修行。そして過去。
巨大化を使っても良い。スガモには、そう言われた。
目の前の土人形は、高さ2メートル。ネイキッドよりは大きいが。
ヴェルグに比べれば、まるでプレッシャーを感じない。巨大化を使って良いなら、問題なく勝てる。
「お願いします」
土人形に礼。
土人形も、礼を返して来た。流石は、スガモ師匠の魔法。
ネイキッドは、スガモの実力を知らない。
そして、スガモの性格も知らない。
だから、巨大化を使わぬまま、土人形の前に立ってしまった。
ゴ!
土人形の右拳が放たれた!
その拳は、非常識な速度ではなかった。時速30キロにも満たない遅さだっただろう。
だから、ネイキッドは容易く躱して、土人形の懐深くに入り込み、掌打を放った。巨大化は、やはり使っていない。
土人形は、簡素な人間の写身といった形で、特に急所なども設定されてないようだ。ゆえに、ネイキッドは、当てる事だけを考えていた。
当たりさえすれば、自分の力なら、普通に破壊出来る。
そう思っていた。
そんな自信があった。
ムニィ
ネイキッドの右掌打は、確かに直撃した。
したが。
柔らかい・・・・のでは、ない!
ネイキッドは、掌の感触からおおよそを察した。
確か、水庫とかいう魔法だ。ここに来るまでも、オウザがずっと使っていた魔法。それで、土を固めているのか。
・・・それで、なぜ、おれの攻撃が通じない・・?
師匠達からも、オウザからも聞いている。
おれの力なら、魔法ごと壊せると。
・・なぜ、土ごときが、壊せん!
答えは簡単。
オウザもヴェルグも、スガモを敵と想定して、ネイキッドに教えていない。
オウザの100万倍の魔力密度で固めた魔法は。
ネイキッドでは、壊せない。
一方、湖のはしっこ。
杖を持ったスガモと、対峙するオウザ。
スガモは顔色を動かさず、オウザに平坦な声で質問を投げかけた。
「さて。魔法は、どこまで教えてもらった?」
「はい。同時並行発動は8種まで出来るようになりました。もちろん、練習中の話っすけど」
「なるほど。最大魔法は?」
「4種合成魔法、廃滅です」
「ふむ」
スガモの、オウザ評は、実に堅い魔法使いだという事だ。
メイストームらしくもない。
「基本は出来ているようね。でも、面白くない」
「うえ?・・そ、そうっすか」
「メイストームは、攻撃魔法しか使えないでしょ。ああいうアクがないと、つまんないのよね」
「は、はあ・・・」
確かに、師匠は攻撃魔法以外を覚える気がないと言い切っていた。けれど、それは勇者メイストームの天風があるからであって。
「資質はある。けど、癖がない。うーん・・・・」
スガモのうなり声を聞いて、それって良い事じゃ・・と思いつつ、オウザは修行を待ってた。
「ちょっと。追い込んでみましょうか」
スガモの一言で、オウザは地獄を予期した。
ゴン
ネイキッドは、ガードに差し出した左腕のしびれを感じつつ、右の蹴りを入れた。
ピタ
また。
今まで、拳も蹴りも、直撃しても、まるでダメージが入らない。
この土人形。強い。
それは、そうだ。
この土人形こそは、対ヴェルグをイメージして、スガモが作り上げた魔法兵。それの、プロトタイプの1つだ。
物理攻撃の全てを無効化する仕掛けが施されている。
現在のネイキッドの天風、巨大化を本気で使っても、恐らく、倒せない。
スガモは、そう考えて、ネイキッドに当てている。
ネイキッドの本来の速度なら、土人形の攻撃など、当たりはしない。
しかし、回避を考えると、攻撃の威力が削がれる。
だから、避けない。
足腰を踏ん張り、最大の力で攻撃する。
そのため。敵の全ての攻撃は、受ける。
何。
こちらが倒れるまでに、相手を倒せば良いのだ。
簡単な話だ。
ゴキイ
相打ち。
土人形の拳とネイキッドの拳はお互いの体に直撃。
「・・ふっ」
だが、ダメージは、相打ちではない。
土人形には、ネイキッドの攻撃は通じていない。
「おお!」
それでもネイキッドは吠える!
