大塚城攻防戦
私、盛大な勘違いをしておりました。
以前作中では大塚城の岩瀬氏を「牛久保六騎」と解説していましたが、牛久保六騎だったのはここの分家でした。
大塚城の岩瀬氏は「本家」で、牧野氏の家臣では無かったようです。
間違った情報をばら撒いてしまったことに深くお詫び申し上げます。
本当に申し訳ありません。
今後はこのような事がないように心掛けて参りますので、今後とも応援の程、宜しくお願い致します。
鵜殿領の東隣、宝飯郡大塚を治める岩瀬氏は奥州二階堂氏の出身と言われ、この地に土着したのは、岩瀬治部左衛門尉忠家が大塚中島城を築いた十五世紀頃だと伝わる。牛久保六騎の一家に数えられ、幕末に岩瀬忠震を排出する岩瀬氏はここの支流である。
元々今川氏に仕え、三河国内に知行地を与えられるなど、同氏と関係の深かった彼らだが、この度の小原鎮実の暴走によって、差し出していた人質を殺害され完全に離反。
上ノ郷その他今川方の拠点を狙う動きを見せているのであった。
~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~
「速攻で大塚城を落とし、さらにこれに同心する竹本氏の竹本城にも攻撃を加えます」
「承知した。だが、此方の兵だけで大塚を落とせますかな?」
「それにはご心配及びますまい、筑前殿。儂の調べによれば、大塚の兵は多くても五百程度とのこと」
上ノ郷城内。大塚城攻略のための軍議は大詰めを迎えていた。
鎧姿の武者たちが、木台の上に広げられた地図を眺めながらワイワイと意見を交わし合っている。
大叔父上、叔父上、朝比奈輝勝殿、米津政信、鵜殿新平。
一応の大将である俺も、当然この中に交じって意見を出している訳だが、あんまり役に立っていないような気がする。
まあ、実際戦の経験は殆どないわけだし、それはそれで仕方がないとも思うが。
「しかし、徳川家からの援軍が無いのは少々厳しいですな……」
「仕方ありますまい。あちらはあちらで、一向宗への対応で精一杯でしょうから」
「我ら、本家の分まで働きますぞ。以前の援軍の御恩、未だ返してはおらぬので」
ため息をつきながら疑懼する台詞を漏らした輝勝殿に、叔父上と松平伊忠殿が返した。
先日引き起こった一向一揆のせいで、徳川家、及びそれに近い徳川家臣を含む諸家は他方に構っている余裕はとてもではないが無いのだ。
史実と違い、吉良家、そして荒川義広が一向一揆に加わっていないため、一揆の規模は史実のそれと比べてまだ小さい方だが、代わりに北東部を領する奥平氏の存在があり、織田家とは敵対状態が続いている以上、親戚である水野家の表だった援護も期待できないだろう。
……風の噂では徳川家臣の中でも一揆に参加したものがいると言う。
はっきり言って手詰まり感が強いが、兄貴――徳川元康もまた名将。
勢いはあるとはいえ、烏合の衆である一揆勢に遅れをとるとは思わないし、大草家を除く分家も本家に従う立場を明白にしていて、今の岡崎城には彼らから齎された援軍が続々とつめかけていると言う。
流石は三河武士団といった所か。
この分ならば、そう簡単に酷い窮地に陥ると言うことも無いだろう。
……俺や義元様の援軍があちらに到着するまで、是非とも持ちこたえていて欲しいものである。
「主殿助殿。援軍感謝いたします。本来ならば岡崎に……」
「大丈夫だ。岡崎の殿の御指示だからな」
本来ならば深溝・五井からやって来ている援軍も、他の分家同様岡崎に向かわなければならないのだろうが、どうも本家から此方(鵜殿)の手助けをするよう差配を受けたらしく、上ノ郷に留まっていてくれている。伊忠殿曰く、吉良家の時の恩返しと東から西に至るルートの確保のためらしい。
