転身転進
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「各々方、この度は誠にご苦労でありました。お陰様で、大塚・竹本両城を無事に落とし、西郡の安全を確保することができました」
主の入れ替わった大塚城で、俺は今回の戦に従ってくれた全将に声をかけた。
大塚・竹本を落としたことで、三河湾沿いを安全に行軍することが可能となり、西と東の連絡が絶たれる危険は回避することができた。一重にここにいるみんなのお蔭である。
感謝をこめて、深々と礼をする。
「いやいや、すべては三郎殿の迅速な判断があったからこそ、未だに体制も整わぬ相手を潰せたのでございましょう。礼には及びませぬよ」
「左様ですな」
「ありがとうございます」
……色々と褒め言葉をかけられた。
正直言って、彼らの言程に活躍したとは思えないが、この場はそれを受け取っておくとする。
そうしないと、戦って散っていた兵たちに失礼だと思うし。
「新平もご苦労様。おかげで長槍部隊の有用性を実証することが出来た。後で『橙陣』の面子と共に褒美を取らせる」
「ははっ。ありがたき幸せ……」
さて、大雑把な論功が終わったところで本題に入らなければならない。
題は「鵜殿家の今後の動き」である。
~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~
「さて、西郡の危機はこうして過ぎ去った訳だが、この後はいかが致す?」
「徳川家の救援に赴くか、それとも吉田に向かうか……」
「北の長沢を経由して奥平を攻める、という手もありますな!」
俺が一通り挨拶を終えると、皆一斉に次の手について意見を口にし始めた。
鵜殿家が今川家から受けたのは、西と東の問題に対応する遊撃軍たらん、とする指示だ。
形式的には西三河の徳川元康、東三河の小原鎮実、どちらの指揮下にも属していないことになる。
――陥落の危険がある吉田城に向かい、これを救援するか。
――絶望的な状況にある徳川家を助け、一向一揆を潰すために動くか。
――北の長沢城を経由して、奥三河に繋がる萩城の奥平氏を攻める、という常道から外れた道をいくのか。
当主である父上が三河にいない以上、全ては俺の裁量に委ねられていることになる。
何処を救援して、何処を攻めるか。責任は重大なのだ。
叔父上や輝勝殿といった将の意見を参考にして、頭の中で戦略を組み立てていく。
「普通に考えれば、此処からそんなに離れていない吉田城を救援するというのが最善の手なのじゃろうが……」
『……』
吉田城救援を唱えた大叔父上の発言に、この部屋に集まった全員が微妙な顔をした。
吉田城の守将はあの「小原鎮実」である。すべての元凶ともいえる奴を助けに行くのに、皆どこかで抵抗心を抱いているのかもしれない。
かといって、みすみす味方の危機を見過ごすと言うのもどうかと思うし……。
「……政信。一向一揆の方はどうなっている?」
「はい。一揆勢は碧海・額田両群で暴れまわり、手が付けられない勢いだとか。正直に申し上げまして、かなり危険な状態かと」
俺の護衛役としての仕事に箔がついてきているが、政信は元々徳川・鵜殿間の連絡役として出向してきている武士なのだ。こういった情報には精通している。
「そうか。此方も此方で放っておくわけにはいくまいな」
「はい」
目を瞑り、考える。
吉田と岡崎。距離的に近いのは当然吉田だが、此方は遠江方面からの救援が望め、南側の渥美半島は安全地帯と言ってもよい。すぐ近くに伊奈本多氏という味方もいることだ。守将はアレだが、吉田の城自体は決して四面楚歌と言う訳では無い。それに小原がまた馬鹿なことをやらかせば、田原城の朝比奈肥前守元智殿・天野安芸守景貫殿が、奴を拘禁するなりして対策を打つだろうし……。
そういう事情も踏まえて、救援先は吉田ではなく岡崎にした方が良いのかもしれない。
吉田城と違って、此方は本当の意味で四面楚歌。辺り一面敵だらけだ。
北には奥平、南には一向宗の寺院、そして東には動きの読めない織田家。とにかくヤバい勢力に囲まれている。辛うじて西は安全そうに見えるが、一揆軍団がどこから沸いてくるか分らない以上、全く油断は出来ないのだ。
おまけに戦争相手は狂信者の集団、一向一揆。倒しても倒しても沸いてくるゾンビのような連中だ。
