今川家の人々
会話文がおかしい部分があるかもしれませんが、ご容赦願います。
自宅を飛び出して、駿府の町を中を駆け抜ける。
京の都をモデルにして造られたこの町は、戦国時代の町にしてはハイレベルな区画整理が行き届いている。京都同様碁盤の目のように整備された道路の脇に、侍屋敷をはじめとした町屋が計画的に配置された様は、見た目美しい町並みを形成していた。
それと同時に今川氏の本拠地である今川館も、軍事拠点というよりも政庁・御所としての色合いが濃く、茶室、庭園と言った文化施設が設けられ、「東の都」の中心地にふさわしい威厳を誇っているのだ。
規模と文化でこの町に匹敵するのは、京都を除けば越前朝倉氏の一乗谷、大内氏の山口城下ぐらいだろう。
もちろん、戦国大名の本拠地としては些か守りが薄いと言わざるを得ないが、もともとこのあたり一帯は、北に富士山・南アルプスの山並み、南に駿河湾、東に箱根、西に大井川・安倍川・天竜川といった天然の守りに囲まれた、攻めにくく守りやすい土地である。さらに駿府の町が存在する辺りから、甲斐・相模の国境にかけて、大量の城砦による防衛ラインも構築されている。こうした事情も相まって、よ(・)ほ(・)ど(・)の(・)こ(・)と(・)がない限り、駿府の町自体が敵の攻勢にさらされることはないと考えられているのだろう。
そんなことを考えているうちに、目的の屋敷が見えてきた。
それほど大きくないとはいえ、周りをぐるりと築地塀で囲まれ、立派な棟門まで設置された屋敷である。初めてきた人間ならば、間違いなく気後れしてしまうだろうが、幸いなことにここに来るのは初めてではない。
とりあえず塀に沿って棟門の前まで歩を進める。門番に挨拶し、そのまま中に入ろうとしたが、それと同時に何者かに呼び止められた。
「新七郎様ではございませんか。殿に何か御用ですかな?」
どうやら俺のことを知っているようだ。
返答に答えるべく振り向くと、そこにいたのはやはりというか顔見知りであった。
背がかなり高く、全体的にやせ気味という印象を受ける若侍。年齢は20歳ぐらいだろうか。
「ああ、彦右衛門殿。実は兄貴に頼みがありまして。取り次ぎを頼んでもよろしいですか?」
「承知いたしました。どうぞ中へお入りください」
鳥居彦右衛門尉元忠。
見た目では頼りなさそうに見えるが、史実では後世において無二の忠臣・勇将として評価を受ける人物である。
「ところで彦右衛門殿、兄貴と奥方の仲はどうですか?」
「殿が尻に敷かれております」
元忠殿と世間話をしつつ、畳と木の香りが濃い屋敷の中へと入っていく。
この屋敷自体は建造されてから時間が経っている筈だが、森の香りが仄かにするのは、数か月前にこの屋敷の主の婚姻に伴って増改築したからだろう。ところどころ材木が新しくなっている。
しばらくして、前を歩いている元忠殿が畳の臭いの濃い部屋の前で静止した。
どうやらここで待てということらしい。
「殿に声をかけてまいります。ここでお待ちを」
そう言うや否や、元忠殿はもの凄い勢いで部屋を出ていってしまった。あの分だと取次にはそこまで時間がかからないだろう。
彼が戻ってくるまでの間、通された部屋をのんびり眺める。
そこまで広くはないが、畳がしっかりと敷き詰められ、棚に付書院、押板がついた、典型的な室町時代後期の書院造の座敷である。