ゴ!
ゴオ!
ビキイ
まず避ける事を知らない土人形の前に出された右足を左足で踏む!
そして足場を作りつつ、土人形の動きを止めたなら、全力で右アッパー!
土人形の重心を後ろにズラした直後、右足で大地を踏みつつ、左手で相手の左足膝裏を持ち上げる!倒した!
寝転がしたら即座に左足を股関節まで折り曲げ、壊す!
これで、抵抗出来ない。
ズ・・・
だが。
ズ オ
平気で、立たれた。
ネイキッドは、打撃の通じぬのあまり、関節技を仕掛けてしまったが。
相手は、人形なのだ。関節が壊れる事はあるかも知れないが、痛みなどあるわけがない。
関節技で止まるのは、生き物だけか。ネイキッドは、学習した。
関節を極めるために土人形の足に絡んでいたネイキッドは、そのまま持ち上げられたため、叩き付けられる前に転がって逃げた。
身体に接触した感覚として。
重くはない。2メートルの体格にも関わらず、重量は恐らく20キロにも満たない。土の見た目に反して、やたら軽いのだ。投げる時も、まるで苦労しなかった。むしろ、軽すぎて、戸惑いさえした。毛布を広げたような感覚であった。
それでも、体重70キロを超えるネイキッドをぶら下げたまま平然と立ち上がる。
自然の理屈には、全く則っていない。
これが、魔法か。
殴っても効かない。関節も効かない。
ネイキッドは、スガモに操られているのを感じたが。
もう、これ以外に、戦法が無い。
オ オ
巨大化。
いつも通り、右腕を巨大化。加速!加重!
「おお!!」
土人形の全身を持ち上げ、空に飛ばす!
そして落ちて来た所で、更に右の貫き手!指先に巨大化の威力を全て込め、突く!!
プニン
ネイキッドは、全身全霊を込めた。
それが証拠に、体力が半分は減っている。
その上で、表面の皮一枚、削れていない・・・!
流石に、堪えるな。
・・・にしても、軽く、手応えが無い。それでいて、いかなる打撃を加えようが、壊れないのだ。全く脆くはない。
軽くて、タフ。理想みたいな素材だ。
素材、か。
ネイキッドは、天風を収め、通常の徒手空拳に戻した。
そして考える。
格闘術は通じなかった。師匠直伝の殺傷術式の全てが、意味を為さない。土人形には、眼球も、耳も、股間も存在しないのだ。弱点を突く事も出来ない。
((ちなみに))
スガモ師匠・・?
ネイキッドには、スガモの声が聞こえた。もちろん、周囲を見回しても、スガモは居ない。
((ヴェルグは、これと全く同じ型の結晶兵を、一瞬で倒して、言ったわ。こんな弱いのを護衛として使うのはオススメ出来ない、と。もっと強化しなければ、使い物にはならない、とね。楽しいでしょう?ネイキッド))
ネイキッドの自負は、砕けて落ちた。
そして。
笑った。
師、ヴェルグは、言った。
おれは、もっと強くなれると。
そして目の前には、ヴェルグが戦った相手が居る。
なんて、幸運なんだ!
ネイキッドは、体力の半分を失った状態で、天風も使わず、敵にむしゃぶりついた!
