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出陣後ティータイム

展開が少々強引かもしれません。

 永禄元(一五五八)年新春。


 日ノ本全土に寒気が満ち、あらゆる命に冷気を浴びせる季節。

 紅葉によって最後の輝きを終えた木の葉が大地に堕ち、富士の銀嶺より吹き下ろす冷風によって、まるで人形のように踊り狂っている。

  当然、夏ごろにはおいおいと茂っていた庭木の葉もすでに落ちて、残っているのは新芽の息吹が出かけた裸木だけである。少し寂しい気がする。



 俺がこちらに生まれて九年目、駿河にやってきて四年目である。



 先年夏、俺が松平邸を訪れた日に起こった、今川家の国境を揺るがしかねない大事件は、つい先日一応の終わりを迎えた。

 そもそもの始まりは、岡部元信殿が入手した一通の密書――松平邸で義元様に手渡されたボロボロのアレ――であった。

 俺は直接確認していないのでわからないが、どうもあの書状の中身は、嘗て織田家から今川家に寝返り、その後も尾張の調略において一線で活動していた山口左馬助教継と、その子九郎二郎教吉の織田方への再度寝返りを約束する書状であったらしい。

 それを手にした義元様は、すぐに今川館へと戻ると、事実関係を調べ始めた。寝返りが事実だった場合、すぐに対策を講じなければ、あの辺一体における力関係が逆転してしまう。義元様としても焦る思いだったのだろう。

 調査の結果、書状の筆跡が教継本人のものであることが確実視され、ほぼ同時期の駿河において、義元様の妹婿にして尾張戸部城主・戸部新左衛門政直の不穏な動きが噂として流れ始める。そして、それに連動するかのように、三河寺部城主・鈴木日向守重辰が織田方に寝返ると、義元様は決断を下した。


 ――山口親子の叛意は明らかである。処断すべし、と。


 こうして「今までの忠勤を称する」という理由でまんまと駿河におびき寄せられた山口親子、および戸部政直は、駿府外れにあるボロ寺で切腹させられてしまう。返り忠を繰り返そうとした人間の悲惨な最期であった。

 



 さて、この時期おける織田信長の動きに詳しい読者諸兄は、当然この一件についてもご存じだろう。

 そしてこう思った筈だ。



 これって信長の謀略じゃねーの、と。



 後世に伝わる話では、山口親子に手を焼いた信長が、自らの右筆に山口教継の筆跡を真似させた偽の書状を作り、それをあえて今川方に漏らすことで、自らの手を下さずに山口親子と戸部政直を始末したとされる。



 もちろんその可能性は非常に高い。



 だがこの時期、太原雪斎の死によって三河の土豪たちに動揺が生じており、昨年には三河国内の反今川勢力が一斉に蜂起、結果として織田信長につけ入る隙を与えてしまっていた。


 当然それは、尾張国内において今川に属する武将たちの動揺も誘うことになる。なぜなら西三河が織田家の勢力圏に収まれば、自分たちは今川家との連携が取れず、敵地のど真ん中に孤立する。もともと織田家から今川家に寝返った連中が過半数を占める彼らは、信長に許される可能性は低い。仮に許されたとしても、間違いなく領地大幅削減の上一生にわたって冷遇されるだろう。そうなると、早めに織田方に通じておいたほうが良いと考える奴らも現れる。たとえそれが、寝返り後の寝返りというあまりにも恥知らずな方法であっても。

 よって、山口親子がそうした連中の一部であっても、なんら不思議はないのである。


 ついでに言うなら山口親子、並びに戸部政直は今川家にとってみれば信用のおけない外様である。

 義元様は、何時寝返るかわからない彼らよりも、岡部元信殿をはじめとする信頼のおける譜代家臣を国境線に配備したほうが良い、と判断したのだろう。山口親子がいなくなった後の鳴海城には正式に岡部元信殿が城主として入り、戸部政直が治めていた戸部城周辺には、政直と同じく義元様の妹婿である浅井政敏殿が入っている。


 冤罪ならば相当悲惨な話ではあるが、こんな時代である。運が悪かった、とあきらめてもらうしかない。


 ちなみに三河の方の動乱は、義元様が直接三河統治に手を出すことで一応の解決を見た。先年、次郎三兄貴に瀬名様を娶せたのも、松平宗家を今川家の一門に迎えることで、三河統治を円滑にするという目的があったのはほぼ間違いないだろう。もちろん兄貴の器量を義元様が買っていたから、という理由も強いだろうが。




 閑話休題。



 俺の歴史編纂活動は、正直のところあまり進んではいない。

 というのも、先年の秋、鵜殿家(ついでに今川家)にとって、とても悲しい事件が起こったからである。



 我が祖父・鵜殿長門守長持の死去。



 義元様の妹婿であり、今川家にとっても、太原雪斎と並ぶ三河統治の柱石であった彼の人物の死は、大きな痛手となったであろう。それなりに勢力を持っていたとは言え、もともと三河の一豪族にすぎなかった鵜殿家を、今川家の重臣に列するまでの家格に引き上げたのは、ひとえにこの人の働きによるところが大きい。