壁には怪しい掛軸がかけられ、押板の前机にはしっかりと香炉・花瓶・燭台の三具足が置いてある。もともとは会所(客間)だったのかもしれない。
待つこと数分。元忠殿が戻ってきた。
何故か緊張しているようだ。何かあったのだろうか。
「お待たせいたしました。ご案内いたします」
「お願いします」
彼の様子に首をかしげながら、書院造の部屋を出て、この屋敷の主が待つという部屋へ向かう。
あの人と会うのは今年初めの婚礼の儀以来だか、元気にしているだろうか。
同じ人質の身でも、今川家の一門で重臣の嫡男である俺とは違って、次郎三兄貴には家中の風当たりが強い。今の奥方(義元公の姪)と婚礼をあげた後は、それも多少は和らいだらしいが、それでも含むものはあるのだろう。駿府の町を探索していると、今川譜代の家臣たちが陰口を叩いているのがたまーに聞こえてくる。
特に酷いのが、この屋敷の目前に住む孕石主水で、奴は兄貴の身分が低い(と勘違いしている)のをいいことに、顔を合わせるたびに嫌味や罵倒を繰り出し、不満のはけ口にしているらしかった。
……戦国時代にもいじめはあったのだ。
ちなみにこいつは史実では今川家が衰退すると真っ先に武田家に寝返り、最終的にかつていじめていた兄貴自身の手によって引導を渡されているが、それはまた別の話。
どうやら到着したようだ。
元忠殿が平伏し、俺もそれに倣って平伏する。
「新七郎殿をお連れいたしました」
「うむ、入ってよいぞ」
聞こえたのは兄貴の声ではなく、別人のものだった。それもどこかで聞いたことのある声。
屋敷の主である兄貴に代わって返事をするのだから、かなり高位の人物であることには間違いない。
元忠殿が青ざめるのも理解できる。平伏していて正解だった。
閉じられていた襖が、スーッという音を立てて開かれる。
その中から現れた人物を見て、俺は驚愕することになる。
~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~
「二人とも顔をあげてよいぞ」
威厳たっぷりの声に導かれ、元忠殿と二人で頭を上げる。
顔を上げた直後に見えたのは、数人の男女。全員見たことのある顔だった。
その中でもっとも上座に坐した、公家のような男が真っ先に声をあげた。
「久しいな、新七郎。変わりはないかな?」
「はっ、治部大輔様のご尽力により、何一つ不自由なき生活を送っておりまする。」
頭に烏帽子、顔に薄化粧と殿上眉をつけ(お歯黒も塗っている)、多少太り気味ともとれる男性。絢爛豪華な着物を着用しているが、全身から醸し出す高貴な気配によって、いやらしさは全く感じない。それどころか、逆に高貴さを際立たせているように感じられる。
一見公家に見えるこの方こそ、駿河・遠江・三河の三国守護にして、今川本家の現当主。今川治部大輔義元公である。
この方が俺のことを覚えているとは思わなかった。ちょくちょく見かける機会があったとはいえ、直接会話したのは三年ちょっと前、駿府にやってきた直後に一度だけであるし、その時もお互いに儀礼的な挨拶をしただけだった。
「ふふふ、不思議な顔をしておるな。なぜわしが一度言葉を交わしただけのそなたのことを覚えておるのか、疑問に思っておるのだろう?」
……!
