勇者伴五郎
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深溝城を出陣した松平元康・庵原之政の率いる4千名余りの軍勢は、以前奇襲を受けた地で松平好景をはじめとする戦没者の供養を行った後、吉良領内深くに侵入。
手始めに東条城の詰めの城である茶臼山城を攻め落とすと、そこを本陣と定めて東条攻略戦を開始した。
兵力では松平勢が優勢。対する東条城の兵力はその半分の2千程。さらにここ数日の連戦連敗によって彼らの士気は下がり気味であり、落城は時間の問題かと思われた。
だが、追い詰められてやけになったのか吉良義昭が覚醒した。
義昭は地の利と東条城の防御設備を最大限に生かして攻め手を悉く跳ね除け、またある時は自ら討って出て松平党に打撃を与える。
そんな彼の豹変、有利である筈の松平党は驚いて一時的に攻撃を中断してしまう。
「うーむ、吉良右兵衛左。ただ傲慢なだけの男かと思っていたが、中々やる」
「ここは一旦攻撃を中止して、作戦を練り直しましょう」
その翌日から松平党の猛攻はぴたりと止んだ。小競り合いこそ起こるが、以前に比べれば微々たるものである。
そして、その隙を見逃すことのない男が一人。
櫓上からその様子を伺っていた富永忠元は、松平家中の戦意が僅かながらに低下していることを見抜いてしまう。
(逆転の機会は今しかない!)
思うや否や、彼は士気高揚のために城内を巡回していた義昭を捕まえて、討って出ることを進言する。
「現在松平家中には油断がある模様です。今反撃を仕掛ければ、勝てはせずとも一時的に引かせる事ぐらいは出来るでしょう」
「よし、やるぞ。作戦はお前に一任する」
「ご期待に応えて見せましょう」
義昭の許可を得て、彼は東条城兵のほぼ全軍を率いて夜討ちを仕掛けるという作戦を考案。
自らの居城・室城とも極秘に連絡を取り合い、実行の準備を整え始めた。
富永伴五郎が再び松平党にその智勇を見せつけるまで、あと少し。
~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~
「いくぞぉぉぉ!ものどもぉぉぉ!」
『おぉぉぉ!』
数日後の夜。
忠元とそれに従う兵たちの咆哮が東条城に木霊する。
つい先日まで下降の一途を辿っていた士気は跳ね上がり、兵一人一人が凄まじい気勢を孕んで松平勢を睨みつけている。
――これならば行ける!
忠元はその光景を眺めて思う。
松平党のみならず、今川軍まで加わった敵勢に太刀打ちできるものとは思えず、せめて一矢報いる事が出来たならと挑んだ今回の戦だが、ここへきて思わぬ好機が転がってきた。
これだけ士気が高ければ敵兵を追い払うどころか、以前のように大勝することもできるかもしれない。
「開門!」
「ははっ」
直後。
東条城の大手門が開かれ、忠元率いる城兵の一団が、目下に陣取る松平勢目掛けて猛進を開始した。
大将である忠元自らが先頭に立ち、大きな槍を振り回しながら雄たけびをあげて松平党の中に突撃していく。
それを迎え撃つのは松平の先鋒を預かる松井忠次隊。
「ここで夜襲かよ」
「とにかく迎え撃て」
この先鋒隊に参加していた忠勝と亀丸が、攻め寄せる吉良兵に対応する。
この夜襲をある程度予測していたこともあって、陣中における混乱は余りない。
だが動揺はしてしまう。
先日までは攻める側だったのが、今は一転して守る側だ。
それに、忠元によって率いられた吉良兵の戦意は高い。
兵の練度や個々の強さこそ松平党に劣るが、それを忠元の見事な采配と天を衝かんとする勢いで補っている。
戦慣れしてきたばかりである忠勝や亀丸にとっては明らかに強敵であった。
「くそっ。吉良兵なんかにここまで押し込まれるなんて」
「『なんか』とはなんだ!……ぐえっ」
彼らを含めた松平党は善戦するも、余りの勢いに押され、徐々に城の包囲陣から遠ざかっていった。
対する吉良兵の勢いは戦闘開始から数刻たっても止まらない。
大将である忠元が自ら槍をふるい、彼の前に立ち塞がった松平党の勇士たちを次々と斃している。
さらにそれに感化されたのか、彼に付き従う兵士たちも、彼らよりも強い筈の松平家の武士に臆することなく向かっていく。
戦場のあちこちで鍔迫り合いの火花が飛び、一人また一人と敵味方問わずに力尽きて、屍を地に晒す。
文字通りの乱戦になった戦場で、忠勝と亀丸はひたすらに敵兵と打ち合いを続けていた。
自らの持つ武器と敵兵の武器がぶつかり合い、激しい金属音を打ち鳴らす。
敵兵たちは動き続けて体力がすり減っているはずだが、動きはまるで衰えない。
「このままでは埒が明かんな」
「首の取り放題だが流石にきつくなってきたぜ!」
二人とも軽口を叩いているが、そろそろ体力的に限界なのだろう。顔には大量の汗が浮かび、疲労の表情が見える。
「どりゃああああ!」
「おっと」
その隙をついて一人の吉良侍が飛びかかって来るが、忠勝はひらりと身を躱すと無防備になったその背中に名槍を突き立てた。
ぐしゃり、と何かが潰れる音と紅き雫が飛び散り、侍はばたりと倒れて動かなくなる。
「きりが無いな」
「ああ」
そういった直後のことだった。
――ドドドドドド
馬蹄の音が響きはじめ、東の方角からなにかが二人のいる戦場目掛けて近づいてくる。
それらがもつ松明の数を見る限りかなりの数だ。
敵の増援か……?
