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愚者の末路

架空人物に関しての御意見、感謝いたします。

いろいろ悩んだ結果、「歴史的資料をもとにして作者が造り上げた人物」をサブヒロインにすることにいたしました。

登場はしばらく先になりそうですが、どうぞ応援宜しくお願い致します。

 


「拝啓、鳥居四郎左衛門とりいしろうざえもん(忠広)殿。一揆の冬、どのようにお過ごしでしょうか……」

夏目次郎左衛門なつめじろうざえもん(吉信)殿、蔵人様(元康のこと)が、貴殿の顔が見られないと嘆いておられました」


 徳川軍が出陣して人気の少なくなった岡崎城の館内で、俺はお手紙を書いている最中である。

 宛先は鳥居元忠殿の弟・忠広殿他、一揆側についた徳川家臣の内で、俺と面識のある者たち。

 ただ留守番をしているだけというのもアレなので、忠誠心と信仰との狭間でぎこちなくなっている彼らに対して此方から揺さぶりをかけ、調略してしまおうと言う訳である。

 流石に俺の手紙だけでは無意味かもしれないが、今回はそれに加えて、それぞれの親兄弟や友人からの手紙も同封して送りつけることになっている。兄貴から「今回の謀反の罪は問わない。悪いのは扇動した坊主共である」という史実同様の裁定を得ていることもあり、効果が出ることを期待したい。

 史実でも一揆側から徳川方に寝返った人物は存在している。今回も大暴れして帰って来るであろう忠勝達に武功で負けない為にも、上手く行ってほしいものである。

 ……そろそろ知略面での活躍もしてみたいし。


「えーっと。鳥居忠広、夏目吉信、渡辺守綱、蜂屋貞次……こんなものか?」


 書き終えた手紙を、宛先ごとに分別していく。

 書洩らしは多分無いと思うが……。

 ああ、そういえばあのナマズ髭とその弟を忘れていた。

 後々徳川家の参謀として大活躍する筈の男だが、この時代では影が薄いのだ。


「さっさと戻ってきやがれ鯰髭 鷹匠たかじょう……っとこれでよし」


 うん。これで終わり。

 あとは各武将に向けて発送するだけだ。

 流石に彼ら全員の居場所は詳しく分らないが、その辺りは半蔵率いる伊賀者軍団が探し出してくれるはずである。

 まあ、殆どの武将は三河三寺や鷲塚に詰めているのだろうが。


「三郎!三郎はいるか!」


 書き終わった手紙を纏め終わって一息吐いていると、ドタバタと言う騒がしい足音を立てて伊忠殿が駆け込んできた。

 何やら興奮しているようで、顔面に赤みがかかり、凄まじい鼻息を立てている。

 折角のイケメンが台無しである。


「おう。ここにいたか!ゾンビどもに動きがあった。奴ら、懲りずに此処(岡崎)に攻め込んでくるらしい」

「やっぱりきましたか。それで兵の方は?」

「ああ、招集はかけておいた。すぐに集まるだろう……っと、こんなのんびり喋っている場合じゃなかったな」

「はい。直ぐに動きましょう」


 急いで鎧に着替え、兵が集まっている大手門の前に向かう。

 そこにたむろしていた徳川家臣の話を聞いて、一揆勢の詳しい動きが掴めてきた。

 予想通りと言うべきか、此処から南すぐにある勝鬘寺の一揆勢が岡崎を狙う動きをしているらしい。

「本隊がいなくなった隙をついて」というやつだろう。

 軍の規模はそれほど大規模ではない、という話を聞く辺り、連中は十中八九油断している。


「全く、舐められたものですな」


 俺と同じく話を聞いていた新平が、そんな愚痴を漏らした。

 俺も同意見である。

 徳川本隊には劣るだろうが、俺ら鵜殿兵の強さも舐めてもらっては困る。

 こういう時のために、一丸となって訓練やら何やらを繰り返してきたのだ。

 寄せ集めのゾンビ如きに負けて堪るか。


「よしっ、出陣だ。ゾンビどもなど恐るるに足りぬ。我らの強さ、奴らに思い知らせてやろう!」

『おーっ!』






 ~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~






 徳川本隊が上野城を果敢に攻め立て、氏長達留守番部隊が岡崎城近辺で一揆勢との戦闘を行っている頃、国人連合数千の兵に包囲されている吉田城は、いよいよ陥落の危機に立たされていた。

