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僧籍のマドリガル

有能な人材はヘットハンティングするべし。

 



「初めまして、主殿助殿。鵜殿三郎氏長です」

「おう、松平 主殿助とのものすけ 伊忠これただだ。以後よろしく」


 決意から数日後。

 板倉勝重の在住する寺の在り処を、彼の父である好景殿に聞くために深溝を訪れてた俺は、ここの城主・松平主殿助伊忠殿に招かれていた。

 以前の合戦で戦死した父親に代わって家督を継いだばかりのこの人物は、今年で二十五歳。次郎法師さんや富永忠元と同い年である。

 父・好景殿と同様に中々の将才として西三河一帯では名が通っており、その証拠と言うべきか、先日の吉良家の乱では見事に富永忠元の居城・室城を攻め落とし、見事仇討をなしとげている。

 今後も徳川軍の一翼を担う将として史実同様活躍していくのだろう。


「今日は良く参られたな。八右衛門(板倉好重)が来るまで、のんびりと話でもしようじゃないか」


 見るからに好青年そうな雰囲気に、キラキラと輝いて見える表情。

 ……俗にいう「イケメン」である。爆発してしまえ。

 ちなみにこの人の正室は父上の妹、俺にとっては義理の叔父にあたる。


「深溝を訪れるのは先の戦以来ですが、随分と落ち着いていますね」

「まあな。戦が無ければこんなものだ」


 数か月ぶりに訪れた深溝城は、戦時中であった以前とは全く異なり、ゆったりとした空気に包まれている。好景殿の葬儀も無事に終わり、今は新当主の元、新たな時代を生き残るために色々と準備をしている最中なのかもしれない。自然豊かな辺りの情景も相まって、体を休ませるのにはちょうど良い雰囲気だ。

 未来にそっくりそのまま残っていれば、間違いなく森林浴の名スポットとして脚光を浴びたことだろう。それだけに、二十世紀後半の大規模開発によって遺構が丸ごと潰されてしまったことは残念でならない。

 ……某大手自動車メーカーの罪は重い!


「だが、落ち着いていられるのも今だけだろうな。元康様から家督継承を認められ、新たな知行地を賜ったばかりだ。その御恩に応えるためにも、身を粉にして本家のために働かなければなるまい」

「素晴らしい心がけだと思います」


 三河武士や松平分家に忠臣が多いのは周知のとおりだが、その中でも深溝家の忠誠は群を抜いている。

 忠勝たち四天王や、鳥居元忠殿の影に隠れて目立たないが、この家の戦功は彼らにも匹敵する。

 史実の話だが、先代・好景殿は善明堤の戦いで奮戦して戦死、俺の目の前にいる伊忠殿は長篠の合戦で武田信実(信玄の弟)を討ち取る軍功を立てるが戦死、そしてその子である家忠(現在七歳。俺の従兄弟)は、関ヶ原直前、鳥居元忠殿と伏見城に籠城して戦死、と代々が徳川家のために尽して戦場で果てているのだ。

 正直、この中に徳川十六神将とくがわじゅうろくしんしょうに含まれる人物が誰一人としていないことが不思議でならない。

 やはり途中で退場した人物が多いからだろうか。


「むむむ」

「なにがむむむだ」


 ……どうやら知らない間に口に出ていたようだ。某馬超のような突っ込みを受けてしまった。

 表の歴史に殆ど残らない彼らのような人物の活躍を後世に伝える為にも、何らかの形で現在の三河のあり方を伝えなければならない。

 目の前で怪訝な表情を向ける伊忠殿を見ながら、そう思ったのであった。






 ~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~






「失礼いたします」


 伊忠殿と弾む話を繰り広げること一時間程度。

 俺たちのいる和室に現れたのは、ごつい顔面に似合わぬ優しそうなつぶらな瞳が特徴的な、中年の侍だった。

 その侍は伊忠殿の前に移動して跪くと挨拶を始める。


「殿におかれましてはご機嫌麗しゅうございます。板倉八右衛門好重、お召しにより参上いたしました」

「うむ。ご苦労」


 平伏から挨拶の最後に至るまで、こういう事には素人である俺が見ても完璧といえる動作。流石は名奉行・板倉勝重の父親である。


「殿からお話は伺っております。三郎殿。我が次男を幕下に迎え入れたいとか」

「はい。何か不都合があるのならば、さっぱり諦める心算でありますが」


 既に伊忠殿から話が言っていたらしい。

 どうやって切り出そうか悩んでいただけに、幸先の良いスタートである。

 あちらさんがそれを許すかどうかは、まだ分らないが。


「拙者としては、是非といった所でございます。本人の意向を無視して、無理やり僧籍に入れてしまったようなものですので」


 好景殿が語った事情は、この時代にはありがちな事だった。

 板倉勝重……出家名・香誉宗哲こうよそうてつは、幼少期から名奉行としての才覚をあらわしていたらしい。そして、兄・板倉忠重はそんな彼の才能を非常に恐れた。彼は好重殿が知らないのを良い事に悲惨な苛めを続け、挙句の果てには事故に見せかけた殺害まで企んだという。十中八九、継嗣の座を奪われることを恐れての行動だろう。


