帰郷
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さて、無事に駿府を出発した俺は、従者一同を連れて東海道を西進している最中である。現在、遠江真ん中あたり。
どこまでも続く青い空の下、後ろに富士山、前にお茶畑の眺め。
絶景と言うほどでもないが、なかなか見ごたえがある。
時たま駿府に向かうであろう小勢とすれ違うこともあるが、皆出陣前とは思えない程のんびりとした足取りであった。
「ですが、見事な茶畑でございますなあ」
「だね。流石はお茶の産地」
従者の一人である大竹藤兵衛が、無限に続くと思われるお茶畑の眺めに感嘆の声を上げた。
静岡(遠江)といえばお茶である。南北朝時代には既に栽培を開始していたらしいそれらは、現在ではすっかりこの辺りの名産に収まっている。
それはともかく、結局、井伊直盛殿に織田軍の奇襲のことを伝えることはできなかった。
これで、桶狭間で義元様が討たれるのはほぼ確実だろう。
仕方がない、といえば仕方がない。分っていた事ではあるし、そもそも義元様と俺はそこまで仲が良いと言う訳でも無い。せいぜい、主君と臣下の関係を出るものではないと思っている。
それに、桶狭間で義元様が生き残ってしまえば、譜代大名を目指すという俺の夢がパーになる可能性が高くなるし、史実の知識も全く役に立たなくなってしまう。薄情ではあると思うが、義元様には桶狭間で退場 (……)していただいたほうが都合がよいのだ。
勿論、鵜殿家と松平家が争うという事態を回避するのには、義元様が生き残るのが一番良いが、そうすると、今後は歴史の流れが殆ど読めなくなってしまう。最悪、勢いを取り戻した今川家によって、織田家が滅ぼされかねない。桶狭間の奇跡は二度も起きないだろう。そうなってしまえば歴史はめちゃくちゃ。天下人が現れるかどうかも怪しくなり、最悪、この国が西洋列強の植民地になりかねない。それだけは死んでもごめんである。
それに比べて、鵜殿家と松平家が争うのを回避したところで、歴史の本流に与える影響はほとんどない。
せいぜい、松平家による三河統一が数か月早まる、と言うだけだ。変な恐怖はない。
……理屈をいろいろと並べてみたが、結局のところ、俺は歴史を大きく変えるのが怖いだけなのだろう。我ながら情けなさ過ぎて涙が出てくる。
「此度の戦、今川様の勝利は確実でしょう。そうなれば、大高城守備という功のある殿も、きっと加増されるに違いありませんな」
暗い顔をしている俺を見かねたのか、藤兵衛が励まそうとしてくれている。彼は今川方の勝利を疑ってはいないようだ。
藤兵衛は40歳くらいのおじさんで、代々鵜殿家に仕えている大竹家の現当主。俺が駿河に送られたときから付き従ってくれている。
「そうだといいけどね。終わってみるまで分からないよ。河越の戦のおり、数万の大軍を揃えた関東管領は、わずか八千の北条軍の前に完全敗北した。そういう事が起こらないとも限らない」
「まさか。相手は相模の獅子・北条左京大夫様ではなく、尾張の大うつけですぞ?」
「……本当に大うつけなら、父が果たせなかった尾張統一を果たせるとは思えないけど」
「!」
そんなことを喋りながら進んでいると、前から大規模な軍団がやってくるようだ。邪魔にならないように脇による。
ぞろぞろと俺たちの横を通って行くその軍団は、結構な威容を誇っていた。流石に駿河で見た今川軍ほどではないが、適度に整えられた兵装を見るに、かなり統率の行き届いた軍勢であるようだ。
三河か西遠江あたりの有力な豪族の軍隊なのかもしれない。確認してみよう。
こういった軍勢の出所を確認するには、兵が背負う旗指物を見ればよい。たいていの場合、その軍隊が所属する家の家紋が書いてあるのだ。
確認できた家紋は、今川家の家紋である足利二つ引両と、白い円枠の中に団扇のような植物の書かれた家紋。今川家の家紋はわかるが、植物の家紋はどこの家だろうか。
「おお、三郎殿ではございませんか。奇遇ですな」
突然、馬上の侍に声をかけられた。面頬をしているため顔は見えないが、最近聞いた声である。着ている具足は少し古めだが、兜には鹿の角を模した立派な前立が取り付けられている。
