*閑話* 夏の終わりにツーリングを
「やあ、涼平」
「お、眞琴さん。お久ー」
ふらりと現れた魔女様に、本を抱えた僕は片手だけパーにして挨拶を返した。
魔王が街を襲撃するとかいうとんでも事件からはや2週間。当たり前といえば当たり前だけど、眞琴さんは文字通り忙殺されていたみたいだ。
(半分くらい僕のせいで)大惨事になった知識屋の本たちも、梗平君と、「なんだか嫌な予感がしたのよ……嘉瀬くん、あなた本当にいい加減にしなさいよ」と低い声でおっしゃる薫さんのおかげで、無事翌日には現状復帰が出来たわけなんだけど。
……そもそもバレたくない相手であるところの眞琴さんが、まるっと二週間顔を出す事すら出来ていなかったんだから、もうちょい時間がかかっても大丈夫だったような気もする。そうぼやいたら、梗平君から冷え切った視線をいただいた。
さて、その二週間ぶりに姿を見せた眞琴さんはというと。
「いやそれよりさ……。眞琴さん、ちゃんと眠れてる??」
これに尽きる。いや、マジで。
なんかもう、化粧で誤魔化すとかそういう領域を超えて、ガッツリとした隈が目の下で存在を主張している。加えて目も充血してるから、正直ちょっと怖い。
「はは、大丈夫さ。ちょっと三徹仮眠三徹仮眠、って続いてただけだから。一応のひと段落は見えたし」
「大丈夫、とは……」
ちょっと瞳孔が開きかけてる眞琴さんのお言葉に慄く僕。駄目だこれ、徹夜ハイの行き着く先ってやつだ。
「ま、そんなことはどうでもよくて。ねえ涼平」
「な、何?」
「二人でツーリング、行かない?」
にっこり。
チェシャ猫のように笑って、眞琴さんはそう言った。
***
とりあえず寝て。
と、もはやど直球でお伝えして、その日は休養日に当ててもらったんだけど。
眞琴さんがぶん取った(らしい)休養日が実はその翌日までだったらしく、一日明けた本日、予定通りのツーリングとなった。
「お待たせー」
「やあ」
にっこりと笑う目元には相変わらず隈が居座っちゃいるんだけど、昨日よりは薄くなったかな。梗平君にも根回しして、ちゃんと寝てもらうよう伝えた甲斐があった。
……梗平君には「あなたの持つ根回しの伝手の方が良いだろう」とか言われたけどね。なんのことーって惚け通して拝み倒したよ。彼から尊敬ポイントを確保することは、もう諦めた。
思い出してしまった昨日のあれこれを頭の中から追いやりつつ、僕はバッチリライダースーツを決めた眞琴さんに尋ねる。
「どこに行きたいとか、眞琴さんは希望ある?」
「そりゃまあ、誘った以上はね」
そう言って眞琴さんがスマホを見せてきたので、僕も遠慮なく覗き込む。地図アプリに示された経路を見て、よし来たと頷いた。ワインディングロードの連続で、走らせ甲斐のある道だ。
「この道なら僕行ったことあるし、前走ろーか?」
「うーん……まあ、そうだね。私も久々だし、後ろがいいかな」
前を走る方が風も浴びるし安全確認も必要なのでそう提案すると、眞琴さんも素直に頷いた。……なんかちょっと気になること言った気がする。気づかなかったことにしとこう、うん。
いくつかハンドサインを決めてから、僕らはめいめいヘルメットを被り、バイクにまたがりハンドルクラッチを開いた。しゅっぱつしんこー。
市街地はエンジンを唸らせずゆっくりと転がし、高速に入ったところからスピードに乗っていく。
高速に乗ってしばらくは、サイドミラーで確認しながらペースを調整していたけど、眞琴さんのバイクテクはなかなかのものだった。登り下りも同じ距離でしっかりついてくるし、カーブも無理なく曲がる。これなら大丈夫だろうと、途中からは僕も風を切る感覚を純粋に楽しんでいた。
とはいえ、時期は9月後半。暦じゃ秋だけど、まだまだ夏の名残が濃密に残る蒸し暑さだ。気を抜いたら簡単に熱中症になりそうなので、ほどほどのところでサービスエリアに寄り、水分休憩タイムとした。
「あっつー……」
ヘルメットを外した僕は、うんざりと息を吐き出した。シートから取り出したタオルまであっつあつになっていて、ゲンナリする。
「まだまだ夏だよね」
そんな僕にくすくすと笑いながら、眞琴さんが相槌を返してきた。ちらっと確認すると、ヘルメットでやや潰れ気味のボブヘアをざっとかきあげていた。言葉の割に顔は上気してない。どころか、汗もほとんどかいてない。
「工夫と技術かな」
