決断
梗平君の問いかけに込められた意図に、今ここで気づかないふりをするのは、いくら僕でも無理だった。
「はぁ〜〜〜」
思わず天井を仰いで、それはそれは大きな溜息を吐き出してしまう。なんか、もう、本当に。
「どうしてくれようか、このクソガキ……」
「そうだな」
まあ、もちろん分かってやっているわけだ、このませた中学生は。
「ほんとさあ……こんな状況でも、梗平君は梗平君なんだよねえ」
「当然だろう」
「それが、当然じゃあないんだよなあ」
自分の命が紙切れみたいに消し飛ばされそうな状況で、逃げずに最後まで足掻けと。そう、慕っていたはずの身内に命じられたなんて状況で。それを側から見せつけられた僕の反応が、自身の命よりも他の何よりも興味がある、なんて顔をして。
自分の優先順位が、どんな時にもぶれず歪まず明々後日の方向に突き進む。そんな君の生き方、ほとんどの人にとっちゃあ「当然」なわけがないんだ。
そして、今。この流れで巻き込まれただけの僕が「じゃあ僕はお先に逃げるね」ってするかどうか、なんて。そんなずるいにも程がある問いかけをするわけである。本当に、君は魔術より何よりもまず人の心を学び直すべきだと思うよ、全く。
(さて、どう答えますかね)
僕の中の答えはもう決まっている。なんて、格好よく言えたらいいんだけどね。
生憎と、僕は勇敢でもなく、命知らずでもない。ちょっと小賢しくて要領がいいだけの、芯の無い人間だ。ここで迷わず自分の命をポイ捨てして君達に義理立てするよ、なーんて格好いいことは、まぁ言えないのだ。
(言えないんだけど、まあ、うん)
軽く苦笑いを浮かべて、魔法陣を見下ろした。つつがなく動いているこれは、別になんとなく偶然動いているわけじゃない。梗平君が目一杯頑張って、僕も手伝って、そうやって維持してきた代物だ。そしてどうやら、僕の魔術維持技術は、梗平君の助けになれるレベルらしい。
やれやれ仕方ない。僕の心情を言葉にするなら、こんな感じだ。
「梗平君」
「ああ」
「それで、魔石のストックとやらはどこにあるの?」
「……何?」
うん。やっぱりこの子が戸惑った反応を見るの、癖になるくらい気分がいいな。
「眞琴さんが言ってたじゃない。お店のストックはいくらでも使っていいって。けど、僕は魔石なんて高級品は任されたことがないから、場所も知らないんだよね」
魔術維持の主導権を持っている梗平君が離れるよりは僕が取りに行ったほうがいい。さっきみたいに短時間だけ僕が維持してもいいんだけど、魔石を使って魔術を強化するなら恭平君にお任せすべきだろう。
そう告げると、梗平君はスッと目を細めた。
「いいのか、涼平さん。その意味がわからない貴方ではないだろう」
「もちろん。ってゆーか、分かってて巻き込んだのがそっちでしょ」
思わず苦笑して返したけど、梗平君は納得できないようだ。
「何故? 貴方に英雄願望はないだろう」
「そりゃ勿論」
あったら自分でもびっくりだ。
「けどなんて言うのかなあ……って、時間ないんだっけ。とりあえず魔石の場所教えて? 取りに行きながらでも会話は出来るでしょ」
「……。右奥の鍵付きキャビネットを魔力の弱い順に引き出しを開けると5番目に魔導書が収められている。それを起動するとさらに引き出しが開く。その中にある箱を──」
「待って。それは順番に説明してくれないと、会話しながらは無理」
僕の予想の遥か上をいく厳重な管理に面食らいつつ、ひとまずキャビネットとやらを探しにいく。……た、棚ってことで良いんだよね?
「これであってる?」
「そうだ」
「ええっと、魔力の弱い順って、なんかまたビミョーな違いなんだけど……」
わかりにくいなあとぼやきつつ、なけなしの魔力探知をフル活用して引き出しを開けていく。無事魔導書を取り出せたので、起動しつつ梗平君との会話を再開した。
「で、これを『オープンザセサミー』っと。それで、えーっと僕がこうやってるのが何故って話だっけ?」
「むしろ今の起動言語について詳しく聞きたい」
「ええ……それは後にしようよ」
興味が移り変わりやすすぎでは、と思ったものの。魔導書から溢れ出た文字を操りつつ、僕はひとまず話を戻す。
「ほら、僕って楽天家だからね。なんか色々うまく行って、なんだかんだ助かるんじゃないかなって思ってるのが一つ」
「楽観が過ぎる」
「そうかなあ、なんか色々すごい助っ人さん来てるみたいだし、なんとかなるかもよ?」
具体的には、ノワールさんあたりが魔女様に依頼を受けるって形で助けてくれないかな、とか思っている。
「あとは今逃げるにもどこに逃げるのさ、っていうのもあるし。こんな非常事態に僕一人逃す余裕なんて、まあないでしょ」
おっかない魔王とやらじゃなくても、その辺の妖に命狙われたって死ぬからね。所謂「こんなところにいられるか! 俺は逃げるぞ!!」っていう孤島の推理小説ばりの死亡フラグを立てる気はない。
「それなら運良く助かる方にかけて、できることしようかなーって思ったってわけ。お、引き出し開いた。次これどーするの?」
魔導書の文字が貼り付いた引き出しが勝手に開く。中身を覗き込むと、平べったい箱が入っていた。開けて良いのかな、これ。
「魔力を込めた指で右上左下左上左下右下右上の順で触れると開く。中に入っている魔石を全て持ってきてくれ」
「ねえ、さっきからわざとやってない?」
何故その複雑な手順を一回で覚えられると思うのか。抗議してゆっくり言ってもらいつつ開けると、透明度の高い石が敷き詰められていた。
「なんかいろんな色あるけど、魔導書みたいにいっぺんに運んだら爆発するとかないよね?」
深紅に輝く赤、夜空のような青、森の深みを思わせる緑、漆黒の闇のような黒と、それぞれに独特の輝きを放っている。なんとなく込められた魔力にも違いがありそうだし、これだけ厳重にしまわれてるともなると、魔導書なみの取扱注意品じゃないのか。そう尋ねる僕に、果たして梗平君は首を縦に振った。
「ああ、相反属性は分けた方がいい」
「なんて?」
「魔石について勉強していないと言う気か?」
「その通りだけど……?」
普通に教わってないし魔術書で勉強した覚えもない。何故梗平君はさっきから僕をアホの子を見る目で見るんだろうか、別に悪いことはしていないはずなのに。
「……眞琴の教育方針が理解しかねる」
「僕に言われても……あ、そうだ一つお願いがあるんだけど」
大事な事を言っていなかったと気づき、僕は梗平君へとにっこり笑いかけて「お願い」をした。
「運良く助かったとしてもだ。僕がここにいたこと、眞琴さんには内緒にしておいてね」
「……」
「そしたら今回、ろくに説明せず巻き込んだことはチャラにしてあげる」
梗平君は無言でしばらく僕を見上げた後、ふっと息を吐き出す。
「分かった」
「ん、ありがと」
「では、今から魔石の必須知識を講義しながら扱いを覚えてもらうぞ」
「ええ……」
なんとなーく腑に落ちない気分だけど、まあ文句を言っている余裕もないわけで。
僕は微妙な顔になるのを感じながら、おとなしく頷いたのだった。