亀丸がそう思うのも無理はない。
だが、その予測はいい意味で裏切られた。
「庵原美作守見参!」
今川軍の到来。
茶臼山本陣の元康が、包囲軍の危機を聞きつけ送り込んだ援軍である。
自らと同等の勢いをもつ新手の襲来に、さしもの吉良兵も逆に押し返され始める。
「ここまでか。引き金を鳴らせ」
その様子を見ていた忠元は、これ以上の継戦は味方に無駄な血を流すだけと判断し、撤退の指示を出した。
混沌としていた戦場に、濁った鐘の音が響く。
それを聞いた吉良兵たちはすぐさま戦闘を中断し、東条城へと引き返し始める。
見事な退却。それを追う余力は松平党にはない。
(……)
忠元は無言で唸る。
室城の軍勢は間に合わなかったか。
本来ならば、室城のある北東の方角に押し込み、同城から討って出た兵と挟撃してあわよくば壊滅させる作戦だったのだ。
それが松平勢の思いのほかの奮戦で予定の半分も押し込めず、逆に今川勢の救援によって此方が撤退しなければならなくなってしまった。
だが、彼らに痛手を与えたことは確か。これで一時的に包囲は解けるであろう。
そうすれば、光明も見えてくるはずだ。
忠元は東条城に向けて馬首を返しながら、松平党とそれに合流した今川軍を睨みつけたのだった。
「あれが富永か」
そんな彼を眺める男が一人。
庵原之政である。
今川家重臣であり、桶狭間の激戦で生き残った経験をもつ彼は、見事な采配で夜襲を行った忠元を心の中で絶賛していた。
――落ちぶれた吉良家にもまだあのような将がいたか。是非とも戦場でお手合わせ願いたい!
「武者震いがするのぅ」
彼は湧き上がる身震いを何とかして抑えつつ、来るべき東条城攻城戦で忠元と対決することを夢見る。
それが実現するかどうかは、流石に分らない事であったが。
「先鋒を命じられておきながらこの失態。腹を切ってお詫びいたします……」
「まて、早まるな」
翌朝。
兵の疲労困憊によってこれ以上の包囲は不可能と判断した松井忠次は一度包囲を解き、全ての軍勢を茶臼山の本陣に引き上げた。
責任感の強い彼は、主命を最後まで果たすことの出来なかったことから切腹を考えるも、元康の必死の説得によって何とか思い留まる。
だがそれでは本人の気が済まなかったのか、自主的に謹慎を申し出ると、元康の返事も聞かずに自領である幡豆郡小山田村に単身で戻ってしまった。
「やれやれ、あの頑固者にも困ったものだ」
元康は呆れつつも残された松井勢の指揮を彼の弟である松井光次に任せると、新たな作戦を練り直し始めた。
幸いと言うべきか敵の挟撃作戦は失敗に終わり、昨夜の合戦における味方の損害は予想よりも少ない。城主級の武将で討たれたものもいないそうだ。
今川軍の援護もあり、如何にか滞陣を続けられそうである。
「しかし、富永伴五郎。あいつを討たねば東条の城は落ちまい」
噂に違わぬ富永忠元の活躍ぶりに、元康はうんうんと唸る。
奴を如何にかしなければ、東条城を落城させるのは難しい。おまけに吉良義昭も名門を鼻にかける傲慢な人間とは思えないほどに手ごわく、彼らの連携の良さも相まって東条城は鉄壁の守りになりつつあった。
かといって、忠元ほどの名将を野戦に釣り出すのは難しいだろう。誘い出すために下手に隙を見せれば、昨夜のような襲撃を受けかねない。
……いっそのこと、相手にしなければよいか。
散々悩んだ挙句、元康は力攻めを諦め、包囲による持久戦に方針を切り替えた。
津平・小牧・糟塚に砦を構築して東条城を包囲、補給路を完全に寸断。さらに好景の仇討ちに燃える本多広孝・松平伊忠(好景嫡男)に軍勢を与えて忠元の居城・室城を攻撃させる。
ついでに幡豆郡南方に残る吉良方の諸城にも兵を向けて、東条城への救援を行わせないようにする。
時が立てば立つほど東条城は困窮し、戦意も落ちていくことだろう。こうなれば、いかに戦上手の忠元でもどうすることも出来ない。