 戦国時代らしく、ドロドロした話だ。


 家禄が僅かしかない板倉家には、有力豪族のように分家を出す余裕はない。かといって忠重を廃嫡するのはもってのほかだ。そんなことをすれば、長子相続のルールに反するとして、世間から顰蹙を買ってしまう。

 結局、好重殿が宗哲を忠重の魔の手から救うには、武士になりたいと言う本人の希望を無視して僧にするしか道は無かった。宗家に出仕させると言うことも考えたらしいが、当時の兄貴は遠く駿河にいたため、断念せざるを得なかったとか。


「我が家のことながら、誠に情けない話にございますが。恐らく宗哲は中島の永安寺で悶々とした日々を送っていることでしょう。どうぞ、三郎殿の手で彼の才を役立てていただきたい。我が子ながら、あのまま埋もれてしまうのは余りにも悲しい話でございますゆえ」


 本来ならば、俺みたいな他者の前で身内の争いを話すような真似をすることはまずない。家の恥だからだ。だが、それを忍んで全て話したということは、好重殿は宗哲の行く末を心から案じていたということだろう。江戸町奉行として、訴訟の処理に見事な手腕を見せた彼の源泉が見えた気がした。


「なるほど。事情は理解いたしました。そうなると、還俗した宗哲殿には改姓して貰ったほうが良いでしょうか。後々無駄な諍いを引き起こしかねませんので」

「いや、その必要はありますまい。宗哲は分家として正式に独立させます。杢右衛門もくえもん(忠重)には文句を言わせませぬ。拙者の面子にかけてあ奴の不満は抑え込んで見せます」

「……お心遣いに感謝いたします」


 その後、二人との歓談を暫く楽しんだ後、俺は好重殿を伴って深溝城を後にする。香誉宗哲がいるという中島村の永安寺を訪れるためである。

 初めは俺一人で行こうとしたのだが、好重殿が言うには忠重の妨害を受けるかもしれない、とのこと。どうやら彼は宗哲が寺から出るのを絶対に認めない心算らしかった。

 ついでに見ず知らずの俺が行っても、宗哲をはじめとする寺の人間は信じないだろう。彼が同行してくれるのは、此方としても非常にありがたい。


「では、参りましょうか」

「よろしくお願いします」


 深溝城を後にして、一時永安寺への道を進む。

 これから向かう中島村は、先の戦の功によって深溝家の領地に加えられた所である。元々は板倉弾正という人物が治めていた土地なのだが、彼は吉良家に加担したことが発覚して追放されてしまった。

 ちなみにこの弾正と勝重の板倉家との関係はよく分らない。好重殿が言うには「遠い親戚かもしれない」とのこと。


 暫くして、中島村の集落が見えてきた。戦国時代の農村らしく小さな堀のようなものがめぐらされてはいるが、特に大規模と言う訳では無い。同じ三河だからか、上ノ郷近辺に存在する村落と似たような雰囲気である。村の奥手に木々に囲まれた建築物が見えるが、あそこが永安寺なのだろう。

 田畑に囲まれた凸凹道を進み、寺の方角に歩を進めていく。どうやらこの辺りの農民達と好重殿は知り合いらしく、ちょくちょくと歩みを止めては挨拶を交わしたり、俺を含めて雑談をしたりしている。

 江戸時代のような厳しい身分制度を知っている現代人の感覚からすると意外に感じられるかもしれないが、この時代においては農民と武士間の距離はそこまで離れていると言う訳では無い。流石に大名・城主級になると話は別だが、中級以下の武士では半士半農といった感じである場合が殆どだ。二一世紀で当て嵌めるのなら、自営業もやっている議会員といった感じだろうか。ついでに各地にある城も、巨大な軍事施設というものは案外少なく、屋敷や居住スペースであるという事が多い。


 そんな感じで道を行き、ようやく永安寺に到着した。

 装飾が施された寺の正門をくぐり、境内へと入っていく。小高い木々に囲まれた、田舎によくある寺といった雰囲気である。宗派は浄土真宗(一向宗)。

 ただ、安城の本証寺(一向一揆の拠点・武装している)などとは違い、ごくごく普通のお寺みたいだ。

 ちなみに「龍雲の松」で有名な安城の永安寺とは別物である。ここは岡崎だ。


「これはこれは八右衛門様。今日は如何なされましたかな」

「久しぶりですな、和尚。宗哲を還俗させることに相成りまして、迎えに上がりました」

「それはまた急なお話で」


 本堂らしき建物の方からやってきた、僧服を着込んだヨボヨボのお爺さんと好景殿がしゃべっている。どうやら彼がこのお寺の住職さんらしい。


「此方のお方が、宗哲が仕えることになる鵜殿三郎殿です」

「ほうほう……」


 和尚のしわしわの顔が、俺に向けられる。

 何かを値踏みするような視線。

 ……そりゃあ愛弟子を還俗させて武士にする訳だから、仕官先が気になるのはわかるが、そこまでじろじろと見られは気後れしてしまう。


「始めまして、鵜殿三郎氏長です」

「これはこれは、ご丁寧に。わしが永安寺の住職・大誉ですじゃ」


 もう相当な年齢なのだろう。声がしわがれていてうまく聞き取れない。


「挨拶はこの辺で。和尚、宗哲は何処に?」

「少し使いに出しております。もうすぐ帰ってくるはずじゃが……」

「待たせていただきます」


 境内に生え並ぶ松を見て答える。樹齢何年にもなるであろうそれらは、相当な見栄えの良さを誇る。御神木と言う訳では無いだろうが、見るものに感動を与えるようなものである。

