踏み外す時
冷蔵庫が鳴っている。
つま先にその振動と生き物のような温かさを感じる。
全身でこの温かさを感じたい。それが人間のものでなくても。この冷蔵庫の温もりならば,私も触れていいはずだ。あとはそれを類いまれなる想像力で人間の温もりと勘違いすればいいだけのことなのだ。
「親に冷たくされた子供は想像力に富む らしいよ」
その言葉を思い出す。それから「勝手に言ってくれ」と,体をひねれば届くゴミ箱から,一度潰したタバコの箱を取り出して捻じ曲げられた1本をつまみ取り100円ライターで火をつけた。
親に冷たくされた私 だから想像力が逞しい
想像力が逞しい だから私の親は冷たい
親の冷たさ,想像力の豊かさ,そんなものを測る基準があるとは。私の親はただの親,冷たくもない,温かくも,多分ない。
そして私はただの,想像力も何の面白味もない,人間でしかない。だからこうして冷蔵庫に温もりを求め,タバコを加えているのだ。
優雅なものだ,タバコの煙は。細く細く,天国にお呼ばれした青白い蛇のよう。不幸に私に吸い込まれた方は,方は,ただ私の死を控えめに,ごく控えめに応援する。視界がぼやけた。煙が目に染みたのだろう,涙が出てきた。誰かに遠隔操作されているのか,意志とはまるで関係なしに,立ち上がって水を飲むことさえめんどうくさいこの時に,水資源を浪費する。貴族のように。
目をこすり,つま先の方を見,視線を右側へ這わせると,乾いた素足が見えた。爪は短かった。切りそろえられているというよりは,プラスチック製の,あるいはロウの人形のように,初めからその長さに作られ伸びることはないような爪だ。母ではない,男の足,父ではない,若い足。それから細身の黒いジーンズが見えた。顔を上げるのが面倒で,その人物の顔はわからなかった。ただふぅーっと煙を吐き出した。失敗した口笛が鳴った。
男は同様に爪の短い手でもって,目の前にすっと銃を差し出した。「今は何時だろう」と思う。西日が差している。しかし銃は西日に照らされることもなく,ただただ暗く黒い。私はそれに触れる,冷たさと重さがみぞおちにまで感じられる。テレビがついた。「おはようございます」とアナウンサーが言う。ラジオがついた。ラジオ体操が流れ出す。新聞が玄関の床に落ちる音が聞こえる。台所の味噌汁が沸騰している。包丁が床に落ちた。蛇口から音はないがものすごい勢いで水が流れ出す。私はそれを頭の後ろ側についた目で確認する。そしてその時私が触れた男の指は拳銃と同じ位に冷たい。
「死にたいんだろ」
上から声が降ってきた。内臓をくすぐるような低い声を聴いて初めて,先ほどのアナウンサーの声も,何もかも,私が頭の中で勝手に反芻した幻聴のようなものだと気づいた。聞こえているのは,鳴っているのは,この男の声だけだ。ではテレビは何を言っている,ラジオは,流れる水は。そのことを考えるほど,私は目に見える者に対して抵抗する力を持ってはいなかった。ただそのとき,自分が裸であることに気付いた。しかしもう気にもしなかった。あとは死ぬだけなのだから。