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ろうじょうぐらし!

お ま た せ !

提督業にどっぷりで更新の機会が中々見出せず…。気が付いたら一年以上間が空いてしまった。申し訳ない。

 




「ほんと、腹の立つ連中ですなぁ」

「……ええ。そうね」


 上ノ郷城を取り囲む竹谷松平家の軍勢を見て、次郎法師と板倉勝重は静かに怒りを燃やしていた。

 武田の調略やら国人衆の襲撃やらを警戒して神経を尖らせ、その対策の為に他家と連携を密にしていこうと言っていた矢先の裏切りと襲撃なのだから、その怒りは尤もであるのだが。


「全く。連中が味方だと思った昨日の自分をぶん殴ってやりたい気持ちです」


 竹谷家の軍勢が現れた当初、彼らは自分たちを大塚城の長忠の要請によって派遣された味方だと言い張り、軍勢を丸ごと城内に入れるようにと騒ぎ立てたのである。

 もちろん城側はその要請を却下した。

 いくら同盟国からの援軍とはいえ、他国の軍勢を城主に無断で、それも留守中に入れるわけにはいかない。平和な世の中ならいざ知らず、時代は同盟などあってないような戦乱の世。証拠もなしに入れろ応じろと騒ぎ立てる連中をまともに相手にしているだけでもアレなのだから。

 中には「味方と言っているのなら大丈夫ではないか」と言い出す色々な意味で心配したくなるおつむの持ち主も存在したのだが、「これは可笑しい」と至極全うな主張を貫き通した次郎法師が頑固として阻止し、戦わずして落城するなどという間抜けな事態は無事に回避できたのであった。

 勿論、城の前で騒いでいた件の軍勢は、入城を拒否した直後に手のひらを返したかの如く総攻撃を仕掛けてきたのは語るに及ばない。



「そんなことよりも、私は街のほうが心配かな。折角あの子が心血注いで育て上げたのに……」


 不埒者のことなど意識するのも腹立たしいとばかりに、次郎法師が竹谷家の軍勢に荒らされた城下に視線を向けた。

 先日まで綺麗に居並び、人々が楽しそうに行き来していた街並みは、雑兵どもの掠奪を受けて崩れ去り、放火でもされたのか、至る所から煙を噴き出しているのが見える。勿論人影などは見えようもない。広がるは陰鬱たる廃墟の荒野である。

 だが、そちらにも増して酷い状況なのは蒲郡湊であった。

 船の係留に重要な桟橋やら波止場やら、重要な施設はこれでもかという程に徹底的に破壊されて、耳を澄ませば竹谷家が云十年に渡って抱き続けた鵜殿家への逆恨みが聞こえてきそうな雰囲気だ。

 次郎法師はぎりりと奥歯に力を込める。

 戦場の焼き討ち・略奪は当然なれど、己の目前でこれほど好き勝手暴れられたとあっては、留守を預かった彼女の沽券に関わる問題である。それと同時に、ここまで苦労して築いてきたものをあっさりと破壊されて不愉快に思わない訳がなかった。


 この惨状を齎した連中を追ったあと、その復興にかかる費用と時間はどれ程のものか。

 蕭然たる表情で眺める次郎法師の隣で、勝重もまた鬱屈した思考を巡らせる。

 ここまで順調に動いてきたもの全てを無駄にされたのだ。

 詰めに至った将棋で、ちゃぶ台返しをされたような感覚である。

 謎の軍勢の接近を感知して避難指示を出したお蔭で城下の領民こそ無事であったが、ここから遠く、塩津の塩田あたりの住民の避難までは間に合わなかった。

 今回の襲撃は、積み重ねた因縁云々もさることながらあの塩田、或いは湊狙いであることは明白である。

 あれはこの鵜殿領の要ともいうべき重要な産業になりつつあるのだ。奪われてたまるか。

 仮にここで奪われる、若しくは壊されても、取り返すなり作り直せば良いわけだが、村人の安否の確認が取れない以上、なるべく甘い見通しは避けるべきである。たとえ無償で取り返せても、そこの住民が全滅していては意味を為さなくなってしまう。現代でいえば、弱小企業が熟練の職人、あるいは中核を担う優秀な人材を失うのに等しいのだ。

