新たな師、スガモ。新修行開始。
小さな帽子、すそを引きずるローブ。それらを身に付けた、小さな女の子。多分、見た目の年齢は、10才にも満たない。身長、130センチ台ではないか。
その女を目の当たりにした時、オウザは平伏していた。そのオウザの姿を見たネイキッドもまた、ひざまずき、頭を地に着けた。
ネイキッドには、女の力量は測れない。だが、オウザが頭を下げたのを無為にするほどバカでもなかった。
そしてそのオウザは、震えていた。
魔力量のケタが、本当に、違う。
メイストーム師匠より上の人間に、初めて会った。
この人を怒らせたら、一瞬で、消される。
自分も、ネイキッドも。
「怖がらなくて良いってば」
女はつまらなそうに言った。
ただ、その足は、オウザとネイキッドの頭を踏み付けていた。右足がオウザを、左足がネイキッドを。
「さ。立ちなさい。ウチに案内したげる」
「はい!ありがとうございます!」
オウザはいつもにも増して丁寧な口調で答え、ネイキッドと呼吸を合わせて立ち上がった。
女の子、スガモは2人の頭部で、方向転換。右足をネイキッドの上に、左足をオウザに。これで3人は同じ方向を向いた事になる。
ボロボロになった世界で、全く無傷のラインが1つ。
それがスガモの家へのルートか。
「はーい。真っ直ぐね」
「ういっす!」
「はい」
なんとか、いつもの自分を取り戻したオウザ。ネイキッドは振る舞いをまだ決めかねていて、結局普段通りだ。
「ヴェルグの弟子は、あんまりイキが良くないのねえ。メイストームの弟子は臆病者だし。これは、見込み違いかなあ」
「取り消せ」
スガモを頭に乗せたまま、ネイキッドは怒った。オウザを臆病者と罵った事に。
「いえ!スガモ様のお言葉通りです!」
オウザは、それでもスガモのご機嫌をうかがう。
ネイキッドはオウザを侮辱したスガモを許すつもりは全く無かった。
オウザは自分達を容易く殺せるスガモを怒らせるつもりは全く無かった。
「ふむ」
スガモはそんな2人の心を、完全に視ていた。
1キロと半ほどを歩いた所で、恐らく、スガモの家に到着した。
恐らく、というのは、オウザにさえ、それが何なのか、分からなかったからだ。
山がそびえ立っている。まあ、百歩譲って、空中に山があるのは、良いとしよう。スガモの魔法なら、なんでもありなのだろう。
しかし、それだけで終わりではない。
山の上に、森がある。
木ではない。
数万本の木の集合した大森林が、山の天頂の上に。分かりやすく言えば、三角形の山のてっぺんに、更に台形気味の森林が。
ネイキッドもオウザも、己の理解を超えたものに、ただ目を奪われていた。
「はーい、真っ直ぐね」
「うっす!」
「はい」
もうネイキッドも怒りを収めた。
戦うにしても、稽古の最中。一対一の状況を作ってからだ。
今やれば、オウザを巻き込む。
しかし。
真っ直ぐ?
「あの、スガモ様。真っ直ぐ行くと、湖っすけど」
「そだよ」
「はい」
ネイキッドは、スガモの人格は疑っている。
それでも、メイストームやヴェルグに匹敵する能力は疑ってない。
真っ直ぐと言っているなら、そうなのだろう。
2人はスガモを頭に乗せたまま、山のふもとの湖に入って行った。
ジャブジャブ
オウザは幻影かと思っていたが、どうも本物の水らしい。
このままでは、スガモは溺れるのではないか。
ガン
?
2人は、湖に足を踏み入れてから、数歩も歩いた所で、足元の感触の変わったのを感じた。
砂地から、硬い床の感触に。
「まさか。水深50センチほどの湖。じゃあ、この湖の底は一体?」
オウザは疑問を口に出してみた。ネイキッドには、もちろん分からない。
底の浅い水たまりを作るだけなら、確かに可能だろう。
だが、2人には、湖底の様子が見えているのだ。
透き通る水の中には、いくつもの魚の群れやエビ、水草が見える。
これは、なんだ?
「水庫を湖の途中にかけて、その下にはかけてないだけよ。そんなので、騒がないで」
スガモは、実にあっさりと言ってのけるが。
2人は当然、そんなもの見た事もない。
湖は、最低でも縦横にキロ単位の広さだ。端が見えていないのだから。その全体に、水庫だと?
