表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/43

初陣

ご意見・ご感想宜しくお願い致します。

 


 三河国額田郡ぬかたぐん深溝ふこうず


 俺は今、ここを治める深溝松平家への援軍の一員としてこの地に赴いてきている。



「挙母を攻める間、深溝家だけでは吉良家の動きを抑えるのは難しい。是非とも鵜殿家の力を貸していただきたい」


 俺がこの場に派遣されることになった切っ掛けは、兄貴から派遣された援軍を請う使者であった。

 今年の初めに発覚したという吉良家の謀反計画をぶっ壊すべく、兄貴は挙母に出陣。

 その間の吉良家に対する抑えとして、うちの助力を必要としたのだった。

 松平党の戦闘力ならば、残留戦力だけで吉良家を抑え込めると思わないでもないが、奴らの身内には富永忠元という厄介極まりない将がいる。

 万全を期すに越したことは無い、という兄貴の判断だろう。

 流石は『石橋を叩いて渡る』を地で行く人だ。


 それはともかく、その要請を受けた父上はすぐに援軍の派遣を決定。叔父・長忠に兵五百を付属して深溝に派遣する。

 この援軍の中に、晴れて初陣を迎えさせられることになった俺も無理やりねじ込まれたのである。






「三郎、お前ももう戦に出れる歳だ。今回の派兵で初陣を飾るがよい」


 次郎法師さんとの新婚生活――といっても、毎日将棋や囲碁をやってゴロゴロしているだけ――を満喫していた俺に、父上がいい笑顔でその一言を言い放った時の衝撃は今でも忘れられない。