まずい。放心していたようだ。あわてて返事をする。
「はっ、驚きのあまり放心しておりました。無礼のほど、どうかご容赦願います」
「よいよい、気にするでない。『これ』を目にしたものは、みな同じような顔をするからのぅ」
義元様は笑って言った。しかし『これ』とは俺を驚かせたことだろうか。ひょっとして義元様には、人を驚かせて楽しむ趣味があるんじゃないだろうかと、邪推する。
「失礼な奴だな。考えが顔に出ておるぞ。わしにそんな趣味などない。ただ、一度覚えた人間の顔は忘れんようにしておるだけだ」
「なるほど合点がいきました」
主君たるもの、下々の人のことまで云々というやつである。頭が下がる。
「そんなことよりも、そんな遠くでは話しづらかろう。近う寄れ」
義元様が手招きしている。一瞬招き猫みたいだ、という失礼な考えが浮かんだ。
「失礼いたします」
正直無礼をするのが恐ろしいので近寄りたくないないが、断るのも当然無礼である。床に座ったまま、のそりのそりと亀のように移動する。
上座から見て正面、人の輪の端っこまで移動すると、義元様が再び語りかけてきた。
「うむ。素直でよろしい。ところで今日は次郎三郎に用があるようだな。わしらのことは気にせずに話すがよい」
「ははっ」
義元様に返事を返し、下座に追いやられているこの屋敷本来の主の方に向きなおり、語りかける。
「お久しぶりです、次郎三郎様。ご機嫌いかかですか?」
「あ、ああ。くるしゅーないぞ。ははは……」
どうやら、突然話を振られたことで驚いているようだ。明らかに動揺している。不意打ちに弱いのは相変わらずのようだ。後ろに控える奥方(新婚ほやほや)も、釣り目をたれ下げて呆れている。
ちなみに義元様をちらりと見ると、大爆笑していた。あんた、絶対わかってやってるだろう……。
(おい、落ち着け次郎三。話を振られた程度で動揺してどうする)
次郎三兄貴の隣に座っていた若い侍が突っ込みを入れた。まるで漫才である。
(すまん、次郎右衛門殿。助かった)
ちなみにこの二人、周りには気づかれていないつもりなのだろうが、バレバレである。
義元様大爆笑。
なんだか情けない登場の仕方になってしまったが、この人こそ松平次郎三郎元康。
のちの徳川家康その人である。
俺とこの人が知り合ったのは、もう三年も前になる。
例によって孕石にいじめられていた兄貴を俺と父上が見つけ二人で援護に入った、という本当に偶然としか言えない出来事があった。
もともと我が鵜殿家と松平家は領地が近いこともあり、あまり仲が良くなかったのだが、それでも助けに入ったのは、同じ三河武士としてなにか感じるところがあったのからなのかももしれない。
そして、父上は俺を一人駿府に残すのが不安だったのだろう。
普段は上之郷にいる自分の代わりに俺の面倒を見ることを兄貴に頼み、兄貴も助けられた例として快く引き受けた。
それ以来三年あまりに渡って、兄弟のような関係が続いているのである。
ちなみにどうでもいいが、兄貴に突っ込みを入れた若い侍は岡部次郎右衛門尉正綱という。一応、今川家譜代の重臣家の当主である。
やがて落ち着きを取り戻し、お茶をがぶ飲みした兄貴が、今度こそまともに返事を返してきた。
「改めて久しぶりだな。新七郎。元気だったか?」
いまさら取り繕ってももう遅いと思うが、顔には出さず返事を返す。
「はい。お久しぶりです。次郎三郎殿。今日はお願いがあって参りました」
「おれとおぬしの中だ。できる限りの頼みは聞こう」
「はい。松平家の歴史について教えていただきたいのです。このたび、御本家(今川家)の繁栄を後世に伝えるために、書を綴ろうと思いまして」
「ほう」
今のは義元様である。何やら考え込んでいるが、とりあえず無視しておく。
