白き魔女
半年以上も放置していてごめんなさい。
「早く書こう早く書こう」と思うと、どうしても書けなくなってしまいます。
いっそ気にしない方がいいんでしょうか……。
一五六四年春先。
今川軍本隊の猛攻によって渥美郡内から叩き出された国人連合は、武田軍が三河国内に現れたという情報を入手すると、これと連携して吉田城を再び奪取するために進軍を開始した。
対する今川義元は、遅れてやってきた田原城の天野・朝比奈両将及び伊奈本多氏の軍勢を吸収すると、井伊直親を先鋒としてすぐさま吉田城を出陣。豊川淵の下地・船町でこれと戦い、大破することに成功する。
徳川家を始めとした西三河の諸将が苦戦を強いられているのとは対照的に、義元本人の出陣による士気高揚と諸将の采配にも恵まれて、文字通りの敵なしであった。
だが、犠牲が全く出なかった訳では無い。
いくら敵が烏合の衆であろうが、味方が数で優れていようが、大将の采配が優れていようが、戦は戦。
度重なる城攻めと野戦で将兵の疲労は目立たぬものの間違いなく蓄積していたし、名の通った武士でも、やはり負傷や討ち死にを遂げたものもいる。井伊直親の負傷や稲垣氏俊の戦死など、その最たる例なのであった。
――吉田城。
国人連合をひとまず撃退し、吉田城に凱旋を果たした今川義元は、自らの近習である瀬名源五郎信輝から、武田家の三河侵攻と、それを撃退した徳川家の活躍について聞き及んでいた。
彼の語る事の顛末はこうであった。
作手奥平家と、それに助力したと思わしき武田菱を掲げた軍勢が岡崎城北に接近すると、徳川元康は一揆攻めを中断して反転する。
そして、城に戻ると間髪を置かずに出陣。北東に迫った奥平勢を迎え撃った。
先鋒は酒井忠次、言わずと知れた元康股肱の臣である。
彼を中心とした徳川家臣団と、今川家からの援軍であった岡部正綱らの猛攻と奮戦で、戦闘は僅か一時ほどで終了。奥平軍は壊走した。
余りの呆気ない終わり方に、天下に名だたる武田軍はいかほどのものかと意気込んで戦に臨んだ徳川家一同は拍子抜けしたに違いない。
けれども、これは当然の結果である。奇襲を前提としていたらしい奥平軍は、援軍の武田勢を合わせても千を越える程度の小勢でしかなかったのだから。
数千の軍勢と、地の利をもって迎え撃った徳川軍の敵ではなかったのである。
ちなみに最も活躍目覚ましかったのは、一揆より帰参を果たしたばかりの戸田忠次であったという。
「とまあ、こんなところでございますな。戸田殿の遭遇した敵将は下条某と名乗ったとか」
「下条……?だれじゃ、それは。肥後(井伊直親)、存じておるか?」
話を聞き終えて、武田方の大将に聞き覚えのなかった義元は、井伊直親に話を振った。
彼はかつて信濃に亡命していたことがあり、此処に居合わせる今川家臣団の中では尤も其処の情勢に詳しいのだろう。
「恐らくは伊那吉岡の下条兵部助殿か、その身内であるかと存じます」
義元の話を聞いた直親は、敵将の正体が信濃の伊奈吉岡城主・下条信氏ではないかと推測する。
信玄の妹婿であるこの人物は、度々武田家の先兵として三河・信濃国境地帯で色々とやらかしているのである。信玄本人、或いはその配下で伊那地方の経略を担当する秋山信友からなんらかの指示を受けていてもおかしくはないのであった。
「武田と手切れた以上、儂がこの場に長居するわけにもいかぬ。信玄坊主が駿河に雪崩れ込めば、勝てる者はまずおるまい」
家臣たちは無念を隠さずに頭を下げる。
残念だが、義元の言っていることは真実である。
彼は駿河残留組の能力に疑問を持っている訳では無い。
だが、いかに駿河本国を守る氏真と朝比奈泰朝・鵜殿長照両将の能力が高くとも、軍の主力が三河に出張している以上、全力で攻め込んでくるであろう信玄とその配下である騎馬軍団には勝ち目は薄い。
もっとも、この時期武田家も色々と問題を抱えており、信玄直々に兵を率いて現れる可能性は薄いのであるが、今此処にいる彼らにそれを知る術はない。
「ですが、此方もこのまま放置するわけには……」
「分っておる。指揮は将監(庵原之政)に任せる。井伊・朝比奈両将は行明城の守備を、安芸(天野景貫)は田原に戻って後詰に徹せよ」
現状を心配する家臣の言に、義元は素早く人事を考え指示を出す。
東三河平定軍全体の指揮は庵原之政に継がせ、井伊直親に一連の合戦で新たに奪った行明城の守備を正式に任じる。
