三国同盟破れたり!
前回の投稿から早一か月……。
大変遅くなってしまい申し訳ありません。
「くそっ、ここで武田か!三国同盟はどうしたっ!」
「むむむ、不覚でしたな。まさか使者の一つも送らずに敵対行動を起こすとは!」
「強欲な信玄坊主の考えそうなことです!」
兄貴や、それを支える重臣たちの悲鳴が陣中に響く。
さもありならん。
同盟を結んでいた筈の武田家の旗をもった兵が、突如として奥平領から現れた。
これが意味するところは一つだけ。
――甲駿越三国同盟の事実上の崩壊。
――そして、今回の叛乱の裏で武田家が糸を引いていたと言う真実。
俗に言う善徳寺の会盟によってこの同盟が結ばれてから十年あまり。
名軍師・太原雪斎がその全力を注いで築き上げた同盟は、武田信玄と言う斜め上男の陰謀によりあっけない崩壊の時を迎えてしまった。
戦国時代の盟約としては中々長期間働いていたものだと思うが、やはり『あの』武田信玄を抑え込むには少々力不足であったようだ。
「今川の大殿にはっ!?」
「早馬は飛ばしましたが……」
先ほどから忠次殿やら元忠殿やら、経験豊富である筈の武将が顔面を蒼白にして押し問答を繰り広げている。彼らも未だに混乱が収まっていないのだろう。
本来ならば陣中の将をまとめなければならない筈の人たちが何をやっているんだ、と突っ込みたくなってくるが、俺も人のことは言えない。
面にこそ出していないものの、内心では冷や汗だらだら。
今からすぐにでもこの陣を引き払って上ノ郷に引き上げたいくらいだ。
もと現代人である俺にとっては、武田と言えば戦国最強、すなわち死亡フラグである。
三河人、そして今川家や徳川家に所属する立場である以上、何れ戦わなければならない相手だと言うことは分かっていたが、こんなに早く交戦の機会が巡ってこようとは流石に思わなかった。
甲斐・信濃両国を治める武田家、そしてそこの首領・徳栄軒信玄。
言わずと知れた戦国時代を代表する英傑にして戦国大名。
『風林火山』の軍旗を用い、無敵の武田騎馬軍団を率いて敵対者を蹂躙しつくした通称・甲斐の虎、武田信玄。
そして、新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏の棟梁として、鎌倉以来甲斐に土着し続けてきた武田氏とその家臣団。
飯富・山県の赤備え、小山田の投石部隊、真田忍軍、戦国三弾正やら二十四将やら四名臣やら。
どいつもこいつも、この時代一流の能力と戦力を持った集団だ。
ああ、某ゲームで信玄軍団のチート能力とインチキ効果に泣かされた記憶がよみがえる。
一撃で一万人近くも兵を削るとか人間業じゃないだろう、アレは……。
「帰参してよかった帰参してよかった帰参してよかった……」
そんな未来の記憶の欠片(しかも架空)はさておき、俺の隣でブツブツと独り言をぼやいている青年が一人。
調略によって徳川家に帰参してきた鳥居元忠殿の弟、忠広殿である。
なんでも親族(父と兄)が徳川方にいることで、一揆主導者たる坊主共からは腫物扱いされていたらしい。
そんな状況に嫌気が差し、何よりも主家との忠誠心と信仰の狭間で揺れていた彼は、同じく徳川家の縁戚で坊主共に疎まれていた戸田忠次殿と進退を計り、俺や家族からの手紙を受け取ったこともあって、自らと忠次殿の手勢数百人と共に、無事に帰参を果たしたのであった。
「あとわずかな間でも一揆側に留まっておれば、主家の危機を放っていた男として末代まで恥を残すところでございました。三郎殿、機会を与えて下さった事に感謝いたしますぞ……」
俺が隣にやってきたことに気づいた忠広殿が、神妙な顔をしながら深々と頭を下げる。
彼の顔面には、忠吉殿と元忠殿に食らったらしき鉄拳制裁の跡が痛々しく残っていた。