あの子。根性だけは、ありそうね。
スガモは、オウザの相手の片手間に、ネイキッドをからかって遊んでいた。
「・・・ぬっ・・・」
おっと。
スガモは、ちょっと魔力を込めすぎたようだ。
オウザの表情が、険しくなっている。
「休憩しましょうか」
スガモは、魔法を解除し、オウザに提案してみた。が。
「・・・ネイキッドは、どうしてるんすか?」
「まだ戦っているわ。天風を使ったために、体力を減らした状態で。あの様子なら、倒れるまで戦うんでしょうね」
「なら、続きをお願いします!」
「・・別に構わないけど。休まないで練習すると飛躍的に伸びたりするとか、そんな都合の良い修練は無いわよ」
「分かってるっす。でも、ネイキッドに、置いてかれたくないっす」
「ま。良いけど」
なら、続きを。
先ほどまで使っていた電撃とは変える。
魔法は走行。
走行を発しつつ、オウザは思う。
キツい。
先ほどまでの電撃の撃ち合いの、なんと楽だった事か。
電撃ならば、所詮は攻撃のやり取りに過ぎない。
スガモに、本気でこちらを殺害する意思が無い以上、オウザの命だけは絶対に守られていた。もちろん、電撃やそれに対する魔法障壁、結界の分の魔力はゴリゴリ削られていたが。
今度の走行には、命のやり取りは無い。
だから、際限なくお互いの魔力を掛け合うしか、勝負の方法は、ない。
「オ、オオオオ!!!」
魔力の最大放出。
オウザの限界まで出した走行は、その国の季節さえ変える。真夏であれば、その熱風の全てを国外に掃き出し、外の風を連れて来る。
それを現在、スガモ1人だけに向けて撃ち出している。
アリなら通れるかも知れない程度の、1ミリ以下の一点に集中した全魔力。風速にして、実に時速500万キロメートル。なぜ、この空の国が崩壊していないのか不思議な、天変地異レベルのウルトラタイフーンだ。
だが。
「はーい。限界まで出してー。残り1分ー」
まるでのんきな声で、スガモからレッスンを受ける。
時速500万キロの暴風の全てを、空中で元の魔力に拡散しつつ、オウザの魔力と真正面から全く同じ力で相対させる。
スガモは適切な魔力行動を起こしつつ、ネイキッドの観察もしつつ、晩ご飯の支度を進めつつ、空の国の様子もついでに見ていた。昼ご飯は、既に完成した。
レッスン終了時、オウザは足を震わせ、立っているのがやっとだった。
魔力量の99パーセント以上を放出。もうちょっとで、死ぬ。
唐突だが、魔力というものについて、説明しよう。
この世界では人間は、魔力を持つ人間と、持たない人間の、2種類の人類に分ける事が出来る。
持たない人間は、ただの人。戦士ヴェルグのように名を上げる事も不可能ではないが、かなり厳しいと言えよう。
なぜなら、先にオウザが解毒してみせたように、魔法が使える使えないで、生存確率が天と地ほども違う。更には雲を船とした技法も。
魔法が使えないという事は、この世界では、手足が足りないという意味になる。
では。
逆に魔法が使える人間は、それだけで成功を約束された人生が待っているのだろうか。
それも、ちょっと違う。
魔法が使える人間は、常人とは体の作りから違う。身体の中に、魔法を操る回路が存在し、それは生まれた瞬間から持っている魔力をエネルギーとして、常時動いている。ちょうど、心臓や脳のようなものだ。
ゆえに。
魔力が全身から全て消え失せたなら、その人間には、死が待っている。
かつて、人類と魔王との戦いの激しかった頃、自らの限界を超え過ぎた者達の自滅は、日常茶飯事であった。人類と魔族。お互いのおびただしい死を以って、魔法学は発達して行ったのだ。
「じゃ、このまま待機ね」
「・・・うっす・・・」