脇に馬印を持っている武士がいるのを見るに、彼がこの軍勢の大将なのだろう。
「失礼。これでは顔が分かりませぬな」
そういって、その侍は面頬を外した。
~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~
軍勢の主の正体は、なんと井伊直盛殿であった。相変わらず温和そうな雰囲気の老人ではあるが、これから起こる戦に興奮しているのか、声の抑揚が強くなっている感じがする。
奇襲を伝えられなくて悩んでいた矢先の登場だけに、少し驚いている。
「これは信濃守殿。立派ないでたちの備故、どちらの名家の兵であろうかと考察しておりましたが、なるほど、井伊家の軍勢でしたか。納得がいきました」
「お褒めに預かり光栄ですな」
遠江井伊谷を治める井伊家は、藤原北家、あるいは二十六代の帝・継体天皇の末裔ともされる、遠江でも有力な豪族の一つである。
代々斯波氏に属して今川家とは対立を続けてきたが、今川氏親公が遠江守護の座を勝ち取ってからは、一貫して今川家に属している。
史実においては徳川四天王のひとりに数えられ、赤備えで有名な井伊直政や、幕末に安政の大獄を引き起こした井伊直弼が有名だろう。
かの井伊直政を排出した家ならば、これだけ統率が行き渡っているのも納得がいく。
「ところで、三郎殿はご帰郷の最中ですかな?」
「はい。父上が尾張に出陣なされたので、大殿から直々に帰郷のご指示を頂きまして」
「左様ですか。聞くところによれば、長門守殿は大高城にあって織田方の包囲に苦しめられているとか。ですが、心配は無用ですぞ」
直盛殿は俺を励ましてくれるようだ。確かに、父上の様子は非常に気になる。織田方の徹底的な包囲によって、もともと少なかった兵糧がそろそろ底を尽きる頃だ。織田方に降る、と言うことはないにしても、朝比奈輝勝の如く無謀な出撃をしないとも限らない。
「追い詰められて、無謀な野戦を仕掛けなければよいのですが……」
「長門守殿は冷静なお方じゃ。そんなことはありますまい」
「実は此度の戦で、本隊の先鋒を申し付かっておりましてな。我が名のもとに、必ず長門守殿をお救いいたしましょう。もっとも、先鋒部隊は松平殿ゆえ、其方に取られるかもしれませぬが」
「ありがとうございます。ご武運を」
「うむ。尾張を平らげた暁には、是非わが娘を貰って下され」
「あはは、考えておきます……」
「では、先を急ぐ故、この辺りで」
そういうと、直盛殿は面頬を付け直し、まえを向いた。
ヤバい、このままでは伝え損なってしまう。とりあえず、直盛殿を呼び止めなければ。
「お待ちください、信濃守殿」
「どうされましたかな?」
直盛殿は怪訝な表情を俺に向けてきた。いきなり呼び止めたのだ。驚きはするだろう。
「沓掛から大高、鳴海にかけて、桶狭間と呼ばれる入り組んだ地があると聞いております。そこで奇襲を受ければ、幾ら精兵といえども一溜りもないでしょう。どうか、御一考くだされ」
「なんと、何処でその情報を?」
「はい。父上が以前申しておりました」
ちなみに嘘ではない。
もうかなり前の話だが、父上が「あの辺りの地形は~」と唸っているのを聞いた覚えがある。
「なるほど。礼を言いますぞ、三郎殿」
「はい。皆様にもよろしくお伝えください」
「では、今度こそ失礼いたします。全軍出発!」
そういって直盛殿とその軍勢は去って行く。
俺はその姿を見送りながら、心の中で薄れ行く罪悪感にほっとするのであった。
伝えることは伝えた。直盛殿が義元様に伝えるかどうか、あるいはこの情報を義元様が活用できるかどうかは分からないが、さすがにこれ以上の行動は俺には無理である。
父上に連絡を取ろうにも、包囲されている状況では使者もまともに通れないであろう。
やれることはやった。後は結果を待つだけだ。
これで史実と変わらないならば仕方がない。義元様は天下人の器ではなかった、と言うことだ。
「悩みは晴れたようですね。若」
「うん。ありがとう、藤兵衛。これでなんとかなるといいけど……」
「では、我らも行くと致しましょう。上ノ郷がまっておりますぞ」
「うん」
そういって、俺たちも三河方面に歩き始めた。
浜名湖を越え、吉田を越え、上ノ郷に向かう。
