表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/43

空のキセキ

何故か松平家のお話に。

主人公の出番の筈だったのに……。

どうしてこうなった。

 

 吉良家の乱を無事に平定した元康は、開城した桜井松平家の桜井城を接収しつつ、岡崎に帰還する。

 岡崎城への道程には、そんな彼らの勇姿を一目見ようと大勢の領民や家臣の家族たちが集まり、人垣の山ができ始めていた。


「次郎三郎様ばんざーい!」

「松平家ばんざーい!」


 打ち鳴らされる歓声と喝采を聞きながら、元康たち松平党は岡崎城への道をのんびりと行軍していく。

 兵たちの中には沿道に集まった民に対して手を振ったり、謎のパフォーマンスをしている者もいる。


「いやあ、気恥ずかしいですな」

「全くだな。だが、民が当家を信頼しているという証拠だ。為政者としてこれほど嬉しい事は無い」

「左様」


 鳥居元忠と元康が、状況に戸惑いながらもいつも通りの主従の会話を行う。

 三河の民たちが松平家に寄せる信頼は二人が思っていた以上に厚い。

 松平家の歴代当主たちは領内に善政を敷き、敵対勢力に勝利し続けた三河の英雄なのだ。その血を濃く受け継ぐ元康やその家臣団の人気が出ない訳が無かった。

 それに、元康は今回の戦で当主の器を存分に示した。領民たちの信頼を勝ち得るのに十分な実績である。


「彼らの期待を裏切らぬようにせねば。不当な搾取は絶対に許さんぞ」

「はい。家臣たちにも徹底させましょう」


 これからの統治方針を明確にしつつ、彼らは岡崎城への凱旋を果たす。

 梅雨を迎えたはずの空はどこまでも蒼く澄み渡り、流れる雲は白の軌跡を描く。その光景はまるで彼らの帰還を天が祝福しているかのようであった。






 ~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~






 岡崎城内に入った元康を迎え入れたのは、なんと今川義元であった。

 彼は査察のために領内を度々巡回しており、今回は丁度岡崎にやって来ていたのだ。吉良家の叛乱の後始末をする、という目的もあるのかもしれない。 

 ちなみに駿河の内政は氏真に一任してある。彼も当主としての経験を積み、一人前になってきたのだろうか。


「乱の鎮圧、ご苦労であったの。次郎三郎」

「勿体無きお言葉でございます」


 唐突に現れた義元に驚きつつも、元康は返事を返す。対する義元はうんうんと頷くと、雑談を振り始めた。

 この室内には二人以外の人間はいない。


「瀬名とは仲良くやっているか?」

「まぁ、何とか」


 微妙な顔をしながら元康はそう答えた。彼女との間には長男・竹千代と長女・亀姫を授かってはいるが、決して仲が良いとは言えない。

 彼女からは事あるごとに今川家の一門としての自覚が足りぬ云々と文句を言われ、些細な事でも口論になってしまうのだ。


「すまんのぅ。あれも悪気はないと思うのじゃが、どうも余計な誇りを持っているようだな。まったく、誰に似たのか」


 あんたじゃないのか、という突っ込みを元康は心の中で行う。

 少なくとも今川家一族としての高すぎる自覚は、義元の教育の賜物だろう。


「ははは、余り気にしておりませぬ。むしろ、家臣たちにとっては拙者に喝を入れる心強い存在なのでしょう」

「重ね重ねすまぬのぅ……。さて本題じゃ」


 義元はそういうと、緩んでいた表情を引き締めた。今までののびのびとした私人としての顔では無く、戦国大名・今川家当主としての顔。桶狭間の大敗に続く様々な激務と諸問題で以前に比べて痩せてしまってはいるが、それは紛れもなく元康の知る英傑・今川義元のものである。