オウザは、寝転がる事を許され、地べたをベッドにした。
魔力量を増やす最も手っ取り早い方法は、限界まで魔力を放出する事だ。
さすれば、身体の魔力回路は、その収束の早さ、器の大きさに至るまで、自然に成長する。
ならば、なぜ、皆がこの方法を取らないのか。
簡単に伸びるのであれば、誰もが大魔法使いになれるのに。
答えは、魔力回復にかかる時間が膨大すぎるから。
オウザなら、1ヶ月以上はかかるだろう。
1ヶ月、戦闘不能。これでは、戦闘要員としては、どうにも使い物にならない。ゆえに、スガモのように、人里離れた所で修行を積むしかない。
なお、魔力回復の速度は、魔力の最大値に比例する。
オウザの回復速度は、常人の10倍以上ではある。ただ、常人の100倍の魔力量を放出しているため、結局10倍の時間がかかってしまう。
それでも、この地では、空気中に含まれる魔力値が異常に高い。ただ息をしているだけでも、地上より回復は早い。
強くなればなるほど、次の強さは遠くなる。
ヴェルグもメイストームもスガモも。
このバラバラの3人に唯一共通するのは、強くなる事を諦めなかった事。ただそれだけなのだ。
正しい意味で、ネイキッドやオウザが次代の勇者になれるかどうかは、まだ分からない。
資質は十分。
だが、それだけでは、スタートラインに立ったに過ぎない。
実際に魔王討伐を成し遂げるレベルの実績がまだない2人は、ひょっとしたら、勇者を名乗る事も無いのかも知れないが。
せめて、実力では、並びたい。
ミキ
ネイキッドは、久しぶりに、自分が押されているのを実感した。
竜を殴ろうが、岩塊を砕こうが、大地を割ろうが。
その全てに押し勝って来た。
オ オ
それが、そのおれが。
タッ、タタ
押され、たたらを踏み、後退し。
まるで、歯が立たない。
敵は、速度に優れず、攻撃力も低く、技巧も無い。ただ堅いだけの土人形。
師匠が一撃の元に打ち倒したという相手に、おれは、手も足も出ない。
土と砂にまみれ、内出血とかすり傷で埋まった体で、ネイキッドはなおも立ち向かう。
効きはしないのに。
「オウザ。あのネイキッドって子の事は詳しいの?」
「え。まあ。そんなにちょくちょく会ってたわけじゃないっすけど、長い付き合いには変わりないっす」
問われたオウザは、一応、2人の生い立ちや出会いの様子などを話してみる。
いまだ寝転がっているオウザには、それ以外出来る事も無かったし。
オウザの生まれた村は、魔族領からほど近い地域の漁村だった。
魔獣、魔族が多い事から、人間との対立は少なかったし、漁獲量も悪くなかった。魔族のおやつになる確率も高かったが、そこは目をつぶっていた。
しかし、ある時。ここ数千年の安定した雰囲気に、変化が生じた。
勇者メイストーム、誕生。
10台で勇者の称号を獲得。パーティーメンバーである戦士ヴェルグ、魔法使いスガモ、律師ヤヨイらと共に、並み居る魔族を殲滅。
勇者の快進撃に業を煮やした魔王は、まず、魔族領の安定を期した。
その第一歩として、魔族領周辺の人類生存区域を、全て焼き払った。
本来、魔族の食料になる人間をただ焼くというのは、まるで非効率な行為。魔王として、あまり褒められた事業ではない。
だが、腹心の部下である四天王らの信を得ると同時に、魔王は魔族の安全を第一として行動。
勇者の足がかりとなるだろう拠点を、全て事前に潰した。
オウザも、その中に居た。
この動きで、人類側は20万人の損失。魔族側は魔獣数体。
魔王は、部下の無駄な消耗を防ぐため、優秀な魔族と魔獣を選りすぐり攻撃させたのだ。
人類側の最終軍事拠点、エメアに張り付かせていた精鋭だけが、何とか魔獣を撃退出来た。