そんな化け物集団を相手に、いくら松平党と言えども何の援助もなしに戦い続けられるとは思えない。
……よしっ、決めた。
「皆、聞いてください。我が鵜殿家は岡崎へ向かいます」
「理由を伺っても宜しいですかな」
「はい。遠江方面に繋がる吉田城よりも、本国と事実上分断されてしまっている岡崎の方が、優先度は高いと判断しました。異論がある方はいますか?」
そういって部屋中を見渡すが、皆頷いており特に反論は無い。
このまま進めてしまっても良いだろう。
「叔父上、大塚周辺の守りはお任せいたします」
「承知した。我が身に変えてでも守り切って見せよう」
「大叔父上。一足先に、岡崎に連絡をお願いします」
「わかったぞい」
控える将へ指示を出し、援軍の準備を整えていく。
これから鵜殿家の軍勢は上ノ郷に引き返し、深溝を経由して岡崎に向かい、そのまま徳川家と共に西三河の平定を開始する。
――相手はゾンビ軍団一向一揆。
正直、戦うのは怖い。
上杉謙信・織田信長・朝倉宗滴・三好元長その他諸々の将星達を苦戦させ、剰え何度も窮地死地に追いやってきた戦国時代最悪の反体制組織、そして暴走集団だ。
鵜殿家だけでは到底戦うことはできなかっただろう。
だが、此方には松平党という心強い味方がいる。さらに史実とは違い、吉良吉安・荒川義広も徳川(いや、今川か)方に残っている。
もう何も怖くないとまではいかないが、独力で戦うよりは遥かに安心して合戦に臨むことができる。
目指すは岡崎城、西三河。
俺の戦いは、まだまだ始まったばかりである。
――かくして、吉田救援よりも岡崎救援を優先すべきだと判断した鵜殿氏長は、抵抗を続けていた森城の佐竹氏を吹き飛ばし、軍勢を岡崎へと向かわせる。
この判断が良と出るか悪と出るか。それはまだ、誰にも分らぬ事であった。
だが、この時の彼は知る由も無かった。
頼みとしていた田原城に、とんでもない表裏比興が潜んでいることを……。
渥美郡田原城。
嘗て竹千代誘拐犯・戸田康光が領し、現在は今川家の直轄地となっている城である。
戦乱の中心とは少し離れた、渥美半島の中頃に存在するこの城にも、騒乱の影響は訪れていた。
普段は三河湾を往来する船舶の乗員や商人たちで賑う城下には、彼らのかわりに渥美半島中からかき集められた雑兵足軽で埋め尽くされ、町の蔵々には積み荷のかわりに大量の武器弾薬が押し込められている。町の隅々では今川家の将兵が目玉をぎょろぎょろと回し、鼠一匹見逃さないような剣幕で監視を続け、ぱちぱちと篝火の音が響く現状は、町一つが巨大な監獄に早変わりしてしまっているかのようだ。
港町特有の活気や喧騒は、将兵の放つ殺気や閉塞感に成り果て、言葉では表せないほどの重々しい空気を漂わせる。
そんな中を歩行する、山伏姿の男が一人。
明らかに怪しい人間だが、特に咎められることもなく、のそりのそりと亀のような歩みを進めていく。
ぐるり。ぐるい。
篝火の焚かれている街角を曲がり続けること幾何か。
城下のメインストリートから外れた屋敷の前に辿りついた男は、素早い動きでその裏手に回ると、壊れかけの木戸を音もなく開けて内部に侵入した。
そして、その来訪を待ち侘びていたかのように男の目前に現れた、この屋敷の下男と思わしきよぼよぼの老人に声をかける。
「ご老人、天野様のお屋敷はここでよろしかったかな?」
「おお、貴方が『山伏殿』ですな。どうぞ、お上がりください。主人がお待ちです」
男は老人の案内によって、日の殆ど当たらない暗がりの屋敷に上がって行く。
その中で待つという、とある人物と接触を持つこと。
それが、男が田原を訪れた最大の理由である。
やがて、老人の足がボロボロの障子の前で止まった。
それに釣られ、男もまた歩みを止める。
「……旦那様、『山伏殿』をお連れいたしました」
「通してくれ」
「どうぞ」
老人が開いた障子を跨ぎ、男はその中へ侵入していった。
僅かな蝋燭の灯が見えるだけの、薄暗い部屋。木材の腐ったような臭いが充満し、普通の人間ならば間違いなく卒倒してしまいそうな場所である。
その中にいたのは、年四十ほどの、丸芋のような丸い体型をした男。
顔面には「にきび」が不規則に、そして醜くあらわれ、いかにも陰湿で狡猾そうな性格を露骨に表している。