「壊すのは容易く、創り上げるのは難しい」とは誰の言であったか。それを今、勝重らは正しく痛感していた。


 ――災禍も過ぎ去らず、目立つは痛ましい傷跡ばかりなり。




「壊れたものは作り直せばいいのです。幸い城下の領民は無事でしたから。連中を追い出しさえすればなんとかなります」


 鬱屈した空気を払うべく、勝重が慰めの声を上げる。

 たとえ何もかも失っても、人間生きてさえいればなんとかなる。逆に言えば、死んでしまえばそれまでということである。いま重要なのは、この上ノ郷城を、理不尽な襲撃から守りきること、そして、生き延びて城主の帰還を待つことである。


「そうだね。あの子が帰ってくる場所を守らないと……」


 未来の名宰相の言葉と、その奥に秘められた意図を理解した次郎法師はこくりと小さく頷いた

 今は目の前の災厄から、どうにかして生き延びること。それだけが重要である。うだうだ悩むのはそのあとで。そして、あの極端にお人よしな主君に任せておけばよい。


(だから、無事に帰ってきてください。旦那様……)


 人の感情というものは往々として変化しやすいものだ。

 少し前までは可愛い弟のような存在であった氏長が、何時しか彼女の中で大事な旦那様となり、本気で恋心を向けるようになっていたのだから。当の次郎法師本人も内心でとても驚いていることだろう。






 鵜殿さんちの氏長くん~目指せ譜代大名~






「ふんっ。余計なことを」

「小賢しいですな。黙ってやられておればよいものを」


 さて、上ノ郷城を取り囲む不埒者、もとい竹谷松平家の軍勢である。

 複数ある支城を放置して本城へ奇襲を仕掛けたは良いものの、味方と偽って侵入するという渾身の策()は破られ、ヤケクソで挑んだ総攻撃は見事に撃退されるという醜態を晒したことで、軍隊の士気はタダ下がりであった。当然、その後の散発的攻撃も捗るわけがない。

 もっとも、支城を先に攻撃したところで、下ノ郷城・柏原城の兵は上ノ郷に撤兵済み、不相城には大塚からとって返した長忠が詰めているため、結局同じような展開になったであろうが。


「しかし父上、このまま攻撃を続けるには兵が足りないかと存じ上げますが。一度引き返して体勢を立て直してみては?」

「たわけ、そんな時間などなかろう。早く落とさねば叩き潰されるのは我らぞ」


 嫡男・清宗の進言を、清善は強く否定する。

 半世紀以上に渡る因縁に決着を付けることができる折角の機会、色々と危険を冒してまで軍事行動に及んだのだ。この期を逃せば、彼の内心に巡る暗雲を払う好機はおそらく永久に失われるだろう。憎いほど順調な発展を見せていた蒲郡湊と、それに伴う城下町を盛大に荒らし回ることで、ひと時の鬱憤は晴らせたが、それでもまだ足りない。竹谷城から目に映る位置に、鵜殿家の『丸に三つ石』の紋旗が翻っている限り、竹谷家に安寧の時は訪れないのである。

 武士の勢力争いとは過酷なものであった。いや、こいつだけか。

 さすが三河武士めんどくさい。


 だが、このままではジリ貧、どころか勝ち目が全く無いというのもまた現実である。

 攻撃三倍の法則、または三対一の法則と呼ばれるものがある。

 都市や城などの拠点争奪戦において、「攻撃側が勝利するためには、籠城側の三倍の兵力が必要」という、一部では有名な原則である。

 通常交戦から敵戦力の撃破鎮圧、拠点の制圧という多数の経過を踏まなければ勝利とならない攻撃側と違い、単純に防御側はこれを防ぎ、撃退するだけでよい。おまけに拠点の防御設備や居住経験という、俗にいう「地の利」「地形効果」と言われるものにも助けられる。