「相変わらず年に似合わぬ難しいことを考えるな、おぬしは。だが、御本家の書物になぜ松平の歴史を綴るのだ?」
「拙者が纏めたいのは、今川家に関わるすべての歴史や戦史です。ですから当然、今川家の客将となっている松平家の歴史もまとめておきたいのです」
「……さようか。承知した。だが、流石に今からは無理だぞ。見ての通り大殿を迎えての茶会の最中であるゆえ」
「はい。いつでも構わないです」
とりあえず言質はとれた。明日にでもまた聞きに来れば良い。
さて、用事もこれで終わりだ。流石に招かれざる客である俺が長居をするわけにはいかないし、茶会の作法なんて殆ど分からない。さっさと退室するにかぎる。
義元様の方を向き、挨拶を告げる。
「大殿、用も済みましたゆえ、これにて失礼いたします。お楽しみのところ、余計な時間を使わせて申し訳ございませんでした」
「まあ、待て」
そそくさと退室しようとしたが、義元様に呼び止められる。
なんだろうな、と思いつつ耳を傾けるが、彼の口から飛び出したのは、驚愕の一言だった。
「当家の歴史を綴るというのなら、当主の話を聞くのが一番よかろう。お主さえよければ、今ここで話してしんぜるが。どうかな?」
正直願ってもいない一言である。今川本家の歴史については、後で若様にでも尋ねようと思っていたのだが、まさか義元様の口から聞くことができるとは。
深々と頭を下げて、返事を口にする。
「ありがたき幸せ。ぜひお願いいたします。ですが、お茶会のほうはよろしいのですか?」
「気にするでないぞよ。茶会という名の雑談でおじゃったからのう。父上も有意義な話ができて嬉しいのじゃろう」
義元様に代わって返事をしたのは、なんと若様だった。
部屋の中にいることに全く気が付かなかった。
しっかりと武将らしい雰囲気を醸し出す義元様と違い、この人は見た目も中身も完全に公家被れのバカ殿様である。一応、塚原卜伝に剣術を習っているらしく、剣術もそこそこの腕前があると言う噂だが、生憎俺は一度も見たことはない。
「相変わらずよくわからぬことを考えておじゃるのぅ。新七郎。禿げるぞよ」
「……」
自分の台詞を取られた義元様が若様をにらんでいるが、そんなことに気づかないKYな若様はマシンガントークを繰り出し続けている。
曰く、時代は蹴鞠だ、蹴鞠の良さが分からないのは人間じゃない、蹴鞠が広まれば日ノ本は平和になる云々。流石は戦国のファンタジスタ今川氏真といった所だが、その情熱を別のところに使えと言いたい。
若様がしゃべり続けること数分。
ぶつりと何かがキレる音がした。
「彦五郎、少し黙れ」
ごちん。
へなちょこ若様に明らかなオーバーキル拳骨を食らわせのは、案の定義元様だった。顔が真っ赤になり、頭には井の字が浮かんでいる。滅多に怒ることはない人らしいが、バカ息子に対しては別、ということだろうか。
「ひどい、あんまりでおじゃる。麿はただ、蹴鞠を楽しみたいだけでおじゃるのに。いてて、いていてて……暴力反対!父上、やめてくだしゃれ」
ボカボカと殴られながら、若様はまだ騒いでいる。
この騒動が終わるのに、まだまだ時間がかかりそうであった。
しばらくして、若様に対するお仕置きを終えた義元様が、上座に戻りつつ喋りだした。
「……気を取り直して、まずは今川家のおこりから話すとするかのぅ」
「お願いします、大殿」
部屋の隅では、義元様に蹴鞠禁止令を言い渡された若様が地面にのの字を書きながら蹲っているが、誰も気にしていない。哀れである。
「うむ。我が今川家は上様の御一門・吉良家の分家である、と言うことは既に存じておろうが、その始まりは、足利義氏公の孫にあたる国氏公が義氏公の長子・長氏公の養子となって三河国今川荘を継ぎ、姓を今川と改めたことに始まる。もっとも、その頃は僅か数村を有するだけの一武家にすぎなかったがの」
