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架せられた首輪

 フルールペイズ第一皇女、ジネット・フルールペイズ。

 容姿端麗、純粋無垢。女王であり母のコゼット譲りの美貌を受け継いだ彼女は、男女問わず溜息が出るほどの容姿の持ち主だ。

 外見だけでなく頭脳も人一倍賢く、勉学や作法、習い事など数えきれないほど学びつくしている。まさに才色兼備、非の打ちどころのない女性である。とはいえ、彼女はまだ十六歳。知識があっても経験に乏しい彼女は、国を治める王としての器にはまだ早熟すぎる。

 そんな彼女が王女でありながら国を統治するに至った理由。それは最愛の母の死である。

 フルールペイズ家の中で王位を継ぐことができるのはジネットしかいなかったのだ。というより、後継ぎとなる子供が彼女しかいなかった。本来なら男児が継ぐべき地位なのだが、母子ともに女性しかその権利を持つ者がいなかったのだから、必然血を受け継ぐ人間が治めるしかない。

 とはいえ、賢いジネット姫が跡を継ぐならそれほど問題ではないと誰もが思ったことだろう。知性あふれる彼女なら、きっとよりよい国を作ってくれるだろうと誰もが信じていたはずだ。

 そこが問題だった。

 確かに何の欠点もない彼女だったが、一つだけ国民に見せていない欠点というべきものがあったのである。それこそが、この国をおかしくしてしまった元凶といっても過言ではない。


 見事兵士に捕まり無念の帰省を果たした俺は、現在城の拷問部屋にいる。

 つまり帰ってきてしまったわけだ。城に。

 俺も浅はかな考えの輩とともに城に仕えていたわけだが、こんな極悪非道な国を作り上げた城が天国なわけがなく、結局城にいたところで安全な場所などどこにもなかったのを目の当たりにした。

 この城は王女の機嫌によって一日が左右される。機嫌がよければ彼女の機嫌を損ねないことを最優先に我儘を聞き、機嫌が悪い日はわが身を守るために彼女の癇癪を沈めることに徹底する。とてもじゃないが、国民に情けをかけていられるほど暇ではない。

 常に顔色を窺うような生活に疲れてしまったというか、虚しさを覚えてしまったというか。嫌気がさして、城から脱走することを決意したのだ。

 遂行する前は入念に計画を練り、誰にも露見しないよう細心の注意を払ってい、そして何より国を出ることに希望すら感じていた。どこか安全な国に亡命して、今までの生活を笑い話に帰られたのならと毎日願っていたほどだ。

 それも儚い夢と散り、目の前に突き付けられた現実に悲しさも湧かない。むしろ、そんな夢みたいな計画が成功すると信じていた昨日までの自分を殺したい。

 そして、拷問部屋。

 ここで何をされるかなんて野暮なことは言うまい。しかしこれは大げさなことではなかった。城に住む者は一度は必ずこの部屋を訪れるのだから。勿論、何の罪も犯していなくても。

 むしろ、見つかってその場で殺されなかっただけまだマシと考えるべきだ。いや、いっそ殺してくれた方が楽だったのだけど。

 周囲には今にも日頃の鬱憤を晴らすべく俺をいたぶろうと目をぎらつかせる男ども。そしてその中に一人、拷問部屋の中で一際浮いている人物がいた。


「リオネル、心配したのよ?」


 鈴のような可憐な声で俺を呼ぶ少女。艶のある黒檀の長い髪に、ぱっちりと開いた可愛らしい瞳。雪化粧のような白い肌を絹の凝った装飾のドレスが覆っている。中庭で優雅に紅茶でも飲んでいるのが似合いそうな、育ちの良い少女だ。

 愛しそうに名前を呼ぶ彼女こそ、ジネット姫である。

 うっすらと愛らしい笑顔を浮かべ、彼女は細い指で俺の頬を撫でた。場所が場所なら、この王女の美貌に心奪われていたかもしれない。両手を拘束され、すでに何十回も殴られた後では雰囲気も何もないのだが。

 はっきり言おう、俺はこの少女が嫌いだ。

 そもそも俺がこの城で働くようになったきっかけは、単に生活に困っていたからではない。いや、生活には困っていたものの、当時城で働こうなんて考えは微塵もなかった。それがどういうわけか、この王女に目をつけられて強制的にここに就職させられたのだ。ある意味贔屓とも言える選抜に、当時城で働いていた者からは相当な反感を買ったものだ。

 その頃から王女の悪行は知っていたし、なおさら関わりたくない相手だというのに、王女はあろうことか何の関わりもなかった俺を心底気に入ってしまったのである。いやはや、家来冥利に尽きる話だ。


「突然いなくなってしまうものだから、私、悲しくて夜も眠れなかったのよ? どうして城を出ていってしまったの? 私、あなたに何か酷いことをしてしまったのかしら」

「滅相もございません、王女……すべてはこのわたくしめが悪いのです。城での生活に息苦しさを感じてしまい、つい外の空気を吸いたいなどと考えた罪、深く反省致します」

「あら、この城はあなたにとって息苦しいのかしら。私、城の者には随分配慮してきたつもりなのだけど……そんな、悲しい……」


 王女の瞳が涙で潤む。途端、周りで構える兵士たちの目が鋭くなった。それもそのはず、王女の機嫌を損ねるなど極刑に等しい罪だ。勿論、法律にそんな罪など記載されていない。