 古今東西、これは戦闘における鉄則である。だからこそ攻撃側は出来るだけ多くの兵を連れて拠点攻略を行わなければならないのだ。

 巷の英雄譚や偉人伝などでは、『僅かな兵力で攻め込んで占拠しました』だとか、『計略で敵を凡壊させて圧勝しました』というような話であふれているが、騙されてはいけない。こんなものは、ずば抜けた能力を持った武将と、それを運用する優秀な指揮官がいて初めて成功するいわば夢物語のようなもの。或いは運に助けられた単なる偶然であり、最初から狙って引き起こせるようなものではない。奇跡に等しいのだ。だからこそ成功したものは、英雄譚として華々しく末代まで語られるのである。

 基本は数倍、相手よりも確実に有利な状況を。鉄則である。

 近年の研究では『兵力の運用方法が重要で、兵数自体は勝敗に関係ないのでは?』という学説も登場しつつあるが、少なくともこの時代では、この法則がかなりの確率であてはまるのは疑いようがないことであった。


 どうでも良い話。旧ソ連の戦闘学では三倍の部分を六倍から十倍という数字に書き換えて教えていたという。

 ……流石、畑から人が取れる国。




 さて、肝心の竹谷松平家の軍隊であるのだが、この条件を満たしているかどうかと問われれば、答えは否である。それどころか肝心な総兵力では劣っているのだ。当然だ。所詮は一豪族である。内密に内密にとほぼ独力で攻撃の計画を立て、いざ実行に移すこのときまで協力者を募ることさえしなかったのだから。

 おまけに今回の襲撃自体独力で企んだ訳でもなく、某家に唆されたことによる思いつきである。作戦の半ば以上が、ある種の他力本願によって成り立っているのだ。

 大塚を奪取して戦力を増し、普段からコツコツと見えぬ努力を続けてきた氏長とその周辺に、短期間の準備だけで勝てるかと言われれば……。



「次の総攻撃で決着を着ける。準備をしておけ」

「……承知いたしました」


 傍から見ればただの蛮勇、或いは無謀であった。

 だが、それでも清宗は父を止めることはしない。彼とて跡が無いことくらい分りきっているのだ。

 今でこそ僅かな戦力差で済んでいるが、これ以上時間を掛けようものなら、一向一揆と戦っている鵜殿家の主力が上ノ郷に取って返してくるのは間違いない。そして、そこに主家である今川家や徳川宗家の援軍が混ざっていないとは限らない。竹谷家、少なくとも清宗の胸の内では、『今回の攻撃はあくまでも鵜殿家との私戦に過ぎない』という詭弁を貫き通す心算であるのだ。主家や宗家に介入されては困る。本当に謀反人になってしまう。

 誰が何と言おうと、外野からどう思われようと、彼は三河武士。宗家や主家に対する忠誠心は(一応)本物である。

 それだけに、今現在、あの父が何を考えているのか清宗は不安であった。

 数か月前、一揆発生直前にやってきたという武田家からの使者。

 その男との会談で一体何を吹き込まれたのか。その男が帰ったあと、父は突如として『上ノ郷城を攻撃して積年の恨みを云々』などと言い出したのだ。

勿論清宗他、慎重な家臣たちは反対した。すると、清善は一揆発生と、その後の今川家の苦戦まで見事言い当てて見せたのである。そうなると、彼らにも強い諫言はできなかった。あれよあれよという間に軍議が進み、気が付けばこうして鵜殿領に攻め込んでいたのであった。

こんな時代である。隙を見せた隣国に攻め込むこと自体には特に反対は無い。

だがしかし、これがどう考えても武田家に唆されての凶行だということに問題があった。

どう考えても一揆の背後には武田家がいる。

同盟を破ることに定評のある武田、信用ならんと諸外国から総スカンを喰らっている武田である。

「三国同盟があるので大丈夫」などと父は言っていたが、その後、連中が同盟を無視して今川領に攻め込んできたという話は、噂という形ではあるがしっかりと伝わってきている。これが本当ならば、自分たちはみすみす主家滅亡の片棒を担いでしまったということになるのだ。


(勝敗が決した暁に、待つのは不忠者の烙印か。それとも……)


 清宗は胸の内を誰にも明かすことなく、時間は過ぎて行った。

 とにもかくにも、次の総攻撃が勝負の分かれ目、というのは間違いなさそうである。



活動報告に応援を下さった方々、ありがとうございました。

しかし一向に話が進まんな…。

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