「そなたが山本勘蔵とやらか」
「お初にお目にかかります。山本勘蔵と申します。以後、お見知りおきを……」
男――勘蔵は頭を下げる。
目の前のこの芋は、今川家の衰退を見て、自らの仕える家に鞍替えするという男なのだ。気を損ねてはまずい。
幸い武将としてはかなりの実績と経験をもつ男であるため、空誓の時とは違い、頭を下げることに嫌悪感は沸かないが。
――天野安芸守景貫
それが、この男の名である。
今川義元に長年に渡って仕え、田原城代の片割れという重職にあるこの人物が、何故勘蔵に通じているのか。
それは、彼もまた己の栄華を企む群雄、野心家だと言う事だろう。
予定ではこの男と接触するのはもう少し後の筈であった。
だが、鵜殿氏長が大塚城を攻め落とし、計略の一端が崩れた現状、田原の軍勢に動かれては、吉田城は陥落しなくなってしまう。
そんな事態を避けるためにも、この男には動いて貰わなければならぬのである。
……田原の軍勢を、この地より一歩も動かさぬために。
この場に勘蔵が訪れたのも、その要請の為であった。
今にも崩れそうなこの屋敷も、こうした密談をするにはうってつけなのだ。
「安芸守様、この度は……」
「おっと。それより先は『また今度』な」
「はっ」
『寝返り』と口に出しそうになった勘蔵を、景貫は制する。
未だに表沙汰になっていない事実だけに、自らの口からその言葉を発するのは憚られたのだろうか。
「しかし、案外容易いものですなぁ……。『岡部内々の者』であることを表すと言うこの紋を見せただけで、疑われることもなくここまで来る事が出来ました……」
「所詮、今川家はその程度だと言う事じゃろう。そなたの家ではこうはいくまい」
「左様で。透波に戸隠、歩き巫女と、色々と揃っておりますゆえ」
勘蔵と景貫は密談をする傍ら、雑談にも花を咲かせる。
岡部内々の者とは、この田原に詰め、諜報の任に当たっている岡部輝忠のことである。
勘蔵は岡部家の家紋である『左三つ巴』の描かれた印籠を兵に見せることで、その追及を躱してきたのであった。
ついでに言えば、コレは景貫にとっても身の守りとなる。城代である彼が、密偵と密会しても何もおかしくは無いからだ。
「しかし、鵜殿の動きには驚きました。まさかここまで早く大塚を落とされるとは。あの塩や西郡の急速な発展といい、かの家には何か革変があったのですかな?」
「一昨年のことだったか。あの家の当主・長門守が宿老として駿河に召されてな。それ以後、長門守の嫡男が家政を担っているようだ。十中八九、その嫡男のせいだろうな」
「ほう……」
勘蔵と景貫は、ここ最近の鵜殿家の動きについて邪推を巡らす。
氏長が開発した入浜式塩田を利用した塩は『西郡白塩』と呼ばれ、高値がつく高級塩として周辺諸国に出回っていたのである。
当然勘蔵の主君もそれに目をつけており、今回の三河侵略はその塩田を確保するため、という狙いもあった。
……知らぬは本人ばかりである。
「聞けばいまだ十五、十六程度の少年だとか。そんな者が、何故このようなものを作りだすことができたのか。大変興味がありますな」
「……かの嫡男は徳川蔵人の弟分、ついでに今川の若とも仲が良い。大方この二人から何か学んだのであろう」
「ふーむ。歩き巫女にでも依頼して、調べてみますかな」
歩き巫女。
勘蔵の主家が用いている、いわばくの一である。
信濃巫とも呼ばれる彼女らは、その頭領・望月千代女の手によって育成・派遣され、主家の情報戦略の一端を担っているのだ。
一応は諏訪社その他諸々の神職という立場であるため妨害も受けにくく、孤児や捨て子であるため忠誠心にも期待できる。
勧進や祈祷などを表向きの理由として周辺諸国を旅し、酷い時にはハニートラップまで用いて細かい情報収集にあたる。
勘蔵の主君が重用するのも無理はない万能っぷりであった。
「……情報が手に入るとよいな」
「はい……。さて、そろそろ」
そういって、勘蔵は立ち上がった。
どうやら、屋敷を出ていくようである。
当然、景貫に釘を指すのを忘れない。
「ああ、そなたとの約束通り、田原の軍勢はわしが止めてみせるよ。くっくっく……」
「感謝いたします。……ふふふ」
聞くものが居らず、だれの目も届かぬ空間。
策謀と野心に生きる二人の男の笑いが響いた。
さて、そろそろ奴ら本隊が動き出す……