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主人は翡翠色の夢を見る

 この世界には様々な国が存在する。大陸がどこまで続き、海がどれだけ浸食しているのかはわからない。だが、環境も違えば気候や習慣も違う、様々な国が独自の文化を築いていることだけは判明している。それもすべて解明されたわけではないのだけども、半分程度は明らかになったと断言してもいいのだろう。

 穏やかな気候に恵まれた豊かな国、厳しい寒さに耐えながら生き延びる秘境の国、少ない資源を糧に戦いによって明日の日々を得る国。天国から地獄まで極端だが、世界なんてそんなものだ。平和だけでは人は生きていけない。

 だったらこの国はどうなのだろう。幸せ満ち溢れた国とはお世辞でも言えないが、かといって国民の大多数が貧困に喘いでいるわけでも、難病が蔓延しているわけでもない。幸せと感じることができないだけで、総合的に見ればまあまあ住みやすい国なのではないだろうか。

 だとしたら、なぜ俺はこんなにも、この国を嫌い、境遇を恨み死を考えるのか。


 随分うなされていたように思う。

 今の今まで眠っていたとはいえ、どんな夢を見ていたのか思い出せない。うなされていたのだから、きっといい夢ではなかったのだろう。思い出せない方が幸せというやつなのかもしれない。

 それにしても体が重い。昨日の出来事で相当精神的に疲労が蓄積されているのか、それが体にまで反映されているのだろうか。かいつまんで言えば、これから新たな一日が始まることに憂鬱で仕方ないのだろうか。仕事を放棄したいのだろうか。

 王女に悪態をついた時点で殺されてもおかしくなかったはずだが、仕事を棒に振ることで死刑にでもなったりすれば一生の笑い者だ。そんなお粗末な人生の結末は迎えたくないと、嫌々ながらに体を起こす。

 そこでようやく、この体の異常な重さの理由が明らかになった。


「……何を」


 少女が眠っている。

 人の体に抱き付きあどけない寝顔を見せるこの少女は、紛れもなくここの城主である。うっすらと開いた唇や男の体に巻き付く華奢でしなやかな腕は見ていて微笑ましいものがあるが、その寝顔に心を穏やかにしていられるほど寝ぼけてはいない。

 なぜ王女が俺の部屋にいる。そしてなぜ俺に抱き付き気持ちよさそうに寝入っているのだ。

 不可解な出来事に疑問ばかりが頭に浮かぶものの、しかしこのまま思考を巡らせているわけにもいかない。そのうち王女の不在に気づいた使用人達が騒がしく探し始めるに違いない。いや、もう探しているかもしれない。今この状況の俺達が誰かに見られようものなら、王女を手籠めにしたなどと言いがかりをつけられ今度こそ極刑だ。

 動こうにしても、身じろぎしたことで目を覚ました彼女に何を言われるのかと思うと、情けなくも体が強張ってしまう。

 誰しも目が覚めて嫌いな人間と一緒に眠っていると気づいたら、動揺しないわけがない。


「はあ……」


 王女だって暇人ではないはずだ。ありがちだが、世間からすると王族というのは国政を担っている以外にはただ徴収した税金を貪っていると誤解されていることが多い。しかし実際のところ、国政以外にも外交や軍事、行事の指揮など多忙な日々なのである。

 かといって、年端もいかないこの少女がそれらすべてをこなせるわけがなく、俺達使用人の中で比較的階級の高い者達が手伝いながらの政治だ。

 だからこそ、こんなところで惰眠を貪っているのは大変問題だ。しかも、こんな状況で。

 この危機的状況への最善策を導きあぐねていると、未だ俺を抱きしめたままの少女から小さな声が零れた。意識していなければ気にも留めないほど小さな声だが、状況が状況のため肩が大きく跳ねてしまった。

 それから間もなくして、少女、もとい王女ジネットはゆるゆると瞼を開く。朦朧とする意識の中、しかしその目は確かに俺を捉えていた。

 純粋無垢を具現化したかのような大きな瞳に見つめられ、またしても恥ずかしいことに全身が緊張に包まれる。目の前にいるのは猛獣ではなく自分よりか弱い少女だというのに。いや、少女の背後に構える国家に緊張しているのだ。そう正当化する他にない。

 ジネットは寝起きで声が掠れながらも、鳥のように甲高い声音で第一声を発した。


「おはよう、リオネル」

「……おはようございま、す?」

「あら、敬語は控えてと言ったはずだわ。学習能力がないのがあなたの欠点よ」

「……一つ聞きたいんだが。どうしてここで、俺の隣で寝ていた?」


 そうだ、先日王女に対し暴言を吐いたことで、どういうわけだか益々大層気に入られてしまったのだった。処刑されていてもおかしくないこの命は、気違い王女の気まぐれによって延命されたのだ。

 命令とはいえ乱暴な言葉で王女に言葉を掛けるのは寿命が縮まる思いだが、これ以上寝起きの彼女を不機嫌にさせたくはない。本当に何をされるかたまったものではないし、今はただ彼女に従う他にない。