思ったよりも時間はかからなかったが、やはり疲れるものである。
馬に乗っているとはいえ、体力を労費することには変わりはない。
五月の初旬に上ノ郷城に到着した時には、俺も藤兵衛もボロボロになっていたのであった。
三河国上ノ郷城。別名「鵜殿城」とも呼ばれる、百年以上の歴史を誇る鵜殿家の本拠地である。
この城の始まりは定かではない。鎌倉時代、鵜殿家がこの地に入植した際に築城されたとも、戦国の世に入ってから築城されたとも言われている。
土塁に空堀といったものを主な構造にした、典型的な戦国期の城郭であり、南方に三河湾を一望することのできる丘陵の頂上を本丸として、南側を向く形で郭が多く配置されている。
さらに城の東側を北から南へ流れる兼京川は天然の堀としての役割を果たし、そこから引いた水を利用して城の外縁部には水堀も存在していた。
そこまで難攻不落と言う訳ではないが、鵜殿家自慢の城郭だ。
ちなみに城と言っても、現代人が真っ先に想像するような、壮麗な天守閣を擁するような大規模なものではなく、少し大きな砦のようなものだ。
高層建造物も、せいぜい櫓ぐらいしか存在しない。
イメージとしては、ファンタジーアニメ等に出てくるような山賊の砦だろうか。流石にあそこまでみすぼらしくはないが。
……ここに戻ってくるのは、おじい様の葬儀以来のことだが、皆元気にしているだろうか。
「若様のご帰還、開門!」
俺の前に立っていた藤兵衛が叫ぶと、ぎぎぎと言う音を鳴らして、木製の櫓門が開かれた。
番兵さんに声をかけながら、城郭南方に存在する虎口と呼ばれる城の入り口から、幾多の郭を抜けて本丸へ向けての曲がりくねった登城道をのぼっていく。
入り口から直接本丸に道を繋げないのは、当然防衛のためである。本丸が陥落してしまえば、城はおしまいだからだ。
ちなみに郭と言うのは、城内を分ける区画のことで、この郭の配置や数によって城の形式は様々に変化する。
たとえば、外側に設けられた郭が、内側の郭を囲むような配置をした輪郭式。
郭と郭を並列に配置する連郭式。
本丸を海や絶壁に面した場所に配置し、その周りに郭を配置していく梯郭式。といった具合に。
ちなみに上ノ郷城は、段郭式と呼ばれる、郭を段々畑のように配置していく形式である。この形式が使われるのは、主に地形を利用した城だったらしい。
ついでにこの城の主な郭が南を向いているのは、海から侵入してくる敵に備えた為であろうか。
本丸にたどり着くと、母上と叔父上、そして弟が出迎えてくれた。
「よく無事に帰ってきてくれましたね、新七郎。いえ、今は三郎でしたか。藤兵衛も長い間、ご苦労様でした」
「只今戻りました、母上。長らく留守にして申し訳ありませんでした」
「ありがたきお言葉でございます」
「あにうえ、おかえりなさいませ」
「藤千代も、寂しかっただろう。お土産を持ってきたから、あとで一緒に遊ぼうか」
「うんっ」
母上は父上より年下の二十七歳。素性はよく知らないが、その立ち振る舞いから結構な名家の出なのだろう。三河の有力豪族か、あるいは今川氏の縁者なのかもしれない。
俺が駿河に行った年に生まれた弟・藤千代は、今年で七歳。遊び盛りな年頃なのか、俺の顔を見るなり抱きついてきた。
「ようやく帰ってきたか三郎。お前がいなければ政務が進まん。早く取り掛かってくれ」
こちらは叔父・鵜殿長忠である。父上によく似た背格好だが、やや身長が低い。
先代・長持公の弟、長祐殿の養子となり、分家の一つである柏原鵜殿家を継いだ。
どうやら柏原の城を出て、こちらの手伝いをしてくれていたらしい。
「叔父上、お忙しい中、御助力感謝いたします」
「なに、柏原の方も暇だからな。俺で良ければ、いつでも力になろう」
そういうと叔父上は俺の頭をぐしぐしと撫でてきた。
「さ、外はまだ冷えますからね。中へどうぞ」
「覚悟しろよ、三郎。政務は大変だぞ」
母上と叔父上に連れられ、本丸に建てられた屋敷の中へ入っていく。本丸の中でも見晴らしの一番いい場所に建てられたこの屋敷からは、三河湾の漣が一望できる。広さもかなりあり、鵜殿家の当主の館としては申し分ないだろう。