「……此度の件で拙者も目が覚め申しました。あの坊主共、信仰云々と大それたことを言っておきながら、自分たちは何もしませぬ。それどころか、平門徒同士の対立を煽るようなことまでやっておりました」
THE生臭坊主。
今は亡き蓮如さんが見たらブチギレること間違いなし。
恐らく三河一向宗のトップに立つ坊主共は、寺が直接差配する権益を拡大するために、邪魔になりそうな武士や豪農といった有力者たちに争いの火種をばら撒き、消耗させたところを『御仏の慈悲』とか言って彼らの財産や権力その他を完全に教団の管理下に置いてしまう心算なのだろう。
醜悪ここに極まれり、という奴である。
「このまま坊主共の醜態が続けば、何れ一向宗は内部から崩れ始めるかも知れませぬ。その時が、奴らに引導を渡す最大の機会でございましょうな。勿論、一人の門徒としては悲しくはありますが……」
忠広殿は俯きながら、大きなため息を吐いた。
俺では彼の悲痛を計り知ることは出来ないが、彼が一揆に加担した理由は、正真正銘信仰心からだったと聞いている。前述のような俗世にまみれた坊主の悪行を目にして、彼の信仰心は急激に低下してしまったのかもしれない。いや、門徒云々と言っているあたり、仏様自体、そして親鸞上人への信仰心は残っているのだろう。だが、三河の一向宗、そして本願寺教団自体に対する畏怖の念は間違いなく消え去っている。
少々不謹慎かもしれないが、このまま坊主共の暗黒面が累々暴露され、彼のような人物が大量発生してくれることを願うばかりである。
……というか、皮肉だよな。
坊主共が己の利益に固執して、陰謀を巡らせば巡らすほど、その偽善と言う本質に気付いた理性ある人物が一揆を離れていくことになろうとは。
まあ、史実でも一向一揆(と本願寺)なんて内乱ばかり起こしているものだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
加賀一向一揆の内乱である大小一揆しかり、越前一向宗の内乱しかり。
蓮如上人の血を引く兄弟たちが、教団内の利権分配に不満を漏らして争ったという享禄の錯乱。
そして極めつけに、東西両本願寺への分裂。
此処まで来れば、もはや宗教ではなく一つの政治勢力と言ってもよい。
しかも、教団内だけで争うならいざ知らず、こいつらの場合は無関係な大名家まで巻き込んで戦火を拡大するので尚更性質が悪い。
おまけにその原因が分裂・分派といった宗教的なものでは全くなく、お寺の権益に関わるようなものばかりだと言うのもまた凄まじい。
「一向宗の安心は弥陀如来の本願にすがり一心に極楽往生を信ずることにある」とか言ったところで、それを率先して行わなければならない筈の坊主は、結局目先の利益に囚われ過ぎているということだろう。
あー、だめだ。また愚痴っぽくなってきてしまった。
それはさておき、こういった一揆内の情けない事情も踏まえて、再び調略の手を伸ばしてみるのも良いかもしれない。
武田家と今川家が事実上の敵対状態に陥ったことは、あちら側の三河武士にもいずれ伝わる事だろうし、それに危機感を覚えた彼らが少しでもこちらに戻って来てくれるかもしれない。
主にもともと忠誠心が厚いっぽい奴ら、夏目吉信だとか渡辺半蔵とか。あの辺りが。
寝耳に水だった武田の侵攻だが、それによって一揆に加担した松平家臣団がこちら側に戻ってくると考えれば、不幸中の幸いと言えるだろう。
……そういえば、一揆リーダーの人となりとか、あんまり聞いたことが無いんだよなぁ。
空誓とかいう坊主だってことは知ってるけど、こいつの実績とか人格とかまるで噂にならない。
ついでに聞いてみようか。