遅参に対する義元の追究を見事な自己弁護で捌ききった天野景貫は、再び田原に送り返されることになった。
一方で相棒の朝比奈元智は吉田に残留である。
義元も彼が完全に白とは思っていないのだろう。
此処では口にしないが、未だ田原で諜報にあたっている岡部輝忠には、景貫の身辺を調査するようにという極秘任務が伝わることになっている。
天野景貫の内通は、アッサリとばれるかもしれなかった。
「以上じゃ。各々自分の持ち場に戻るがよい」
『御意』
そして、指示を終えた義元が、腰を上げて退出の準備を始める。
だが、その直後。
「むぐ……!?」
歩行を始めた義元の体が大きく傾き、くぐもった唸りを上げて、まるで巨人が斃れるかの如く、ばたりとその場に倒れ込んだ。
再び立ち上がる気配はない。
「お、大殿!」
「しっかりしてくだされ!」
何の前触れもない、余りにも突然で突拍子もない出来事に唖然となる家臣一同。
先ほどまで静寂としていた室内に凄まじい怒号と悲鳴が響き渡るまで、あまり時間を要さなかった。
The Legend of Sengoku Kaino Kiseki
今川家の治める駿河より北、富士の高嶺を飛び越えた先に、甲斐と言う国がある。
古代律令制を由来とする東海道と東山道の交差地点、京と鎌倉の中間点とも言える場所に位置するこの国は、古来より軍事・行政・交通全てにおいて人や物資が絶えず行きかう要衝であった。
その重要度たるや「甲斐」と言う国名の由来も「交ひ」を由来とするという説もあるほどで、まさに日本の中心ともとも言える立地である。
――だが、そんな重要度や華やかさとは裏腹に、住人の生活は悲惨なものであった。
東西南北を富士や日本アルプスを始めとする天険に囲まれているせいで国内は山地ばかりであり、稲作や牧畜に向くような土地は殆どなく。僅かに存在する平野も、毎年のように起こる笛吹川と釜無川の氾濫に代表される水害に見舞われる甲府盆地だけでは、まともな稲作など出来るはずもない。
山国だけあってか金山を始めとする鉱物資源にこそ恵まれていたものの、中世以前の技術では採掘は上手く行かず、国を潤す程の財を生み出すことは出来なかったのである。
さらに、下手に交通の要所であったせいで、東(鎌倉)と西(京)に分かれて争うことの多かった中世武士の政権に防衛・侵略の拠点として目をつけられ、両者の対立がおこる度にそれを発端とする戦乱に巻き込まれる破目になってしまう。
中先代の乱や上杉禅秀の乱などその典型的な例である。
特に後者の与えた影響は凄まじく、守護家が没落して統治者不在となった国内は、中小様々な勢力が争いを繰り広げる草刈り場となってしまったのだ。
戦国時代に入り、ようやく武田信虎という英傑が出て、これらの内乱はひとまず治められたものの、彼は民の生活に目を向けることは殆ど無く。むしろ対外戦争を繰り広げた挙句、苛烈な税を取り立てて民を苦しめたのであった。
そんな甲斐の状況を劇的に変えた男がいる。
男の名を武田太郎晴信。守護大名・武田信虎の嫡男である。
彼は重臣の協力を取り付けて苛政を行う父親を駿河へと追放すると、大名権力を拡大して家中を完全に掌握、独自の統治を開始する。
分国法や軍制を制定して国内の安定化に努め、躑躅ヶ崎館を中心とする城下町整備、検地の実施や棟別諸役の確立。
さらに黒川・湯之奥の金山に南蛮由来の精錬技術や掘削法を取り入れてこれら鉱山の産出量を大幅に増大させ、次はそれらを元手に信玄堤に代表される甲府盆地の治水を行って新田開発を積極的に行う。
これら晴信の精力的な内政の甲斐があり、民の生活は向上したのである。
正に名君であった。
それでも、甲斐の国全てが救われたという訳では無かったようである。
それ故、晴信はそれら全てを救うために、他国へ戦火を広げるという、大嫌いな父親と同じ手段を用いなければならなかった。
彼も色々と悩んだのかもしれない。父親と同じ穴の貉になりたくはないだとか、必要以上の戦は甲斐の民を苦しめることにならないか、だとか。
だが、先代とは違い、今は甲州金山の生み出す豊富な金のお蔭で、民に負担をかけることは余り無いと知った時、彼は決断を下す。
――父親の方針を受け継ぐ、と。
そして、他国に侵入した晴信が行ったのは、父・信虎を彷彿させる行動だった。
内政では名君でも、対外には鬼、虎の子だったと言うことだろう。
