良かれと思って只今参上
一向宗ハザード
上ノ郷を経由して西に向かう俺たち鵜殿家と深溝・五井の両家の兵は、ちょくちょくと現れる一向宗門徒の小勢を返り討ちにしつつ、岡崎への道を急ぐ。
途中通行の邪魔になる寺院を幾つか攻め落としているが、大した犠牲は出ていない。むしろ、逆に士気を高めるのに貢献して頂いた。
大した規模の無い末端の寺だったため、当たり前と言えば当たり前なのだが、これで一向宗の勢いが多少なりとも弱まり、徳川にとって追い風となってくれれば幸いである。
「しかし、思ったより簡単に勝てましたな。一向一揆も大したことが無い」
「末寺だったからでしょう。三寺の本隊は途方もなく強大であると聞き及びます」
余裕綽々な台詞を口にした輝勝殿を軽く咎める。
今回の一揆の中心である 三河三ヶ寺――野寺本証寺・佐々木上宮寺・針崎勝鬘寺の三寺――は、蓮如直々の布教によって本願寺に転属した、三河における一向宗の最大拠点であり、いわば聖地でもある。そんな連中であるから、当然抱える門徒の数も多く、その総数は数千にも及ぶ。
当然徳川家臣にも連中の門徒であるという人は多く、今回大量の家臣が一向宗側に流れたのもそれが最大の原因だったりする。
「守るべき主を守らず、よりにもよって刃を向けるとは。不忠これに極まれり、ですな」
「……」
輝勝殿が、そんな家臣たちを馬鹿にするように吐き捨てた。
それを聞いた政信は何とも辛そうな顔をしている。
最近忘れがちだが、彼も一応徳川家の人間。流石に元同僚とは刃を交えたくは無いのだろうか。あるいは、彼らの不忠に言葉にならない感情を抱いているのかもしれない。
「小太夫、大丈夫か?」
「……はい。御心配をおかけして申し訳ありませぬ。少々思う所がございまして」
「……小太夫殿、わしの発言が気に障ったのなら謝ろう。曲りなりにも、お主と奴らは同僚であったな。少々配慮が足りなかったようじゃ。済まぬ」
「いえ、筑前守殿のせいではございませぬ。実は、一揆の中には気心の知れた者も混ざっておりまして。色々と悩んでおりました……」
政信は項垂れる。
……成程ね。後世においても『徳川家を二分した』なんて言われる一向一揆だ。そりゃあ親友と敵味方に別れて争う、などと言うこともあり得るだろう。現に俺が駿府時代に知り合った家臣の何人かは一揆に加わったらしいし。
正信とか正信とか正信とか。
俺も忠勝や康政(亀丸のこと。元服した)と戦う事になったらさぞ悩むことだろう……。
まあ、幸いこの二人は一揆発生に伴って別の宗派に改宗したらしいので、その心配はないが。
しかし誰なんだろうか。特に根拠がある訳でも無いのだが、蜂屋貞次や夏目吉信辺りか?
「その者の名を聞いてもいいかな?」
「はい。三河長良の住人で、岸孫次郎教明と申す者にございます。拙者とは大変古い付き合いでございまして……」
うーん。聞かない名だ。
大身旗本や譜代大名にはそんな名前の家は無かった筈だ。
だとすると……一揆で没落したか、幕府成立までに継承者が絶えたかのか。
改姓した、ということも考えられるが……。
うーむ。わからん。
二一世紀にいた頃、もう少し勉強しておけばよかった、と今更ながらに後悔。
一応、歴史ヲタクを名乗ってはいたが、どうやら知識に歯抜けがあったらしい。忘れているだけかもしれないが……。
「まったく、折角美人の嫁さんを貰って、息子まで生まれたと言うのに……」
「ふーむ」
俺の愚考とは裏腹に、政信と輝勝殿の世間話は続いている。
昔の思い出話やら、岸教明という人物の人となりについて、色々と語っているようだ。
「烏賊のような兜を被っておりましてな。その由来と言うのがまた……」
「ほうほう。それはまた面白い」
この二人、中々馬が合うのである。よく上ノ郷城内で手合せしているのを見かけるし、宴会等では大体席が隣同士だ。年齢でいえば輝勝殿の方が一回り程上なのだが、お互いに武人として通じるとことがあるのだろうか。
何にせよ、上に立つ身としては、仲が良いのはありがたい事だ。家中の火種について心配しなくても良いわけだし、戦場での連携も上手く行き易い。
うん、満足満足。
それにしても、おっさん二人が馬上で世間話をしているというこの光景は、中々シュールなものだ。
「さて、そろそろ岡崎も近い。物見が戻ってくる頃ですな」
輝勝殿がそう言った直後のことだった。
御注進、御注進と大きな声を挙げて、先に放っていた物見が戻って来る。
何やら大変慌てている様子だが……。
「ぜぇ、ぜぇ……」
「どうした!」
「も、申し上げます。お、岡崎城が、お、岡崎が……」
!?