「松平元康、此度の吉良家平定、誠にご苦労であった。その功績を称して、そなたが切り取った挙母・西条を正式に与える」

「ありがたき幸せ。謹んで拝領いたしまする」


 元康はがばりという音をたててひれ伏した。

 東条城は省かれてしまったが、あれはもともと吉良家の本拠地だ。家督に復帰することになった義安が領するのだろう。まぁ、仕方がない。

 新たに加えられた土地をどのように治めるか。義元が目の前にいるのも忘れて、その考察が元康の頭の中をぐるぐるとまわる。

 挙母はともかく、西条は吉良家の影響が非常に強い土地だ。此処を治めるのは中々苦労することだろう。以前忠次が言っていたが、家中には内政に力を発揮する人材が少なすぎる。現在西条にいる酒井正親をとりあえず城主に任じて人心の慰撫にあたらせる事にするか。


「……悩むのは後でな」

「し、失礼いたしました」


 上の空状態の元康に呆れた義元が声をかけ、彼は我に返った。

 その後も義元と元康は今後の三河における政略を話し合う。東三河の情勢、国境侵犯をしてきそうな武田や織田の動き等々。長い談義の末、西三河の経営が軌道に乗ったところで、東三河の有事の際には松平家も力を貸すという方針を決める。

 それがひと段落すると義元は再び私人の顔に戻り、話し始める。


「のぅ、次郎三郎。改姓するつもりはないか?」

「は?改姓ですか?」

「うむ。そなたの家を悪く言うつもりは全くないが、松平は分家も全て松平じゃ。分りづらいことこの上ない。この間は竹谷と形原を間違えそうになった」

「痛いところを突かないで下され……」


 義元の言う通り、松平家の分家は非常に多い。

 三代当主である信光の時代に台頭し始めた松平家は、西三河における勢力を広げる過程で、血縁者をいたる所に封じて分家を創設。それによる支配力拡大を図った。

 今回の戦で敵に回った桜井松平もその内の一つである。

 そして、初めは数家であったそれらの分家は僅か数十年の間に次々と増殖し、現在では十八を数えるまでに至っている。


 これだけでも異常だが、松平家には他には見られない特徴がある。


 吉良家から別れた今川家、そこから派生した関口家や瀬名家がそうであるように、分家の人間は、本家との区別をつけるために苗字を変えるのが一般的。だが、松平家にはそれが無い。

 本家も松平。分家も松平。

 これだけの数の分家があり、それら一つ一つが有力豪族とも言える勢力を保持している状態でこの有様ではややこしいことこの上ない。義元が混乱するのも至極当然である。

 おまけに彼らは領地同士が隣りあわせであることも多く、それが混乱の原因になってしまっているのかも知れなかった。

 現に、義元の口から出た竹谷家と形原家の二家は隣接している。


「ややこしい分家の方はどうしようもない。せめて本家の方だけでも変えることは出来ぬかの?」

「むむむ、先祖代々の名乗りを軽々しく変えるわけには……」


 元康は悩む。

 今のままでは、義元の言う通り問題が生じることも考えられる。

 だが、先祖代々の姓を変えることも彼には出来そうにない。

 かといって分家の方を改姓させるわけにもいかないだろう。如何せん数が多すぎる。

 それに、彼らは彼らで松平姓に誇りを持っていると考えられる。無理に改姓を強行させれば、それこそ将来に禍根を残しかねない。

 ぐぐぐという呻きっぽい声が元康の口から洩れる。

 それを見た義元は一言。


「変える、ではなく戻るならばどうじゃ?」

「なんですと」


 義元の提案に、元康は軽く驚いて声を挙げた。

 先祖の名乗り、と言うのは一応聞いたことがある。だが、あれはそう簡単に名乗れるものではない筈だ。そもそも、真実であるかどうかも疑わしい。


「確かにあることはありますが、大殿はどこでそれを?」

「少し調べただけじゃ」


 松平家の遠祖と伝わるのは、鎌倉時代初期に活躍した新田義重の四男・四朗義遠。

 その人物の子孫とされる時宗の僧侶が三河松平郷に流れ着き、当時その地を治めていた松平氏の娘婿となって松平親氏を名乗った……というのが、松平家の出自を伝える口伝である。

