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秋霧の夢

電波を受信したおかげで書きたくなった。

サブタイ通りです。

是非最後まで見て下さい。


 





 ――慶長五(一六〇〇)年。


 天下人・豊臣秀吉。そして、それに次ぐ五大老・前田利家。

 両者の死によって抑える者のいなくなった豊臣家の武断派と文治派の対立は、遂に臨界点を突破。全く関係のない諸大名や武将、果ては公家や浪人まで巻き込んで、小田原征伐以来十年ぶりとなる大戦の熱を呼び覚ました。

 文治派の専制に業を煮やしていた武断派は、天下一の実力者と囁かれる五大老筆頭・徳川家康を味方に引き込んで挙兵。

 一方の文治派はそんな彼らを謀反と断じ、五奉行筆頭・石田三成を中心とする徳川征伐軍を結成。

 両者ともに様々な経緯と経過、紆余曲折と権謀術数を経て、美濃国関ヶ原で相見えたのである。


 ――攻めるは徳川家康率いる東軍・約八万

 ――迎え撃つは石田三成を中心とする西軍・約九万。


 太閤秀吉の死より僅か二年。

 後世にいう関ヶ原の戦いが、いま正に幕を開けようとしていた。






 鵜殿さんちの氏長君~目指せ譜代大名~






 美濃国みののくに不破郡ふわぐん 関ヶ原せきがはら

 美濃国最西部、近江国との国境に位置する小盆地である。

 後世において『天下分け目の関ヶ原』として名高いこの地の歴史は、存外に古く長い。

 今を遡ること九百余年前、天智天皇の逝去に伴い大海人おおあま大友おおともの二人が皇位を巡って争った壬申の乱。この内乱の主要な舞台の一つとして選ばれたことを皮切りに、乱終結後にはその後百年に渡って畿内防衛のために重大な役割を果たす古代三関の一つ・不破関がおかれ、更に中世においては物流の活発化と武士政権の到来に伴って東山道野上宿・中山宿という宿場町が発展。そして戦国時代には浅井長政による近江国境の要衝・松尾山城の築城。

 飛鳥時代末期から今現在まで、およそ九百年余りに渡って途方も無いほどの長い時間と年代を重ねて、東山道交通の要所としての地位を築いてきたのであった。

 僅か数キロ四方の、それも地方の小さな盆地にこれ程の歴史が詰まっているというのは中々珍しい話ではあるが、それはこの地が全国に名を及ぼせるだけの影響力と特異性を秘めた要衝であるという証左である。現実として、この後二百数十年に渡る長い江戸の泰平の世においても、関ヶ原はその価値を全く失わずに宿場として栄え、二十一世紀に及んでなお東海道本線や新幹線、高速道路が通る交通の要衝として扱われているのだから。

 壬申の乱と関ヶ原の戦い。

 二つの大戦争の決戦場に選ばれたということも、この地の持つ特異性と重要性を顧みれば特に愕きに値することでもないのかもしれない。













 さて、ここまで長々と関ヶ原に関する薀蓄を並べて、一体何如何したのかと言うと……。

 俺は今、徳川家康率いる東軍の一員としてこの歴史情緒溢れる土地にお邪魔している最中なのである。

 それもただの武将としてではなく、最前線部隊を率いる将の一人として。


 ……どうしてこうなった。


 予定では徳川本隊所属の一武将として参戦する筈だったのに、我が義理の甥にして先陣厨赤備男、人斬り兵部こと井伊直政いいなおまさが先陣を引き受けたせいでこのザマである。

 いい加減、彼のストッパー役として俺を引っ張り出すのは止めて頂きたいものだが、一応後見人という立場にいて、尚且つ負けず嫌いで怒りがちな直政の性格を知っている以上、放置しておくというのも寝覚めが悪い。実際、史実では関ヶ原で受けた傷がもとで死去している訳だし、色々と心配をしておいて損はないのである。

 それに、突撃が原因で戦死しましたなどという事態になれば、今は亡き次郎法師さんに対して申し訳が立たないのだ。

 そして、俺自身も彼には天寿を全うしてほしいと思っている。

 直接の血の繋がりは無いとは言え、息子を除けばほぼ唯一俺に残された肉親だ。そんな彼が避ける事のできる傷病が原因で斃れるなど、どうして看過することができようか。

 まあ、そんな心配は本人にとっては余計なお世話でしかなく、もし仮に今考えていることが直政に伝われば、間違いなく彼は「何時までも子供扱いしないでください」と言うだろう。