「ふむ、空誓どのについてですか。蓮如上人の孫という話を聞いたことがありますな。最も、本当かどうかは分りませぬが」
蓮如の孫ね。
本願寺教団の中では崇められる立場の人間なのだろうが、一揆の内情を耳にした身としては、何の感慨も抱かない。只の俗物坊主だろう。
問題なのは、やつらが国外の勢力とつながっているかどうか、だ。
空誓自体は威張り散らす以外には何のとりえもない坊主だとしても、こいつが持っていると思われる人脈は、どれだけ警戒しても足りない。
最悪、国外――特に織田家や武田家――から援助を受けている可能性も視野に入れなければならないのだ。
「四郎左衛門(忠広の通称)殿。その空誓の一揆前の動き、わかる範囲で良いので教えていただきたいです」
「うーむ、難しいですな。あまり表に出ず、人付き合いの薄い方故、詳しい事は存じ上げませぬが。噂程度で良いのなら……」
「お願いします」
「承知いたしました。少し前のこと、それこそ蜂起直後のことですが、山本と名乗る山伏が寺院内を徘徊していたことがあったそうでしてな。不信に思った同僚が問い質したところ『自分は空誓の客人で、しっかりと滞在許可を得ている。だから問題ない』と申したそうで。厳戒態勢の寺に怪しい山伏、しかも前述の通り、空清殿は余り人を寄せ付けぬお方故、何故こんなのがいるのかと皆不思議に思っていたそうでございますよ。もっとも、拙者はその場には居らなかった故詳しいことは分りませぬが」
「……」
山本?
山本さんなんて日本各地を巡ればそこらじゅうにいるが、三河で山本、それも一揆のリーダーと直接会話できる存在といえば、牛久保六騎の山本家くらいしか出てこない。
平安時代中期の鎮守府将軍・源満政を祖とし、現当主・光幸から数えて数代前に駿河に土着、今川家に仕えて三河賀茂郡内に所領を与えられたという歴史を辿った家である。
日本の歴史上で有名な人物と言えば、幕末の越後長岡藩家老・山本帯刀義路、昭和の連合艦隊司令長官・山本五十六(ただし養子)あたりだろう。
……そういえば昔大河ドラマで見たような気がするが、あそこって、確か山本勘介の生家だっけ?
ま さ か
やられたっ!
一向一揆と武田はグルだっ!
「三郎、殿は任せたぞ」
「お任せください」
勝蔓寺近くの陣を引き払い、岡崎に向かう徳川本隊に別れを告げる。
今回の撤退戦における俺の役割。それは『殿』である。
殿。殿軍ともいう、早い話が軍隊の最後尾だ。
進軍時ならば大して危険な役割でもないが、撤退時ともなると話は別。
敵の追撃を防ぎつつ、味方の後退をサポート。尚且つ自らも戦いながら後退という難易度の高い指揮をとらなければならず、合戦において最大の危険度を持つ任務と呼ばれているほどだ。
その難易度の高さから無事に生還できればこれ以上ないほどの名誉・戦功とされるものの、当然生還率は非常に低い。
ん?なんでそんな危ない役割を引き受けたかって?
本当に武田軍が接近していた場合、連中の相手は徳川軍の精鋭部隊じゃないと難しいと考えたのだ。
つまり、俺がここでゾンビ共を相手にして時間を稼いでいるうちに、兄貴たち徳川本隊に武田軍を撃退してもらう、という寸法である。
俺の肩には荷が重すぎると思わないでもないが、幸い徳川家からのサポートも付き、未来知識を元にした策もいくつか考えてある。岡崎城とも離れていない(直線距離で5キロ程)ので、何とかなると信じたい。
「三郎には苦労ばかりかけてる気がするが。済まんな……」
「いえ、お気になさらずに。本多一家と小平太もいます。何とかなるでしょう」
そんな謝罪を繰り返す兄貴を岡崎に送り出し、今回の殿を共にすることになったお馴染みの面々と簡易軍議を行うために、俺はその場を後にする。
ほんと、どうなる事やら……。