焦って吉良軍が出撃して来れば、この茶臼山城から大軍を出撃させ、奴らを悉く討ち果たせばよいだけである。
背後の桜井が気にならないでもないが、先日安翔城に攻め寄せた彼らの軍勢を大久保忠員と長坂信政が撃退し、桜井城の戦力はガタ落ちしているという。
彼らがこの陣の背後をつける可能性はほぼ無い。
仮に動けたとしても、西尾城には千を超える軍勢がいる。それを突破することは彼らの戦力では不可能だ。
「彦右衛門、評定だ。皆を集めてくれ」
「御意」
相変わらずそばにいた元忠に指示を出すと、元康は作戦の最終調整に移った。
今のところ、策に問題は無いように思える。
包囲のために戦力を分散させなければならないのがネックだが、3つ砦の位置は比較的近い。何処か一つが攻められても、すぐに救援を出す事が出来るだろう。
とにかく実効あるのみ。
彼はそう意気込むと、家臣たちがやって来るのを待つのだった。
松平軍の包囲網構築、それに伴う味方諸城との連絡途絶。これにもっとも焦ったのは、吉良義昭であった。
まあ、当たり前のことだろう。もともとメンタルの強くない彼からすれば、籠城しているだけでも神経が磨り減らされていく気分を味わったというのに、城ごとじりじりと追い詰められていけば精神に異常をきたしてしまうのだろう。
東条城・城主の間。
吉良義昭はここの片隅に蹲り、がたがたと震えていた。当然武者震いなどではない。恐怖心からくる精神的パニックによる震えである。
もともとは名門らしい立派な黒色をしていた頭髪は灰色に染まり、顔は青ざめ、血の気も無くなってしまっている。
更にもう何日も食事にも手をつけていないのか、ガリガリに痩せ細りつつあった。
どうにか自我を保っているが、それがいつ崩壊してもおかしくない。
「殿。富永伴五郎、お召しにより参上いたしました」
そこへ富永忠元が入室してきた。こちらはこちらであまり元気がないようである。
もともと挙兵準備の途中で攻め込まれたため、城内に兵糧の蓄えは殆どない。
それをどうにかして持たせるべく、彼は自分の分の食事を削り兵たちに回しているのであった。
「こ、こここの城ののの、ほほほ包囲をををを、ききき切り崩すにははは、どどうしたらよよ良いいいい」
「……」
氏長が見れば「壊れた蓄音機」と表現するような、ガタガタと震えた声をあげて義昭が忠元に問う。
――哀れな。
それを聞いた忠元は内心で自らの主君にこれ以上ない侮蔑と憐れみを向けた。
名門としての自信と誇りに満ち溢れていた筈の表情にはもはやその面影もなく、今では恐怖に震えるのみ。
荒川義広と自分が散々忠告したのにも拘らず、無謀で無策な挙兵を行った挙句かこの様である。侮辱はしても同情など起こる筈もなかった。
はっきりいって、彼は仕える主君を間違えたとしか言いようがない。
だが、どれだけ目の前の主君が情けない人間でも、彼は裏切るわけにはいかないのだ。
名門吉良家の筆頭家老・富永家の現当主として、この家の末路まで見届けるのが自身の役割だ。
それに妥協は許されない。
「……」
義昭は何かにすがるような瞳で彼を見つめる。
忠元は無言で見つめ返す。
「ばばば伴ごご五ろろろ郎うう」
「……」
しばらく意味の無い見つめあいが続いた後、やがて忠元は返答を発した。
「この城を囲む3つの砦のうち、最も近い小牧砦を狙います。上手く行けば、包囲を切り崩し、室城との連携を回復することができるでしょう。どうぞご許可を」
「よよよし、やれれれ」
策の成功率を考えることもなく、義昭は即答した。
その返事を確認した忠元は短く返答を返すと足早に城主の間を立ち去る。
この愚か者とこれ以上同じ屋根の下に居たくないのかもしれなかった。
忠元は歩きながら思う。
恐らく、これが俺の最後の出陣になる。