 ついにこの時が来たか。

 俺も今年で十三歳だ。もう戦に出ても良い年なのかもしれない。

 一応この時に備えて政信に武芸を教わったり、兵法を学んだりと鍛錬は欠かさなかったつもりだが、やはり緊張するものだ。


「こら、嫌そうな顔をするな。元服して嫁も迎えたとは言え、武士たる者、戦を経験せずして一人前とは言えぬ」

「嫌じゃないですけど。突然すぎませんか?」

「相手は吉良家。名門とは言え、半ば落ちぶれた家だ。次郎三郎殿が負けることはあり得まい。箔をつけるのには丁度良い」

「兄貴の武功のおこぼれに預かれってことですね、わかります」

「そういうことだ。さっさと具足をつけなさい」

「はい」


 父上と問答を繰り返しながら、運ばれてきた鎧を家人に手伝って貰いつつ身に着け始める。

 越中式褌の上から薄い色の袴を着て、さらに腰を下ろして脛当てをつける。

 それに伴って、体が重くなる感覚がするが、まだまだ序の口。


 脛当てをつけ終わると、今度は籠手をとりつける。

 現代でいうならば、長い手袋をつける感覚だろうか。だが、薄い皮のあれとは違ってこっちは鋼鉄だ。

 ぎちぎちと腕が締め付けられるような触感に見舞われる。


「きつい……」

「我慢しなさい」


 籠手の装着が終わると、いよいよ鎧本体を身に着け始める。

 ガチャガチャという鈍い音をたてて、鋼の要塞が自分の体に纏わりついていく。

 亀にでもなった感じである。

 以前、鎧着初よろいきぞめという行事の時に着た事があるとはいえ、やはり馴れない。


「おー。なかなか似合ってるじゃん」


 いつの間にかこの部屋に入ってきていた次郎法師さんが声を挙げた。

 その手には大きめの鏡が握られている。


「はいこれ。確認してみなよ」

「ありがとう」


 鏡を手渡され、鎧を纏って武士っぽくなった自分の姿をそれ越しに見る。


 確かに似合ってはいるのだが、いまいち冴えない姿である。

 なんというか、細長いサツマイモが鎧を着ているみたいな……。

 色が赤茶色一色だからだろうか。

 俺が来ている甲冑は、有名な戦国武将が着用していた様な立派なものではない。

 量産品のような形をした、よく言えば無骨、悪く言えば地味な鎧である。

 一応申し訳程度に装飾が施されてはいるが、まるで目立っていない。


「俺、一応嫡男なんだけど。こんなんでいいのかなぁ……」

「気にするな。お前のおじい様も、この鎧で初陣を果たしたのだ。地味な見た目は、派手な活躍で払拭すれば良い」

「そうそう。義母様かあさまが仰っていたけど、この鎧には見た目じゃなくて、武功で目立てって意味があるんだって」


 父上と次郎法師さんの解説を受けてしまった。


「努力します」

「うむ」


 こんなやり取りをした翌日、俺は叔父上に連れられて上ノ郷を出陣。

 その日の午後には、深溝に到着したのだった。






 ~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~






「まさか、三郎様の初陣の相手が吉良家になろうとは。世の中何が起こるか分らんものですな」

「俺もビックリだよ。吉良右兵衛佐義昭。こんな無茶な行動を起こす人間だとは思えないんだけどなぁ」

「大方、今川家の力が弱まったと思い博打を打ったのでしょう。他家の援助もなしに、よくここまで大それた行動を起こす気になったものですな」

「まったく」


 長い回想を終えて、初陣の介添え役として今回の出兵に同行してきた政信と話す。

 現在俺たちがいるのは、深溝城最西端の郭内。物見の兵に交じって、敵さんの城がある方角を眺めているのだ。

 この城の正面に広がる山々が邪魔で吉良領内を直接眺めることはできないが、幸い空は快晴。怪しげな狼煙等が上がれば、すぐに発見することができる。


「今のところ吉良方に目立った動きはないようですな。次郎三郎様が挙母を攻めようとしていることに気づいておらぬのかもしれませぬ」

「案外、荒川甲斐守が裏切ったことにも気づいていないのかも」

「……あり得ますな」


 義昭の計画をばらした八面城主・荒川甲斐守義広は、富永忠元と並ぶ吉良家最高幹部ともいうべき人物だ。

 叛乱計画がそんな人間の手によって暴露されているなど、義昭は考えもしないだろう。

 吉良家の名に絶対の自信を持つ彼は、それだけで家中を完璧に従えていると思い込んでいるらしかった。


「吉良右兵衛佐は『三河において、吉良家でなければ人ではない』と申したという噂も広まっております」

「なんじゃそりゃ。平家かよ」


 裸の王様。

 最早その名は何の力も持たないものになっていることにも気づかず、崇められて当然と考え、周りの人間に害悪を撒き散らす。

 本人はそれが当然だと思っているのだから、尚更性質が悪い。


「流石にこれは誇張でしょうが、名門意識に少々傲慢になっているのは間違いないでしょう」


 家柄「だけ」で世が治まるならば、三管領(細川・斯波・畠山)家や土岐家・大内家などは、今頃天下に覇を唱えていたことだろう。

 そもそも、この戦乱の時代が訪れることは無かったはずである。


「彼の目には、激変する時代が見えないんだろうね」


 応仁の乱以降、それまで室町幕府を支えてきた家柄重視による統率は完全に成り立たなくなった。

 三管領、四職などと呼ばれる代々幕府の要職を務めた名門大名たちは軒並み没落し、いまでは僅かに命脈を保つのみ。

 将軍家ですらボロボロになり、有力大名を頼らなければ幕府の維持すらできぬ有様である。

 吉良義昭には、その時代の流れが見えていないようであった。


「言うなれば、御器被りですな。あの男は」

「ははは。確かにそうかも」


 台所の汚い閃光、黒光りするあれである。

 退治するには無駄な労力を使い、かと言って放っておけば、食品その他に様々な悪影響を及ぼす。

 今の吉良義昭は今川家にとってのG虫だ。


「まあ、吉良右兵衛佐はどうでもいいよ。それよりも厄介なのは富永だね」


 富永伴五郎忠元。

 二一世紀においては全く知られていない人物だが、史実において、彼は一度だけとはいえ旗揚げ当時の徳川軍を散々に打ち破っているのだ。(善明堤の戦い)