一体、この空で何度驚いたのか。数えるのもバカらしくなって来る。
そろそろ常識が崩壊した辺りで、2人は湖の中心地点に着いていた。
家に。
「お・・・」
「おお・・!」
ネイキッドも素直に驚いた。オウザは、己の得手とするはずの魔法に全く気付かなかった事に、改めて、スガモの超越した能力を思い知らされる。
湖の中心と言っても、そこには、何も無かったはずなのだ。
それなのに、2人がある地点に踏み込んだ瞬間。
そこには、家があった。
いや。これを、家と呼んで良いのか。
椅子がある。机がある。ベッドがある。
それが、見えている。家の、外から。
壁が無い。仕切りが無い。・・・・2階部分の床が無いのに、ベッドやタンス、戸棚が浮いて、あたかも2階があるかのように見える。魔法レンジや魔法ポット、魔法冷蔵庫なども、壁も無いのに、ピタリと場所が決まっている。
「これが。最高の魔法使いの家」
オウザは、見た。ネイキッドには見えなかったが、オウザには確かに見えた。
空間が、固定されている。だから、物がポイントで止まっているのだ。
これは、何魔法なのだ?こんな魔法は知らない。魔力を感知したから、魔法だとは分かるが。
「さあ。お茶ぐらい出すから、座ってなさい」
スガモはようやく2人の頭から降りた。
その着地の際も、身体能力ではなく、魔法によって、まるで階段を下りるかのように、極自然に降りて行った。
オウザの見立てによれば、浮遊と走行の並行発動。しかも、走行の出力が極めて丁寧。
人間の頭部ほどの高さから、自然に降りて行く。この一見、自然にすら見える動きが、既に超越し過ぎているのだ。
10数センチを降り、そして走行。それを片足ずつに発動。その最中、魔法のかかっているのは足だけなのに、体バランスを崩さない確かな身体能力。
ただ魔法が使えるだけじゃない。
勇者のパーティーとして、メイストームやヴェルグの常在する戦場に、平気で付いて行った化け物なのだ。
ネイキッドや自分では、まだ追い付いていない場所へ。
雷王の死骸は、スガモの指示で、そこらに置いて良いと。後で加工するそうだ。
スガモは2人から降りると、キッチンと思しき場所へ足を運んだ。
そして魔法コーヒーメーカーを起動。魔法コーヒーミルで挽いた豆を事前にセットしてあるので、すぐに沸かせる。
「オウザ。あの類の道具は、手を触れずに使えるのか?」
「普通は、無理っす。キーマジックが設定されてるならともかく、魔法使用者の魔力を飛ばして使うタイプの魔法道具は、空気中で拡散する魔力量を計算に入れて多めに飛ばさなきゃならない。そして拡散してしまった魔力が、周囲の、この場合、周囲は無さそうっすけど、周囲の道具や家具をぶっ壊す可能性が出て来るから、普通は手を触れて起動させるっす」
「なるほど」
「多分、スガモさんは拡散させる事なく魔力を正確に道具にブチ込んでるっす。あんな真似、少なくとも、おれには無理っすね」
「無理じゃ、困るんだけどね」
コーヒーを入れてくれていたスガモも、話に加わって来た。
「座んなさい」
スガモの言葉に、ネイキッドもオウザも素直に従う。
湯気を立てるカップが中空に浮いているテーブルに置かれる。ここのテーブルには、足が無い。その2つも、トレーに載せられて来たのではなく、空を飛んでテーブルに乗ったのだ。
椅子は普通のものっぽいので、なんとか腰は落ち着いている。
口を付けてみると、コーヒーは美味しかった。2人は砂糖とミルクを入れて甘めで飲んでみたが、それは2人の顔をほころばせるに十分なものだった。
スガモ自身はブラックで飲んでいる。この見た目で、味覚は大人なのか。もっと糖分を取った方が良さそうだが。
「余計なお世話よ」
「すみません」
ネイキッドは心を読まれた事に、特に驚きもしなかった。
勇者パーティー随一の魔法使い。あのメイストーム師匠が恐れるレベルとなれば、それぐらいは容易くやってのけるだろう。
でなければ、ここまで来た意味が無い。
茶菓子として出されたものは、草餅のようだった。薬草の風味も混じっているので、健康に良さそう。
「で。どんな修行をしたいの。ヴェルグとメイストームからは何も聞いていないわよ」
「・・・え?」
え?