松平党の3つの砦の連携は完璧だ。此方が攻め落とすよりも早く救援部隊が到着する。
そうなれば、軍は3方向から襲撃を受けて間違いなく壊滅してしまう。
それに義昭の前ではああいったが、既に室城をはじめとする吉良方の諸城は殆どが陥落するか降伏している。
今更砦の一つや二つを攻め落としたところで、もうどうにもならないだろう。
ついでにいえば、目標である小牧砦を守るのは庵原之政率いる今川軍の精兵だ。士気の下がった吉良兵では到底攻め落とせるとは思えない。
だが、やるしかない。
この策以外に包囲を破る手段など思いつかないし、城の兵糧も底を突きつつある。
敵に降れば話は別だが、あんな状態になっても名門としての無駄なプライドをもっている愚かな主君は、絶対に降伏などしないだろう。
――兵には無駄なことをさせてしまうな……。
忠元はそう思いつつ、城内に向かって叫び声をあげる。
「きけえぃ。これより富永伴五郎、松平勢に最後の攻撃を仕掛ける!命の惜しくないものは我に続けえええぃ!」
数刻後。
東条城を出陣した忠元率いる数百名の決死隊は庵原之政守る小牧砦に猛攻を仕掛ける。
初めの方こそその勢いの強さで今川兵を押していた吉良軍であったが、やがて残る二つの砦から援軍が駆けつけるとあっという間に形勢は逆転。
また一人、また一人と討ち倒されて、遂には彼を含めた数十騎だけとなってしまう。
東条への退路は全て塞がれ、辺りには松平の兵が集まりつつある。もはやこれまでだ。
忠元は自らが追い詰められた川の畔で、生き残った兵の顔を眺めつつ今までの人生を回想した。
彼の脳裏に、走馬灯が溢れる。
室城に生まれ、父親の戦死と共に家督と吉良家の筆頭家老の座を継いだこと。
五年前の三河の乱に吉良軍を率いて出征したこと。
そして、今川家に対して無謀な叛乱を企む義昭を諌めるも、叶わなかったこと。
二五年の短い人生であったが、富永家の使命を果たすことができたのだ。悔いはない。
回想を終えた忠元は、自らに付き従ってきてくれた兵に頭を下げると、彼らに松平勢への降伏を進めた。
「俺の無謀な出撃につきあわせてしまって済まなかった。お前たちは松平に降伏するといい。次郎三郎殿は誠実なお方。決して無為には扱うまい」
「いえ、我々も覚悟のうちでしたから。最後までお供いたします」
「すまん」
忠元の目に僅かながらに赤みがかかる。
それを気取られないように、彼はそっと頬当てをつけた。
「では、行くとするか」
「ははっ」
最期の会話を終えると、忠元と残りの兵たちは川の流れを背後に、並み居る松平勢に対して最期の突撃を敢行する。
「我こそは吉良家筆頭家老・富永伴五郎忠元なり!我が首を手柄としたいものは、かかって来るがよい」
――一五六一(永禄四)年五月一二日。富永伴五郎忠元、三河国幡豆郡鎧ヶ淵にて討死。享年二五。
彼を討ち取ったのは、以前から松平好景の仇討を遂げると息巻いていた本多広孝とその手勢だったという。
そして、富永忠元という要を失った吉良義昭は、彼の死後から数日後に無謀な出撃を行い、東条城下で討死。
ここに、西三河を少しだけ揺るがした「吉良家の乱」は終息した。それに伴って、抵抗を続けていた松平家次も桜井城を開城して降伏する。
吉良家自体は義昭の実兄・義安が継ぐことでどうにか滅亡を免れたが、その領地は大幅に削減され、僅かに幡豆郡のごく一部を支配するだけの弱小勢力になってしまった。
もっとも、支配欲の薄い義安からすれば、そんなことはどうでもよい事なのかもしれなかったが。
それからしばらく後。
忠元の戦死を惜しむ人たちによって、彼が討死にしたその場所に、彼を祀る「伴五郎塚」が築かれる。
富永忠元。
彼は死してなおも、彼と戦った人々の心に強敵として残されるのであった。
ようやく終わった……。
次回はようやく日常パートです。