 しかも、それは今年(一五六一年)のことである。

 吉良家との戦いにおいて最も注意すべき人物であり、もっとも攻略するべき人物でもある。


「何とかして奴を討てる方法は無いものか」

「正面から撃破するしかありますまい。かの者には小細工はほぼ通じませぬ故」

「やっぱりか。くそ、右兵衛佐だけなら楽なのに」


 それからしばらく、俺と政信は対富永を肴にして雑談を続けるのであった。






 その日の午後。

 どたばたと城内が騒がしくなってきた。

 伝令役と思わしき武者がドタバタと走り回り、そこら中から叫び声が上がっている。

 吉良家に動きがあったのだろうか。だが。特に連絡は受けていない。


 慌ただしい城内を眺めていると、軍議で席を外していた叔父上が帰ってきた。

 表情は暗い。軍議でなにかあったのだろうか


「叔父上、この騒ぎはなんですか」

「ああ、三郎か。今しがた軍議が終わってな、此方から吉良家に対して攻勢を仕掛けることになった」


 攻撃?

 それって命令違反なんじゃ……


「……ここの軍勢は抑えが任務ではないのですか?」

「ああ、酒井将監殿が強硬に出撃を主張なされてな。東条城を包囲するらしい」

「……止めなかったんですか?」

「俺も本多殿も何とか思い留まらせようとしたさ。だがなぁ、どうにも焦っているらしい」


 酒井将監忠尚殿は、酒井忠次殿の叔父にあたり現在は酒井一族の筆頭とも言える立場にいる。

 三河武士には珍しい我欲が非常に強い人物であり、忠次殿が兄貴の側近として着実と地位を固めて行っていることに焦っているらしい。

 一族筆頭の座をとられるのが嫌なのかもしれない。


「大丈夫でしょうか」

「わからん……」


 叔父上の顔はどんよりと不安に沈んでいる。


「我らも出るのですか?」

「いや、我々は留守番だ。出撃するのは酒井殿と本多殿、それに深溝殿だ」

「ようは松平軍ほぼすべてですか……」

「そうなるな。一応、ここの守りは主殿助殿が担当することになっている。我らが留守役なのは彼と親戚だからだろう」


 深溝松平家の嫡男である主殿助ぬいどのすけ伊忠これただ殿の妻はおじい様の娘。つまり俺にとっては義理の叔父にあたるのだ。

 一回も会ったことないけど。

 今年で二十五歳の若武者らしい。


「俺はこれから主殿助殿と会って、いろいろと決めなければいけないことがある。三郎、軍は任せたぞ」

「分りました」



 そして、その日の夜。



 ぶおー。ぶおー。


 緊迫感を持った法螺貝の音が城内に響き渡る。

 出陣の合図だ。

 それと同時に深溝城の門が開かれ、騎馬武者や足軽たちが列をなして城を後にしていく。


 どうやら、夜のうちに吉良領内に侵入してしまうらしい。

 朝早くには東条城を囲むつもりなのかもしれない。


 暗い夜空に浮かぶ月を見ながら、一人物思いにふける。


 史実において、松平軍は富永忠元の前に連戦連敗であった。

 特に今年行われるはずであった善明堤の戦いにおいては、深溝家の当主・松平好景よしかげ以下かなりの数の将兵を失う手痛い敗北を喫している。

 歴史の流れが違ってきているため、流石にこの戦いが起ることは無いだろうが、どうにも嫌な予感がぬぐえない。


 ……酒井忠尚という獅子心中の虫もいる。

 あの男なら、出世競争のために邪魔になりそうな味方をわざと死に追いやるという、非道な真似を平気でしかねない。

 家中においては大身であるため、今回の総大将を任されたらしいが、兄貴も内心では警戒しているらしい。

 お目付け役ともとれる本多広孝殿が一緒のうちは、下手な行動をとるとも思えないが。


 ともかく、何が起こってもいい様に心の準備を整えておこう。

