僕と知識屋の小さな変化
「……あっつー……」
ガンガンに照りつける太陽を恨めしく見上げて、僕はぼやいた。
試験も無事終わり、大学は夏休みに突入。ほぼ同時に、猛暑がやってきた。
息を吸えばむわっと蒸し暑い空気、地面からのじんわりとした放射熱、とどめの燦々たる太陽。
……サマーバケイション満喫派の僕でも、今年の夏はマジで暑すぎる。海水浴なら行けるかもってちょっと前に学友達とバイク飛ばしたら、日光は痛いし同じ考えの人は多いし海の水は生ぬるいしでさっさと撤退した。屋内レジャープールなんてものはこの街にはない。県外に行くにも結構気合のいる距離で、みんなの都合が合わずに諦めた。
ちなみに結構本気で探した県外の泊まり込みバイトは、近場はほぼほぼ全滅だった。ちょっと遠くへ旅行がてらは……うん、やりたかったんだけど諦めた。正確には申し込む直前に魔女様から「夏休みシフト表」なるものが送り込まれてきて諦めざるを得なかった。
なお、シフト表を前にがっくりと肩を落とした僕の周りでは、クーラーに吸い寄せられたくつろぎチビ達がケラケラ笑っていた。あいつら全く懲りてないし、寧ろ暑いせいで僕の部屋に居着く時間が伸びてきている。本当に、目を付けられたら僕ごと消されて終わるからね? 知らないよ?
まあ、そんな訳で、今年の夏も知識屋店員としての日々と相成ったのである。
ふう、と溜息を1つ。それすらむあっとするのに顔を顰めつつ、僕は覚悟を決めてメットを被った。
「……もういっそ、お店にシャワー室作らない?」
「書店に水気は大敵だからなあ」
げんなりとした僕のぼやきに、眞琴さんがくすくす笑いながら現実を突き付けてくる。持参したタオルで汗びっしょりの髪をワシワシ拭いつつ、僕は儚い期待を口にしてみた。
「そこはホラ、魔術で何とか」
「24時間365日維持できる魔法陣か、画期的だね。折角だから涼平が作ってみるかい?」
「……電気って偉大だねえ」
ちょっと考えただけでも魔法陣はうんざりするほど面倒だし、そもそも魔力がいくらあっても足りない話なんだけど、人間は科学でそれを可能にしてる。よく考えなくても凄い話なんだよね。
「魔術はどうあっても個人の能力ありき、特化型で汎用性は低いからね。科学が発展するに従って魔術が追いやられるのも無理からざる事ってわけだ」
「成る程納得、簡潔明瞭だね」
戯けてそう言った僕に、眞琴さんはくすりと笑いながらぱんと手を叩く。それだけの動作で、僕の周囲の温度が数度下がった。おお、涼しいし汗まで引いてサラッとなった。
「ま、これくらいかな」
「これに関してはエアコンよりずっと優秀だと思います」
エアコンはスイッチ入れてから部屋が涼しくなるまで結構時間がかかるもの。それが一瞬で汗が引く、しかも汗がべたつかない。結構感動ものだ。
「じゃあ次の宿題はこれね」
「ハイ喜んでー!」
「……初めてそんなにやる気のある返事を聞いた気がするよ……」
微妙な顔をした魔女様と一緒に、本日の『知識屋』開店と相成った。
いつもの解錠作業を済ませてから、眞琴さんがくるりと振り返る。
「それじゃ、今日は裏をお願いね」
「おや、最近多いね」
ここ最近、眞琴さんは積極的に裏のお客様対応を僕にさせる。結果、たまに表に出るとお客さんに「今日はあの美人さんじゃないのか」などとあからさまにがっかりされることが増えた。気持ちは分かるけど、せめてもうちょい隠して欲しい。
……まあ、眞琴さん目当てだろうと、お客さんの出入りが増えるのは悪い事じゃあないんだけどね。僕の収入的に。
「どうしても困った時には呼んで良いよ。と言っても案外上手に捌くよね、涼平」
「そこはハラスメントなんでもありな居酒屋とかでバイトやってたから、経験値かなあ」
いや、そうなんだよね。お手伝いで入ってた時には魔術師ってめんどくさって思ってたし、今でも思ってはいるんだけど、いざ自分で対応してみたら意外とどうにかなってるというか。
プライド激高めんどいお客様ではあるんだけど、お酒が入ってない分だけマシだったんだよね。後輩の女の子にしつこくセクハラするよーなアホの対応とかしなくていいだけ楽かもしんない。いつぞやの魔法士みたいに魔術ぶっ放そうとするような、頭のおかしいのが来てないのもあるけど。
「涼平、人当たりは良いからね」
「人当たり「は」ってところに何やら含みがなーい?」
思わずじとっと見るが、笑顔で流された。まあ、心当たりはフツーにあるけども。
「それにしても最近眞琴さん忙しいみたいだけど、大丈夫? 梗平君も夏休みなんだし、呼び出しちゃえば?」
眞琴さんが表に出るのって、大体どっかに連絡したり調べ物したりで忙しい時っぽいんだよね。多分だけど、おうち関係なんだろうとは思う。唯でさえ去年の夏も忙しそうだったし、まあちょっと心配にもなるよね。
なお、梗平君を働かせる事への罪悪感はこの1年でほぼ消え失せた。あのマセガキは僕の中で、一応中学生だけど中身は困ったマッドサイエンティスト予備軍の魔術師という認識だ。
だからこそ遠慮なく提案したんだけど、眞琴さんはくすりと笑った。
「大丈夫。私もこっちだから調べられることっていうのも、結構あってね。『家』でやったら眉を顰められても、こっちで調べて持ち込む分には渋い顔で重宝するんだよ、あの旧弊共は」
「……そですか」
「ま、うちだからそうなのかもね。例えば──」
「あー大丈夫なら良いよ大丈夫なら。というわけで僕は裏行ってくるね。眞琴さんも頑張ってねそれじゃ!」
早口で眞琴さんの言葉をぶった切り、僕はそそくさと「裏」に入っていった。後ろからくすくすと笑い声が追ってくる気がするけど、きっと幻聴だ。
……どーも怜君のお呼び出しの一件があった後くらいから、眞琴さん、こうしてちょいちょい「家」の事情をちらつかせてくるんだよね。これ確実に怜君からの一連の件がバレてる、下手したら呼び出しの時のやり取りまで見抜かれている気がする。
いやほんとに僕はそーゆーのは勘弁なんだよ、と言ってしまいたいけど言ったら負け。「おや、何の話だい?」からの尋問泥沼コースは目に見えている。そもそもあの魔女様がチビ達のおいたについて一切触れてこないのがホント怖い。
……まあ、そんなわけで。最近の知識屋は、なんて事ない会話に地雷があちこち埋まってて、僕としてはちょっと生きた心地がしない。なんでこうなっちゃうかなあ、まったく。