侵掠如火。
彼が掲げた『風林火山』の一文のように、その侵略は苛烈を極めた。
だまし討ち、略奪、放火、人身売買などなど何でもアリ。敵にとって不利益になり、自分たちにとって利益になることは何でもする。その姿は、正に嘗て甲斐を苦しめた侵略者そのものであった。
だが、その姿を自覚したとしても晴信は止まらない。
どれだけ卑怯者と罵られようが、悪逆非道と恐れられようが、全ては自分を慕う甲斐の民を救うため、お国の為なのだ。愛国無罪。
そんな手段で瞬く間に勢力を拡大した晴信改め信玄は、侵略の矛先を桶狭間の敗戦で衰退した盟友・今川家へと向けたのであった。
そんな甲斐国・武田領内の小さな小さな山里。
その里中をのそのそと歩く人影が一つ。
頭には頭襟、右手には錫杖、袈裟に鈴懸。胡散臭い山伏もどきであった。
毎度おなじみの山本勘蔵である。
彼は水を湛えた水田や緑色に染まる畦道をわき目に見ながら錫杖をつき、人目につかない里外れに向かって不安定な足を一歩一歩と進めていく。里人は訝しむような視線を彼に向けるが、本人はどこ吹く風といったようで、まるで気にする様子はない。
やがて、勘蔵の足が止まった。
深緑の木々に覆われた山中に佇む、小さな草庵の前である。
誰がこんなところに住むんだとも言えるような立地ではあるが、庵に覆いかぶさる木々がしっかりと剪定されているあたり、確かに何者かが潜んでいるのは確かだろう。
「勘蔵でござる」
「どうぞ。開いていますよ」
勘蔵が庵に向かって声をかけると、中から返答が返ってきた。
こんな山奥には似合わぬほどの、可愛らしい声。
どうやら庵の主は女性のようである。
勘蔵はその声に従って、庵の扉を開けた。
「お久しぶりですね、勘蔵殿。相変わらず胡散臭い風貌で何よりです」
扉を開けた先、庵の中にいたのは年齢が十を越えるか越えないかという程度の幼気な女の子であった。
絹糸の如く細く艶やかな黒髪を肩口で切りそろえ、真っ白な肌を同じように純白色の小袖に通したその少女の容姿は、年齢的に考えて妖艶だとか清楚だとかといった評価を下すのは無理があるものの、あと数年もすればそれはもう立派な大和撫子に育つと自信をもって言えるような可憐さである。
このような美少女を前にしてか、普段は胡散臭い笑み以外を浮かべることのない勘蔵の顔も綻ぶ。
彼の名誉のために付け加えておくが、彼は決して幼女性愛者と言う訳では無い。
ただ、目の前の少女の持つ天性の純真さというか清楚感というか、そういったものが自然と対する者の敵愾心を和らげるのである。
まさに「白き魔女」といったところだ。
「其方も相変わらずだな。千代女嬢」
「わたしは二代目ですけどね」
そんな彼女の名を、望月千代女という。
武田家に仕えた信濃の豪族・望月盛時の娘で、以前勘蔵と天野景貫の話に少しだけ登場した武田家のくノ一集団『歩き巫女』の頭領である。
ちなみに二代目と言うのは彼女の母親も同じ名前を名乗っていたからであり、其方は既に現役を退き、歩き巫女の本拠地である信濃祢津村で後進の指導にあたっている。
「まぁ、再開を祝すのはほどほどにして。その様子ですと三河の調略は上手く行っているみたいですね」
「そこまででもない。国人衆はともかく、坊主共はまるで役に立たぬし。あの三河武士共、思った以上に手古摺らせてくれる」
勘蔵は三河調略の状況をかいつまんで説明する。
予定通り内乱状態に陥れることには成功したものの、今川家とそれに与する諸勢力にここまで抵抗され、目論みの半分も成果が出せていないのは流石に遺憾である。勿論彼も三河武士が弱いとは思っておらず、彼らの抵抗に遭うことなど当然予想通りではあるのだが、それ以上に手駒の出来が酷過ぎた。
当初の計画では吉田城に味方を装った兵を入れて内部から崩壊させるという謀略で攻め落とし、三河国内の今川方を恐慌させた後、ゆっくりと戦乱状態に陥った三河を一揆諸共踏み潰す手筈であったのに。
それが小原鎮実の暴走で国人衆が我を忘れたかのように一斉に蜂起し、一揆は一揆で身内同士足を引っ張り合ってほぼ各個撃破される大失態を演じる始末だ。これでは上手く行くはずがない。
予定通りに進んでいれば、今頃は長篠辺りまでは勢力下に収める事が出来ていただろうに。本当に腹立たしい。
