記憶の在り処
あの人が久々に登場。
「踊れ~踊れ~」
塩津塩田の視察から帰ってきた俺の耳に、そんな台詞が飛び込んできた。
ひょろっとした感じがする、割と甲高い声。
何処かで聞いたことがある――というか、駿府にいた頃によく聞いていた声である。
……何故あの人が上ノ郷にやって来ているのだろうか。全く持って謎だ。
義元様のスパルタ教育から逃げてきたのだろうか、それとも何か政治的・軍事的な意図があっての事なのだろうか。
「考える人」のような体勢をとり、ひたすら悩み続けるが一向に答えは出ない。
……駄目だ。考えすぎで眩暈がしてきた。
まあ、奇特な言動で辺りを混乱させるのが得意なお人だ。深く考えても無駄なのかもしれない。
「……早く行きませぬと、色々と不味いのではありませぬか?」
「そうだね……」
政信の声によって悩みの深淵から意識を戻した俺は、その声の本丸の方に向かってドタバタと駆け出したのであった。
~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~
「踊れ踊りゃ~、おじゃおじゃ~」
「いい加減に止めにしましょう。三郎殿に見られたらまた突っ込まれますよ……」
「もう手遅れです……」
館に辿りついた俺を待っていたのは、思った通り若様であった。
側近である三浦備後守正俊殿が止めるのも聞かず、今川家の「二引両」の家紋がデデンと描かれた扇子を持って踊り狂っている。
その姿を見るのは昨年の結婚式以来一年半ぶりだが、以前まで見られた無駄な贅肉は削ぎ落ち、顔つきが多少なりとも立派になったように感じられる。
噂に聞いたところによると、義元様の厳しい教育によって着々と次期当主として経験を積んでいっているとか。顔が引き締まって見えるのもそのせいかもしれない。
……行動は相変わらずだが。
「おお三郎。久しぶりでおじゃるな」
「お久しぶりです……」
俺に気づいた若様が、踊りを止めて声をかけてきた。
こうしてまともに会話をするのは二年ぶり位である。
昨年の結婚式の時は殆ど喋れなかったし……。
いやー懐かしい。
「どうじゃ、そなたも踊らんか?」
「遠慮しておきます……」
「なんじゃ、相変わらず遠慮がちでおじゃるのぅ」
俺の返事を聞くや否や、再び踊りだす若様。それを見る正俊殿は両生類のような奇妙な顔をしている。
……顔芸?
「うんたん、うんたん」
わけのわからない拍子を発して踊る若様と、絶賛顔芸中の正俊殿を交互に見ながら、物思いに耽る。
若様の踊りは見事だ。
こんな意味不明な即席踊りでも、動き一つ一つが繊細さが出ていて非常に美しい。
文化とは程遠い俺のような素人が一目見ても、上手いと言えるレベルなのだ。流石この時代随一の文化人・今川氏真。
しかし、踊りで出迎えられるとは思わなかったなぁ。
てっきり庭で蹴鞠をやっているものだと思っていたのだが。
「備後殿、最近の若様は……」
「御覧の通りです……」
そんな感想を胸にしまい、俺の隣で茫然としている正俊殿に声をかける。
彼は傅役として義元様より幼少期の若様に付けられた人物であり、彼が元服した現在では側近筆頭という立場にある。
ようは若様の「じい」である。
若様の権限が上昇するに伴って、家中における彼の重要度も増してきており、最近では直接政務にも関わるようになって中々の有能さを見せているらしい。
三浦家自体が今川家中でも重臣といえる家柄であることも相まって、若様が正式に当主に就任した暁には、朝比奈家を差し置いて筆頭家老になるのではないかという噂もあるほどだ。
「でも昔からでしたよね。最近は良い評判しか聞きませんし、若様もご成長なされたと言えるのでは?」
「あの奔放さをどうにかしていただかない事には、なんとも申せませんな……」
「甲陽軍鑑」などでは、彼が今川家を滅ぼす元凶を作った奸臣であるかのような書き方をされているが、実際に会ってみてそのイメージはすべて吹き飛んだ。
若様の奔放な行動に対して苦言を呈し、正しい方向へ導こうとするその姿は「苦労人のじい」そのものだ。
織田信長に対する平手政秀のような存在だろうか。
その能力、行動力、忠誠心、どれをとっても若様に必要不可欠な人であることには間違いない。
「ところで、本日はなぜ上ノ郷に?」
「突然お邪魔して申し訳ありませぬ。若様がどうしても行きたいと仰せられましてな……」
上ノ郷に現れた理由を聞いてみると、どうも若様の気まぐれらしかった。
案外俺の顔を見に来たとか、領内検分にきた、ということかもしれない。
あるいは、最近不安定になっている東三河の情勢を直々に視察にきたのか。
とにかく、具体的な意図は若様に直接聞かなければわかるまい。
俺は未だに体を動かしている若様に向かって質問をぶつけた。
「若様、本日は上ノ郷にどのようなご用件でいらっしゃいましたか?」
「よいよい~っと、三河の視察でおじゃるよ。色々きな臭くなってきておるでおじゃろう?」
此方の質問に対して、若様は踊りを止めて丁寧に答えてくれた。
