げんぷく!
鵜殿家の歴史に触れてみました。
三河鵜殿家。我が実家にして、三河西郡(蒲郡)一帯に勢力を誇る豪族。
熊野別当(紀伊熊野大社のトップ)湛増の末裔と伝わる、三河でも有数の名族である。本姓は藤原氏。「鵜殿」という姓は、紀伊新宮の鵜殿村に住んだことからとられているらしい。
その歴史は古く、鎌倉時代初期から三河蒲郡一体を治めていた家であるようで、古く『吾妻鏡』にも鵜殿家とみられる記録が存在するという。
おそらく、鎌倉時代初期に当時熊野山領であった蒲郡に移住したのだろう。現在でもこのあたり一帯には熊野との関わりを示す神社が大量に存在している。
(中略)
そんな当家が勢力を広げたのが、鵜殿長善公の時代だろう。長善公は長男・藤太郎長将公を上ノ郷に、三男・又三郎長存公を下ノ郷に配置し支配力を強化した。ちなみに又三郎長存公は当家の菩提寺である長存寺を建立している。
さらに次代・長将公の時代になると、三河に進出した今川家に仕え、嫡男・長門守長持公は今川義元公の妹婿になるなど、非常に重用された。不相・柏原などの分家が現れたのもこの頃である。
長持公は連歌の愛好者としてもしられ、当時名高かった宗長・宗牧といった連歌師とも親交があったという。
そんな長持公も弘治三年十月に亡くなり、家督は我が父・長門守長照が継ぐ。
「『これから先、我が鵜殿家は、どんな歴史歩むことになるのだろうか。流石に未来のことを記す訳にもいかないので、今はここで筆を置くことにする……』っと。よし、こんなものかな」
「よく調べたな、新七郎。父としても鼻が高いぞ」
そういって声をかけてきたのは、父上であった。今年で三十一になる。十二の子供がいる父親にしては若いと思うが、この時代ではこれで普通である。
中肉中背の目立たない人で、容姿も俺に似てド平凡である。ひどい言い方をするなら、そのへんの道端で寝転がっていても、城主だとは気づかれずにスルーされるだろう。そんな見た目である。
だが、その細い目から発せられる鋭い眼光は恐ろしい。これでも三河の反今川家勢力を抑えるのに一役買ってきた人である。ただの平凡なおっさんなわけがない。
「ありがとう、父上。でもまだ足りない。これから鵜殿家が歩む歴史、それもしっかりと残しておかないと」
「うむ、そうだな。我が家はこれからも今川一門として、御本家を支えていかなければならぬのだからな。もちろん松平家も共にな」
「はい」
「……」
父上がともにいた次郎三兄貴に声をかける。兄貴は困ったような笑顔で返事を返した。「未来」を知っている俺としては、非常に辛い会話。この二人――というよりも松平家と鵜殿家――が敵対することになった時、俺はどうすれば良いのだろうか。
父上を説得して松平家に鞍替えさせる?
いや、無理だろう。父上の母は今川義元様の妹。つまり父上は正真正銘今川家の一門だ。(勿論俺も)
本人もそのことにプライドを持っている節があるし、何よりも史実では分家や他の親類にさんざん説得されても首を縦に振らなかった人だ。俺もその時になったら一応説得はしてみるつもりだが、まず同意することはないだろう。むしろ一歩間違えれば不忠者扱いされてぶったぎられる恐れもある。
かといって、俺一人だけが出奔して松平につく、ということはできない。この家に愛着はあるし、何よりも俺は今川家が好きだ。少なくとも、上ノ郷落城までは今川家に属していたい。
本当に前途多難だ。
「また難しい顔をしておるな。どうしたのだ?」
「……『未来』について考えておりました。この先、この日ノ本はどうなっていくのか、と」
「なに、心配はいらぬだろう。大殿が上様を助け、天下を平らげるに決まっておる。近いうちに上洛の軍を起こす、という話もあるゆえな」
「そうだぞ新七郎。若様ではないが、若いうちから変な悩みを繰り返すと禿るぞ」
「……そうですね。難しく考えすぎていたようです。父上も兄貴もありがとうございます。少しは悩みが薄れました」
「うむ、本日はお主の元服の日なのだ。明るくなくてはな」
そういってワッハッハ、と明るく笑う父上。
起きてもいないことに悩んでも仕方がないのかもしれない。とりあえず肩の荷がおりた気がした。
――こうして、運命の永禄三(一五六〇)年が幕を開ける。新七郎の悩みは杞憂と化すのか。それとも――
~鵜殿さん家の氏長君・目指せ譜代大名~
元服という行事がある。
奈良時代より今に至るまで、日本全土で行われている、武家や公家の子供が大人の世界に迎え入れられるための通過儀礼、現代でいうところの成人式である。
「元服」という語には「頭に冠をつける」という意味があり、武家の場合は「烏帽子」をかぶり、それまで名乗っていた幼名を捨てて、新たに成人用の名前である諱を付ける、といったやり取りが行われる。
俺は詳しく知らないが、公家や宮司ではいろいろと異なるのかもしれない。
永禄三(一五六〇)年某日。
今日は俺の元服の日である。
俺に元服の話を持ち込んだのは、当然父上である。
去年の暮れに聞かされた時は驚いたが、今年で数え一二歳。そろそろ元服してもおかしくない時期なのだろう。
