不具合からの急転
ダイダラボッチの爆破&降り注いだ血の雨に梗平君と揃ってドン引きしていたその時、追い討ちのようにそれは起こった。
「……?」
「どしたの……ん? あれ?」
なんと言えばいいのだろうか。言葉にできないような違和感と、不快感が同時に魔法陣を介して伝わってきた。魔法陣を見返すも、特に大きな変わりはない。きちんと魔法陣は構築されて、魔力が流れて、今も正しく作用しているはずなのだ。
はず、なのに。
「……ねえ、梗平君。これ、おかしくない?」
「……」
「なんか、こう……この魔法陣、ちゃんと」
「待て」
僕の言葉を遮り、梗平君は眉を寄せて僕を睨む。
「憶測を言語化すると現実になりかねない。下手なことを言うな」
「……うん、ごめん。けど……」
なんだろう。すごく、気持ち悪い。
なんというか、今すぐこの魔法陣に流す魔力を打ち切って、ここから離れたくなる。
「……これ、大丈夫?」
「……維持する。少なくとも、打ち切るほどの被害はない」
そう言った時、梗平君のスマホが音を奏でた。静かな建物に不自然に響く着信音に、僕らは一瞬黙り込んでしまった。
梗平君が二人の間の沈黙を破るようにスマホに手を伸ばす。スピーカーモードで応答すると、ひどく割れた声が聞こえてきた。
『梗 字、 め 、伝えわ れ 。作戦 で、いろ ろと不具合 も れな けど、そのま 魔 を維持 てほし 。きこ ル?』
聞き慣れたはずの眞琴さんの声に、ぞわりとする。異様な不快感に背を震わせる僕の傍、梗平君は端的に告げた。
「魔術は継続する。事象については後ほど説明を求める」
『……説 がむずか けど、わかっ 。 ゃあま ね』
電話が切れる。溜息をついて、梗平君は画面に手を伸ばす。
「……全滅だな」
「ええ……」
画面は全て砂嵐、状況は一切不明ときた。おっかないと言いたいのに、なぜか怖さはない。ただただ不気味で、不快なのだ。
「やだなあもう……」
「確かにな」
僕のぼやきに梗平君が同調する、珍しい。意外に思って目を向けると、梗平君は難しい顔で画面を睨んでいた。
「……これが街全体に広がっているとすれば、だ。誰も街の全容を把握できない空白時間となる。何かを企てるのに、これ以上好都合なことはない」
今の梗平君の言葉だけで、僕の中の危険信号が景気良くサイレンを鳴らし出した。
「……何かって?」
「それはわからない。だが──」
それ以上は何も言わず、梗平君は無言で魔力を流し続ける。僕も下手に突っ込まず、魔法陣の維持に意識を向けた。
結果的に、それが正解だったらしい。
──ぞわっ!!
「っ、ひ……!?」
「!? これは……!?」
悲鳴をぎり飲み込んだ僕と、緊迫した顔を持ち上げた梗平君。二人揃って視線を向けた先に、悍ましい気配がものすごい勢いで広がっていった。
「瘴気……!?」
負の感情が魔力によって煮詰まり、生物によくない影響を与えるものを、瘴気と呼ぶ。いわゆる事故物件とか曰く付きの場所というのは、大体これの溜まり場だ。瘴気が澱む地に住む動物や妖は、瘴気を少しずつ蓄積し、鬼になる。急速かつ大量に吸い込めば、猛毒となって命を奪う。
物騒というか危険極まりないものだけど、幸いといっていいのか、そう簡単には命に関わるレベルまで溜まらない。暴論を言えば、多少の瘴気だったら日光浴でも浄化できるのだ。今回の百鬼夜行でも、地脈の流れを整えることで瘴気は澱むことなく散らされ、浄化されている。
そんな、取り扱いはそこまで難しくないけどそれを補ってあまりある危険物が、噴火のような勢いで街の一角から広がっていた。
「なんでこんなことに……?」
「……わからない。だが、これはまずいな」
梗平君が表情を固くしている。それはそうだ、この勢いだと街全体にこの瘴気が広がるのは時間の問題だろう。流石にこれだけの量となると、吸い込んだだけで体に悪い。下手をすれば死ぬ。
そもそもなんでこんな量の瘴気が噴き上がるんだろう。例えば今街を襲っている魔王クラスの鬼たちが僕らの目の前に立てば、この部屋はあっという間に瘴気が澱むだろう。けれど、いくら魔王クラスでも、街を埋め尽くして有り余るようなこの瘴気の量を果たして撒き散らせるだろうか。
そんな疑問とは裏腹に、現実には起きているのだ。
「……結界張って、なんとかなりそう?」
「……ごく短時間ならば。だが、あの量の瘴気をすぐに浄化できるかどうかは──」
難しい、と。冴えない顔色をした梗平君がそう続ける前に。
「……え?」
ドクン、と心臓が不自然に跳ねる。
気づけば、天井を仰いでいた。
……何か、いる。
とても危険なものが、上空に。
「涼平さん?」
梗平君の不思議そうな声。僕が感じたこれを、梗平君は何も感じないのか、と驚くより先に。
「……!?」
梗平君が息を呑んで空を仰ぐ。ほぼ同時に、僕は瘴気が一箇所に吸い取られていくのを感じた。
「何──」
なんだこれ、と言うより先に。
切り裂かれた。
「うっ!?」
「ぐっ……!?」
見えない刃に体を二分されたような感触が過ぎる。
同時に、凄まじい脱力感に襲われた。
うつ伏せに倒れ込む体を、ギリギリ両腕で支える。どさっと、音が聞こえたのは、梗平君が倒れたのか。
グラグラする視界の中、僕はほぼ無意識に、というか反射的に、魔法陣に魔力を注ぐことだけに集中した。やれと言われたらやるしかない、魔女様の教育の賜物である。
(……ん? 魔力は余裕?)
すんごい脱力感だったけど、魔力枯渇ではないらしい。というか、全く減っていない。不思議に思いながらも気合を振り絞って魔力を注ぎ続ける。手を抜いたらどこかから電流でバチバチやられる、あの魔導書訓練の危機感だけが僕を支えていた。
「……、涼平、さん」
梗平君の掠れ声が聞こえたので、目だけ向ける。ぐったりとうつ伏せている梗平君は、顔色も悪い。とてもじゃないけど動けなさそうだ。
となれば、僕に言えるセリフはこれしかない。
「……梗平君、悪いけど……5分は頑張るから、それまでに復活してほしい」
梗平君の目が据わった。
「…………。そこは、年長者の、威厳とやら、では、ない、のか」
「根性で全てをどうにかする、みたいなのは、搭載してないから……」
適度に真面目だし、土壇場で試験を落とさないダッシュ力なら任せてほしいけど、ずっと真面目にやるだけのエネルギーはないのだ。察してほしい。
「……はあ……」
「そこでため息つくの、酷くない……?」
一応、今結界が無事なのは、僕のおかげなのだ。もう少し感謝してくれていいんだぞ、と目で訴えるも、梗平君の目はそこはかとなく冷たいままだった。




