行列のできない法律解説書
また短めです。幕間ポイかも。
「うーん、難しい」
「何読んでるの?」
とある日の夜。
上ノ郷城内自室にて、月光と蝋燭を頼りにとある本を読みふけっていた俺に、寝巻姿の次郎法師さんが声をかけてきた。
彼女は興味津々といった感じで此方を覗き込んでいる。
「今川仮名目録?」
「うん。今川家の分国法」
「それは知ってるけど。どうしたの、突然?」
「色々と思うことがあってね……」
俺が読んでいたのは今川仮名目録と呼ばれる、今川家の分国法である。
分国法と言うのは、戦国大名が領内統治のために独自に制定した法律のことで、朝廷や幕府が定める諸法度とは似て異なるものだ。
有名なものだと、この今川仮名目録をはじめ、武田氏の甲州諸法度、伊達氏の塵芥集あたりだろうか。
大名ごとに差異はあるが、その殆どが家中の統制、相続、軍役などを定めている。
先々代・氏親公が死の間際に定めた三十三ヶ条と、義元様が十年程前に追加した二十一ヶ条からなる『今川仮名目録』には、今川領内における武士の訴訟基準や刑事罰則規定などが事細かに記されている。
今回俺がこれを読みふけっていたのは、この法令を参考にして鵜殿領内における領民向けの法律もどきを作ろうとしている為だ。
領民同士の争いが起きたりしたときに、こういう基準になるものがあると作業が便利であるし、なによりも予め裁定を定めて公表しておくことで、訴訟の円滑化と公正化が進み、領民の不満が堪り難くなるのではないか……というのが、この政策を考え出した勝重の言い分である。
実際には領内の不文律を明文化する程度に治まるだろうが、それでも一々確認する手間が省けるという利点はある。
正直、一家臣の身で勝手に法律もどきを作って大丈夫なのかとも思うが、父上経由で義元様に相談したところ、是非とも作るようにと指示を受けた。
俺が今読んでいるのも、義元様が参考にするようにと送ってきてくれた写本である。
どうも義元様は、鵜殿家での法律施行が上手く行った場合、今川家の直轄領内にも似たようなものを導入する腹積もりらしい。
仮名目録の存在はどうしたんだ、とも思うかもしれないが、あれはその大多数が今川家臣である武士(一部寺社)用の法律である。
「えーっと第十五条、用水の設置に関して。……用水は他人の知行地を通るので、その知行地の持ち主には使用料を払いなさい」
「随分と細かいんだねぇ」
頭の中でどうでもいいことを考えながら、写本を読み進めていく。
流石今川家の法律と言うべきか、ずいぶんと細かいことまで定められている。
家臣同士の訴訟規定から始まり、逃げ出した家臣の扱い、果ては漂着物の扱いまで。
仮に問題になった場合、騒ぎが大きくなるであろう事柄に対してはしっかりと基準が示されているのだ。
ここまで細かいところまで制定されているのは、作られた背景が関係しているのだろう。
『今川仮名目録』が制定されたのは氏親公の死の直前のこと。彼の死後、未だに若年であった次代・氏輝公が安定して家中を治められるようにと、この法律は制定されたのだと思われる。
多分、義元様の母君である妖怪ババア(若様談)こと、寿桂尼様の意向も反映されているのだろう。
「第十六条……って、なんじゃこりゃ」
「なになに?」
更に読み進めていくと、わけのわからない記述を見つけた。
――第十六条、他人の知行地(領地)を勝手に売り払ってはならない。
これである。
「他人の知行地って……」
「なんでこんな一文が」
全くもって理解に苦しむ条文だが、ここに載せられているということは、以前に問題になったことがあるということだ。
まあ、戦乱の世の中だし、当主の戦死などで後継者の絶えた領地を近隣の国人が勝手に売り捌く、というようなこともあるのかもしれない。いくらなんでも酷すぎる話だが。
実はこれ以外にも、面白い条文があったりする。
・古文書を持ち出して、他人の領地の所有権を主張するのは見苦しいからやめろ
・借金の期限は六年。それを過ぎても返さない場合、実力行使も止む無し
・流木の所有権
・評定や催し物の際の席順は特に決めない。早い者勝ち、またはくじ引き。ただし、一部の重臣に関しては特例を認める
・幕府なんて知るか。連中からの命令は断固無視
等々。
この中で応用できそうなものもあるため、単なるネタには留まらない事がこの法律の凄いところである。
「紙とってください」
「はい」
「えーっと、領内の農村の立場は皆平等。名主の出自や村落の伝統は関係ない、田畑を売り払うのは原則禁止……」
次郎法師さんに差し出された紙きれに、思いついたことをメモしていく。
ここで思いついたものをどれだけ実用化できるかは分らないが、何もしないよりましだ。
「精が出るねぇ」
「うん……。よし、終わったーっ」
「じゃあ寝よっか」
メモを終えた直後、蝋燭の明かりが消えた。
どうやら次郎法師さんが吹き消してしまったらしい。月明かりに照らされる室内の中に、僅かながら白い煙が流れているのが確認できる。
「いきなり消さないでよ……びっくりした」
「ふふふ、ごめんなさい」
まーた怪しい笑みを浮かべて此方を眺めるこの人。
……絶対なにか企んでるな。
「そーれ、ぎゅーっと」
「苦しい苦しい。離して」
こちらの警戒を意にも介さず、軽い助走をつけて抱きついてきた次郎法師さんに、フェイスロックをかけられたような体勢で布団に押し倒されてしまう。
柔らかい布団の上でじたばたと腕ふり足振り。必死で抵抗するが、がっちりとホールドされて抜け出せそうにない。
「動かな~い」
此方の抵抗をものともせず、ホールドはどんどんときつくなって行く。
それに伴って女性特有の甘い臭いが鼻腔をくすぐり、何か柔らかいものが俺の首筋にあたる。
自分の体温が急上昇していくのが感じられるが、そんなことはこの際どうでも良い。
このままでは、今日も抱き枕兼ペットルート一直線だ!
何とかしなければ、人としての威厳が無くなってしまう!
「お願いしますから離してください。色々と恥ずかしすぎます」
「……こうでもしないと、すぐに働き始めるでしょ?最近あんまり寝てないみたいだし、少しは休まないと体壊しちゃうよ」
「……」
勝重が来てくれたお蔭で書類仕事が減ったとは言え、当主代行としての仕事はそれ以上に多い。
改革にNAISEIにと張り切りすぎたせいか睡眠時間も減ってしまい、毎朝頭痛や吐き気でフラフラなのである。
周りに心配をかけないために何もない振りをしていたつもりなのだが、お姉ちゃんの目は誤魔化せなかったらしい。
「だから、少し休んでください。時間ならたっぷりあるんだから」
「はい……」
少々深刻な顔をしてしまっている。
……心配かけてしまったかな。
「心配かけてしまってごめん」
「ふふ、分ればよろしい。今日はこのまま寝なさい。わたしももう寝るから」
そういって、ホールドを解いて俺の横に潜り込み、ニコニコと笑顔を向ける次郎法師さん。
……今夜も抱き枕にされるは確定のようであった。
内政の続きをやる筈だったのに、どうしてこうなった……。