さあ進め
合戦描写が上手くいかない……。
大勝利からしばらくたち、兄貴を迎え入れた深溝城内は吉良領への侵攻準備で大忙しである。
八割がた準備は完了しているが、最後の大詰めなのだろう。
ドタバタと城内を走り回る人間の足音が響き渡り、少々耳触りだ。
叔父上は今この場にはいない。
兄貴や先日駿河からやってきた援軍の将・庵原之政殿も交えて、吉良領攻略の為の軍議の真っ最中。
なんでも、軍勢を二手に分けて行軍するとかで、そのための調整を行っているらしい。
吉良家領内には西条城と東条城という二つの大きな拠点が存在する。
先の勝利と援軍到着の勢いを持って、この二つをいっぺんに攻略してしまう腹積もりなのだろう。
「戻ったぞ」
「お帰りなさい」
叔父上が戻ってきた。
軍議は順調に進んだようで、その顔には満足そうな表情が浮かんでいる。
「我らは西条を攻めることになった。出陣の用意を」
「はい」
叔父上の口から、出陣先が告げられる。
指示を受けた鵜殿家の兵たちが、ドタバタと慌ただしい音を立てて出陣の準備を始めた。
西条城。二十一世紀においては西尾城として知られる城。
そこが、俺たちの攻撃目標らしい。
「西条を攻めるのは我らだけですか?それとも……」
「酒井雅楽助殿の軍も一緒だ」
酒井雅楽助正親殿は、清康公の代から仕える家臣の一人で、鳥居忠吉殿に並ぶ忠臣である。
同族である筈の酒井忠尚とはとんでもなく仲が悪く、先代・広忠公の代には彼と争いを繰り広げたとか。
取り立てて戦上手という訳ではないが、中々に実績のある人物であり、友軍としては頼りになるだろう。
何をしでかすか分らない酒井忠尚に比べれば遥かに信頼がおける。
「それは心強うございますな」
「うむ」
その後も叔父上の話を聞くところ、松平の本隊と今川家からの援軍は吉良義昭と富永忠元が籠る東条城の攻略に全力を注ぐらしかった。
富永忠元は強敵だが、兄貴と庵原殿ならば負けることは絶対に無い。
それに、ここ数日の間に別働隊を率いた本多広孝殿が、吉良側の小城や砦を次々と攻め落とし、彼らの戦力は激減している。
東条側はまともな抵抗をするだけでも精一杯だろう。
戦が終わった後、彼らの武勇伝を聞くのが楽しみである。
~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~
「富永伴五郎の相手が出来ずに残念でございますなぁ」
「楽でいいじゃん」
深溝城を出陣した俺たちは、酒井正親殿の軍とともに西条城に向けての行軍の最中である。
俺の隣で、政信が何やら愚痴っている。
生粋の武人である彼としては、富永という強敵と戦えなかったことが残念なのだろう。
前回、深溝城攻防戦において富永忠元が現れなかった理由は非常に単純であった。
降伏した吉良兵が語ったところによれば、彼は深追いは禁物と慎重論を語ったせいで家中の顰蹙を買い、何者かの讒言にあって大将の任を外されてしまっていたらしい。
どうやら吉良家中には忠元がこれ以上武功を挙げるのが気に入らない人間がいるようであった。
「富永伴五郎を大将から外すとは。吉良家も終わりですな」
政信が、遠い目をして語る。
流石に今回の戦では彼が大将として出てくると思うが、最早士気と兵力の差は明確。
以前のように、大胆不敵な奇襲を仕掛けると言う訳にもいかないだろう。
案外、吉良義昭諸共あっさりと降伏してくるかもしれない。
「吉良右兵衛佐は無能では無いかもしれないけど、傲慢すぎた」
「まったく」
そんな会話をしながら行軍を続ける。
田畑と野山が遠々と続く光景に、思わずため息が出る。
今は三月。春を迎えるか迎えないかという時期である。
空気は未だひんやりとしているが、風もほとんどなく、地面にちらりと目を向けると若草色の雑草がぽつぽつと現れ始めている。
一面新緑色と言う訳ではないが、まるで緑の絨毯が敷き詰められているような、そんな風景である。
その中を行軍する千五百の軍勢。中々趣があるかもしれない。
「見えてまいりましたな」
「あれが西条城……」
鎌倉時代中期、足利義氏によって築城されて以来、二百年以上に渡ってこの地に存在し続けてきた城が、鵜殿軍の前に姿を現した。
西条城。二一世紀で言う所の西尾城。
室町時代初期に西条・東条の二家に分かれ、つい二十年ほど前に統一されるまで、骨肉の争いを繰り返してきた吉良氏。
その一方、西条吉良家の本拠がここ西条城なのである。
「流石は吉良氏二百五十年の地。中々に壮観でございますなぁ」
それほど大規模ではないが、大小たくさんの櫓が連ねられ、城郭の殆どを木製の塀や柵に囲われた巨大な砦のような城。