その後、自ら攻め来た魔王に、結局は滅ぼされてしまったが。
魔王の目的は、勇者の陣地を潰す事。逃げる人間を追う命令は出さなかった。
ゆえに、生き残りも数万人は居た。
無事、王都まで逃げられたのは、数百人だけだが。ほとんどの人間は、逃げ落ちる最中に、野良魔獣に食われていた。
王都に入れた幸運な生き残りは、そこで暮らす事が可能となった。勇者を送り出し、人類側の兵を食わせるためにも、労働者はいくら居ても足りなかったのだ。
そして、その中に、5つか6つの子供であるにも関わらず、大人以上に働く者が居た。
名をオウザ。聞けば、はるか彼方の漁村から逃げる事に成功したという。
そして働いて、食料を作り出し、勇者を応援し、仇を討ってもらいたい。
そう聞いたメイストームは、その意気や良しとして、弟子に取った。
その子が無意識に発動していた強固や花蜜にも興味があった、し。
わざわざスガモに魔法使いの育て方を教わり、メイストームが手ずから育て上げる勇者候補。
それが、オウザの新しい人生になった。
そして、オウザとネイキッドは出会った。
今は落ち着いているネイキッドも、当時はやんちゃ小僧だったものだ。
ネイキッドは、人類領の奥深く、魔族はおろか、人間すら寄り付かない地方の生まれだ。
街の名前は無かった。皆、生まれた場所の名前は知っていたが、それは「山の中」とか、「川のそば」とかの呼び名でしかなかった。
王都からは、ローネと呼ばれていた、一地方。
それが、ネイキッドが幼少期を過ごした土地。
そして、もう無い地方だ。
ローネは、人間も魔族も少ない土地柄であるがゆえに、武芸者の修練の場として重宝されていた。
魔族が少ない以上、普通はそこには動植物が繁栄する余地がある。しかしながら、ローネは切り立った崖と急峻な谷のおかげで、極端に平地が足りず、人間も増えられない土地だ。
逆に、この地で生き残れる人間は、強くなる。
気候も厳しく、人間の住みにくい環境。更に人間が食べられる植物も、増やしにくい。
ローネで生き残った時点で、この世界のどこでも生きて行ける。
後に人類種最高の戦士と謳われる戦士ヴェルグが訪れたのも、その評判を聞きつけたからだ。
ローネは地域ではあっても、誰か指導者が居るわけではない。強いて言えば、その土地の有力者がそうなのだが、彼らが対外交渉を一手に引き受けている、という事もなく、集落単位で各々が独立した行動を取っている。孤立した地形ゆえに。
ヴェルグもまた、この地方を訪れた普通の戦士と同じように、勝手にうろつき回り、修行を重ねていた。
「これは、効く」
装備は獣皮の鎧に、黒鋼の剣。その特に重いわけでもないスタイルでも、ローネを歩くのは、厳しい。
ブ、ア
風が体を揺らす。
谷の真ん中、轟々と流れる川の中を歩むヴェルグ。
はっきり言って、この激流が最も安全なルートだった。このローネでは。
初めは普通に谷の両岸を歩いていたのだが、まず道が無くなった。それからは山肌を道として頑張ってみたものの、やはり、行き止まり。
崖を下り、谷を降り。その最中に襲われる事が無かったのは幸運と言えるが、ヴェルグと同じような武芸者の死骸であろうものが散らばっているのは、ぞっとする光景だった。
遺骸がそのまま残っているというのは、魔獣すら寄り付かない極地である証明。鳥さえ、ここでは住みづらいのだ。
そしてヴェルグは、谷底の河原に降り立った。
雑木や雑草がわずかに群生。この苛烈な環境下における、唯一のオアシスが、この渓流となる。
今回の目標は、ローネにあると言われる、世界の果てに到達する事。
山を行ったのでは行き止まり。なら、このルートしかない。
川には植物が生えている。
という事は。
オ!