久々のマイホームに落ち着いていると、執務室へ案内された。これから父上がこの城に戻ってくるまでの間、当主代行として、領内の様々な問題を見なければならない。忙しくなりそうである。
叔父上がどさり、と俺の目の前に大量の書類を置いた。
「これだけ全部、早いうちに片づけてくれ」
「これ、全部ですか?」
「やることはたくさんあるぞ。領民からの陳情、上ノ郷城の増築費用の捻出、軍備の確認。あげたらきりがない。ついでに柏原城の改修予算の捻出も頼む」
「……」
すまん、藤千代。今日は遊んでやれそうに無い……。
さりげなく自分の要求も混ぜる叔父上を半目で睨みながら、俺は書類との戦闘を開始したのであった。
※※※※※※※※※※※※
さて、氏長君が上ノ郷で大量の書類と格闘戦を演じている頃、大高城に籠城する鵜殿長照ら今川勢は、いよいよ追い詰められていた。
兵糧は殆ど底をつき、織田軍の包囲は日が増すごとに厳重になるばかり。一か八か討って出ようにも、城兵の士気はほぼ皆無である。まとも動ける訳がない。仮に動けたとしても、たちまちのうちに追い散らされてしまうだろう。
そうなれば落城は必死である。
この状況を作り上げた元凶でもある朝比奈筑前守輝勝は一人悩み回っていた。
大高城の兵をもって織田軍の包囲を切り崩し、大殿から戦功第一として称賛されるはずだったのが、数が劣るはずの佐久間盛重隊にボコボコに叩かれ、今では敗軍の将ギリギリの状態である。
たとえ今川本隊が救援に駆けつけて織田軍を追い散らしても、自分に対する加増は皆無であろう。それどころか、大高城を危険にさらした責任を取らされて更迭されかねない。
「どうしてこうなった……」
そうブツブツと独り言を呟きながら、残り少ない糧秣の納められた米蔵の前をうろうろぐるぐると歩き回っていると、鵜殿長照がやってきた。
「筑前殿。いったいどうなさった」
「長門守殿か、ほおっておいてくだされ。わしゃあ、もうだめだ」
「……大殿が領国すべてに大号令をおかけなされた、と言う報せが来ております。もうしばらくの辛抱ですぞ。さすれば、大殿は必ずや筑前殿の功に報いて下さいましょう」
長照は輝勝をそう言って励ますが、輝勝の表情は一向に良くならず、うろうろとした足取りも止まらない。
「じゃが、わしのせいでこうなったのも同然だ。責められこそすれ、褒められることはありますまい……」
「ならば、本隊の到来と同時に討って出て、織田軍を蹴散らせばよろしい。大殿の御前で大功を挙げれば、それまでの失敗なぞ吹き飛びましょう」
「それも、兵糧あってのこと。たったこれだけでは、兵どもの士気を上げることさえできますまい」
そう言って、輝勝は米蔵の中を指差した。当然長照も知っている通り、その中には米俵は全くと言っていいほど無く、目立つのは土壁と梁だけである。
それを見た長照は顎に手をあてて考え込み、輝勝の方は再び独り言を言いながら歩き回り始めた。
「どうしようどうしようどうしようどうしよう」
もはや落ち着いて考えられないのだろう。目の焦点はあっておらず、足取りは徐々にふらついてきている。途中から奇怪な踊りを踊り始めるあたり、誰が見ても末期状態である。
そんな状態が小一時間ほど続き、長照が突如声をあげた。
「食べれるものは、何も米だけではありますまい。なんとかなるかもしれませんぞ」
「何?」
「とにかく筑前殿も協力してくだされ」
「う、うむ。この状況を打開できるなら、なんでもしますぞ」
長照の説明はこうであった。城内や城の近くにある野山から、木の実や野草など、食べれると思わしきものは何でも持って帰ってくる。
それをすり潰して粉にし、その粉を水と混ぜて団子状の食物として糧秣の代わりとする。
「もちろん米に比べれば味も量も遥かに落ちますが、何もないよりはマシかと」
「なるほど。幸い水の手は絶たれておらぬ。早速、人をやって集めさせよう」
追い詰められた人間は、時としてとんでもない発想を生む。
長照の生み出した臨時兵糧は、空腹であった兵たちには山海の美味のように感じられたのだろう。
そのおかげか、鵜殿長照と朝比奈輝勝、および大高城の兵たちは、この後、援軍到来までの間、ひと月近くに渡る地獄の籠城戦を生き残ることか出来たのである。
氏長君の弟の幼名その他は完全な創作です。