辺りよりも小高い丘の上に立てられた数々の建造物が、攻め手である俺たちを見下ろしている。
攻めるのには中々骨が折れそうだ。
一族間で争いを繰り返してきた名残りであろうか。
ちなみに、江戸時代以降の西尾と言えば三河三都のうちの一つ(残りは岡崎と豊橋)としてそれなりに有名ではあるが、この時代においてはその繁栄の影はあまり見られない。
一応、幡豆郡の中心地としてある程度の発展は見せているが、この地が近世都市として本格的に発展するのは、安土桃山時代末期、田中吉政が三河半国の主としてやって来てからのことである。
「さてと、どう攻めるか」
「なかなか骨が折れそうですな」
所かわってここは本陣。
叔父上と正親殿が、あらかじめ用意してあった縄張り図を基に作戦を練っている。
実はこの城、以前今川家に属していたことがあり、内部の構造はほぼ判明しているのである。
俺の目の前に存在する縄張り図を見る限り、見た目に反してあまり大規模な城郭ではない。
せいぜい本丸と二の丸、それに付随する帯郭が存在しているだけだ。
だが、小高い丘の上にあるせいで、攻めのぼるには一苦労しそうである。
「幸い、吉良衆の殆ど東条に詰めているせいか、城内に兵は余りおらぬ模様。ここは正面から攻めても問題ないものと思われます」
「それしかないな。損害を恐れて時間をかけすぎるのはよろしくない」
丁寧な口調で喋っている方が正親殿だ。今年四十を越えたばかりの中年の武将である。
兄貴が人質として駿府に在住していたころ、何度か駿府の松平邸を訪れて来られたことがあり、俺とは顔なじみである。
「よし、攻撃準備だ」
「承知」
どうやら正面から攻める、という作戦で行くらしい。
本陣から隊長クラスの侍が飛び出していく。
「叔父上」
「なんだ?」
「西条城内には、今川家の宝刀が納められたという御剣八幡宮がございます。今回の戦でここが焼失でもしようものなら当家の名折れと存じます。是非とも行って守りとうございます、御許可を」
以前若様に聞いたことがあるのだが、西条城内に存在する御剣八幡宮には、源義家から伝わったとされる名刀二振が納められているらしい。
吉良方の雑兵足軽が、敗走時に持ち逃げしないとも限らない。
「別に構わん。だが、そこに辿りつくためには城門を破らねば話にならんぞ」
「承知しております」
それからしばらくして、西条城攻略戦の火蓋が切って落とされた。
城兵の放つ矢玉をものともせず、松平・鵜殿の兵たちは正面から大手門に向かって突撃していく。
もともと数百人程度の城兵では、千を超える軍勢の一斉攻撃に耐えきれるはずもなく、あっという間に大手門は突破され、そこを切り口にして味方の波はドバドバと西条城に侵入していった。
そんな中、俺と政信とその他数名の足軽は、目的の場所を目指して郭の中を走っている。
落城までに抑えなければ、何が起こるか分ったもんじゃない。
最悪、焼失してしまう。
たまに出くわす吉良兵をばったばったとなぎ倒し、ひたすらに御剣八幡宮を目指して移動する。
そしてようやくたどり着いた。
とある郭の片隅に、ぽつんと存在している社。
古ぼけた社殿は、今川家が勃興した数百年前より変わらずに立ちつづけているらしく、時代を感じさせる。
辺りには誰もいない。この辺りを守っていた兵は、主戦場となっている本丸方面に移動してしまったらしい。
静かすぎて逆に恐ろしい位だ。
そのまま社殿に近づき、内部を確認する。
荒らされてはいないようだ。
「どうにか間に合ったようですな」
「よかったよかった」
俺と一緒に来た政信や兵たちも安堵のため息を漏らしている。
「しかし、随分と古い社ですな。ここに今川家の宝刀が?」
「若様曰く、源氏の祖・足利義家公より伝わった友切丸・龍丸の二振りが納められているとか。実際はどうだか分らないけど」
「……」
政信は黙ってしまった。
伝説の真偽について考え込んでいるようである。
足利義氏が吉良長氏に託し、長氏の手から吉良・今川両家に伝えられたという宝刀。
見れるものなら見てみたいが、勝手に本殿を開けるわけにもいくまい。
「それはともかく、吉良の敗残兵が逃げ込んでこないとも限りませぬ。警戒を強めなければなりませんな」
「うん。……おや?」
ふと本丸の方を向くと、味方の旗が揚がっている。どうやら陥落直前か、もう攻め落としたのだろう。
攻城戦は終了だろう。
「今回もあっけなく終わってしまいましたな」
「まあ、ね。もともと大した戦じゃなかったし」
そんな会話を交えながら、叔父上がやって来るまでの間、俺たちは神社の警備を続けたのだった。
次回は元康サイドです。