 陽光と共に松と松の間を通り過ぎた風が境内中に吹き付け、ひんやりとした空気を流す。

 全体的に日陰になっていることも相まって、初夏とは思えない涼しさである。


「和尚、只今帰りました……父上?」

「おお、宗哲。帰ったか」


 噂の宗哲が帰ってきたようだ。みたところ、若僧といった感じの少年である。当然俺より年上だが。

 事前の連絡なしで現れた好重殿にたいそう驚いているらしく、あんぐりと口をあけて呆け立ちしている。


「突然だが、お前には還俗してもらう」

「げ、還俗!?侍になれるのでございますか!?」

「うむ」


 立ち呆けていた彼に、好重殿が爆弾を投下した。

 それを聞いた宗哲は、見ているこっちが恥かしくなるほどに飛び上がって喜び、いまにも昇天してしまいそうだ。

 よほど侍になりたかったのだろうか。


「しかし、兄上が……」

「心配無用。お前には分家を立てて、別の家に仕えてもらう。お前の才を評価してくれる人物が現れてな」

「!」

「初めまして、宗哲殿。それがし、鵜殿三郎氏長と申します」


 本日何度目か分らない“初めまして”

 だが、第一印象が大切だ。此処で悪印象を与えてしまえば、いくら本人が武士になりたいと言っても、あいつにだけは仕えたくないと言うことになりかねない。

 ……それだけは死んでもごめんだ。


「お、お初にお目にかかります。拙僧は香誉宗哲と申しまして、ここのお寺で修行中の僧でございます」


 丁寧な声で、宗哲殿は返答をくれた。第一印象で嫌われると言う最悪の事態は免れたようで一安心。


「突然で申し訳ありませんが、貴殿には我が家臣になって頂きたい。我が家は人手不足なもので、一人でも多く有能な人材を集めておきたいのです。聞けば宗哲殿は幼少時よりまつりごとの才をあらわしていたとか。今の我が家に必要なのはそういった人材です」

「拙僧の才を買ってくださるのは感謝してもしきれません。ですが、本当によろしいのですか?拙僧は『厄病才』ですぞ……」

「宗哲……」


 喜んでいた筈の宗哲に、どす黒い暗雲が立ち込める。

 厄病才などという言葉は聞いたことが無い。恐らく、兄・忠重に幼いころから言われ続けてきてトラウマになっているのだろう。

 自らの才能は何の役にも立たないと思い込んでいるのかもしれない。

 その言葉を聞いた和尚さんも、悲痛な表情をしている。

 ……なんとかしないとな。


「三河の戦乱は近いうちに治まります。あに……徳川殿の采配ならば、これは確実です。戦乱が過ぎ去って、一通りの平和が来たとき、必ずや貴殿のような才をもった人が必要になります。ですから、どうかそれがしに力を貸して頂きたい」


 誠心誠意、これでもかというほどに頭を下げて仕官を頼む。

 それを受けた宗哲殿は戸惑い、和尚さんに相談を持ちかけている。


「和尚様……」

「わしには何も言えぬよ。じゃがな、侍になるのはそなたの夢だったのであろう?散々蔑まれてきた才を、高く買ってくれるお人が現れたのじゃ。これに乗らぬ手は無いと思うがのぅ」


 何も言えぬとかいいつつ、ちゃっかりアドバイスを出している和尚さん。しわしわの顔からは表情が読み取れないが、還俗に賛成であることは間違いない。

 宗哲殿は好重殿にも振ったが、返ってきたのは和尚さんと同じく「お前に任せる」という返答だった。


「ゆっくりと考えてください。それがしはしばらくこの辺りに滞在する予定なので」

「はい……」


 うんうんと唸って悩んでいる宗哲殿に、声をかけた。

 俺がどれだけ仕官を勧めても、結局最後に決めるのは本人だ。

 決意が定まらないうちに武士になっても、きっと碌なことにはならない。

 ゆっくりと悩んで貰って、自分の進む道を決めてもらいたい。僧籍に残ると言うのなら、それはそれで歓迎すべきことだ。

 この時代、坊主が内政に協力してはいけないというルールは無い。毛利の外交僧・安国寺恵瓊や、江戸幕府初期における天海や崇伝のように、外部のブレーンとして協力を要請することもできる。

 仕官を拒否られても、俺自身が嫌われているのではない限り、彼を引き込む道はある筈だ。

 悩み続ける宗哲殿を尻目に、俺と好重殿は境内を後にした。





 ――宗哲殿が、仕官の勧めを受けるという返答をくれたのは、翌日のことであった。



板倉家の家族関係は作者の創作です。

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