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救済と葡萄の話

 さあ、お茶会を始めよう。

 朝摘みの新鮮な茶葉で淹れたお茶は気品漂う香りで、香りを楽しむもよし、味を嗜むもよし。濡れた喉のお供には虫歯になるほど甘い焼き菓子を。

 主催は城の主のお姫様。花のように美しい容姿に、小鳥の囀りのような声。甘いお菓子が大好きな無邪気な少女。淹れたてのお茶と焼きたてのお菓子に大層ご満悦の様子だ。


「ご飯も全部お菓子だったらいいのに」


 ぼそり、呟かれた言葉はいかにも子供らしさを感じさせる。幼い頃なら誰しも一度は考えたことのある、理想の未来図だ。

 長いこといろんなものを見てきた薄汚れた目と違って、城の中が世界の中心だと信じているこの王女の瞳は、きっと都合のいいものしか映さない。高級感漂いながらも安易なお姫様像を描いた自室や、色とりどりの花の生垣に覆われたお気に入りの中庭。彼女にとっての世界とは、自分の生活する区域しか含まれないのだ。だから、城の外など興味も示さない。ないものをないと認識すらしていないのだろう。

 意識を目の前の現実に戻そう。俺は今、この悪逆非道な王女とともに優雅に午後のお茶会を嗜んでいる。一応説明しておくが、決して仕事を怠慢しているのではない。これも立派な仕事なのだ。

 王女の世話係でもある俺は、一日の仕事のほとんどが王女に関わる事項で埋め尽くされている。まるで専属の執事かと突っ込みたくなるほどに、城や国に関する仕事を担当していないのだ。

 王女にお目にかかることすらできない使用人たちからは、そんな俺の立場を羨ましがられる。だけど本音を言うならば、羨ましいのならぜひ代わっていただきたい。

 ただ王女の傍で雑務をこなしたり命令という我儘を聞くのは簡単なことかもしれないが、彼女の傍にいる、それだけで心が滅入ってしまう。以前俺の前に世話係をやっていた人間も、同じように横暴に振り回され心が病んでしまったという。先任がその後どうなったのかは聞いてもいない。

 心が先に壊れるか、あるいは命を先に落とすか。そういった仕事なのだ。


「そういえばリオネル、城の外って、どんなところに出かけたの?」

「城の外、ですか。国境付近の、小さな村まで出かけておりました。目新しいものも何もない、寂れた村ですよ」

「国境付近に村なんてあったかしら」

「……ええ、まあ」


 もはや何も言うまい。

 いや、王女が本当に無知なわけではないことくらいわかっている。わかっているからこそ、たちが悪い。

 国や世界の地理や歴史については座学でしっかりと学んでいるから、彼女がこの国のことを知らないなんてことはあり得ないのだ。口ではああ言っているものの、国境付近の観光名所でも何でもない居住区だって頭の片隅には存在している。

 知っているけれど、認識はしていない。それだけのこと。

 正直、覚えていなかったところでそれほど酷いとは思わない。誰だって自分と縁もゆかりもない土地をすべて覚えているわけがない。

 だけど彼女は博識であり頭の回転も速いのだ。普段少女のように振る舞っていても、国の統治に関しては極悪ながらも王たる風格を見せる。今回俺を見つけるのにそれほど時間がかからなかったのも、俺が行きそうなところを先に予測していたからに違いない。

 だから、辺境にあるとはいえ小さな村のことすら知らないなんてあり得ない。おそらく彼女は、そこに村があると知っていても、村に国民が住んでいると思ってはいないのだろう。あくまでも土地があることだけを覚えているのだ。

 長々と彼女の非道な言動について考察してしまったが、正直そんなことはどうでもいいのだ。俺だって国民のことを心配しているほど心は広くない。明日のわが身のために人の心配などしている暇もない。


「リオネルはここに来てからどれくらい経ったかしら。初めて城に来たときに比べたら、随分と使用人らしくなったわね」

「はは、あの時は世間知らずの若僧でしたからね。これも王女にお会いできたお陰です」

「……本当にそうかしら」


 天使のような温かい眼差しが、一瞬にして鋭い矛へと変わる。刃先が刺さっているかのような視線に逃げ出したくなるが、自然と目をそらすことができない。

 初めて王女と出会ったときも、この目を向けられた気がする。感情のない、無機質な目。ごみでも見るかのような目。


「私はあなたが欲しいんじゃない。あなたのその魔法が欲しい」

「……勿論、存じ上げております」

「だったら、ねえ、お願い」


 無機質な瞳から一転、懇願とも言える眼差しを送ってきた王女に、断る理由などなかった。むしろ、俺はそのためにここにいるのだとさえ思う。

 王女が俺を寵愛している理由、それは俺自身を気に入ったからではない。俺という存在など、彼女にとって他の有象無象と変わらないのだ。

 彼女が俺を傍に置いて離さないのは、俺が魔法使いだからだ。

 魔法使いといっても、この世界ではそれほど珍しい存在ではない。世界には数えきれないほどの魔法使いが存在し、魔法を使えない人間とともに普通の生活を送っている。それぞれが固有の、己だけの魔法を持って生まれ、生涯それ以外の魔法を使うことはできない。あくまで一つの魔法だけを使えるのである。それは炎を扱うものであったり、あるいは水、風、天候や因果律をも左右する力を持つ者もいる。