 おじい様のことはあまりよくは知らない。せいぜい趣味が連歌だったと知っているぐらいである。

 だが、戦国時代に生まれ変わったという事実が受け入れられずに混乱して泣きわめいていた俺を、よくあやしてくれていたという記憶ははっきりと残っている。泣き続ける俺に、趣味の連歌を披露してくれたこともあった。結果としてこの時代に馴れるきっかけを作ってくれた人物だっただけに、死去を伝えられたときは大きく動揺し、思わず納戸に引きこもって大泣きしてしまった。

 葬儀にはそこそこ大勢の人が参加した。例の騒動の解決のために偶然三河を訪れていた義元様と次郎三兄貴、それにおじい様と親交のあった連歌師たち。当然俺も参列したが、落ち込んでいたせいであまり覚えてはいない。


 そして葬儀の後、我が父・藤太郎長照は義元様から家督継承を認められ、鵜殿家代々の名乗りである「長門守」を名乗ることになる。

 ついでに俺も正式に鵜殿家の嫡子と認められた。万歳。

 ちなみに兄貴は何故か鵜殿一門の娘――おじい様の末娘で、父上の妹。俺にとっては叔母にあたる――と仲良くなっていた。





 義元様から聞いた今川氏の歴史は、「治部大輔様御講釈」として一冊の本に纏めることができたが、それ以外では、兄貴に松平家の歴史をちょろっと聞いたぐらいである。それも大半が兄貴の祖父・清康公に関わることで、松平家の歴史についてはあまり聞けていない。というか、聞いてもはぐらかされるあたり、兄貴本人も詳しくは知らないのだろう。こうなると、のちの徳川家が新田氏の末裔という話も怪しくなってくる。

 このままでは進みも悪いし、どうにかして聞けないか、ということで再び松平邸を訪れたわけであるが、なんと兄貴は出陣する間際だったらしい。一言俺にあやまると、ドタバタとあわただしい音をたてて出て行ってしまった。初陣がどうのとか騒いでいたことから、おそらく三河寺部城を攻めるのだろう。

 徳川家康の初陣として後世に残る、寺部城攻めである。






 ~鵜殿さん家の氏長君・目指せ譜代大名~






 どうしたものかと松平邸の前で思案していると、瀬名様に声をかけられた。

 お茶でも飲んでいかないかとのことらしい。流石に自宅を飛び出してきてすぐに帰っては、使用人達に示しがつかない(追い出されたと思われかねない)ので、お言葉に甘えて休んでいくことにする。

 瀬名様に連れられて、屋敷の中を歩く。どこか閑散としているのは、主だった家臣は兄貴と一緒に出陣してしまっているためだろう。現在屋敷に残っているのは女中さんや小姓ばかりである。


「さあどうぞ。少し散らばっていますが」

「失礼します」 


 そういって瀬名様に通されたのは、以前義元様と謁見した会所であった。

 以前は詳しく見る余裕がなかったが、落ち着いて見てみるとなかなか広い。中庭に面しているらしく、縁側がある。以前元忠殿に通された部屋と同じく、壁には怪しい掛軸が掛っているが、あちらとは違って日当たりがいいため胡散臭さは殆ど感じられない。


「お茶の用意をしてまいりますゆえ、しばらくお寛ぎ下さい」


 そういって瀬名様は部屋を出ていった。


 中庭を眺めながら思うが、瀬名様はとんでもない美人である。

 腰まで届かんとする黒髪は、日の光を受けて艶やかな光沢を放っている。着ている振袖の華美さも相まって、道を行く男どもなら間違いなく振り返るであろう美しさを持っているのだ。

 若様も見た目はあれだが、それなりに美形であることを考えると、今川家は織田家並みに美男美女が生まれやすい家系なのかもしれない。


 ちなみに今川家の血を引いているはずの俺は、残念なことに超平凡な容姿である。


 将来的こんな美人な嫁さんを謀殺することになる兄貴は男の恥だろう。

 どうにかして信康謀反事件を回避できないものか……。


「お待たせいたしましたわ」


 そんなことを考えていると、瀬名様が戻ってきた。

 見ると小姓っぽい子供を二人連れており、どうやら二人にお茶とお菓子を持たせているようだ。

 ちょくちょく見る顔である。喋ったことはほとんどないが、松平家重臣の子なのだろうか。

 二人とも似たような背格好だが、俺から見て右側、お菓子を持っている小姓のほうが若干背が高い。


「新七郎様、どうぞ」

「どうも」


 お茶とお菓子を差し出された。手を出して受け取る。お菓子は饅頭だろう。

 もぐもぐ。うんおいしい。当然ながら和菓子であるが、食べてみたところ砂糖が使われている様子はない。砂糖が一般的に広まったのは、江戸時代中期以降であるため、当然といえば当然であるが。