更にとどめを刺すように、体調不良で出陣できる状態ではないと言われていた今川義元が思いがけない大軍を率いてやってくるわ、なぜか水野信元の姿がちらついているわで散々である。
まったく駿河本国にいる、とある内通者も役に立たぬ事この上ない。
まあ、しょせん「アレ」は空誓も裸足で逃げ出すような小物であるため、彼も最初から当てになどしていないのだが。それにしてはヘボすぎると言うものである。せめて情報くらいまともに寄越せ。
勘蔵は泣きたくなった。
「しかし、小原鎮実とやらもどうしようもなく情けないですね。やるなら串刺しくらいやってくれないと。見ているこっちもつまらないですよ!」
「いやいや」
突っ込みどころはそこじゃないだろと勘蔵は思った。
この幼女、見た目とは裏腹に性格は極めて悪辣なのだ。他人の不幸は蜜の味、好物は他者の破滅苦痛と公言して憚らず、趣味は他人に苦痛を与えること、破滅させることと来ている。
幾らなんでも度がすぎる。
こんな性格であるから、周りからの扱いも推して知るべし。
同僚部下である歩き巫女たちはもとより、母親をはじめとする肉親、挙句の果てには直接関わりのない筈の武田家の武将たちからも忌避されているのである。
諜報集団の長ともあろうものが、武田家の本拠・躑躅ヶ崎や歩き巫女の拠点である信濃祢津村におらず、こんな山奥のボロ屋でたった一人暮らしているというのも、母親である先代から事実上の勘当を喰らっているからなのであった。
「全く。戯れもほどほどにして貰いたいものだな。お主の満足できることなんぞ、普通の人間にそうそう思いつくわけがあるまい」
「そうでしょうか? 考えれば幾らでも思いつくものですよ。例えば鮎の塩焼きみたいに、串刺しにして城門の前に晒すとか。ああ、それに油をかけて火をつけると言うのも良いですね。松明の代わりにもなりそうですし、人間松明って憧れますよね!」
燃え上がれーティヒヒヒヒと訳の分らないジェスチャーを始め、一人で盛り上がっている千代女に対して、勘蔵は冷めた視線を送るのと同時に得体の知れぬ恐怖を感じた。
以前から知っていたことではあるが、何故この幼女はこんな考えるのも憚られるようなことを平然と口にできるのだろうか。それも笑いながら。
もはや性格が悪いだとか、残酷だとか、未だ幼いからだとか、そういった単純な言葉で表現できる次元を越えているような気がしてならない。何か人として大切なものがすっぽりと抜けている、或いは初めからそんなもの存在していないといわんばかりである。
そもそもこんな残虐無比な方法をさらっと思いつくだけでも異常である。董卓や紂王のような、伝説上の暴君ではあるまいし。いや、一応の目的があって残虐行為に及んでいただけ、彼らの方がまだましかもしれない。この幼女がそんな行動をとるのは、全てが自分の楽しみのため、もしくは暇潰しのためというまるで理解不能な理由なのだから。
彼女の母親、先代の望月千代女が彼女を遠ざけるのも理解できる。
「……人の死を愚弄するのは流石に頂けぬな」
いかに冷酷な謀略家と言えども、勘蔵とて一人の人間である。
そりゃあ計略破綻の原因を作った国人連中には文句の一つも言ってやりたい気はあるが、かといってストレス発散のためにその身内の死をネタにして大笑いするほど落ちぶれてはいない。
むしろ、その一点に関しては同情さえしているほどだ。殺された者の中には、彼の血縁者も混ざっていたのだから。
「勘蔵だけに、それはいかんぞう? なーんちゃって」
「帰らせていただく」
「わっわっ、冗談ですよ! 臍を曲げないでください」
流石に呆れて退出しようとした勘蔵を、慌てて千代女は引き留めた。
勘蔵がやってきた理由には大方予想がついている彼女ではあるが、まともな会話一つしていない状態で数少ない「友人」に逃げられては、流石の悪辣幼女も堪えると言うことなのだろうか。
尤も、彼女が勘蔵をそう評価しているかどうかは未知数なのだが。
「それで、今日は何か用がおありなのですか? まあ。大方の予想はつきますけど。どうせ三河の調査をしろとか仰るんでしょうけど」
「分っているのならなぜ止めた……」
「だってだって、つまらないじゃないですか。こんな山奥に引き籠っていてもやることなんて何もないんですから。珍しーいお客さんを簡単に逃がす訳にはいかないのです!」
この草庵に、尋ね人がやって来ることは殆どない。
