緩んだはずの「 」
何が起こったか分からないまま梗平君がぶっ倒れ、僕がギリギリ搾り出した根性で魔法陣を維持している5分間は、それはそれは長かった。
「──これは、魔術、だな」
「……」
「精神干渉……、戦意を、根こそぎ、奪うといった、ところか」
回復に専念してほしい梗平君が、魔術講義を始めたのである。
正直、今この視界グラグラの頭クラクラな状態で説明されても困る。理解するのもしんどいから、切実に後回ししてほしい。
けれど悲しいかな、僕の願いなど知ったこっちゃないとばかりに、梗平君は続けた。
「……おそらく、対象は、街全ての生きとし生けるもの、だ」
「迷惑すぎる……」
「だが、結果的には、百鬼夜行は収束する、だろう」
「え?」
予想外の言葉に顔をあげる。梗平君は、未だぐったりしたまま続けた。
「生きとし生けるものすべて、戦意を奪う。鬼も例外ではない」
「……今戦闘している、鬼も人間も、全部の戦意を奪った、ってこと?」
「そうだ。魔王級ならば、少しは動けるだろうが……、戦意は、保てないだろう。下級の鬼なら、昏倒して、そのまま消滅しかねない」
「えっ」
それって、チビたち大ピンチでは。青ざめた僕に、梗平君は眉根を寄せる。
「雑鬼の心配なら、無用だと思う。百鬼夜行前、遅くても瘴気が溢れかえった時点で、街から逃げているだろう」
「あー……確かに」
そういや、魔王襲撃でも逃げ出してたらしいね。何事もなく寝床に現れるから、特に何も聞かなかったけども。
それに、百鬼夜行が終わるなら、この結界をぶち破るような危険もほとんどないと考えていいはずだ。運が良ければ、近く魔術の解除はOKですよと連絡が来るかもしれない。つまり、後少しの辛抱のはずだ。
ほっと胸を撫で下ろし、ついでにと梗平君を振り返る。
「ところで、そろそろ復帰できない?」
「……まだ、魔力を操るのは、無理だ」
「ええ……僕そろそろ限界近いんだけど……」
「涼平さんは限界と言ってからが長いタイプだろう」
「酷くない?」
このマセガキ、人使いが荒すぎる。半眼で睨むも、無理と言ってる中学生にさらなる無理も言いづらくて我慢した。
「むしろ、あなたが魔力を注げることに驚く」
「魔力は吸われてないっぽいけど?」
「魔力を操るには集中がものをいう。気力を根こそぎ奪われた状態で魔力を行使するのは、上位の魔術師でも難しい」
その言葉にはちょっと驚いた。いやまあ、僕としては人生稀なレベルで根性振り絞ってはいるけど、魔力切れを起こしているわけでもないのだ。
「眞琴さんに手を抜いたらビリビリバチバチやられた危機感思い出したら、ほら、いけるでしょ」
「……。眞琴がそこまでやるということは、涼平さん、かなり逃げたのではないのか」
「ぎく」
「俺は自主的に魔術を学ぶから、脅されて魔術を使ったという経験はない」
つまり、あれか。スパルタ教育の有無が、現状の差ということか。
「納得がいかない……」
「俺はむしろ納得した」
「なぜに」
「自らに問うといい。……話が逸れた」
自分で逸らしておいて、梗平君は溜め息をつく。
「問題は、涼平さんのように根性とやらで魔力を注げる人間が、どれほどこの街に残っているのか、だ」
「……?」
「場合によっては、封印が維持できなくなるだろうな」
「……え」
ただでさえクラクラしている頭が、真っ白になりかける。
封印とは、まさか。
「あの、山の……?」
その問いかけを、肯定するように。
「……あ」
聞こえた。
きて、と。触れて、と。
僕の中に直接響くような、あの声が。
むらさきいろに染まった、山の景色が脳裏をよぎる。
「……、っふ」
梗平君が、笑いをこぼす。その目には、狂気じみた喜びの感情が浮かんでいた。
鏡の裏側に存在する世界が、そこにあるのだ。
「封印が……!」
「ああ。そうだな」
どこか楽しげに、梗平君が言う。
「また、神隠しが起こる。世界が、知識を対価に、こちらを取り込もうとするだろう」
嬉しそうに言う梗平君を睨んで、言い返そうとした、その時。
世界が、回った。
「うっ」
一瞬、本気で吐きそうになった。なけなしの気合いとプライドでそれを押し戻し、顔をあげる。
「──あれ?」
ない。
あの狂った世界の気配が、ない。
「……どういう、ことだ」
途方に暮れたような、梗平君の声。
それに答えることもできないまま、封印が元通りになっていることを何となく悟って、僕は深々と安堵の息を吐き出した。