やりたかったことを今。
ドラマや映画で観たように,私は銃を口にくわえた。
口の中の温度が少し低くなる。
涙が出てくる。
なんだ,
この,夢のような最期は。
何度も何度も,夢に見た最期だ。
早く死んでしまいたかった,ずっと。
カッターで手首を切るのも,勿論首を切るのも,痛いに違いなかったし,切腹なんてそんな自殺行為が出来るわけもなく,首を吊るには柱がなく,ロープを買う金が勿体なく思えて,ドアのノブにギターのシールドやベルトやマフラーであれこれ試して吊ってみたが,どうもうまくいかなかった。
何事にも無関心,
何事にも無気力,
そんな自分が死ぬためにならここまで必死になれるのかと,それだけがただおかしく,血流が遮断されて,除夜の鐘の側に放置されたように痛む頭で笑っていた。傍から見れば悲劇,遠巻きに見れば喜劇。私にとってみれば密着している私のこの人生は最高の喜劇である。そして二度手間だ。どうせ死ぬのであれば,生まれてこなければよかったのだ。
そう考え,それに疲れて,私は引き金を引いた。
パーンと,2秒間は響いていたと思う。
目の前が真っ白に,頭が漂白されたような感じがした。
気付けば私は競技場にいた。
トラックのスタート地点にいて,ぐるりと観客に取り囲まれていた。陽が照りつける。しかし暑さは感じない。髪がなびく。しかし風は感じない。
見慣れた顔が両隣に立っていた。私の顔を見ようとしない,それどころか,まるで存在に気付いていないようだ。彼らは陸上競技の選手と全く同じ格好をして,体をほぐしている。私は,私は水着を着ている。紺色の,スクール水着を着ている。頭に手をやれば,カサカサした布に触れ,引っ張り脱ぐと黄色の水泳帽子であった。靴は履いていない。ただ,血まみれだ。右足を持ち上げると,1センチほどの丸い虫が何十匹も下敷きになり,赤い体液をさらしていることが分かった。気持ち悪い,とは思わなかった。足の裏に湿り気もなにも,感じなかったからである。
やがてその競技がリレーであることに気付いた。
聞こえないが歓声を感じることが出来る。そしてわかるのは,その歓声はどれひとつとして,私には向けられていないということだ。彼らには私が見えていないということだ。
隣の見慣れた顔にバトンが渡る。渡した彼はトラックの内側へ入っていく。右隣の顔にもバトンが渡る。渡した彼もまた,トラックの内側へ入っていく。
私にはバトンが回ってこない。
一人,スタートラインで虫を踏み潰している。スクール水着を着て。黄色い水泳帽子を右手に握りしめて。
その時,嫌な予感がした。重力を感じた。
ポタ,と音をたてて,水着から染み出た経血がつぶれた虫の体液に混じった。
その瞬間,歓声が止んだ。先ほどまでの沈黙が完成した。そしてその競技場にいる人間の全てが,その両目が,私に向けられた。
異変はまず子宮の辺りで起きた。視線に焼かれたように黒く穴が開き,痛みもなくそこから赤黒い液体がにじみ出てきた。すぐにその穴は大きくなり,前かがみになってのぞくと背中側の景色が見えた。見えた観客全員と目が合うような気がしたが,それはほんの一瞬で,すぐに何も見えなくなった。指で目に触れた。無くなる直前の指先に触れたのは,ただの穴,既に目はなくなっていたのだった。
私はそうして赤黒い液体となって,虫の体液と競技場で混じりあった。そこで納得したのだ,「虫の血が流れているから私は醜い」と。しかし考えてみれば,競技場に立っていた時から私は醜かったのだ。だからこそ,視線に醜さの罪を問われて,消滅させられたのである。
競技場の地面に染み込んだ私と虫の体液は,地面の奥へ奥へと染み込むうちに濾過された。まず虫の体液が引っ掛かり,次に私の耳が引っ掛かり,濾されて,濾されて,私の影だけがビーカーにポタ,と音をたてて落ちた。私,影である私は伸びをした。真っ黒い服にピタリと覆われた腕が伸び,右手で頭を引っ張りだし,短く太い脚を整形し,可能な限り細く長く作った。
「さぁ,殺すぞ」
影である私は,右の耳に右手を突っ込んだ。そして真っ黒い,出刃包丁のような刃物を取り出した。ビーカーに刃物を突き立てヒビをいれた後で思い切り体当たりして穴を開けた。殺人を始めるために,私は外の世界へ歩き出した。目はもうよく見えるようになっていた。
思いつきでただ書いている。ここでいう私は わたし。