 もっとも、これは酒宴の席でとうの親氏本人が家臣たちに語ったこととされ、実際のところは不明であるし、代々の当主・家臣たちにも、これを本気にしたものは一人もいない。

 現に、今までの松平氏全般は源氏では無く賀茂氏を称し、使用する家紋もそこ由来の葵である。

 そして元康自身も、これを全く信じてはいなかった。

 その証拠に、以前氏長に松平家の出自を聞かれた際も適当にはぐらかしている。


「ねつ造になってしまいます」

「はっはっは。律義者らしい悩みじゃの。だがな、この戦乱の世の中、出自のはっきりとしたものなどほとんどおらぬ。いても一握りじゃ。そなたが源氏由来の姓を名乗ったとしても、咎める者など誰もおらぬ。それに、今のそなたは今川家の一門。源氏を称しても問題はあるまい」

「……家臣たちと相談してみます」

「うむ。それとな……」


 義元は遠い目をして語る。

 どこか哀愁を漂わせるような表情。

 それを敏感に察知した元康は、崩れかけていた姿勢をピシリと正すと義元の方に向き直った。


「なんでしょうか」

「わしに何かあった時は、彦五郎をよろしく頼む」

「大殿は四十を過ぎたばかり。弱気になられまするな」


 普段の義元からは考えられないような弱気な発言に、元康は軽く動揺する。

 義元は今年四二歳。まだまだ現役を続けられる年齢だ。


「心配をかけさせて済まぬ。だが、桶狭間のような予想外の事が今後起こらぬとも限らぬからの。どうにも心配性になってしまう。それに、あのうつけのことじゃ。わしの監視が無くなれば、和歌に蹴鞠にと精を出して、領内を顧みなくなるにきまっておる」

「御心中お察しいたします。ですが、幾ら若様でもそこまでアホではありますまい」

「だとよいがの。だが、そなたや備中(朝比奈泰朝)が補佐についてくれれば、安心と言うものじゃ」

「ご期待に添えるかどうかは分りませぬが、この元康、全力を尽くさせていただきます」

「……頼んだぞ」


 そして、義元は最後にとんでもない爆弾を投下する。


「もしも彦五郎が仕えるに値しないのならば……。いや、流石にこれは止めておこう」

「……それがようございます」


 元康は義元が言おうとしたことを半ば予想するが、それを考えるのは流石に憚られた。

 下手をすれば、駿遠三がひっくり返りかねない爆弾である。

 それに彼自身、氏真を裏切ろうなどと思うことは今のところ無い。彼とは幼いころからの友人であるし、義元にも恩はある。

 少なくともその恩をすべて返し終わるまでは、彼は今川家にとっての忠臣であり続けようとしているのだ。


「さて、話はこれくらいにして、次郎三郎、領内を案内してはくれぬか?」

「承知いたしました。我が自慢の三河国内、とくと御検分なされませ」






 数日後。

 家臣たちと改姓についての議を行った元康は、それを行うことを決断する。

 義元の勧め通り、先祖とされる人物の名乗っていた姓を新たな名乗りに設定。同時に今まで賀茂氏であった本姓を、其方由来の源氏に改める。

 ただし、改姓の理由は「分家と同じでややこしいから」という情けない理由ではなく「松平宗家を分家とは別格の扱いとする」ために変更された。


 松平家の遠祖・新田四朗義遠。

 そして、その別性「徳川(得川)」


 これが、元康の新たな姓。


 それと同時に、通称を次郎三郎から蔵人佐へと改める。


 ――松平次郎三郎元康改め、徳川蔵人佐元康。

 史実において徳川幕府を開くことになる徳川氏が歴史に姿を現した瞬間であった。

 

次回こそは主人公サイドの日常をやります……。

というかそろそろ出さないと本当にヤバい……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