ここを訪れる人間といえば、数少ない千代女の友人と事務的要因でやってくる麓の村人、あとは幹部クラスの部下などだけで、その数は片手の指で足りてしまうほどだ。おまけに、彼女はそれら僅かな人々にも避けられている。部下達は結果報告など必要最低限の行動だけでさっさと帰ってしまうことが殆どだし、それは村人とて同じことだ。友人に至っては勘蔵以外にいるかどうかすら怪しいものである。
いかに敵愾心を和らげるなどと言う美しい見た目を持つとは言え、しょせん上辺だけのもの、見せかけだ。別に人間の中身が嫌われないと言う訳では無い。
勿論それは殆ど自業自得であるので、本人もそんなことを気にするそぶりを見せることはまずないのだが、勘蔵を引き留めた辺り案外気にしているのかもしれない。
彼女の本性を知りつつも、まともな付き合いをしてくれる人間は貴重なのだ。
「まあ、わたしも三河にいくつもりでしたから。ついでに鵜殿家についても調べておきましょう」
「まだ何も言っておらぬというのに……」
ちなみに勘蔵の依頼と言うのは、以前天野景貫との会話の中で登場した「鵜殿家を中心とする三河の勢力及び各重要人物の人間関係の調査」であった。先を千代女に制された以上、彼の口からそれが飛び出ることはもう二度とないだろうが。つくづく異常な幼女である。
それにしても頭領が直々に動くとは珍しい。
「まあ、事実上の後継者である四郎様に色々と頼まれては、ねぇ……。それに、あの国には前々から興味を持っていましたから。“鵜殿さんちの氏長君”とやらにも、一度会ってみたいことですし」
ああ、そういうことかと勘蔵は納得した。
この手の人間にありがちなことに、千代女もまた未知に対する興味が強い。
おそらく、例の塩その他諸々が目の前の幼女の気を引いてしまったのだろう。
勘蔵は、標的にされた某少年当主に敵ながら同情する。
自分の策を一部崩された恨みはあれども、勝敗は兵家の常ともいう。
流石にこんな化け物を送りつけるほど憎んでいると言う訳では無いのだ。
――いや、そんな事よりも重大な事がある。
まだ見ぬ敵将に内心で憐情を送る傍ら、勘蔵は目の前の千代女と自分の認識が違うある部分に気が付いた。
――先ほど、この幼女は何と言った?
――武田家の後継者が四郎様?
話がおかしい。
武田家の後継者は庶出の四郎勝頼ではなく、嫡男である太郎義信であるはずだ。
「その顔では、まだご存じないようですね?」
認識の剥離を理解して、ぽかんと間抜け面を晒していた勘蔵に千代女が声をかけた。
どうやら、彼の内心に渦巻く疑問を表情だけで完全に読み切ったらしい。
「……つい先ほど甲斐についたばかりでな。躑躅ヶ崎にはまだ帰っておらぬ」
「そうでしたか。では、耳の穴かっぽじってよく聞いてください。一度しか言いませんからね?」
「じゃじゃじゃーん! 今、明かされる衝撃の真実! 太郎様はお館様に散々逆らったあげく、廃嫡されてヌッ殺されてしまいましたー!」
ティヒヒヒヒと一際甲高い狂ったような笑い声を上げ、千代女は文字通り爆弾を放り投げた。
それを聞いた勘蔵の顔が見る見るうちに青く染まり、今にも眼球が飛び出しそうな、そんな異形の表情に変わる。さらにそれにつられたかのように、足腰は沸騰したやかんのようにガタガタと震え、同時に頬筋も上下運動をはじめた。歯がぶつかり合うガチガチという不協音が、静かな草庵に響き渡る。
惑うことなき狼狽。
青天の霹靂、驚天動地。
爆弾は強烈であった。
旅行に出かけて帰ってきたら、家が跡形もなく無くなっていました。そんな状況である。
驚かない方がおかしい。
さらに、その中身もまた勘蔵の混乱に拍車をかけた。
廃嫡、つまり意図的な後継者の交代である。
そして、追い打ちをかけるようなその殺害である。
いかに暗殺謀殺略奪強奪政権転覆なんでもありの乱世といえども、これらはそう簡単におこることではないのだ。
後継者が余りにも無能だとか、叛乱を企んだとか。そういった理由があるならまだしも、勘蔵の知る限りそのような事実はないのだ。せいぜい義信が妻の実家(義信の正室は義元の娘)である今川家への攻撃に難色を示していたと言う程度である。だが、そのくらいならばよくあることだ。廃嫡などという大げさな話になるわけもない。
勘蔵は狼狽する傍ら、何とかコトを理解しようと僅かに残された正常な思考をフル回転させる。
だが、どれだけ考えても答えは出ない。