それを食べる生き物も、居るのだな。
ヴェルグは、襲い来た魔獣を素手でひねり潰し、おやつを作り始めた。
この地では、貴重な食料だ。
鹿の魔獣、ヴェルグも初めて見たタイプ、を黒鋼の剣でさばき、火の準備をする。
生の肉を食う習慣のないヴェルグは、こうして火を使わねばならない。火を使い、肉の焼ける匂いを漂わせれば、当然、他のモノも寄って来る。
それでもこうするしかないのが、人間のひ弱さか。
ガラリ
落石。ヴェルグから見て、上流、つまり世界の果てに通じるであろう方向から。
1人の少年が、ヴェルグに近付いて来ようとしていた。
「大丈夫か」
こんな所に居る以上、地元、ローネの住民。ヴェルグなどより、はるかに慣れているのだろうが。
それでも、子供が崖を下って来る様子は、肝が冷えた。
「あんた。何者だ」
「おれは戦士ヴェルグ。世界の果てを見物に来た。騒がせたなら、悪かったな」
ヴェルグの腰までもないだろう背丈。それでいて、足取りはしっかりと河原を踏む。崖を降りるのも、技巧としては、ヴェルグより上だったろう。
みすぼらしいボロをまとい、腰紐として植物の茎を巻き付け、石器の武器を所持している。石包丁という奴だ。
王都の人間では、もう見ない格好だ。
その少年は、明らかに強そうに見えるはずのヴェルグに臆した様子もなく、ズケズケと質問をして来た。
「なあ。その鹿、全部食うのか。捨てるなら、もらって良いか」
「構わないぞ。おれが食う分以外は、やる」
「そうか」
ありがとう、は?ヴェルグの心の声は、少年には届いてなさそうだった。
少年は、自分でそこらの植物の茎を切り出し、鹿肉をまとめ始めた。
「お前。それ1人で食うのか」
「家族とに決まっている。あんただって、こんなに食べられないだろ」
「そりゃそうか」
その年で、もう自分と家族のメシを獲っているのか。
ヴェルグは、流石はローネの民と、感心した。
「あんた、本当にこの先に行くのか」
「ああ。立ち入り禁止区域とか、そういうのか?」
「そんな事は知らない。この先に行くと死ぬと言われてるだけだ」
「おー・・」
魔獣なら、問題無い。しかし、毒でも発生してたなら、厄介だな。
「その肉を分けた礼でもないが。お前の親から、その話をもっと詳しく聞きたい。良いか?」
「良いぞ」
付いて来い。そう言われ、ヴェルグも大人しく少年に付き従う。
肉を持とうかと申し出ても、少年は自分で持って歩いていた。
「名を聞いても良いか」
「おれは山と谷の間の子」
「?」
真名を隠す感じの人種か?
スガモに聞いた事がある。名前や言葉を介して魔法を起動するタイプの魔法使いの一族。ローネがそれだとは聞いた事がないが、なんだかんだ未開の部族。そんな類の一族も居るのだろう。
その場合、名を教えてしまったヴェルグはかなり不味い立場だが。
名前だけで魔法儀式を終えるのは、高等術者。スガモ並みでなければ、めったに居るものではないらしい。
「ま。良いか」
会えば分かるだろう。
独り言を呟くヴェルグを気にせず、少年は道案内をしてくれる。
身軽な体を生かし、ヴェルグにも劣らぬ足取りで崖を上る。
1時間。軽くそれだけ歩いたが、まだ着かない。
「飲むか」
手持ちの水筒を少年に渡す。
やはり少年は礼も言わず受け取り、飲み干す。
外部の人間への警戒感が無い。そして礼節も知らぬ。
本当に、隔絶した土地の人間なのだな。
外との関係が無いから、礼儀作法もまるで必要ない。
この子の家は、土地の有力者の家ではなさそうだ。
「着いたぞ」
「おお」
山の中腹。かろうじて存在するわずかな平地に設けられた石造りの家。
これが少年の家らしい。
お邪魔すると、中には大人が複数人。石の加工だろうか、何かの作業をしている。
「初めまして。おれはヴェルグ。旅の武芸者だ。ここの、世界の果てに付いて知っている事があれば教えてもらいたいと思い、やって来た」
「世界の果て?」
