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知識屋  作者: 吾桜紫苑
第2巻
27/80

『知識』欲

「『識りたがり』。梗の字が囚われているのは、強すぎる知識欲」


 カップを口元まで運び、悠然と傾ける。紅茶で湿った唇に、自然と視線が寄せられた。

 唇が動き、言葉を紡ぐ。


「元々知識欲は、人を人たらしめるモノ。それがなければ今日の文明発展は見られなかったし、そもそも人と動物を分ける知性を持ち得ない。……けれど、過ぎたるは及ばざるがごとし。歯止めの利かない知識欲は、例え資格を持っていても、時に凶器となる」


 シニカルな笑みを浮かべたまま、『魔女』はカップをテーブルに戻した。


「彼の魔術書を読み解けるだけあって、梗の字の持つ資格は人並み外れてる。それこそ、この世界に在る魔術書や魔導書で読めないものは無い。だからこそ、梗の字への報酬は全て『知識屋』の魔術書だ」


 渡して良いのかいつも迷うけどね、と言って。『魔女』はカップを離した手を軽く握り、とん、とテーブルを叩く。


「けれど、「タリナイ」。梗の字は『知識屋』の書をほぼ網羅しているのに、満足出来ない。もっと知識が欲しい、もっと魔術を知りたい、もっとこの世界を識りたい、もっともっともっと。彼の中にある過剰な知識欲は、常に彼を駆り立てる」


 難儀だよねと口の中で呟き、『魔女』はテーブルに置いていた手を戻して僕をひたりと見据えた。彼女の黒の瞳は、理性の光が煌めいていて綺麗だ。


 僕はその瞳に囚われて、目を逸らせない。


「1度何かに興味を持ってしまうと、本人にすら止められない。「識りたい」と思ってしまったならば、他者を実験体にする事さえも躊躇わない。——似ていると思わない? 涼平が昨日見た世界に」


 『魔女』の言葉に、むらさきのせかいが瞼の裏に蘇る。



 ——同時に、梗平君の言葉も。



「あの世界はこちらの世界の事をなによりも識っている。……梗の字が囚われる事は必然だ。あれ程あの子の知識欲を満たしてくれるモノなんて無い」


 『魔女』は山のある方向へと目を向けた。その口元に、これ以上無い皮肉な笑みを浮かべて。


「だからあの子は山に入り、あの世界に触れる。そうすれば、あの世界は欲しい知識を教えてくれるから。……「資格」を持つが故に、気が狂う事もなく」


 それを聞いた僕は、ふと疑問を覚えた。


 対価無しに何かを受け取る事は出来ない。それは『知識屋』の理念であり、『魔女』が何度も繰り返す事だ。


 ならば、むらさきのせかいに知識を教えてもらう、対価は。



「その対価は、元々彼が囚われていた「知識欲」そのもの。あの世界に触れれば触れる程梗の字はこの世界に、この世界の人に興味を持てなくなってきている」



 シニカルな口調で語られたそれに、僕は背筋が冷えた。


 本来の居場所であるこの世界に、興味が持てない。それは、つまり。



「涼平に見せた興味は随分久々のものだったよ。昔はそれこそ、誰にでもその知識欲を向けて周囲を巻き込んでいたのにね。……いつか梗の字がこの世界の全てに興味を無くし、あちらの世界にしか興味を持てなくなった時。こちらの世界に触れたいあの世界は——」



 『魔女』の手が、ついと上がる。伸ばした手を握り、開いて、振った。



 ——僕はその仕草に、ナニカが、消える様を見た。



「——梗の字を、自分の世界に取り込むだろうね」



 ——触れられない筈だった世界が、境界を越えた梗平君に触れて取り込む様を、見た。



「……眞琴さんは、止めないの?」


 僕は、堪えきれずに尋ねる。つい昨日話した彼の、そんな結末は見たくない。


「止めないよ」


 けれど『魔女』は、突き放すようにそう言った。


「選択の対価だ、梗の字が背負うべきものさ。梗の字は全て分かった上で関わっているんだ。結果は自分の責任で受け止めなければならない」


 理知的な声音で紡がれるそれは、いっそ冷たい程で。


「だから私は、涼平も止めなかっただろ? もし涼平が梗の字同様あの世界に魅入られ識りたいと望むならば。その資格を持つ涼平を止める理由なんて、どこにもない」


 選んで、と言った眞琴さんの表情を思い出す。あの時、眞琴さんは。


「涼平には今まで梗の字に与えたのと同じだけの知識を与えてきた。だから私は、涼平はあちら側に行くだろうと思った。梗の字もそう。涼平の知識と資格を知り、梗の字は興味を持った。自分に近からずとも遠からずの経歴を持つ涼平が、資格のままに知識を欲さないから。……あの世界に触れて、涼平がどちらを選ぶのか識りたかったんだ」


 でも、涼平は涼平だね。眞琴さんはそう言って、苦笑した。


「あの世界の狂気に関わって己を失わない事が、どれ程難しいか。……でも、そんな涼平だからこそ、梗の字は返してくれたのかな」


 後半の言葉を口の中でだけ呟いた眞琴さんは、僕ににっこりと笑いかける。柔らかくもハンサムな、どこまでも魅力的な笑顔。



「涼平は、涼平のままで良い。狂気に囚われ、身の内の衝動に狂い、鏡の裏に在る世界に魅入られた梗の字の事は忘れて、涼平らしく「適度に真面目に」生きていけば良いんだ」



 唱えるようにそう結んだ眞琴さんは立ち上がり、大きく伸びをした。



「さて、そろそろ涼平も帰りな。明日学校あるんだろ?」


 にこりと読めない笑みを浮かべた眞琴さんに、僕は肩をすくめる。


「生憎と、明日の僕は3,4コマだけなんだよね。……そんな事より、眞琴さんや」

「うん?」


 すっとぼけてくれる魔女様に、僕はずっと抱いていた疑問をよーやくぶつけた。


「さっきから思ってたんだけどね。……眞琴さんや、昨夜の僕らのやり取り見てた?」


 全く話した覚えはないとゆーのに、僕らの会話や動きを見ていたような台詞がぽんぽん飛んでいるのだ、ちょいと見逃せない。


 じっとりと目を向けた先で、眞琴さんがおやと目を見張る。


「良く気付いたね。涼平の事だから全く分かってないんじゃないかと思ってたけど」

「気付くようになりましたよ、お陰様でね。……てか、何してくれちゃってるのさ」


 びしっと裏手チョップを入れれば、眞琴さんは悪びれる様子も無く肩をすくめた。


「出会わせた以上梗の字の暴走で涼平が怪我するのは本意じゃないから、こっそりとね。途中から梗の字が気付いて干渉魔術放ってくるもんだから、後半はほとんど視えなかったけど。あの世界に触れられたら、私でも視えないし」

「え、そうなの?」

「あれで視えるのはノワールレベルだよ」

「オーケー、人外レベルなのね」


 成程と頷くと、眞琴さんはにっこりと笑う。あ、危険信号。


「涼平が梗の字に山から放り出された後の事は視えたけどね。ちょーっと魔術の構築が遅かったよ、練習を増やさなきゃかな」

「うええ、藪蛇」


 言うんじゃなかった。……いや、眞琴さんの事だ。言わなかったら言わなかったで気付かなかったペナルティだね。


(魔女様のスパルタは顕在でした、ってね)

(おーや、スパルタとは言ってくれるじゃないか)



 眞琴さんにあえて聞こえるように心の中で呟いて、2人笑い合ったのだった。


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