足利義氏。足利本家(将軍家)の第三代当主で、鎌倉幕府中期の功臣。足利氏中興の祖ともいうべき人物である。ちなみのこの時代にも同名の人が存在している。
「ところで、長氏公には既に実子・満氏公が存在していた。この満氏公こそ、吉良家の祖。つまり、今川家と吉良家はいわば兄弟のようなものだな。ちなみに、長氏公は、義氏公の庶長子での。母が側室であったことから、足利本家の家督を継げなかったそうだ。吉良・今川両家が足利本家の相続権をもっておるのは、このあたりの事情が関係しておるのかもしれんのう」
そういうと義元様は、どこか遠い目をして部屋の外を眺めた。
あまり表にはださないが、この人も腹違いの兄を倒して家督を継いでいるのだ。気にならない訳が無いのだろう。
「当家が飛躍するきっかけを作ったのが、国氏公の子・基氏公だ。基氏公は安達泰盛の乱において戦功をあげ、遠江引馬に所領を与えられて移り住んだという。」
「……わたくしの実家である関口家は、基氏公の次男・常氏公の末裔だと聞き及んでおりますわ」
いままで無言だった兄貴の奥方である瀬名様が、初めて口を開いた。
いかにも名門のお嬢様といった感じの見た目である瀬名様は、とんでもない美人である。こんな嫁さんを貰えた兄貴は爆発しろ。
名門意識が強いゆえに、実家に関係する話題に黙っていられなくなったのだろうか。
彼女の言う通り、関口家は今川家の縁戚であり、家中での序列もかなり高いほうである。
「これ瀬名、控えぬか。大殿の話に口を挟むとは、いくらお前でも無礼すぎるぞ」
「あら、旦那様こそ。主君のまえで狼狽するのは、無礼以前の問題ではありませぬか」
兄貴が慌てて咎めるが、瀬名様には全く効いていない。
……元忠殿のいう通り、尻に敷かれているようだ。桶狭間後に仲が悪くなるのもある意味当然かもしれない。
二人のしょうもない口論は、この後義元様が止めに入るまで続いた。
「……話を進めてもよいかの?」
『失礼いたしました(わ)』
義元様に怒られた兄貴と瀬名様が、小さくなって自らの席に戻る。ついでにどうにか立ち直った若様も、自分の席に戻っていた。
三人が戻ったことを確認すると、義元様は再び講釈を始めた。
「さて、当家の飛躍の話だったかの。先ほどの基氏公には五人の子がおった。建武の新政のおり、出家していた四男を除く四人は全員が足利尊氏様の配下として北条時行の軍勢と戦い、末子・範国公を残して戦死してしまった。この忠勇に報いるべく、尊氏様は範国公を駿河・遠江両国の守護に任じられたのだ。ここ駿府に今川館が設けられたのもこの範国公の時代のことだな」
「つまり、今の繁栄の元を作ったのは範国公だということですか?」
そういって声をあげたのは、ほぼ空気になりかけていた岡部正綱殿だった。
「そういっても間違いはないが、正確には異なるな」
「建武の新政が失敗して、南北朝の動乱が始まると、範国公は当然、北朝(足利尊氏側)について活躍した。その功績がもとで、範国公は室町幕府開府の際に引付頭人に任じられ、京都に在住することが多くなった。代わって両国の統治を担当したのが、範国公の子・範氏公だった。この駿府に館を造ったのも、実際は範氏公であったといわれておる。よって、当家発展に関して言えば、範氏公の功績のほうが大きいのだな」
義元様の説明が終わると、正綱殿は納得した様子で引き下がっていった。
「さて、この時代の当家の歴史において欠かすことの出来ないのが、九州探題を務め、歌人で知られた今川了俊貞世様だな。了俊様は引付頭人から九州探題に抜擢され、九州平定を果たした英傑だった。最終的には大内義弘が引き起こした乱に巻き込まれて失脚してしまうが、その活躍は、今川家の名声を引き上げるのに大いに貢献したと言えるだろう」
「父上。了俊様の歌はどのようなものだったのでおじゃりましょう」