思考が鈍っているのは勿論のこと、彼には情報が不足し過ぎているのだ。
いかに優秀な軍師・策略家といえども、予想の範疇を大きく超えた突発的な事態には対応できないのである。
「……ぶっ壊れてますね。まあ、そのまま話を聞いてください」
そんな勘蔵を尻目に、千代女は愉悦の笑みを向けながら話を続ける。
元々信玄のやり方にあまり良い印象を抱いていなかった義信は、今川家攻撃が家中で決定されると、「信義に反する完全な裏切りである」と声高に叫び、真っ向からこれに反発。複数の家臣や国衆を巻き込んで反対活動を展開したのである。
当然、信玄としては面白くない。
彼は義信の抗弁を聞きながら、こう思った筈である。
(今川家の豊かな領国、そして駿河という海国を比較的楽に攻め取れるのは今しかないと言うのに)
海国の領有は、武田家の悲願である。
武田家の領国である甲斐や信濃は山国だ。よって、人間の生存に必要な塩を殆ど採ることが出来ず、他国からの輸入に頼るしかない。
そして、それは武田家の致命的な弱点なのである。
仮に周辺諸国が一致団結して塩の荷止めや値段の釣り上げを行いでもされたら、甲斐の領民は彼らの言いなりになるしかなくなる。そうなれば、武田家の破滅である。
だが、無事に今川家に属する海国を奪い取ることが出来れば、これらの不安に脅かされることも、実際に問題が起こって悩まされることも無くなるのだ。
勿論、他の国、例えば越後や相模でも駄目と言うことは無い。
だが、これらの国を攻め取るのはほぼ不可能だ。
越後は信玄の宿敵・上杉謙信の本拠地であるし、相模を治める北条家は武田家以上に強大だ。
さりとて越中のような甲斐信濃に隣接しない国では遠すぎ、仮に支配下に収めたとしても維持が大変なのである。
よって、この機会を逃してしまえば、待っているのは血みどろな死闘、或いは民の負担を増大させる無駄な遠征だけだ。義だの信だのという不明瞭な言葉で惑わされ、千載一遇のチャンスを逃す訳にはいかないのである。
信玄は溢れる怒りを押し隠し、義信をはじめとする侵略反対派にこの理由を説明した。
だが、彼らもそうは易々とは納得しない。
今まで盟友・縁戚として付き合っていたにも関わらず、弱体化した途端に手のひら返しをするのは幾らなんでも酷い裏切りである。せめて暫く時を置いてからにするべきだ等と反論した。
いくら理由があるとはいえ、こんな方法では、仮に侵略が成功したとしても、末代まで卑怯者裏切り者と罵られる羽目になりかねないことが目に見えているからだ。
信玄は引かない。義信も引かない。
親子は対立した。
現状を危惧した傅役・飯富虎昌が義信を諌めたが、彼は耳を貸さなかった。
彼にしてみれば、信玄に不満を持つ理由は何もこれだけでは無かったのだ。
異母弟・勝頼に対する過剰な優遇、川中島合戦における顛末等々。
思い出せば出すほどに、鬱憤が溜まっていったのかもしれない。
始めのうちはせいぜい口論討論をする程度だったのが、やがて活動が目に余るほど大々的になり、信玄暗殺計画まで噂されるようになると、相克は頂点に達して爆ぜた。
先手を打ったのは信玄であった。
暗殺計画、すなわち謀反を企んだとして、仲間と密談を繰り広げていた義信を取り押さえ、甲府東光寺に軟禁。それと同時に義信与党の徹底的な身辺調査を行い、何らかの計画の有無、噂の真偽を確かめさせたのである。
一大騒動になった。
なにせ若殿の謀反疑惑である。当然それに与したと噂される人間も、とある重臣の子だとか一門の誰かだとか、家中ではそれなり以上の地位にある者ばかりである。
調査を命じられた武将たちは何か間違いがあってはならぬと極端に慎重になり、まるで進展が無いという事態に陥ってしまう。信玄が呆れたのは言うまでもない。
そして、結果だけを言えば、義信の謀反を示す証拠は何一つとして見つからなかった。
所詮噂は噂。悪質なデマだったのである。
少なくとも義信が暗殺計画を企んでいたという疑いは完全に晴れた。
だが、信玄が彼の幽閉を解くことは無かった。
不埒な噂が発生するような義信の行動にも問題があるとして、その処遇が決まるまでの間、謹慎を命ぜられてしまったのである。
そして、既にこの時点で、彼の運命は決定してしまっていたのかもしれない。
「人の上に立つものとしての器量があるとは到底言えない。よって廃嫡とする」
数日の謹慎の後、義信に下された裁きは廃嫡であった。