烏帽子親の委嘱も済んでいるというから、断るに断れなかった。ちなみにその烏帽子親はなんと「あの」若様であるらしい。
ちなみに烏帽子親というのは、元服の儀において、新しく成人を迎える人間の頭に烏帽子を乗せる役のこと。乗せられるほうは烏帽子子という。この時代の武家社会においては、血縁関係なみに重要なこととされた。
さらに言うと、諱は烏帽子親からの偏諱(目上の人から名前の一字をもらうこと)からつけられるのが通例であるため、なし崩しで若様の名から一字もらうことが確定してしまった。これでもう今川家からは逃げられない。
そんなこんなで、現在父上に兄貴、それに兄貴に追従する鍋之助と亀丸、そのほか数名で今川館に向かっているのである。
「新七郎は先に元服か。うらやましいなあ」
「お前らももうすぐでしょ……」
鍋之助たちと軽口をたたきあいながら、今川館に入っていく。松平邸も大きいが、こっちはその数倍はでかい。何気にここに来るのは数年ぶりだったりする。
入り口にいた人に刀を預け、案内役に連れられつつ、しばらく歩くと若様が待っているという部屋にたどり着いた。緊張である。
「ほっほ、ようやくお出ましか」
そういって声をあげたのは、若様だった。喋り方こそ何時もと同じだが、表情が違う。バカ殿丸出しの普段と違って、今日は顔面全体が引き締まっている。
「なに、烏帽子親は初めてだからのう。気合が入っておるのでおじゃる」
そうですか。
「うむ。当人も来たことであるし、早速始めるとしようかの」
若様と同じく最上座に座っていた義元様が、開始を宣言した。
元服の儀の始まりである。
そこからは終わりまで、一直線であった。
みずらと呼ばれる子供の髪型を大人用に編み直す髪結いの儀から始まり、烏帽子親が冠をつける加冠の儀へ進む。そして最後には新たな名前を付ける段階へと進んでいく。
この日を境に、俺は「鵜殿新七郎」から「鵜殿三郎氏長」と名を改めることになる。
まず通称の三郎。これは次郎三兄貴から頂いた。特に意味はなく、ただ真っ先に思い付いたのがこれだったから、という理由。
次に諱の氏長だが、「氏」の字は今川氏の代々の通字(先祖代々諱につける文字)であり、若様からの偏諱。「長」は鵜殿家代々の通字。父上(長照)やおじい様(長持)と違って、長の字が下に来るのは、偏諱でもらった字を下につけるわけにはいかなかったためである。
さて、元服の儀も終わり、なぜか宴会が始まった。
正直騒ぎすぎだとは思うが、宴会好きの若様や義元様がいる以上、仕方がないのかもしれない。
「さ、三郎殿も一杯」
そういって徳利を差し出してきたのは、白髪でいっぱいの壮年の男性であった。年齢は五十過ぎだろう。
「ありがとうございます。えーっと……」
ヤバい名前が分からない。
「ああ、失礼。名乗りがまだでしたな。それがし、井伊信濃守直盛と申します」
井伊直盛だったのね。マジか。
井伊直盛。現代においての知名度は皆無であるが、かの赤備え・井伊直政の祖父である。今年に起こるはずの桶狭間の戦いで今川本隊の先鋒大将を務め、雷雨の奇襲の中、奮戦して果てる人物でもある。
桶狭間を心配する俺の前にこの人が現れるとは。流石に今からは無理だが、先鋒の大将に奇襲が起こる可能性を伝えることができれば、義元様が討ち取られる可能性は減少するだろう。
今のうちに仲良くなっておいたほうがいいかもしれない。情報を流すにしても、顔見知りでなければ信じてもらえないだろう。
「三郎殿は素晴らしい器量の持ち主という噂。どうですかな、我が娘婿に」
俺がそんな打算をめぐらしていると直盛殿が父上に何やら話している。直盛殿の娘っていうとアレだよな。THE嫁き遅れ、女地頭様。
……流石に年が離れすぎだろう。あちらから見ていまだ子供にすぎない俺に縁談を進めてくるということは、本人は相当焦っているのかもしれない。
年上の女性は嫌いじゃないが、流石に十以上離れている人を嫁にするのは勘弁である。仲良くなるのにこれ以上良い機会はない思うのだが……。
「それはちょっと」
流石に父上も苦笑いして拒否っている。縁談が成立することはこれでないだろう。一安心である。直盛殿は肩を落としているが。慰めてあげよう。
「信濃守殿、お返ししますよ」
そういって直盛殿に献酌する。
「おお、すみませぬ」
「気を落とさないでくだされ。いつか娘さんにはいい縁談が見つかりますよ」
「そうだとよいのですがのう。縁談が出るたびに何故かご破算になるもので……。特に気が強いとか、不美人というわけではないと思いますがのう」
「心中お察しします……」
「三郎殿さえよければ、またいつか井伊谷に来て下され。歓迎しますぞ」
「……考えておきます」
その後、しばらく直盛殿と話していると、いろんな人が献酌に現れた。ある意味主役であるから、仕方がないと思うが。
当然断るわけにもいかず、飲み続けてべろべろによってしまったのでありました。
この作品における元服の儀の進め方は完全に作者の創作です。
ついでに元服の後の宴会も作者の想像です。