……本当にありがたい限りである。
さて、今は軍議に集中した方が良いだろう。国人たちの連携が整わぬうちに、奴らの勢力をできる限り切り崩しておきたい。岩瀬氏の大塚城さえ落としてしまえば、上ノ郷の安全はとりあえず確保できるし、この城を拠点として更に東にも遠征できるようになる。
本国からの援軍を迎え入れ、西三河への橋渡しとするためにも、大塚城、そして三河湾沿岸沿いの確保は絶対に必要なのである。
「先陣は筑前殿にお任せいたします」
「承知した」
「新平率いる長槍部隊は俺の指揮下に」
「ははっ」
暫く細かい戦術や戦略について話し合った後、備の構成を決めて、軍議は終了する。
――俺が大将して初めて指揮を執る戦の幕開けである。
五百年後の未来には、ラ〇ーナ蒲郡ができるであろう海を右に見つつ、岩瀬領内に侵入した鵜殿家の軍勢は大塚城への道を行軍していく。
今のところ、先行する輝勝殿の部隊からは、敵兵と鉢合わせしたと言う報告も無ければ、大塚城に動きがあったとも伝わってこない。一応の難所である星越峠も既に越えたので、伏兵に襲われる心配もあまりないだろう。
「どうやら敵は常道通り籠城するようですな」
「そうみたいだね」
相変わらず護衛役である政信と喋りながら、俺の周りを守るように歩く例の長槍部隊の面々を眺める。
彼らの頭には、俺が士気高揚のために渡した橙色の鉢巻が巻かれている。このように『部隊に何かしらの特徴を与えて将兵のやる気を上げる』という行為は、古来から見られるものだ。
有名なものだと武田・井伊の赤備えや北条家の五色備え、信長・秀吉の母衣衆なんかがあるだろうか。
どれもこれも、戦国時代において精強さを持って知られた部隊だ。
今回俺が準備したこの鉢巻も、彼らのような戦果を上げることを期待しての事だったりする。
色が橙なのは……うん、特に意味はない。
強いて言うなら、みかんと同じ色だからだろうか。
俺の頭の中には鵜殿家=蒲郡=みかんという謎の方程式が出来上がっているのだ。今回の出陣のために作った馬印もみかんだし……。
部隊名を考えるなら『橙陣』といった所か。薄田兼相みたいで何か嫌だが、他に思い浮かばない。流石に『みかん部隊』じゃかっこ悪すぎるだろう。
「しかし、籠城されるとなると此方への被害が気になりますな」
「だよなぁ……。冬だから刈田と言う訳にもいかないだろうし」
古より、兵の立て籠もった城を攻め落とすには、守り手の三倍は兵力を用意しなければならないという考え方があるのだ。俗にいう『攻撃三倍の法則』という奴である。
うちの兵は松平家からの援軍を含めて千五百程。一方の岩瀬方は、本隊こそ五百程度なものの、その影響下にある御津赤根の今泉氏や竹本城の竹本成久等、周りの弱小土豪からの援兵も合わせると、七百程度までは膨れ上がる。
大塚城自体は小規模な平々凡々の平城、其処を守る敵将・岩瀬家久も特に戦上手という評判を聞くわけでもない普通の将であるのだが、この数が守る拠点を攻め落とすには、中々苦労しそうである。
兵力差もせいぜい二倍ほどで、法則の条件を満たしていない。
一応二十世紀の研究で、攻防戦に関して特に法則性は認められないという結果は出ているものの、かの孫子も『城攻めは下策』と言っていることだ。何かうまい策は無いものか……。
適当な村に放火して城兵を釣り出すという手もあるのだけれど、それは最後の手段だ。これからの統治を考えると、あまりやりたくは無い。
うーん、難しい。
