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虚無虚臣虚構虚実

少し遅くなってしまいました。

申し訳ありません。

 

 小原鎮実の凶行は、時を経たずして三河全土に知れ渡った。

 無残にも人質を殺害された東三河、及び奥三河の国衆たちは激しい怒りと慟哭に駆られ、一斉に反今川の兵を挙げる。

 松平清康に始まり、太原雪斎、今川義元、徳川元康らが心血を注いで来た三河の安寧は、小原鎮実という愚者の暴走によって無に帰した。


 時は一五六五(永禄七)年。

 三河は嘗てない混乱と戦火に見舞われる。その騒乱の果てにあるのは破滅か、それとも……。





 ~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~





 折角新年を迎えた上ノ郷城だが、それを祝っている余裕は全く無い。

 小原鎮実の凶行を発端とする東三河国衆の一斉蜂起によって、三河国では類を見ないような混乱が勃発。うちをはじめとするこの国の親今川勢力はその対応に追われて休む間もないほどだからだ。

 本来ならば、今頃は家臣も含めて年明けを祝う大宴会を行っている筈だったのだが、こんな厳戒態勢の中ではそんな暢気な事を行っていられるわけもない。顔面蒼白になった叔父上をはじめとする家臣団と共に、軍の準備を整えている最中である。


「うう、眠い……」

「随分と眠たそうですなぁ」

「ああ、新平か。全く寝てないからね……」


 武具を持って走り回る長槍部隊の面々を見ながら、大あくびを一つ。

 大塚の岩瀬氏が叛乱に参加するらしいという報告が届いてからというもの、彼らの襲撃を警戒して一睡もできない状態が続いているのだ。眠たくて眠たくて正気を失ってしまいそうである。

 かといって、家臣が頑張っているのに俺が眠るわけにもいかない。

 まぁ、出陣前には少し休めるだろうが、おかげで次郎法師さんにも毎日のように心配をかけまくっている次第。折角彼女のお腹に赤ちゃんがいることが分かったばかりなのだ。本当は休暇を取って三谷温泉にでも出掛け、のんびりと過ごした方が良いのかもしれないが……。

 中々上手く行かないものである。


 ――どれもこれも全部小原鎮実のせいだ!


 俺は内心でそう愚痴る。

 奴がこんな行動を起こさなければ、事態はここまで深刻にはならなかっただけに、恨みは余計に大きい。

 今回の凶行を咎めるべく送りつけた詰問状に対する返答も、俺の怒りを増幅させている理由だ。


「彼ら(国衆)の叛心は明らか。それを知っていて放置したのでは、東三河を任されたものとしての名折れである。見せしめに人質を弑すれば、彼らは恐ろしさに震えあがり当家に逆らおうとは思わなくなるであろう。今回のように反乱を起こしたのは、忠誠より人質のほうが大事だと言う愚かな考えを抱いていたからである。そのような不忠者など必要ない。滅びてしまえば良いのだ(以下略」


 これが奴からの返答である。呆れて言葉も出ない。

 元々不穏な動きをしていた奥三河の連中はまあ仕方がないのかもしれないが、全く関係のない東三河の豪族からの人質まで処刑するのはやりすぎだ。

 そんなことをすれば逆に今川家の信望が低下してしまう。

 最悪徳川家ですら敵に回りかねないんだぞ!


 紛いなりにも半国を預かる司令官としては明らかに短慮軽率で理解不能な行動だが、これは間違いなく奴のもつ歪んだ忠誠心が暴走を起こした結果だろう。

 この返答からも分かる通り、小原鎮実という人間は忠誠を他者に強要し、少しでも疑わしきは罰せという竜造寺隆信りゅうぞうじたかのぶをより過激にしたような性格の持ち主だ。そんな奴にとっては、今回のこれも踏み絵のようなものだったのかもしれない。