確かに真っ向から当主に刃向い、家中に混乱の種を撒いたのは事実だ。
更に、明らかに「何か企んでいます」というような密談を繰り返したのにも問題があるのだろう。
だが、かといってそれらが廃嫡すると言うほどに重い罪なのかと言われると、それもまた疑問である。
信玄のこの裁定に、武田家中は大いに荒れた。
あるものはお館様の決定だからと納得し、あるものはどうしてこうなったと悲しみ、あるものは事態の大きさについていけず唖然となった。極僅かに喜んだものもいた。
三者三様に溢れ出した千差万別の感情が、まるで出鱈目に結んだ糸のように複雑に絡み合って、家中を重苦しいどんよりとした雰囲気に変える。
人間の心は強くはない。そんな空気が充満してしまえば、人々の心に不安の火が灯るのは至極当然だ。
あの人はこうではないか、この人はそう思っているのではないか等と憶測や邪推が繰り広げられ、疑心暗鬼が広がって行く。
下手を打てば、自分たちも巻き込まれて破滅しかねないような事態なのである。慎重になりすぎて困ることは何もないのだ。
そして、ついに事件は起こった。
義信の家臣たちで「義信衆」と呼ばれていた新鋭の若手武将たちが、信玄打倒と義信擁立を掲げ、義信が軟禁されていた東光寺を襲撃しようとしたのである。
その数八十騎。
彼らは人知れず怒りと焦りを感じていたのだ。
当然である。
自分の主君が謹慎させられた挙句一方的に廃嫡され、寺に押し込められてしまったのだから、こんな理不尽な仕打ちを受けて、黙ってなどいられるはずがない。
それに、このまま義信に何かあれば彼らとて無事では済まない可能性が高いのだ。
義信の側近として家中で扱われていた以上、間違いなく自分たちも連座して何らかの処分を受ける。出自の貴賤や家格の良し悪しはあるとはいえ、彼らの殆どが義信に恩を受けた人間なのである。座してその時を待つよりは、最期に今までの恩義に報いて潔く散るべきだと考え、義信の救出と、そして諸悪の根源とみなされた信玄を排除すると言う行動に出ても何一つとして不思議では無かった。
皮肉なことに、義信とその周りが謀反を企んだという悪意ある噂が現実となってしまったのである。
しかし、そんな計画が実行に移されることは無かった。
いざ襲撃を実行しようとした矢先、あらかじめ動きを察知していた信玄によって、彼らが拠点としていた甲府の某寺を包囲され、刀折れ弓矢尽きる抵抗の末、全員が討ち死にしてしまったのだから。
あまりにも悲惨で、そして悲しい出来事であった。
そして、そんな事件が起こってから数日後。
義信は、幽閉されていた東光寺でその一生をひっそりと終えた。
死因は自害。
後継者から外されたことに対する悲嘆からなのか、父親には及ばなかった自分への呵責からなのか、今川家に対するせめてもの謝罪のつもりなのか。
理由は分らない。
ただ、はっきりと言えることは、義信の死によって今川家と武田家の縁戚関係が途切れ、義信室であった義元の娘が駿河に送り返されること。そして、彼の死そのものに、武田信玄本人はまるで無関係だと言うことである。
――これが千代女の語った、通称「義信事件」のあらましであった。
「馬鹿な……。拙者が甲斐を発つ頃には、そのような噂などまるでなかったと言うのに」
ようやく再起動した勘蔵が、そんなことを言った。
「物事は不変ではないと言うことですね。どれだけ安泰、平穏に見える事でも、ちょっとした変化で根本から崩れ去ってしまうということもあるのですよ」
盛者必衰、おごれる人も久しからず。
どれだけ栄華を誇り、栄え狂っていれども、失われる時は一瞬である。かつての平家のように。
世の中には不変なものなど何もないのだ。どんなに頑丈に積み上げられたものでも、致命的な綻びが生じれば、そこから雪崩を打つように、ちゃぶ台をひっくり返されるように容赦なく崩れ去ってしまう。
そして、それは武田家も同じだということに、千代女は気づいている。
いかに精強な兵卒、強力な軍備、優秀な人材に支えられていようとも、何時何時それらが泡沫のように跡形もなく消え去ってしまうかわからない。しかも、それが「家」という曖昧な範疇で括られているものなら尚更である。
それでも、当主信玄という柱が健在で、彼によって家中がしっかりと纏められているうちは大丈夫だと断言できる。
だが、もし彼の身になにかあれば?