夏場なら刈田(田んぼ荒らし)と言う手が仕えたのだが、生憎今は一月。冬場真っ盛りだ。
挑発しておびき出そうにも、野戦ではあちらの勝ち目は殆どない兵力差だ。そう簡単に出てきてくれないだろう。
「政信、なんか上手い手はないかなぁ」
「そういうのは専門外ですな」
そうだよなぁ。
基本政信――というか、うちの武将たちの殆ど――は『武』の人で、細かい策を考えるのは得意ではないのだ。
……俺の未来知識を活用すれば、軍師系の人間がいなくても如何にかなるものだと思っていたのだが、現実はそう甘くなかったようだ。
「仕方がない。防御力の高い長槍部隊を前に出してできる限り挑発してみよう。多少は効果があるかも」
「それしかありますまい」
ああ、軍師が欲しい。
どこぞの今孔明を勧誘に行ってみようか。そんな暇があれば、だが。
「三郎様、大塚城が見えて参りましたぞ」
そんなことを考えていると、政信が報告を一つ。
彼の声で意識を現実に戻し、正面に目を凝らす。その先見えたのは、武家屋敷を魔改造したと思わしき砦のような建築物。
以前攻めた事のある西条城程の規模では当然無く、上ノ郷のような本格的な中世城郭でもない、城と砦の中間くらいの平城だ。
「おや、三郎殿。思ったよりもお早い御着陣ですな」
「筑前殿ですか。敵の動きは?」
「今のところは特にありませんぬな。竹本の軍勢も未だ到着していないようなので」
大塚城から少し離れていた位置に陣を張り始めていた輝勝殿と、情報収集も兼ねて話をする。
彼の言によると、今泉某は既に大塚に入っているものの、竹本成久の入城は確認できないらしい。それに伴って、兵もあまり増えてはいないとのこと。
……攻め落とすには、今がチャンスかもしれない!
「筑前殿、少々試したいことがあります。お耳を拝借……」
「ふむふむ……」
例の挑発作戦を輝勝殿に説明して了承を得ると、俺たちはすぐに動き始めるのだった。
この挑発、そして反撃が成功するかどうかは、テルシオもどきの防御力にかかっている。
頼んだぞ、新平!
『岩瀬家久の腰抜け~っ』
『役立たず~』
『鈍臭くて城下まで攻め込まれてやんの~』
「……」
大塚城の目の前に放り込まれた長槍部隊の面子が発する罵詈雑言は、俺たちの陣にまで響いてきている。
策の成功率を上げるため、彼らの周りに他の味方の部隊はいない。本隊を含めた全部隊は後方に下がり、釣り出しの成功をかたずを飲んで見守っているのだ。
『××××!』
『△#&%@$!?』
延々と続く汚い罵り言葉に眉をしかめる。
よくもまあ、あんなに語彙があるものだ。思わず感心してしまう。
中には放送禁止用語に入りそうなとんでもないモノも混ざっている辺り、訓練その他によって発生した鬱憤をこの機会に晴らしているのかもしれない。
いや、そう考えて間違いない。
『悔しいでしょうねぇ!』
『悔しいでしょうねぇ!』
さて、仮に討って出てくると言うのなら、そろそろ飛び出してくる頃だ。
釣り出せなければ、当初の予定通り力攻めに切り替えればよい。
俺は目を外すこと無く、じーっ、と彼ら、そして城門の動きを見据えた。
――ばたり。
やがて静かな音を発して、城門が開かれた。
そこから飛び出した三百名余りの岩瀬家の兵は、未だに罵詈雑言を放ち続けるテルシオもどきに向けて一心不乱に突撃を開始する。
だが、それを当初から予期していた新平は、冷静に反撃の準備を整えると大声で叫んだ。
「それっ、かかれかかれ」
『おおおおおっ』
新平の指揮のもと、激しい雄たけびをあげて、鵜殿家のテルシオもどきを構成する百名余りの兵が、大塚城より討って出た敵兵に向かって前進する。