歌人と聞いて若様がアップを始めたようだ。普段では絶対に聞きもしないようなことを聞いている。
「うむ。作品自体は詳しく伝わっておらぬゆえ、詳細はわからぬ。だが、紀行文を著していたり、一説には徒然草の編纂にも関わったと伝えられておるぞ。これで了俊様の話は終わりじゃ」
「話がそれたな。範氏公のあと、五代泰範公、六代範政公、七代範忠公と続き、八代義忠公のころに応仁の大乱が起こる。当時遠江の守護職を斯波家に奪われていた当家は、西軍に属したかの家に対抗するために東軍についた。そして、京都より駿河に帰還した義忠公は、遠江奪還を目指して合戦を繰り返したが、志半ばで戦死してしまう。順当にいけば、義忠公の御子息が家督を継ぐのが妥当ではあるが、残された義忠公の遺児・竜王丸様は当時まだ6つと幼く、当然政務がとれる訳が無かった。そうなると、当然対抗馬が出てくるわけだ。対抗馬になったのは、今川家庶流で武勇に優れるという評判の高かった・小鹿範満だった。」
小鹿範満。確か義忠公の従兄弟だった筈だ。詳しくは覚えていないが。
「当然、家臣団も二つに割れた。もう解決したことゆえ、どの家がどちらについたかは省くことにするが、とにかく今川家の存亡が掛った大事件になった訳だな。結局この事件は、竜王丸様の母方の叔父、伊勢新九郎の仲裁によって『竜王丸様が元服するまで、小鹿範満が家督を代行する』という条件で解決を見た。ところが当の範満本人は家督を返すつもりがなかったようだ。竜王丸様が元服する年齢に達しても、家督を返そうとしなかった」
「流石に痺れを切らせた竜王丸様と伊勢新九郎は、駿府館に範満を攻め、無理やり家督を返上させた。そしてそのまま元服。彦五郎氏親と名乗ることになる。……わしの父上だな。ちなみにこの後、伊勢新九郎は、今川家の支援の元、関東に進出して『北条』を名乗ることになる。……今の北条家の祖になった訳じゃ」
現代でも有名なエピソードではあるが、さすがに当事者ともいえる人物から話を聞くと重みが違う。
父親の話が出てきて嬉しいのか、義元様の講義はヒートアップしていく。
「氏親様の当主としての力量は、歴代当主たちの中でも、特にずば抜けていた。外征においては憎き斯波義達を尾張に追放して遠江を奪還。さらに三河の松平長親や甲斐の武田信虎といった、名高い武将たちとも互角に戦った。内政面においては当家の分国法・今川仮名目録を成立させておる。阿部金山の開発や、遠江の検地といった活動も、氏親様の代に行われ始めたことだな。もちろん伊勢新九郎めの補佐もあったが、奴が真面目に補佐を行っていたのは氏親様ご統治の前半期だけだ」
いつの間にか独立を果たした北条氏に対して含むところがあるのだろうか。そういう義元様の言葉には、怒りがこもっているようにも聞こえた。
「そんな氏親様もやがて亡くなり、今川本家の家督は我が兄・氏輝様が継いだ。氏輝様は中央との関係強化に努めたが、生来病弱だったこともあって、僅か二十四歳の若さで亡くなってしまう。当然後継者がおらず、僧籍に入っていた氏輝様の弟二人が後継者候補として挙がった。花倉の玄広恵探と、善徳寺の栴岳承芳。つまりわしだな」
そういう義元様の目には、薄らと涙が浮かんでいる。お家のために仕方がなかったこととはいえ、やはり血の繋がった兄を自害に追い込んだことを気にしているのだろうか。先ほどと比べて、声も落ちてしまっている。
「大殿。もうおやめ下され。お辛いのでしょう」
「いや、大丈夫だ。今川家の歴史を語るには、決して避けて通れぬ道。お主たちにも話しておかねば、わしの気が済まぬ」
その変化に気づいた正綱殿が止めに入るが、義元様はそれを振り払い、自身の経験した花倉の乱を淡々と語り始めた。