 俺の魔法は便利なものかといったら、そうでもない。何かに役立てられるとも思えないし、正直あってもなくても同じものだと思っていた。だから、王女に目をつけられたのが不思議で仕方なかった。

 王女の望み通り、小さく息を吐いてから魔法を使う。魔法を知らない人間は呪文の詠唱や呪具なんてのが必要だと思っているみたいだが、実際そんなものは使わない。大事なのは集中力と魔法に対する理解力、そして想像力。

 魔法を発動すると、俺を見ていた王女の表情はまた変わる。普段見せることのない、年相応の少女の表情だ。


「お母様」


 そう呟き、彼女は俺に抱き付いた。

 人の一番見たいと思うものを映す魔法。今、ジネット王女の目には俺ではなく彼女の母親が映っている。俺自身が変身しているわけではないから、他人から見れば王女が俺自身に抱き付いているようにしか見えない。いや、本当に俺に抱き付いている。

 体だって女性のように柔らかくない、骨と筋肉ばかりだというのに、それでも愛おしげに抱きしめてくる王女に、毎度ながら複雑な感情を覚えてしまう。

 彼女に同情することはあっても、愛しいと思うことはない。それは今だけでなく、未来永劫このままだ。だけどの彼女は、この魔法を持っている以上俺を手放さないだろう。手放す気など微塵もないだろう。

 こんな生活は嫌だ。何とかしてこの城を抜け出したい。そう思いながらも、王女の手中にいるうちは不可能だと諦めている自分もいる。

 これから先、どうしたらいいのだろう。


「お母様、どうして亡くなられてしまったの? あんなに元気だったのに、あんなに優しかったのに。私はこれから先、どうしたらいいのですか?」


 胸の中で小さくすすり泣く声が聞こえた。今の俺と全く同じことを考えている王女に親近感など湧かない。だけど、道に迷っているこの少女の手を引いてくれる人間はどこにもいないのだと思うと、何の責任も感じないとまでは思わない。

 こんな魔法、なければよかったのだ。持ち合わせてしまったものを要らないと思うのは贅沢かもしれないが、こんな魔法があっては王女はいつまでだって独り立ちできないし、何より俺にとってもいいことがない。

 それからしばらくして、王女はゆっくりと俺から離れていった。


「ありがとう、もういいわ」

「……かしこまりました」

「お茶ももう終わりにしましょう。冷えてきたわ」

「それではお先にお部屋にお戻りください。後片付けはわたくしが行いますので」

「ええ、お願いね」


 去っていく王女を見送りながら、残った俺はしばらく椅子に腰かける。

 あの少女の言葉の一つ一つが重い。何か言葉をかけられる度に、心に重くのしかかる。このままでは命果てる前に心が死んでしまいそうだ。まさに典型的な世話係の末路を辿ろうとしている。

 俺も俺で王女の前では猫を被っているせいもあって、毎日本音を吐き出すことができないというのは想像以上にしんどいものだ。かといって、城の中で仲のいい相手は数えるほどしかいないし、彼らもまた疲れに疲れているだろうから、あまり気の病むような話題は振りたくない。

 そのうち、王女の前で本音をさらけ出してしまいそうだ。それは背筋も凍るような話だけど、そうすれば今度こそ死刑は免れないだろうか。

 そんなことを思いながら後始末をしていると、ふと近くから芝生を踏む足音が聞こえてきた。それは俺の背後まで近づくと、肩に男の腕がのしかかった。


「よお、リオちゃん。今日もお姫様のお守りか?」

「ご機嫌取りと言ってくれ」


 俺より幾分か背の高い、人を小馬鹿にしたような目の男。クレール・バンベールは城の専属料理人である。つまり、このお茶や菓子を作ったのもこの男だ。

 この男とは王女の食事を用意する際によく顔を合わせるので、知らないうちに気兼ねなく話せる仲になってしまった。別にこの城の人間と仲良くなりたいと思う気持ちはないのだが、城から出られない以上一人で生活するのは好ましくない。ので、数少ない仲間がいる。

 クレールともそれほど仲がいいわけでもないのだが、お互いこの城の中では肩身の狭い方なので、弱いものは弱いもの同士つるんでいる。


「仕事が一段落したんなら、今夜は一杯やってかねーか? 厨房から一本くすねておいたんだ」

「お前、それ見つかったら罰則だぞ」

「いいんだよ。他の奴だってしょっちゅう摘み食いしてやがるんだ、俺たちが罪に問われれば必然的に全員しょっぴかれるっての」


 この男のいいところは、規則や常識といったものに縛られないところだ。同時にそれが欠点となるときもあるけれど、そんな気楽な生き方ができない俺からしてみれば充分幸せな奴なのだ。たとえ城という監獄にいようとも、幸せなのだ。

 最近は酷く疲れていたし、仲間同士で話をする機会もご無沙汰だ。それに恐らくクレールが誘ってきた理由は、俺が城を脱走したことについて聞きたいのだろう。

 今夜は長くなりそうだ。

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