「御馳走様です」

「ふふっ。大人びていてもまだまだ子供ですわね、新七郎様は」


 そういって頭をなでられてしまった。恥ずかしいからやめてください。


「顔を真っ赤にして仰っても、説得力がありませんわよ」


 むぅ……。どうやらあちらのほうが何枚も上手のようである。

 ならば話をすり替えてやる。


「そちらのお二人は、何度か見かけたことがありますが。いままで喋ったことはありませんでしたね。俺は鵜殿新七郎と申します」


 まさか自分たちに話しかけてくるとは思ってもみなかったのだろう。

 突然話かけられた二人はたいそう驚いていたが、どっかの誰かみたいに狼狽することなく、立派な返事を返してきた。



「お目にかかれて光栄です。おれは松平家臣・本多忠高が嫡男・鍋之助ともうします」

「おなじく松平家臣・榊原亀丸です」


 まさかの超有名人。驚いて唖然としてしまう。

 はたから見れば、今の俺は驚いた顔文字そのままの顔をしているだろう。想像するだけで滑稽である。


 本多鍋之助は後の本多忠勝、榊原亀丸は後の榊原康政で、二人とも徳川四天王に数えられる忠臣だ。

 ちなみに背の高いほうが本多鍋之助。



「い、いかがなされましたか……」

「何かごぶれいでも……」


 俺の唖然ぶりを見ている二人は軽く混乱していたが、見事に謝罪してきた。とても年齢一桁を超えたばかりの子供とは思えない。


「いえ、お二人が大人びていたため驚いておりました。混乱させてしまってすみません」

「あなたのほうがこの二人よりも年下ですわよね。二人とも今年で十を超えたところですから」


 瀬名様が相変わらず俺の頭を撫でながら突っ込みをいれた。そういやそうだった。

 この二人はともに天文十七(一五四八)年生まれ。つまり数えで十一歳。一方俺は天文十八(一五四九)年生まれの十歳である。


 それを聞いた二人は噴出して驚いている。

 信じられないだの、そんな馬鹿なだの。


 このままでは埒が明きそうにないので、何か話を振ってみよう。


「驚くのは勝手ですが……。聞こえてますよ?」

「も…申し訳ございません」


 二人そろって頭を下げてきた。面白い奴らである。


「これから長い付き合いになると思いますから、友人になりませんか?」

『!?』


 おーおー、驚いていらっしゃる。そりゃそうだ。今川家重臣家の嫡男が、陪臣で、しかも小姓にすぎない自分たちに「友達になろう」と言ってきたのだ。目に見えるぐらいに狼狽し、目を白黒させている。面白い。


 身分的に考えれば、恐れ多くてとてもではないが首を縦に振れないだろう。かといって断れば、こちらの好意を踏みにじったことにもなる。まさに崖っぷちである。


「お、お方様……」

「どうすれば……」

「あら、わたくしは気にしませんわよ?お二人の好きなようになさい。ふふっ」


 二人は瀬名様に助けを求めるも、瀬名様はそれをニコニコと笑いながらあしらってしまった。瀬名様がどう考えているか不明だが、あの笑顔では賛成なのだろう。


「……」

「……」


 どうもひそひそ話を始めたようだ。友人になることで生じるメリットとデメリットでも考えているのだろうか。

 とりあえず答えが出るまでお茶でも飲みながら待っているとしましょうか。







 暫くして、どうも受け入れることに決めたようだ。二人が頭を下げてきた。


「うん、よろしく。二人とも。もう友人なんだから、これから私的な時には敬語はなしでお願い」

「……うん」

「こっちこそよろしく」

「ありがとう。駿河だと、あんまり同年代の子がいなくてね。でも、これで寂しくなくて済みそうだよ」

「ははは……」


 本音をいえば、歴史的有名人物と友人になれるチャンスを逃したくなかったからだが、それでもこれは偽らざる気持ちでもある。兄貴(とその家臣)や岡部正綱殿以外では、まともに喋る相手がいなかったのだ。ほかに喋ると言えば、ここ松平邸にひょっこり現れる若様ぐらいだし。


「では、わたくしは退室すると致しましょうか。あとは子供同士、ゆっくりとね」


 そういった瀬名様が、笑顔で部屋をでていった。まったく読めないひとである。

 さて、この二人にもいろいろと聞きたいことがあるし、うまくいけば引き抜けるかもしれない。瀬名様が置いて行った和菓子を食べつつ、俺たちは喋りだすのだった。





 結果としてやはりというか、引き抜きには失敗した。

 だが、3人でちょくちょくと遊ぶうちに、はじめはギクシャクしていた仲も次第に打ち解けていき、兄貴が見事に寺部城を落として帰ってくるときには、普通に呼び捨てで呼び合う仲になることができた。

 ちなみに兄貴は、俺が二人と庭ではしゃいでるのを見てたいそう驚いたとか。

 この駿河で培った友情は、後々何度も俺を救うことになる。








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