「当時仏門にあったわしは、京都での修行を切り上げて、雪斎とともに駿河に帰ってきておった。そんな時だったな。氏輝様――兄上が亡くなられたのは」
俺たちに語りながら、義元様は当時を思い出しているのだろう。顔を上に向けて目を瞑っている。
「兄上が亡くなられたという急報を受け取った雪斎は、直ちに政治工作を開始しおった。母上や重臣達を通じて還俗の準備を整え、さらに兄上の遺した中央への繋がりと、自らの持っていた高僧人脈を駆使して、上様からは偏諱を賜り、わし自身でも知らぬうちに「義元」と名を改めることに相成った。玄広恵探が挙兵したのはその直後のことだったよ」
「流石は雪斎和尚でございますな。ですが、そこまで準備が整っていながらなぜ花倉殿(※玄広恵探のこと)は挙兵なされたのですか?重臣方の殆どが賛成していらっしゃれば、どう足掻いても勝ち目などありますまい」
次郎三兄貴が、この場にいる全員(若様除く)が思っているであろう疑問を口にした。
兄貴のいう通り、継承権を主張して挙兵するにしてはタイミングが遅すぎる。将軍家の偏諱を貰っていたということは、当時義元様が今川家の次期当主として幕府にほぼ認められていたということを示している。その時点での挙兵は、中央にとっては家督争いではなく、ただの謀反としてとられてしまうだろう。リスクがでかすぎる。もちろん雪斎和尚の迅速な政治工作を恵探側が察知していなかったという理由も十分に考えられるが、義元様の口調ではその可能性は低い。なにか絶対に負けないという根拠があったのだろうか。
「うむ。そなたの疑問はもっともだ。当時の恵探には強力な後ろ盾がついておった。福島家という、当時の甲斐・遠江方面で軍事を司っておった有力家臣でな。あまり知られておらぬが、恵探の母親は福島氏の出での、おそらく奴らは恵探を傀儡とすることで、当家の実権を握ろうと企んだのだろうな。現に母上が福島家優遇を条件に説得を試みるも、見事に失敗しておる」
なるほど。合点がいった。一国の司令官ともなれば影響力はそれなりにあるだろうし、これに同調する勢力も現れるだろう。なにせ恵探側が勝利すれば、家中の勢力図は一編するのだ。義元様を支持した樹慶尼様(義元様の母)と譜代の重臣たちは排除されるか、影響力を著しく低下させ、家中の運営に口を出すことはほぼできなくなる。そしてそれに取って代わるのは、不利な政治状況のなか恵探を支持した自分たち『忠臣』である。
「話を戻すぞ。とにかく玄広恵探は挙兵し、この今川館に攻め寄せた」
「結果はどうなったのでおじゃ?」
若様が言葉を発した。滅多に聞くことの出来ない父親の武勇伝に、少々興奮しているみたいだ。
「……わしらが負けておったら、お主は生まれておらぬわ。奴らにとっては不幸なことに、相手が悪すぎた。何せ指揮をとったのがあの雪斎だったからのぅ。かの織田備後守を相手取って圧勝する男じゃ。福島如きでは相手になるまいよ」
「なるほど」
ここにいる全員がうんうんと首を縦に振った。
義元様の師であり、次郎三兄貴の師でもある雪斎和尚の凄さは、家中どころか国外まで鳴り響いている。いまさら驚くまでもないのだろう。
「そうして襲撃に失敗した恵探一党は、自らの本拠である花倉・上の方城まで引いて、徹底抗戦の構えをみせた。挙兵の情報を察知したのか、遠江や駿河の一部でも奴らに同調する勢力が現れた。もっともその殆どは碌に連携もできない烏合の衆だったせいか、あっという間に鎮圧されていったがの。」
義元様はなおも話を続ける。
「戦局がこちらに傾いたのは、翌月のことだった。福島一党が籠る上の方城を、岡部左京進――次郎右衛門の父だな――が陥落させたのだ」
自分の父親の名前が出てくるとは思わなかったのか、正綱殿本人は拍子抜けした顔をした。それに突っ込みを入れたのが兄貴。さっきとは逆のパターンである。