「……精進しまーす」
僕の視線に気づいた眞琴さんがイタズラっぽく笑う。なるほど、バイクかっ飛ばしながら例の涼しい魔術を維持していたのか。……運転に集中しなくて大丈夫? なんて質問は野暮というものだ。流石は魔女様である。
ひと休憩がてら、サービスエリア内の売店で飲み物を探す。汗をかいてるし、水分補給はめちゃくちゃ大事だ。スポドリもいいなあ、なんて物色している側、眞琴さんは見るからに甘そうなジュースをじっと見ていた。
「……喉乾いてる時に甘いものって、僕はキツかったりするけど、大丈夫?」
「気にした事ないなあ。甘ければ甘いほど良いよ」
「ほ、ほどほどにね……」
お茶タイムのおやつとか紅茶に入れる砂糖の量で薄々わかっちゃいたけど、この人ほんっとーに甘党だなあ……。
僕も甘いものは好きな方だと思うけど、眞琴さんの好みの甘さは、口の中がちょいとおかしくなるレベルだ。ま、まあ、好みはひとそれぞれだけど。
眞琴さんの健康をちょっぴり心配しつつも、僕は自分用の麦茶と、眞琴さんが手を伸ばしたジュースを手に取りレジに向かう。
「……涼平?」
「ん?」
後ろからついてきた眞琴さんが財布を出したのを見て、僕は首を横に振った。
「良いってこのくらい。たまには男の子らしさがあるなあと思っといて」
「おやおや。それじゃあ、お言葉に甘えてご馳走になろうかな」
ここで面白そうに身を引かれた時点で、まだまだ足りないらしい。漢前な魔女様に苦笑しながら、ご当地ソフトクリームも追加購入した。
アイス休憩で体を冷やすことしばし、僕らは再びバイクに跨って道を駆け抜ける。今度は最初から遠慮なしにかっ飛ばした。コース一番のワインディングロードも、きっちり安全かつ攻めの運転で攻めてみたけど、眞琴さんは問題なくついてきた。16歳になってすぐバイク免許を取り、高校教諭に大目玉を食らいながらも乗り回してた僕に劣らぬテクを持ってるあたり、相当乗り込んでるのは間違いない。……忙しいはずなんだけど、本当どうなってんだろね。
「よーし、とうちゃーく」
緑の香りがほのかに香る風を切って楽しむこと数時間。休憩をちょくちょく挟むうちに、太陽もてっぺんが近くなったかなと言う頃に目的地に到着。駐車場の木陰を選んでバイクを止めてメットを外すと、近くの自然公園からかほんのりと花の匂いが漂ってきた。意識的に鼻から息を吸いながら、グッと体を伸ばす。
「涼平、運転上手いよね。後をついていくだけで楽々進めたよ」
「いやいや、ついて来られる真琴さんも相当でしょ」
同じくメットを外した眞琴さんに、ひらひらと手を振ってお世辞に答えつつ、僕は周りに人がいないことを確認して冷却の魔術を使った。あー、生き返る。
ふと思い立って、タオルにも冷却の魔術をかけてから首に巻いてみる。
「……おお」
めっちゃ気持ちいい。体温で温くならないから、長くかけてたら寒いくらいかもしれない。僕が一人感動していると、眞琴さんがくすくすと笑い出した。
「教え甲斐のある弟子だなあ」
「心の底から感謝しております」
ややおどけた仕草で一礼し返す。こんなしょーもないやりとりも、ここ最近はお預けだったからね。というか、出来ないまま死にかけたんだけども。
「……」
「涼平?」
ふとそんな考えがよぎったのを顔から読み取ったのか、眞琴さんが首を傾げる。さらりと流れる黒髪をなんとなく目で追いつつ、僕はへらりと笑った。
「なーんでもないよ」
「そう?」
「うん、そう」
命懸けだったのは、僕以上に眞琴さんだったよね、だとか。
この街を守ってくれてありがとう、だとか。
一市民を代表して言うのが道理なのかもしれないんだけど、僕はあくまで、魔女様の弟子なのだ。何も裏事情を知らない未熟な魔術師見習いがしたり顔で言うのは、ちょっとね。どうにも僕は、そういった踏み込みができる性質じゃあないのだ。
「さてとー。このまま帰ってもいいけど、結構順調にきたから時間には余裕あるね。折角だし、この先の植物園行ってみる? 今の時期なら、ダリアとか金木犀とか見られるかもだよ」
「おや、流石によく知ってるね。せっかくだから見に行こうかな」
「さ、流石って何だろなー……」
こうやって何も知らぬ顔で、いつも通りのやり取りをする方が良いなあ、なんて。
そんなずるい事を考えつつ、僕は眞琴さんを先導すべく、背中を向けたのであった。