 純粋な疑問であった問いかけをぶつけると、彼女は当たり前のことを忘れていたかのような様子で、不機嫌になることなく答えてくれた。


「私ね、リオネルが好きよ」

「……はい?」

「だから、好きなのよ。好きだから、こうして一人の乙女として好意を行動で示してみたのだけど……迷惑だったかしら?」

「い、いや、まったく」

「本音を言いなさい。さもないとここで悲鳴を上げてあなたに強姦の冤罪を被せるわ」

「すっげえ迷惑」

「ふふ、あなたのそういう露骨に嫌そうな顔、大好きよ」


 王女は常人の理解を常に超えている。いや、最初から誰も理解しようなどとは思わない。たとえ会話が噛み合っていなくとも、それを律儀に訂正することほど無駄な行為はない。

 とにかく俺の傍で眠っていたことも、単なる愛情による行為の一環だったようだ。今までそんなことがなかっただけに冗談とは捉えづらい。むしろ嫌がらせが度を越したようにも思う。

 そして一つ、わかったことがある。当初から王女の俺への感情は歪んでいると認識していたが、その愛情というのも一般的な甘い蜜の如し恋愛感情とは違うようだ。俺が王女を嫌えば嫌うほど、王女は俺を好きになる。他人が好きだから故に悪戯や嫌がらせをするといった子供特有の恋心と似ているようで、また別物。

 はっきり言おう。とてつもなく面倒くさい。

 王女の心理分析をしている意味などないのだが、知れば知るほど憎悪よりも倦怠感を覚える。突然他人の子供を育てることになってしまったかのような、そんな気分だ。いや、またそれも的外れな例えかもしれない。

 とにかく、この王女が俺に絡んでくることに面倒くささが日に日に蓄積されている。


「そろそろ自分の部屋に戻らなくていいのか? 今頃使用人が血相変えて探してると思うが」

「嫌よ。どうせ戻ったところで仕事をさせられるのだから。私だって普通の女の子としての時間くらい欲しいものだわ」


 そりゃあ、そんな若い年から働きたくなどないだろう。人間誰しも働かずに生きられるのであれば進んで働きに行こうとはしない。

 だがここにいるのはこの国を動かす権力者だ。彼女が仕事を放棄すれば、ただでさえ廃れたこの国が崩壊しかねない。子供だろうと王族の人間である以上、彼女には死ぬまでその義務が付きまとうのだろう。


「……出て行けって言わないのね」

「言ってほしいのか?」

「言ってくれてもいいけれど、従いはしないわ」


 小悪魔みたいな女の常套句を、一体どこで覚えたのだろう。

 願うなら今すぐにでも部屋から出ていってほしいのは山々だが、彼女が俺に従う義理がないのも熟知していた。従わない相手に何を言ったところで意味などない。というより、本来なら俺が王女に従う立場なのだ。どんなに嫌いな相手だろうと、あまり上からな言葉を浴びせるのは気が引ける。

 こうなったら、俺が先に部屋を出るしかないだろう。思い立ったら吉日というか、なぜすぐに思い浮かばなかったのか。王女が起きる前までは状況を確認せずにはいられなかったとはいえ、何の間違いも起こしていない以上構える必要はない。

 未だ部屋を出る気配すらない王女から離れ、寝台から出る。寝間着から使用人の制服へと着替える工程を王女に見守られているわけだが、見られているところで恥ずかしがるほどでもない。ただ、王女としては俺の思惑が理解できたようで、少々不服そうな顔を浮かべていた。


「もう少し困ってくれるかと思ったのだけど」

「充分困ってるよ。だけど、使用人の職務放棄は王女が許しても仲間が許さないからな」

「むう……」


 珍しくしおらしくなった王女を見て、ようやく形勢逆転できたような爽快感を覚えた。先日何の抵抗もできず大人しく王女に蹴られていたのを思うと、まるで別人になったかのような気分だ。

 王女がなぜ俺をここまで気に入っているのか知る由もないが、可憐な少女は無抵抗な大人ではない限り下手に暴力を振るおうとしないらしい。

 ようやく安心が芽生え、支度も整ったことで部屋を出ようとした刹那、しかしそんな淡い安心は脆くも崩れ去るのだった。


「ここから出られないように、いっそ足首を切ってしまおうかしら」


 冗談だろう。

 しかしなぜだか、全身の鳥肌が立った。

 恐る恐る王女を見遣ると、先程と変わらない愛らしい笑みが向けられている。空耳だと思いたいが、あまりに物騒な発言にみすみす聞き逃すわけにはいかなかった。


「行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 やはり、先日から俺の城での生活は大きく変わったように思う。城を脱走した俺が悪いのだから自業自得ではあるものの、ここまで病的に王女に好かれている不運ばかりは嘆かずにいられない。

 生活が変わったところで真新しさや楽しさが生まれはしない。結局俺には自由がないのだから。

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