大人の内、まだ若い、ヴェルグとさほど変わらないだろう者が反応してくれた。ひょっとして、これが少年の父親か。
「ああ。ここでの名称は分からないんだが。少年に、行けば死ぬ場所と聞いてな」
「それか」
どうやら、教えてくれるようだ。
「ここの者でも、旅の者でも。あそこに行って帰って来た者は居ない」
「ほう」
より詳しい話を教えてもらうため、作業場の中に座らせてもらった。
少年は、台所に肉を持って行き、母親らしき人に褒められていた。
「山をもう3つ越えた所に、光り輝く川がある。その川を更に上った場所だ」
聞けば、この者も、そこまでは行ったらしい。ただ、一緒に行った仲間で、川を上った数人は、今も帰っていない。
地元の人間が帰って来れないとは。
そして上流から流れる川を、ずっとヴェルグは来たのだ。
毒ではないな。
住み着いた魔獣か何かか。
「おれもそこに行ってみるつもりだ。迷惑はかからないか」
「行っても何もならん。それで良いなら」
「話を聞かせてくれて、ありがとう」
ヴェルグは、持って来ていた予備の短刀の内、子供が扱いやすい物を選んで、差し出した。
「その子が、ここまで道案内してくれた。これを渡してやってほしい」
「そうか」
ヴェルグは、にっこり笑ってしまった。
やはり、親子か。
ヴェルグはその家をお暇し、山を越える。
2つの山を乗り越え、キャンプを準備し終えた所。
「帰らなくて良いのか」
ヴェルグは、メシの片付けをしながら言った。
「あんたが死にそうになってたら、助けてやる」
メシを食いつつ、少年が言った。
あの、山と谷の間の子、と名乗った少年は、ヴェルグが家を去った時、すぐに追いかけて来たのだ。
当初ヴェルグは、また魔獣の残りの肉を取りに来たのかと、放置しておいた。少年の足なら、1人でも帰れるだろうし。
だが、少年は一向に帰る気配を見せなかった。
山と谷の間の子としては、この戦士の背の剣が気になっていた。
今まで見た事のない逸品。
欲しい。
この戦士が死ねば、誰も使わない。
まあ、死にかけなら、本当に助けるつもりもある。
メシをくれた以上、こちらも相手を助けるのだ。
「お前、親は心配してないのか」
「さあ?」
結界付きのテントで、隣に寝る少年とお喋り。
まさか、この子。この年齢で、独り立ちを認められているのか。
山の夜は寒い。
寝袋を少年に渡してしまったので、ヴェルグは毛布だけだ。
結界が無ければ、凍えているだろうな。
明日。いよいよ、秘密と出会う。
誰も持ち帰れなかった、世界の果て。
ヴェルグは子供のように、明日を考えると、心が踊って眠れなかった。
静かな夜明けだった。鳥のさえずりも、虫の鳴き声も、朝を告げるものは、何も無かった。
夜襲の心配をしなくて良いキャンプは、疲労が完全に取れる。
全く、スガモには頭が上がらない。
「ん・・・」
ヴェルグが毛布から起き上がった時、少年はまだ眠っていた。あどけない顔だ。
こうして見ると、年相応なのだがな。
川の水を汲み、魔法ポットでお湯を沸かす。王都で買い入れた魔法結晶のおかげで、ヴェルグでも魔法製品が使える。便利な世の中になって来た。
子供にコーヒーは、早いか。
ヴェルグは、王都で流行りの粉末飲料の素を湯呑みに入れ、温かな果実茶を作ってやった。
良い匂いにつられてか、少年も起き出して来た。
2人で、ゆっくりと朝食を楽しんだなら、いよいよ3つ目の山を越える。
「ふう」
流石にここまで来ると、魔獣の姿も全く無い。一応の警戒をしながら歩いていたものの、まるで必要なかった。
教えてもらった通り、山を越えた所で、また河原に入った。ただ、輝いてはいない。
輝く川、か。
誰か、電撃の練習でもしてたか。
山を越える、その前。
「じゃあ、ここでお別れだ」
「ああ」
もしかしたら今生の別れなのに、あっさりとしたものだ。
少年は、ヴェルグの残したキャンプで数日を過ごす。帰って来なければ、その全てをもらう約束で。
そしてヴェルグは、川を上る。