どれだけ統治者、大名として人並外れた力を持っていても、彼もまた人間である。いつまでも武田の支配者として君臨できるわけではないのだ。
長男である義信が死に、次男が出家、三男が天逝してしまっている以上、次の後継者は間違いなく四男である勝頼になるだろう。
しかし厄介なことに、信濃の豪族である諏訪家に現在進行形で養子入りしている彼は、重臣たちからは武田一門ではなく、外様家臣同然の扱いを受けているのである。
仮に信玄の死後、勝頼が当主となったとして、自分と同格、あるいはそれ以下だと見做していたものに上に立たれるということを、その重臣たちが認めるとは到底思えない。
信玄が自分の死の前に、勝頼を次期当主とする体制を作り上げてくれれば、別にこのままでも問題はないかもしれない。
いくら勝頼を見下している老害達でも、表立って信玄の遺命に逆らうことは出来ないだろうから。
だが、それはおそらく望めまい。
この手の英雄にありがちな事に、信玄もまた、自分と自分の造り上げた軍団の力を絶対視して、後継者をまともに決めずにぽっくりと逝ってしまう可能性が高いのだ。
つまり、信玄が死去した時点で武田は詰んだも同然である。
そして、その後は悲惨であろう。
自動的に新当主になった勝頼を老害たちは若造であることや力不足を理由として認めず、両者は対立。
彼はそんな汚名を返上するために我武者羅に働いて功績を上げるが、老害はそれすらも認めないどころか「信玄様はこうだった、信玄様ならああした」と既に過去の物となった人間の栄光を引き摺り讃え、さも勝頼が間違っているかのように振る舞うのだ。
後世で言うところの、ダブルスタンダードという奴である。
やがて、本当に追い詰められた勝頼が致命的なミス――あくまでも例えだが、倍以上の兵力を持ち、鉄砲や大砲などの近代兵器で完全武装した敵軍に突っ込んで大敗。兵の半分以上を失う――を犯し、そのまま立て直しが不可能な状態で大勢力の侵略を招いて武田家は滅亡……。
お先真っ暗である。
そんな未来を危惧していても、千代女がそれを口に出すことは絶対に無い。
自分の主家の苦境や滅亡ですら、この性悪幼女にとっては自分の舌を楽しませる甘ったるい水菓子、乾いた喉を潤す爽やかな飲料でしかないのだから。そんな豪華なものを味わえる機会を、自分からふいにするようなことをする訳がなかった。
「それはともかく。もうこんな時間ですね。戯れはこのくらいにして、わたしは色々と準備をしなければなりませんので。本日はこれで」
突然話を変えた幼女である。
自分から勘蔵を引き留めておいた癖に、用事が済むと一方的に追い出そうとするのは如何なものか。
「……くれぐれも夜盗の類には気をつけておけよ」
失礼なと思いつつも、勘蔵はバカンス気分で鼻歌を鳴らす千代女に警告を告げる。
中身はともかく見た目だけは良い幼女である。人攫いの類に目をつけられて、悲惨な目に遭わされないとも限らない。
「そんなものに私が遅れを取るわけないですよ。むしろ返り討ちにしてボロ雑巾にしてやります」
どうも心配は不要だったらしい。
狂気の少女は嘲笑うかのような笑顔を向けて、ただ一人の友人にそう騙る。
彼女の目に光は無い。
まるで亡霊のような、感情の籠っていない瞳を勘蔵に向ける。
そして、一言。
「ぐちゃぐちゃに掻きまわしてやるのが私の楽しみなんですから。……邪魔しないでくださいね?」
天真爛漫な笑顔を向けて、「千代女」は微笑んだ。
かんぞうは にげだした !
こうして、様々な不安と期待(笑)をばら撒きながら、頭の螺子のは外れた幼女が甲斐を発つ。
彼女の手によって齎されるものは何なのか。
それを知る者はまだ誰もいない。
さて、ここで残った最大の疑問がある。
義信失脚の原因となった暗殺計画のガセネタをばら撒いた者。
いわば黒幕、或いは元凶と言うべき存在は、一体誰だったのだろうか。
そして、本当に義信の死因は「ただ」の自害だったのだろうか。
これらの疑問を件の幼女にぶつけてみれば、きっと彼女は笑顔でこう言うだろう。
「……世の中には知らない方が良いこともあるのですよ」
つまりは、そういうことである。
文章力が足りない。
本格的に勉強しようかな……?
2016/5/5…千代女ちゃんのセリフをちょっとマイルドに修正。