今川本家の方でも当然奥三河の不穏な状況を掴んでいたらしく、義元様の命令で若様直々に視察に来ることになったとか。上ノ郷に立ち寄ったのはそのついで。どちらかというと息抜きらしい。
「三郎の顔を見に来たと言うのもあるがのぅ」
「お気遣いいただき、ありがたき幸せでございます」 若様も義元様同様、結構細かいことに気を配るお人だったりする。
家臣が病気になれば直々に見舞いに訪れ、士卒領民にも分け隔てなく接する。
このお蔭か、若様に対する領民や家臣団からの人望は非常に厚いのだ。
史実において、正室・早川殿が一生に渡って付き従い、朝比奈泰朝とそれに従う将兵が最後まで守り抜こうとしたのも納得がいく。
「さて、三郎。領内の発展具合はどうでおじゃるか?聞けば色々真新しい事をしておるとか?」
「は、はい。じわじわと成長している、といえます。当然上手く行かない事も多いですが……」
突然振られた政略の話に驚き、どもってしまうが、どうにか答えを返す。
今川家を潰したことで低評価されがちだが、この今川氏真という人物は、信長に先だって楽市楽座を行う政治的先見性を持っているのだ。
ついでに和歌連歌蹴鞠その他文化に精通し、塚原卜伝直伝の剣術の腕を持っていることも考えると、戦国大名としてはともかく、政治家、そして一個人としてはこれ以上ないほどにインチキスペックの持ち主である。
「税を取らずに、港に船を集めて経済の活性化と発展を図る……。これは陸にも応用できそうでおじゃるな」
「おお、いい考えでございますな。座の連中が煩そうですが、そこは如何にでもなるでしょう」
どうも若様は自力で楽市楽座に気づいたようだ。いずれ提案しようと思っていただけに、功績を持っていかれてしまった感じがする。
少し残念である。
「どうじゃな、三郎。麿が援助する故、上ノ郷でやってみぬか。もちろん長門守にも話を通しておく」
「お言葉に甘えさせていただきます」
例の法律もどきといい、最近上ノ郷が実験場になりつつあると思えるこの頃。
だが、今川家公認のもとで楽市その他を行えるのは非常にありがたい。鵜殿家だけでは資金的・規模的に限界があるし、大規模な貿易などは今川家の援助が無ければ到底行えないだろう。
援助を受けるという返事を返した俺は、その後若様や鵜殿家臣も交えて今後の方針を話し合った。
これで、仮に犬飼湊が息を吹き返しても蒲郡があちらに負けるということはほぼなくなった。
思わぬ収穫にほくほく笑顔である。
「しかし、懐かしいでおじゃるな。こうやって三郎とのんびりと話をするのはいつ以来か」
「二年ぶりですな。大殿の尾張出征直前、次郎三郎――今は蔵人佐殿でしたか――や上野介殿、助五郎様とお茶会をして以来、ですね」
若様がどこか寂しそうな表情をして語った。
現在、若様は趣味である蹴鞠をやる時間もないほどの多忙な日々を送っていると言う。
ゆったりとしていた昔を懐かしんでいるのかもしれない。
先ほどまで笑顔で踊り狂っていた人と同じ人物であるとは思えないほど、シリアスな表情だ。
「本当に懐かしいのぅ……。この三人に加えて、次郎右衛門も一緒になって騒いでいたでおじゃるな」
「ははは。懐かしくて涙が出そうです」
「はい、旦那様。お茶とお菓子を置いておきますね」
「ありがとう」
「済まないでおじゃるな、次郎法師殿」
次郎法師さんがもってきたお菓子をほうばりながら、若様と雑談を繰り広げる。
未だに数年しか経っていない筈だが、俺と同じく人質として駿府にやって来ていた吉良義安(上野介)殿や北条助五郎様(後の北条氏規)や若様たちと馬鹿騒ぎして、その度に正俊殿に怒られていたことが、もう何十年も昔の事に感じられる。桶狭間に始まるこの二年で色々とありすぎた。
「憶えていますか?助五郎様が「甲虫だーっ」と言って、御器被りを捕まえてきたのを」
「ああ、そんなこともあったでおじゃるな。いやあ、あれには爆笑したでおじゃるよ」
若様がその時のことを思い出したのか、表情を崩して笑い始めている。
それをみた正俊殿も、いつの間にか笑顔になっていた。
「また皆を集めてお茶会、というのも良いかもしれませんね」
「おお、賛成でおじゃる。助五郎と次郎右衛門以外とは中々会えずにさびしい思いをしておった所じゃ」
先に上げた人々の内、徳川元康は岡崎に帰還、吉良義安殿は吉良の家督を継いで現在は東条城に、俺も上ノ郷に入ってからは一度しか駿府に行っていないため、若様が会えるのは必然的に岡部正綱殿と北条氏規様だけ、ということになってしまう。
……寂しかっただろうなぁ。
現代人の感覚からすれば、仲の良い親友に何年もあっていないような感覚だろう。
「……それがしも混ぜて貰ってもよろしいですかな?皆様方だけにすると、何をやらかすか分ったものではありませんので」
「……昔みたいなことは出来ないと思いますけど」
「まあ、良いでおじゃるよ。備後が居らねば、意味がないでおじゃるからな」
こんな感じで止まらなくなった雑談は、その日の夜分、若様が眠気でダウンするまで続いたのであった。
――少年時代の思い出よ。いつまでも永遠に
そろそろ子供を……