長槍部隊の脇より放たれた矢が、敵兵をチクチクと射し、その命を奪っていく。
それと同時に長槍を持つ兵も槍衾を構えて立ち塞がり、突撃の勢いを殺す。
幾ら小規模とは言え、三倍の兵相手に互角に戦っていると言う事実は、彼ら『橙陣』の士気を大いに上げた。
――一年以上に渡る地獄の訓練は、決して無駄ではなかったのだ。
長槍兵、弓兵、そして本当に僅かに混じっている鉄砲兵は、皆一様にそうした気持ちを抱いた。
武器を持つ手に力を込めて、岩瀬家の兵を次々と討ち果たしていく。
訓練の成果を、後方の陣で眺めているであろう、自らの主君に見せつけるように。
一方焦ったのは岩瀬兵を指揮する今泉某の方である。
城門目前に屯した雑魚を蹴散らすだけの簡単なお仕事だったはずが、防御力の高い方陣と大量に配備された長槍のせいで攻めるに攻めきれず、時間だけが過ぎて行く。
ちまちまと攻撃を加えることで何とか数を減らしつつあるが、それでも進みが遅すぎる。
これが自分たちを釣り出す罠であることは確実である以上、早く殲滅しなければ後方に控えた本隊と思わしき部隊がやって来てしまう。戦果を上げられぬまま引き上げるのは武士の名折れだ。
コレが罠だと分っていながら出陣してきたのも、あの侮辱に耐えかねた為だ。
とてもではないが逃げるわけにはいかない。
「やれっ、攻め手を緩めるなっ!あの侮辱を忘れるな!」
今泉某の指示にも自然と力が入る。それに触発された兵たちも、力を強めて攻撃を加える。
お互いに一歩も引かぬ激闘が続いた。
弓が舞い、槍が飛び、鉛玉が撃ちつけられる。
激しい喧騒と怒声、怒号が飛び交い、朱い雫が舞う。
数十分が過ぎて、有利に立ち始めたのは岩瀬方の方であった。
テルシオもどきは時間が経つにつれて徐々に崩されて、橙色の鉢巻を巻いた兵たちは一人一人と倒されていく。
やはり、兵力差は大きかったのであろう。
『橙陣』の兵たちは、新平の指揮のもと抗戦を維持しようとするが、疲れも溜まり思うように反撃できない。
それでも、彼らは後詰の到着を待って戦い続ける。
――このままでは!
新平がそう叫んだ直後のことだった。
「朝比奈輝勝見参!」
戦場にやってきた朝比奈輝勝率いる先鋒部隊が、岩瀬兵の横っ腹を突いた。
目前の『橙陣』殲滅に気を取られすぎていた彼らに、この一撃は致命傷であった。
先ほどまで追い詰めていたのとは逆に、どんどんとその数を減らされていく。
そして、完全にタイムリミットがやってきたことを悟った今泉某は、全兵に指示を出した。
「駄目だ。退却……」
今泉のその言葉を皮切りに、岩瀬家の兵はいっせいに踵を返し始めた。
だが、一度背を向けた部隊を崩すのは容易きこと。
テルシオ部隊を救援し、何とか撤退する敵兵の最後尾に追いついた鵜殿家、そして松平家の将兵は、城への一番乗りを求めて岩瀬兵を追撃し、大塚城に密着。
今泉某を討ち取った勢いもあってか、そのまま城の柵堀を乗り越えると、いともたやすく城内に突入してしまった。
そして、城内に雪崩れ込んだ兵は時間をかけずに各郭に浸透して行き、突入から僅か数時間後には城主・家久を始めとする主だった将は軒並み討ち死に。ここに大塚城は陥落した。
竹本成久の竹本城も松平伊忠率いる部隊があっという間に攻め落とし、この辺りの安全はひとまず確保されたのである。
――だが、予断を許さぬ状況は続く。
鵜殿家が大塚城を攻め落とした頃、奥・東三河の国人連合軍もまた、吉田城・牛久保両城に攻撃を加えるべく、進軍を開始していたのである。
戦略等が拙いかもしれませんが、ご容赦願います……。