オウザは、頭が真っ白になった。
どんな修行をすれば良いのか知っているなら、ここまで来ていない。
「分からない、と。なら、私が鍛えてあげましょうか」
ズキン
ネイキッドとオウザは、謎の胸の痛みを感じた。2人はそろって、胸の中心をさすってみたが。
ドクン
今度は、全身から寒気が。
「今食べたお餅には、毒が仕込んであった。解除しないと、5分で死ぬわよ」
「えええ!!」
叫んだのはオウザだけだったが、ネイキッドも目を見開き驚いている。
じょうだーん。という雰囲気では全くない。真顔で死を告げられた。
オウザは即座に解毒の魔法を自分とネイキッドにかけた。本来、1人にしか使用出来ないが、伊達で多種魔法を修練していない。一度に2つかける程度なら、簡単に出来る。
・・・解毒、成功。オウザの魔法は正確に効いた。
2人の寒気は引き、痛みも飛んだ。
「へえ」
スガモは素直に感心した。
4分59秒辺りで助けてやろうと思っていたが。自力治癒するとは。
解毒魔法と一口に言っても、毒素の種類によって、構成は異なる。植物由来の毒なら、植物魔法。動物の牙や爪からなら、動物魔法の解毒を使わなければならない。
冒険者や戦士であるなら、まず魔獣対策の解毒を覚えるはずだが。その段階は超えているという事か。
「とりあえず、合格って所か」
「あんたは不合格」
「スガモ師匠。ネイキッドは、戦士っす。例え、ヴェルグさんでも、自力治癒は難しいと思うっす。適材適所って奴っす」
ネイキッドは、少し反感を覚えたが、オウザの言葉で落ち着いた。
「なるほど。あなた達が、なんでここに来たか。分かった」
スガモは、2人の課題を見極めた。茶を飲ませた時間だけで。
「今日はもう、休みなさい。明日から修行よ」
「はい」
「うっす!」
意外にも優しい。
ネイキッドとオウザは、普段通りの修練をこなして、就寝。スガモが即興で作ってくれたベッドにて。
「すごく寝心地良かった」
「分かる!熟睡したっすよ、実際」
ベッドを作る、だけなら、オウザでも出来なくはない。
だが、職人の珠玉の出来のベッドなど、とても作れない。それ以上かも知れないものを、スガモは片手間で。
2人は、顔を洗いながらその感想を言い合う。
そう言えば、スガモは2人用のトイレも作ってくれた。というか、2人のために、新しい家を。
スガモは、空の王国を作れる。たかが家一軒、という事か。
オウザの感覚さえ、麻痺して来ていた。
2人の寝起きは、元より悪くない。どちらも各々の修行時代、師匠の世話係も仰せつかっていたのだ。
だから、2人は自分のメシも作れるし、時間の使い方も知っている。
スガモの用意してくれた家には、ご丁寧にも、食料も用意されていた。ネイキッドが米を炊き、オウザが肉と野菜を焼く。魔法コンロが充実していたので、オウザがちょいと操るだけで火は確保出来た。
「よく、分からないな。スガモさんは、とても優しい人にも思えて来た。昨日は、なんて嫌な奴だと思ったのに」
「うーん。かなり世離れした人なのは感じたっす。でも悪い人ではないっすね。メイストーム師匠並みに極端ぽいすけど」
オウザにお願いして魔法炊飯器のスイッチを押してもらったネイキッドはテーブルに着き、水を飲んだ。
「美味い。これは、ここらの雲の水分だろうか?」
「それを更に浄水したものかな?確かに、なんとなく地上の水とは違うっすね」
メシを食い、歯を磨き。修行着も構えた2人は、スガモの家に出向く。
「おはようございます」
「うっす!」
「おはよう」
意外な事に、スガモも早起きしていた。
ネイキッド、オウザは師の起きるまで、声をかけつつもウォーミングアップをして待つつもりだった。
「早速だけど。あなた達、どこまで強くなりたい?」
静かなスガモの声。
「師、ヴェルグを超えるまで」
同じく静かに、当然のようにネイキッドは答えた。
「勇者メイストームより」
意思を持って。オウザは、普段出さない意気を見せて答えた。
フ
スガモは、2人の答えを聞いて、鼻で笑った。
「戦士ヴェルグは、並ぶ者無く、比類無い、戦士の中の戦士。魔王配下の魔剣士エリュティシオンと一対一で戦い勝利した、名実ともに最強の戦士。勇者メイストームは、人類史にその名を残す、史上最強の勇者。最強のパーティーをまとめ上げ、50万年間にも及ぶ長きに渡って叶わなかった魔王討伐についに成功した、人類最高の偉人。その2人を、超える、ですって?」
「はい」
「はい」
例え、答える相手が、勇者の仲間のスガモであろうと。
2人に、迷いは無かった。
「なら、あなた達は、もうちょっと頑張らないといけない。今のままじゃ、ヴェルグやメイストームの足元にも及ばないまま人生が終わるでしょう」
スガモは、結晶を使い、土人形を作ってみせた。
「ネイキッド。あなたはこれを倒しなさい。期限は日暮れまで」
スガモが目を中空に向けただけで、湖上に数百平方メートルの大地が作られた。
土人形もそこに向かった。ネイキッドは、スガモに従い、土人形の後を追う。
続いて、オウザに向かい合う。
「オウザ。あなたは現時点でも、もうそこそこの使い手と言って良い。でも、己を、限界を超えなければ、あなたはそこそこの使い手で終わってしまう」
スガモは、ローブから杖を取り出し、構えた。
「私と魔法勝負。私に追い付いて」
「うっす!・・・う、うっす・・」
オウザは言葉を濁してしまった。
ネイキッドは知らないし、オウザも教えていない。
仮に。一般的な魔法使いの魔力量を、1としよう。
その時、オウザの魔力量は、100だ。常識的な魔法使いの100倍の実力を現時点でも誇っている。
が。
今回問題のスガモは、1億だ。
ざっと、オウザの100万倍だな。
ちなみに、メイストームでさえ、1万ほどでしかない。
追い・・付く・・。
この、怪物に。
オウザのやる気、野心、意気を以ってしても。
土台、不可能にしか思えないのだ。