 もちろんそんなことを言われた所で子供扱いを止める心算は毛頭ない。

 赤ん坊の頃から彼を知っている身としては、彼は未だに子供である。


 ……こんなことを考えるあたり、自分も相当に老いたものだと愚考する。


 つい先日まで少年の身で、三河の一向一揆と戦っていたと思ったら、あっという間に時代は流れに流れて人間五十年という節目を迎え、天下分け目の関ヶ原を迎えてしまった。

 参戦が叶い大歓喜した姉川や小牧長久手に、死にかけた三方ヶ原。あれだけ苦労した伊賀越え。そして色々な意味で記憶に残った天目山。

 今では遠い記憶の片隅、或いは屋敷の隅に追いやられた自作歴史書の中の出来事だ。




 ――鵜殿三郎氏長改め鵜殿石見守いわみのかみ氏長、今年で数え五十二歳。




 既に息子も成人し、遂に孫も産まれそうという年齢である。


 時間の進みとは残酷で容赦がない。

 そこに身を置く人間がどれだけ止まれ静まれと願っても、時の流れはさながら水の尽きない大河のように滑り、あっという間に過去という名の大海に流れ出てしまうのである。

 人間如きが刃向える筈も無いのだ。






 さて、そんな本筋に関係なさそうな年齢の話はさておき。


 後世の記録に残る通り、旧暦九月一五日(=今日)の関ヶ原は濃い霧に包まれて、辺り一面真っ白である。時節は既に晩秋を迎え、本来ならば紅葉に染まった山々や、古葉が風に乗って踊るさまが見られるのだろうが、残念ながら視界に映るのは火災現場もかくやと言う程の白い霞だけで、そんな風雅で瀟洒なものが見えるはずもない。おまけにそれだけならまだしも、隣の味方、さらには敵陣の様子まで分らないのは流石に達が悪い。お蔭で敵が前方にいる事が分かっていながら、二時間ほどの膠着状態が続いているのである。


「本当に何も見えない……」

「見事に一面真っ白でございますなぁ」


 ぼそりと現状を呟いた俺に、隣で見ていた輝勝殿が反応した。

 思えば、この人との付き合いもとんでもなく長い。

 桶狭間直後に居候としてうちに現れてから既に四十年。

 敵の大将である石田三成の年齢と同じだけ、俺はこの人と共に戦ってきたということになる。

 嗚呼、数年だけの付き合いになるから云々と思った昔が懐かしい。

 三河時代はただの寄騎で実質的な部外者だった彼も、いつの間にか正式な家臣となって今や鵜殿家の筆頭家老。軍にも内政にもなくてはならない存在になってしまった。

 その活躍に比例して御歳の方も相当逝っている筈なのだが、まるで衰えを見せずに寧ろ老いて尚益々盛んと言わんばかりの働きである。

 ……本当に何歳なのだろうか。

 今まで一度も年齢を聞こうとしなかったことが不思議でならない。

 少し妄想をしてみると、この人の「輝」の字は間違いなく今川氏輝公からの偏倚の筈なので、元服した歳は氏輝公が今川家当主を務めていた大永六(一五二六)年から天文五(一五三六)年までの間であることは間違いない。その当時の年齢を十代前半だったと仮定すると、生年は一五二〇年前後で、今現在輝勝殿の年齢は八十過ぎと言うことになる。


「おや? どうかしましたかな?」

「いえ、特に」


 うーむ。

 流石に今更年齢を教えてくださいなどとアホな事を言う訳にはいかないので、輝勝殿のツッコミを軽くスルーする。

 どうせなら、このままチート爺こと竜造寺家兼(享年九十三)や大島光義(現役。現在九十三歳!)に追いつけ追い越せという勢いで、大阪夏の陣まで生きて現役を貫いて欲しいものである。


「殿」

「なんですか?」

「我が軍だけでも攻撃を行うことは出来ませぬか? これだけ霧が深ければ福島殿に見つかることもありますまい」


 余りの進展の無さに痺れを切らしたのか、ついに輝勝殿がそんなことを言った。

 この脳筋っぷりも相変わらずである。

 確かに折角最前線にいるのだから、先陣を切って大暴れしてみたいと言う彼の気持ちは分かる。だが、既に先陣は福島正則が務めるということに決まっているのだ。

 抜け駆けして攻撃を仕掛ける訳にはいかない。

 幾ら『大功を挙げれば抜け駆けも問題ない』という不文律があるとはいえ、流石に軍律違反を進んでやりたいとは思わない。


「少し落ち着いてくだされ。福島殿が戦闘を始めてからでも十分に間に合うでしょう。それに、我が陣の位置的に敵から仕掛けられると言うことも十分に考えられます」

「むぐぐ。流石に抜け駆けはアレですな」


 俺が布陣しているのは、関ヶ原本道(中山道)と北国街道の分岐点から西に少し進んだ辺り、井伊直政・松平忠吉隊から見て南西方向に位置する場所である。ここは東軍諸隊の中でもほぼ最前線に近く、これより前にいる味方は南西の福島正則隊と北西の田中吉政隊だけであり、あとは全て敵部隊だ。