「それに勢いづいたわしらは、花倉城を一斉に攻めたてた。初めの頃こそ持ちこたえていた恵探も、徐々に支えきれなくなり逃亡。ここに家督争いは実質の決着を見たといってよい。恵探めが自害した、という報せが入ったのは、その後すぐであったよ」
「これで、花倉の話はすべて終わりじゃ。わしが家督をついでからの出来事は説明するまでもないだろう。」
義元様が目頭を押さえつつ言う。おそらくもう泣きかけているのだろう。こちらまで悲しくなってきてしまう。
「のう、新七郎」
「はい」
「このたび話したこと。書に綴るときは一つの間違いもなく綴るのだぞ。花倉においてわしが恵探を討ったこと。決して書洩らしてはならぬ」
「承知いたしました。此度の御講釈、一つの違いなく記すことをお約束いたしましょう」
「うむ。それを聞いて安心した。わしは兄を殺したことは後悔してはおらぬ。後悔すれば、わしを支持して戦ってくれたすべての家臣たちに対して申し訳が立たぬからの。だが、決して正しいとも思わぬ。よいか、新七郎。彼の人物の存在を歴史から消してはならぬ。玄広恵探という男が存在し、今川義元と争ったということ。間違いなく後世に伝えるのだぞ」
そういうや否や、義元様はうつむいてお茶を飲み始めた。
一気に話して疲れたのだろう。うつらうつらとしているようにも見える。
せっかくお茶を出してもらったことだし、俺も少し飲むとしますか。
次郎三兄貴や若様とお茶を飲みながら話していると、こんこんと襖が叩かれる音がした。どうやら先に退室していた元忠殿が戻ってきたようだ。
「うむ。入ってよいぞ」
どうにか復活した義元様が、返事をする。
扉が開けられると、外にいたのは元忠殿と、ぜえぜえと荒い息を立てる中年の侍だった。跪いているため表情は伺い知れないが、どう見ても焦っている。
「おや、源五郎ではないか。どうした。ずいぶんと慌てているようだが、何かあったのか?」
義元様もどこか焦っている様子である。
言葉に動揺が見て取れた。
「はっ、先ほど岡部五郎兵衛殿より危急の使者と書状が届きました故、お持ちいたしました。どうぞご確認ください」
そういって、その源五郎と呼ばれた侍は義元様にボロボロの書状を差し出す。
何が書いてあるかは分らないが、緊急の報告であることには間違いないであろう。
「弟から……?」
俺の隣では、正綱殿も焦り始めている。彼の弟である岡部五郎兵衛元信殿は、今川領の最前線、尾張鳴海城の在番を務めている。そんな彼から緊急の書状が届くということは、国境で有事が起こったことを示していた。
織田家の攻撃か、それとも何か別の問題だろうか。
書状を読む義元様の顔が、どんどん青ざめていく。どうやら、状況はかなり深刻らしい。
「彦五郎、館に帰るぞ。至急対策をとらねばならぬ。次郎三郎、今日はこれでしまいにしよう。いきなり訪れて悪かったな。」
書状を読み終わるや否や、義元様と若様はそういって帰る準備を始めた。
今日はこれで終わりらしい。
「新七郎も済まぬな」
「いえ、こちらこそ。いくら礼を言っても言い足りませぬ」
義元様はそういうと、若様と源五郎殿を引きずってもの凄いスピードで部屋を出て行ってしまった。
「では兄貴、俺もそろそろ失礼します。大殿の話を忘れぬうちに書き留めたい思っていますから」
「うむ。またいつでも来るがよい。お主ならば歓迎しよう。元忠、屋敷まで送って行ってやれ」
「ははっ」
そういったやり取りを背後に、元忠殿に付き添われこの屋敷を後にする。
さあ、義元様の願いを叶える為にも、早く帰ってまとめなければ。
これから先、とても忙しくなりそうな初夏の話であった。
気が付いたらお気に入り登録数が凄いことに。感謝致します。
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