 涙ぐむ彼女は、か弱い小動物のように見えた。もうすぐ大人になるとはいえ、まだ思春期の女の子なのだ。体は成長しても心まで立派に育っているとは限らない。ましてや、早くして母を失ったのだからなおさらだろう。父も母も、彼女にはいないのだから。

 同情でもしてしまいそうな展開から一変、突如腹部に鈍い痛みが走った。

 再び兵士による拷問が始まったのではない。痛みを孕む腹から先にあるのは、か細い少女のしなやかな足だった。しかしまるで武道の有段者であるかのような構えで、可憐な少女は的確に急所を狙っていた。


「謝って」


 感情の籠らない、鉄のような声。それとともに何度も繰り出される蹴り。かかとの高い靴を履いているためなおさら腹部を深く抉る。

 少女だと侮ることなかれ、刃物で刺されるかのような激痛が全身を駆け巡っては悶絶しそうな勢いだ。


「謝って。早く謝って。あなたを探すのに手間がかかったの。ほら、早く謝って。謝れ、謝れ、謝れ」


 少女に拷問されるだなんて、ある種の変態なら喜びそうな状況だが、あいにくそんな偏屈な趣味を持っていないため喜ぶなんて真似はできない。

 機械的に一定の速度で蹴られながら、いっそ気絶してしまえば楽なのにとわずかな思考が働く。

 捕まった時、正直死んでもいいとさえ思っていた。どうせ国から出られないのだから、これ以上生きている意味なんてない。だからあの場で殺してくれたなら、まだよかったのだ。だけど刃物を向けられた途端、背筋が凍りつくのを感じた。

 あの時確かに、死ぬのを怖いと感じてしまったのだ。

 今もまた、いっそ死ぬことができたらと思っている自分がいる。この少女によって殺されたら楽になれるのにと考える情けない男がいる。それでもきっと、死ぬ直前に拒んでしまうのだろう。

 俺はとんでもない意気地なしなのだ。

 だから、本来なら自尊心を曲げてまで言いたくない言葉を、平気で口にしてしまう。


「申し訳、ございませんでした」


 途端、鉄のように重い蹴りが止んだ。そして今までのことが嘘だったかのように、ジネット姫は先程のような慈愛に満ちた笑みを浮かべて俺を見つめ、細い腕を伸ばして抱きしめた。痛みに滲む体に少女の体温が溶け込んでいく。


「ごめんね、ごめんねリオネル。あなたの不満に気づいてあげられなくて。私、あなたがいないと嫌なの……他の使用人なんてどうでもいい、あなたじゃないと駄目だから……」


 冗談ではないだろう、その言葉は確かに耳に届いていた。だけど、心には届かない。彼女のねじ曲がった寵愛は、単なる呪縛にしか聞こえない。

 ジネット王女は狂っている。精神が破綻しているのではなく、もっと複雑にねじ曲がっているのだ。容姿端麗、才色兼備。そこまですればおのずと性格もそれに見合ったものへと矯正されていくものなのだが、なんというか、彼女は病んでいる。

 それは母親が亡くなったきっかけではない。彼女は生まれて物心ついた頃からこうなのだという。長年城に仕えてきた者から、そんな話を聞いたことがあった。

 聡明さの中に潜む純粋無垢な残虐さ。それが彼女の唯一の欠点ともいえる。なぜ彼女がこうなってしまったのかはわからない。わからないけれど、俺はきっと、彼女から一生解放してもらえないのだと思う。

 それは、俺が彼女の望むものを持ち合わせているから。だからこそ、リオネル・シルベストルは地位も低い使用人でありながら、ジネット王女から贔屓されるのだ。

 望んでもいない贔屓だけれど。


「さあ、部屋に戻りましょう? おいしいお菓子を用意してるの。きっと気に入ると思うわ」

「はい、ありがたくいただきます」


 ようやく拘束されていた体は解放され、痛みを感じる腹部を擦りながらも王女の後をついていく。先程俺を何度も蹴っていたとは思えない軽い足取りで、王女は絢爛豪華な自室へと歩いていく。

 こうしてまた、首輪を繋がれてしまった。息苦しさとはまさにこのことだ。城にいることで自由を奪われる感覚、それが余計に心を蝕んでいく。

 そういえば、もしこの国を出られたら、どこに行くつもりだったんだろう。平和な国と言っても、この世界はいまだ戦争や内乱に満ちている。世界にどれだけの魔法使いがいたところで、魔法の力で平和を作れるわけもないのだ。平和な国なんて、どこにも存在しない。だけど、この国以外であればどこだっていいのかもしれない。この息苦しさから解放されれば、なんだっていいと思えるかもしれない。

 ここは監獄だ。この国で一番安全で、そして一番絶望的な場所。死にはしないものの生きてもいない、そんな生死の境目のようなところだ。

 花の都は、茨の城へと変貌していた。

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