まさか落ちたか?
いや、そんなことはない筈だ。あってたまるか!
「敵の軍勢に囲まれておりまするっ!」
~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~
岡崎城。
言わずと知れた徳川家康生誕の城にして、徳川家の本拠、そして三河の中心地である。
そんな城を囲む一向宗門徒の軍勢を見て、内心で静かな恐怖を抱く。
戦国史を調べた事がある人ならば、一度は聞いたことがあるだろう『進者往生極楽 退者無間地獄』というフレーズが書かれた軍旗。よく分らないお経の旗。鍬を振り上げる農民兵と思わしき者たち。その他諸々。
俺が以前戦った雑魚一揆とは違う。
古の黄巾の乱もかくあれり、という雰囲気で、数多の戦国武将たちを苦しめた、本物の一向一揆が、そこ
には存在していた。
――此処まで窮地に追い詰められていたとは思わなかった!
確かに史実において、一揆勢は徳川軍を何度も追い詰め、一時は岡崎城ギリギリのところまで迫っている。だが、それは一進一退の攻防の途中だった筈だ。一揆発生から未だひと月経つか経たないか、という時期に岡崎が攻められているというのは、流石に予想外の事態だ。
何か問題でも起こったか?
「あの旗印は酒井将監のものですな」
「あの我欲男か」
どうもこの軍勢の将は、強欲男こと酒井将監忠尚であるらしい。
……大将があいつと言うことは、何故岡崎が攻撃されたのか。理解できるような気がする。
こいつの本拠・上野城と岡崎城は案外近い。元々筆頭に近い家臣だったこともあり、城内の構造を知り尽くしているとも考えられる。(少なくとも忠尚にとっては)攻めやすい、と考えられられたのかもしれない。
そして、その動機の方もほぼはっきりしている。
酒井忠次殿に、酒井家総領の座を事実上奪われたことに対する不満。自身を重用しない兄貴への不満。
元々野心家で強欲なあの男のことだ。
大方、この機会に徳川本家を排除して、自身が西三河の国主になろうと企んだのだろう。
そもそも、信仰によって一揆についた他の家臣たちとは異なり、こいつは我欲で行動しているのが丸分りなのだ。一揆に加わった松平家の元家臣たちは、戦闘に参加する以外では目立った行動を起こしていないのだが、こいつは開始当初から精力的に徳川家の直轄地や岡崎方の家臣の知行地を攻めまくり、次から次に自身の領地に加えているらしい。ようは合戦と言う名の横領を繰り返しているのである。
……野心剝き出しで動機バレバレな事この上ない。
「さて、いかがなさいますか。三郎殿。いずれ、わが軍が接近していることにも気づかれてしまうでしょう。できれば、存在が知られぬうちに何とかしたい所でありますが……」
「できれば城方と挟撃を行いたいですな」
岡崎城を囲む兵の数は、実はそれほど多くは無い。
うちの援軍と城内の兵を合わせれば、撃退できない数ではないのだ。
むしろ問題はどうやって援軍が来ていることを知らせるか、だ。
狼煙を挙げれば敵にも存在がばれてしまうだろうし、かといって伝令を放り込む余裕はない様に見受けられる。
包囲を強行突破するのも手だろうが、それをやれば犠牲が大きくなってしまう。これから一向宗門徒との死闘が待ち構えている以上、無駄な損害は避けたいのだ。
「……夜陰に乗じて、城に使者を送りますか」
「ですが、それが出来る人は限られてきますな。松平殿か、あるいは三郎殿か。御両者共に御大将であることを考えると、おいそれと手が出せるものではございませぬな」
「ここは、拙者にお任せ下され!」
そう言って叫び声を上げたのは、政信であった。
「お忘れかも知れませぬが、拙者はこういう時のために徳川様より遣わされたもの。今働かずして、いつ働きましょうぞ」