 確かに今川家臣としてそういった忠誠心を持つのは間違っていないのだろうが、それは小原家のような譜代家臣だけだ。

 外様国衆のような者達にとってはまず家を保つことが第一であり、忠誠心は二の次。戦国大名もそれをわかっているからこそ寝返り防止のために人質を取るのであって、特に行動を起こしていないうちに殺されてしまっては反乱を起こすに決まっているし、それでは人質の意味が無い。

 今回の事件は、ある意味譜代と国衆との認識の差が引き起こしてしまった悲劇とも言えるのかもしれない。

 まあ、預かっている人質を勝手に処刑する時点で小原鎮実は譜代家臣失格なのだが。


 義元様もなんでこんな奴を城代に……いや、さすがにそれは言ってはいけないことだろう。

 少なくともこいつが城代に任じられたころには歪んでいなかったのかもしれないし、こんな暴走を読み切るなんてことは人間には不可能だ。

 そもそも義元様は何度も奴に書状を送って性格を改めるように諌めていたらしいから、結局のところそれを全く改善しなかった小原鎮実が一番悪いのである。



 怒りは収まってきた。現状確認をしよう。

 奥三河の山家三方衆とその分家及び豪族は殆どが離反。これは当初予想通りなので問題はない。

 東三河の牧野本家に謀反の動きは見られないが、その与力、牛久保六騎は完全にバラバラになってしまっている。賀茂の山本氏、稲垣氏、能勢氏。そして牧野本家の分家である牧野山城守家が一斉に挙兵。

 今川方に残ったのは例の鍛冶集団を抱える真木氏と、大塚岩瀬氏の分家である岩瀬雅楽助だけ。はっきり言って、これはかなりきつい状態だ。

 牛久保六騎の殆どが雪崩を打って今川家に敵対した以上、彼らを取り巻く他の弱小豪族は殆どが敵に回る。その一つ一つの勢力は大したことが無いだろうが、塵も積もれば山となる。奥三河との連合が出来上がれば、それは今川家を脅かせるだけの兵力を持ちかねないのだ。


 ついでに、連中が存在している場所も問題である。

 彼らの影響力の強い八名郡は三河と遠江の国境、宝飯郡ほいぐん西部は東海道を要する交通の要所だ。これらの大半が謀反軍の手に落ちてしまうと、今川家の本国である駿河・遠江との連絡が取り辛くなってしまう。この両群と遠江を結ぶ位置にある吉田城を今川家が抑えているうちは連絡が完全に遮断されると言うことはないと思うが、東三河最重要拠点ともいえるこの城には全ての元凶・小原鎮実がいるのだ。真っ先に猛攻に晒されるであろうことは想像に難くない。

 腐っても智将である奴ならば多少は持ちこたえられるだろうが、吉田城内の人間ですら今回の凶行には疑問を抱いていると言う。最悪、内応者が出て落城しかねない。そうなった場合三河は孤立し、援軍が早期に到着する望みはなくなる。一応遠州灘から渥美半島に上陸、その後田原を経由して三河湾、というルートがあるため絶望的ではないが、船の調達に整備と時間がかかることは間違いない。


 そして、そんな状況に陥ってしまえば、次に狙われるのは間違いなく上ノ郷だ。

 鵜殿家は今川家の一門。今川憎しで動く彼らにとっては絶好の標的だろうし、目前には岩瀬氏の本拠・大塚城がある。前線拠点を準備する必要もなく、鵜殿家単体で用意できる戦力はせいぜい千を越えるか越えないかだ。山家三方衆とその与党、及び織田家や一向宗の動きを警戒している徳川家からの援軍もあまり望めない現状、吉田を落として勢いに乗る奴らにとっては、当主代行が俺という若年武将であることも相まって、さぞかし簡単に勝てる相手だと思われることだろう。

 ……絶対に負けてなるものか。折角蒲郡の経営が軌道に乗り始めたところなのだ。そう簡単にこれらを失う訳にはいかない。

 本来ならば上ノ郷城下が攻撃に晒されるのを防ぐために此方から攻撃を仕掛けたいところだが、未だ軍備は整わないし、何よりも義元様が最後の説得を行っているらしく、それが終わるまでは攻め込むわけにはいかない。