 つまり直線方向(正面)には味方はおらず、敵さんがそのまま攻撃を仕掛けてきた場合、我が部隊はそれを真正面から受け止めることができるのである。

 ……正面にいる敵部隊というのが、十倍近い兵力を有する宇喜多秀家隊というのは考えないことにする。


「しかし、鶴翼の陣に対して正面から突っ込むことになろうとは……。これだけ見れば我が方の完敗でございますなぁ」

「見た目だけならですが。『翼』の部分にあたる諸将の殆どが内通しているとは、石田治部では思いもしますまい」

「ほほぅ。ということは、毛利も小早川もやはり?」

「はい」


 輝勝殿の言う通り、西軍は翼を広げたような陣形、つまり鶴翼の陣で東軍を包囲しており、俯瞰しただけでは此方が圧倒的に不利である。

 だが、史実同様「松尾山のアレ」だとか「南宮山のアイツ」と言った一番重要な包囲陣の『翼』部分を構成する武将たちは、布陣の段階で既に東軍に内応している身なのである。

 悲しいかな、既に戦闘前の諜報戦の段階で西軍は東軍に劣っていたと言わざるを得ない。

 そもそも西軍が関ヶ原に布陣する破目になったのも、事実上東軍に誘い込まれたようなものである。

 決して戦下手でも凡庸でも無いとは言え、基本文官である石田三成に大軍の指揮は荷が重すぎたということだろうか。

 もっとも敵である以上、同情するつもりは更々ないのだが。


 そんな考察もうそうからしばらくして。

 辺りが突然騒がしくなってきた。

 何処からか馬の嘶きやガチャガチャと言う甲冑が震える様な音が聞こえてくるのである。

 福島隊が動き始めたのかとも思ったが、明らかにうちの軍隊のすぐ側から聞こえてきているのだ。

 どう考えても福島隊ではあるまい。


 ……視界の隅に赤色の甲冑を纏った兵隊がちらちらと見えている以上、答えは一つしかないのだが。


「筑前殿筑前殿」

「如何いたしましたかな?」

「なぜか視界に赤備えが見えるのですが、気のせいでしょうか?」

「残念ながら拙者の目にもしっかりと映っております故、気のせいではないかと存じます」


 ……どうやら直政の奴が案の定抜け駆けをしようと企んでいるようである。

 これは止めに入らなければならないだろうなぁ。

 アレの性格上引き留めるのは無理だろうが、ポーズだけでも示さないと色々とまずいだろう。


 ――――さあ、行こう。


 ――――俺 た ち の 戦 い は こ れ か ら だ !













「……なんだ、夢か」


 うーんという情けない声を挙げて、俺こと鵜殿氏長は目を覚ました。

 一向一揆の暴露本を書いている途中で寝てしまったようである。

 しかし、不思議なこともあるものだ。

 史実とは歴史がかけ離れてしまったお蔭で、起こることは殆ど無いだろうと参戦を諦めていた天下分け目の関ヶ原。

 それを夢と言う曖昧な形であれど仰ぎ見ることができたのは純粋に嬉しい。


 ……だが。

 夢と言うのは人の未練や願望、希望を表すと云う。

 俺は今まで、現代にいた頃のような歴史マニア的思考は全て捨てて、完全にこの時代の人間、一人の戦国武将として生きる覚悟を決めたと思い込んでいた。

 しかし、今回このような夢を見たということは。

 恐らく心のどこか奥深くでは未だ未来人、現代人としての未練や感覚を捨てきれていなかったのかもしれない。

 今回のこの夢は、自分の脳が与えた一種の警告、啓発として受け取った方が良い。

 幾ら俺がこの時代には無い絶対的なアドバンテージを持っているとしても、それに頼り切ってしまえば確実に足元を掬われる。

 最早役に立たない歴史そのものの知識は言うに及ばず、後世で確定していた人物の評価でさえも当てになるかどうか怪しいものがある。


 例えば、史実では忠臣とされた人間が呆気無く裏切るかもしれない。

 超有能だとされた武将が、実は大したことがないということがあるかもしれない。

 不義理で冷酷、悪逆だと称された人物が、実は超善人だったと言うこともあり得るかもしれない。


 結局のところ、最後に役に立つのは曖昧な知識などでは無く己の実力だということだろう。

 そう結論付けた俺は、とりあえず実力をつけるための英気を養うべく狸寝入りを始めるのであった。



 しかし、橙陣の連中の鼾が煩いな……。

 グーガーだのスーピーだの、夜中に派手な音を建てられても困るのである。

 こんなことなら大物ぶって「兵と寝食を共にするのは将の務め(キリッ」とか大物ぶって馴れない事をするんじゃなかった。

 後悔先に立たず、なのであった。






 ――――今日の覚悟が、決して間違っていなかったと思い知らされることになるのはその翌日のことである。







似たような話を昔やった気がする……。

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