をラーメンを食べながらするのはどうなんだ?」
「きちんとこの後運動するから大丈夫。私は学校から家まで3駅ある距離を歩いているんだ」
笑顔でラーメンを3杯食べ、電車で来る距離を歩く美人。シュールな絵面だ。
「太一、なんか見られてないか?」
由美とラーメンを食べていると、周りからの目線を感じる。
「由美が目立つからな」
多分由美レベルの美人なら普段から見られているはずだし、現に教室でも見られていたはずだが、由美は普段から目元を隠しているため見られていたことに気づけなかったのだろう。今は俺と話しながら食べているため、顔が全て出ているから、いつも以上に見られるし彼女も気づくのだ。
加えて教室には、藤川さんや永川さんといった彼女クラスの美人がいるから目線が分散されていたこともあってより気づかなかったのだろう。
「わ、私が目立つ? 太っているのか?」
「違う」
「じゃあでかいからか?」
「違わないけど違う。由美が…………」
「私がどうしたんだ? はっきり言ってくれ。その方が私も受け入れられる」
俺の左肩に両手を重ねて、俺の頬につきそうなほどの距離に顔を近づけ声をかけてくる。
キスでもされそうで余計目線を感じる。俺には嫉妬と羨望の目線が飛んできて非常に心地悪い。
藤川さんもそうだが、人とあまり接してないと距離感を計るのが下手になるのか?
「ああもう、ちょっと行くぞ」
「ま、待ってくれ」
俺は由美を促し、デパートの外に出る。
デパート内ではあまりにも人目につく。
彼女自身が自覚が無いので、言いたい言葉があったのだが、人前で言ったら告白みたいになるだろう。
デパートを出て駅の近くにある公園に来た。
多少遊んでいる子供や親はいるが、こちらに目を向けている様子は無い。ここならいいだろう。
「どうしたんだ。私は何をいわれても大丈夫だ。気を使って人のいないところにこなくてもいいぞ」
ものすごく覚悟を決めた表情で両手を胸の前でグーにして待ち構える。
「えーとな、なんで由美が注目されてるかっていうとな」
「う、うむ」
俺はその台詞を言うのがものすごく恥ずかしかったが、言わないと彼女はずっと不安がるだろう。
「すごくスタイルがよくて美人だからだろう」
藤川さんにも言ったけど、あの時と違って他人が多いところで言うと恥ずかしすぎる。
言った後に顔を左手で覆ったが、手に感じる熱を考えるとおそらく顔は赤くなっているのだろう。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………すまない、もう1度言ってもらえるか」
とんでもなく長い沈黙の後に由美が俺にひどいことを言ってきた。
「ちょっと同じことを言うのは俺にはつらいな。何ていったか分からなかったのか?」
「い、いや何ていったかは分かった。だが意味が分からなかったんだ。私が美人だと? ああ、太一は普段めがねをしているんだな。だからか」
「俺は視力両方とも1.0ある。正常だ」
「え、と言うことは。え? え? 違う違う。何を言ってるんだ? もしかして太一は女子と話すのが初めてなのか?」
俺の言ったことを理解はしているが納得ができないようで、意地でも認めようとしない。
本当に卑屈で困る。
「ああ、もう分かった。由美が美人かどうかの議論はやめよう」
「そうだ。私のことを褒めるなど、周りの人に変な趣味と思われるぞ。じゃあ私は家がこの辺りだから、このまま帰る。また学校でな」
そのまま由美が帰ろうとした。
「ただ1つだけいいか?」
「何だ?」
「俺は由美の顔は好きだぞ。美人とかそう言う話じゃなくてな」
それだけ言っておこうと思った。由美が少しでも自信を持てる様にと。
「うわ、恥ず」
電車で家の方に戻ってくると、自分の言ったことが今更ながらに恥ずかしくなった。
最後ちょっと由美の「どういうことだ?」という声が聞こえたような気もしたが、無視して駅に入った。
「でも由美はなかなか面白いな。どこが沈黙の塔だ」
彼女は確かに発言自体は後ろ向きだが、結構話せるみたいだし、クラスにも普通になじめると思うんだが。
そんなことを思っていると、学校の前に来ていた。
学校は俺の家と駅の間にあるため、駅から家に向かうと必然的に学校の前を通ることになる。
時間は既に20時であり、帰宅する生徒もいない。
「ん? 誰かいるな」
校門の前に誰かがいた。
その誰かというのは、
「今日はカフェに来てくれなかった。ずっと待ってたのに」
藤川さんであった。