「だが、大丈夫か?あの敵中をほぼ一人だけで突破しなければならないんだぞ?」
政信の武勇の程は身近でそれを見てきた俺が一番よく知っているが、それでもあれを突破するのは流石にきついと思われる。
「武勇には自信がありまする。それに、何も戦わなくても良いでしょう。ようは城側に接触できれば良いのですから」
「……」
「何卒、何卒ご許可を」
政信が頭を必死で下げる。
……覚悟はできているのだろう。
正直、彼を失うことになったら、と思うと気が気ではならないが、ここで足踏みしていても何も始まらない。
よし。
「分った。行くがよい。ただし、無理だと悟ったらすぐに引き返してくれ。こんなところで武勇の士を失いたくはないからな」
「感謝いたします!」
その日の夜。
小さな松明の明かりと薄い月の光によって照らされる敵陣を、一揆兵に変装した政信は歩いていた。陣中は静まり返り、聞こえてくるのは夜番の兵の僅かな喋り声と、北風の音だけ。
そんな一種の寂しささえ感じる陣中を、彼はひたすらに外に向かって進んで行く。
氏長からは、決して命を粗末にするなという命令を受けている。それゆえ、目指すのは全く気取られず、この陣を突破すること。難題である。
歩くこと数刻。陣の最外までたどり着き、突破しようとした政信は、その出入り口を守っていると思わしき、二人組の番兵に呼び止められた。
「なんだ、あんた。抜け駆けは厳禁だべ」
「んだんだ。もう少し待っててくんろ」
「なに。敵方の動きを見てくるだけだ。通してくれないか?」
「そうはいってもなぁ……」
農民と思わしき見張りの兵は、思いのほか固い。
一瞬強行突破も考えるが、それでは氏長の命令を果たせる確率は低くなってしまう。
(仕方がない。出まかせを……)
「酒井様のご命令でな。都合の良い攻略口を探しに行くのだ。だから、道を開けてくれ」
「こんな夜にだべか?」
「夜の方がわかり易いものもある。これが証拠だ」
そういって政信が取り出したのは、偽の命令書。ただ、その筆跡と花押は間違いなく酒井忠尚のものであった。一体いつの間に用意したと言いたくなるが、松平伊忠がこういった事態を想定してあらかじめ渡しておいたものである。これの原型になったのは、以前吉良家との戦の際に利用され、その後も深溝城内に保存されていた忠尚直筆の書状。
見る者が見れば命令書で無い事が丸分りだが、ただの農民相手にそれを求めるのは酷だ。
「うーん。それじゃあ仕方がないべ」
農民兵は命令書を見せられて抵抗を諦めたのか。
それが偽物だとは全く知らず、あっさりと道を開けた。
「おお、すまんな」
「いえいえ。お疲れ様だべ」
(おや、あれは……)
政信が彼ら門番の横を通り抜けようとしたその時、彼の視界に見覚えのある烏賊の頭の形をした兜が映った。
そう、彼の友人・岸教明所有の兜である。
政信は動揺する。この兜の持ち主をこのまま拉致して岡崎城内に引き摺っていきたいが、今は任務が優先。この門番たちに詳細を聞いても良いが、下手な事をすればボロが出る可能性もある。諦めるしかない。
(孫次郎……)
結局、内心で彼がここにいることを確認するに留めた政信は、そのまま包囲陣を抜けて岡崎城の元康に接触。
挟撃作戦を行う方針を取り決めると、帰りも無事に敵陣を突き抜け、氏長に報告することに成功する。
氏長は両手を挙げて彼の無事を喜んだという。
そしてその翌日。
岡崎城、そして鵜殿家・深溝・五井の軍勢の猛攻によって、岡崎城を包囲していた一揆勢はなすすべなく敗走。
ここに、岡崎城は危機から救われたのである。
13/04/17
加藤教明は三河時代には岸姓を名乗っていたというご指摘を受けまして、少々訂正。
以後「岸教明」と表記いたします。