 有事の際に出城として機能するはずだった二連木城の戸田重貞とだしげさだが敵に回ったお蔭で、吉田城はほぼ完全に孤立。城兵の必死の抵抗もむなしく、呆気なく包囲陣を構築されてしまう。

 さらにその陣を拠点にした猛攻によって城内の士気・兵力は順調に低下。防衛戦略の一環を担っていた豊川と朝倉川の守りも、諸城との連携を経たれて完全に包囲された今となっては邪魔でしかない。

 更に、本来ならば真っ先に救援に動くはずの田原城は守りに徹して動かず、伊奈城の本多氏、長沢城の小原鎮宗おはらしげむねは奥平氏の軍勢と交戦中、敵襲を撃退したばかりの牧野・真木の両家には他者を援護する余裕などない。

 夢も希望もない悲惨な日々が続き、既に防衛線は壊滅状態であった。



 本来ならば今川家の重要拠点であり、様々な防御設備に守られたこの城が、僅かひと月程度でこれほどまでの危機に陥ることなどありえない。

 ここまで追い詰められたのは、突然の敵襲でまともに兵が用意できなかった、先の敗戦で戦力が低下していた等の理由が考えられるが、やはり最大の原因は小原鎮実であろう。

 この男を激しく憎み、今にも討ち取らんとして気炎を上げ続ける国人衆とその郎党達にとっては、土塁城壁や櫓程度の防衛システムなど、無きに等しいものなのである。


 そして、鎮実の人望の無さは、敵ばかりでは無く味方にも深刻な影響を及ぼした。


 彼の指揮下で戦死することを嫌った一部の兵たちが、連合側に投降を始めたのである。

 ここまで来ると、最早城側の崩壊は止められない。

 次々と現れる内応者・投降者によって城の無防備な部分が暴露され、次々と郭が陥落、それに伴って戦死したり、逃げ出したりする兵も増殖した。

 負が連鎖し、次から次に爆発。今川方を目に見える速度で追い詰めていく。


 そして、ここまで追い詰められた小原鎮実は、再び愚行を繰り返した。

 遠江方面に来ているであろう本隊に駆け込み、救援を要請するという名目を恥かしげもなく掲げ、吉田城からの単身逃走を図ったのである。勿論、味方には無断で。


 ……だが、天は彼に味方しなかった。


 山本光幸の陣を夜陰に紛れて抜けようとしている最中、光幸本人に発見された彼は呆気なく捕えられ、その翌朝、仇討に燃える国人衆一同によって、嘗て彼自身が人質を処刑した龍枯寺りゅうたんじの境内で斬殺されてしまった。

 誇りはおろか、職務すら投げ捨てて逃走した男の、まことに呆気ない最期であった。

 その死を聞いた城兵が漏らした言葉は「ざまあみろ」の一言だったと言う。

 ……田原や牧野氏の軍勢が動かず、氏長が吉田城を事実上見捨てたのも、武田の調略や三河の情勢とは関係なしに、すべてはこの男の愚かさが原因だったのかもしれない。



 だが、彼の死は逆に吉田城の結束を高める結果となった。

 嫌な上司が消えたことで一発奮起した城兵は、鎮実の副将格であった稲垣氏俊いながきうじとしを臨時の大将に据えて徹底抗戦。氏俊自身の見事な采配も相まって、鎮実が守将であった時と同じ軍勢とは思えないほどの動きを見せた。

 この点に関してだけ言えば、連合軍の行動は裏目に出てしまった、と言っても良いだろう。

 最終的に、吉田城は守将こそ失ったものの、半月後には二連木城を落とした今川義元自身を迎えることに成功したのである。仇敵であった鎮実を討ったことで連合軍の方も士気が上がっていたが、救援を信じて戦い続けた吉田城兵の粘り勝ちといった所だろう。


 そして、今川本隊の三河着陣とほぼ同時期に、徳川本隊は上野城とそれに隣接する諸城の殆ど攻め落とし、岡崎から挙母にかけての西三河北部をどうにか平定することに成功する。そして、氏長の調略によって戸田忠次とだただつぐ鳥居忠広とりいただひろ両将を始めとする一部の武士が一揆を見限って徳川方に戻り、僅かながら、情勢は今川有利に傾き始めたのである。




 だが、彼ら今川家の人間は気づいていなかった。

 今回の騒動の背後にいる、巨大な黒幕の存在に。


 ――甲斐の虎・武田信玄が三河に牙を剝くまで、あと少し。



この作品では散々な扱いの鎮実ですが、史実では国人衆に負けることなく大活躍しております。

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