 とりあえず評定を行って今後の方針を決めることを内心で確認すると、新平に家臣たちを集めるようにと指示を出した。




 しかし、何かおかしな感じがするのは気のせいか。

 予め準備をしていたであろう山家三方衆はともかく、何故牛久保六騎をはじめとする東三河の国人の足並みがこうも揃っているのだろうか。今回の事件は、間違いなく連中にとっても予想外の出来事だっただろうし、当然軍備もあまり整っていなかった筈。いや、軍備に関しては奥三河の叛乱に備えていたものを流用したということで説明はつくだろうが、この連携の良さは如何も納得がいかないのだ。


 ――まるで見えない糸で手繰り寄せられ、繋がっているかのような感覚。


 連中を背後で煽っている『黒幕』がいるのかもしれない。


 そうなると一番怪しいのは武田かな。

 狡猾な信玄のことだ。直接喧嘩を売ってくることは無いにしろ、三河国内を混乱させ、その直後に『同盟国』の窮地を理由に軍を進めてそのまま占領……なんてことを考えていないとも言い切れない。

 最近三河各地で出自不明の怪しい神職が多数目撃されていることも相まって、連中が何か裏工作を仕掛けている可能性は非常に高い。小原鎮実が人質を処刑したのも、案外伊賀者(忍者)を通じてこうした情報を掴んでいたからなのかもしれない。

 ……かといって、奴のやらかしたことを擁護する気にはなれないが。



 あと気になることと言えば、既に一五六三年を過ぎているのにも関わらず、一向一揆が起こっていない。流石に国衆の叛乱と連携するために一揆を遅らせたと言うことは無いだろうが……。

 うーむ。

 徳川家との仲が致命的に悪くなっていないのが一揆が起こらない最大の要因なのか?

 以前起こった徳川家の武士と一向宗門徒の衝突も、兄貴が直接介入することで丸く収まったと言うし。

 まあ、起こらないなら起こらないに越したことはない。現状で一揆なんて起こされてしまったら、三河は完全に詰んでしまう。



 ああ、せめて織田家と正式な講和が結べていれば……。

 どこぞの略奪者と違って信長は軍神並みに律儀者だ。

 なにせ、史実において信長の方から盟約を破ったことは一度もないのだから。一度背後を任せてしまえば、これほど頼りになる同盟相手もいない。織田家の戦力では援軍を貰うのは厳しいが、不戦と言うだけでも背後を気にする必要は無くなり、徳川家は全力で三河国内の乱鎮圧に臨む事が出来る。

 ……こちらから働きかけてみようか。でも、流石にそれは越権行為だろうしなぁ。

 今のところは、水野信元の工作が上手く行く事を願うしかない、か。

 現状ではそれ以外に今川家が持つ織田家との外交チャンネルは無いわけだし。同盟まではいかずとも、不戦条約ぐらい結んでくれれば御の字である。



 そんな悩みを抱えながら評定を行い、駿河から命令が来次第大塚城に攻撃を仕掛けるという方針を決定する。兵力は鵜殿家が動員できる最大規模である千名程。

 今回の出陣にあたって、深溝松平家、五井松平ごいまつだいら家に援軍を要請、無事に承諾される。

 これは非常にありがたい。


「うちの命運がかかった戦だ。絶対に負けるわけにはいかない。各自健闘を祈る」

「ははっ」


 決起評定を終えた俺たちのもとに、駿河から叛乱鎮圧命令が飛び込んできたのは翌日のことであった。

 そして、信じがたい凶報も同時に。




 ――野寺のでら本証寺ほんしょうじ佐々木ささき上宮寺じょうぐうじ針崎はりざき勝鬘寺しょうまんじ鷲塚わしづか本宗寺ほんそうじを拠点として、一向宗門徒蜂起。



謀略って難しいです……。

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