 最悪、鵜殿軍を動かす必要も出てくるかもしれない。


 ――叔父上に相談しなければならないな。


 そう思うと、室内へと踵を返した。






 ※※※※※※※※※※※※





 翌朝。


「三郎様、一大事ですぞ!」

「むにゃむにゃ……。もう少し」

「寝ている場合ではございませぬ、起きて下され!早く外へ!」


 ぐっすりと寝ていたところを政信に無理矢理叩き起こされた。

 足元がフラフラする……。

 まだ寝ていたいが、激しい剣幕で早く早くとせかす政信は、布団に戻ることを許さないだろう。


「何かあったの?」

「何かどころではありませぬ。昨夜出陣した軍勢が、散々に打ち負かされて敗走して参りました」

「……!」


 驚いて完全に目が覚めた。

 悪い予感は見事に的中してしまったらしい。

 顔が険しくなり、早足になっているのが自分でもわかる。


「敗残兵はどこに?」

「虎口(城門)です」

「わかった。急ごう」



 焦る思いで城門のある郭に辿りついた俺が見たものは、想像を超える敗残兵の姿だった。

 全員が全員、皆どこかを負傷しており、無事な者などいないという有様だ。

 いたる所で挙がる呻き声が、悲惨さをより強調している。

 幾人か見覚えのある顔が混ざっているので、昨夜出陣していった者たちで間違い無いのだろう。


「急いで手当をしてやれ!」


 叔父上が残留役だった兵に指示を出している。

 俺も動いた方が良いだろう。


「叔父上、俺も手伝います!」

「おお、三郎か。今すぐに動けそうな者をまとめて集めてきてくれ。人手が足らん」

「分りました」


 城内を走り回り、老若男女を問わず声を掛けて城門に向かわせる。

 傷の手当てができるのならば誰でもよい。


「手の空いている方は、城門で兵の救護をお願いいたします!」


 一通り声をかけ終わると、相変わらずくっ付いてきている政信に話しかける。

 こんな惨状になった


「敗因は?」

「吉良領内に侵入して少しした後、敵方の奇襲を受けたとか」


 迅速な奇襲。恐らく伏兵でも張っていたのだろう。

 どうやら吉良方は此方の動きを読んでいたらしかった。

 こんな芸当ができるのは奴しかいない。


「富永か……」

「はい。生き残った兵の話では、あの男が采配を振るっていたとのこと」

「味方の損害は?」

「かなり酷い、としか聞いておりませぬ」

「そうか」


 しかし、何故此処まで酷い損害を受けたのだろうか。

 それが気になって仕方がない。

 桶狭間の時みたいに、楽勝ムードの中奇襲を受けたのならまだわかるが、松平軍にはそんな雰囲気は微塵も無かった。

 それどころか、昨日の出陣前に酒井忠尚殿が富永に注意しろ、と諸将の前で警告を発したばかりなのだ。

 その警告が無意味なほどの将なのだろうか、富永忠元は。


「勢いに乗って、吉良家が深溝に攻め寄せてくるかもしれませんな」

「あり得ない話じゃないよなぁ……」


 そんな会話をしながら城門に戻ると、被害状況が明確になってきたようだった。

 陰鬱な顔をした叔父上が頭を抱えていた。


「どうかしましたか……?」

大炊助おおいのすけ殿が討ち死になされたそうだ……」

「!」


 衝撃。思わず倒れそうになってしまう。

 大炊助とは、松平好景のことである。

 善明堤の戦いが起らなかったことによって戦死を免れた筈の彼が、今回の敗戦で斃れてしまった……。

 歴史とは残酷なものだ。


「大炊助殿はな、崩れる味方を逃がそうと、たった十騎ばかりで吉良軍の前に立ち塞がったそうだ。その場を見た者の話では、真に三河者らしき最期であったと」

「左様でございますか……」


 政信が俺の後ろで涙ぐんでいる。

 彼も三河武士の一員として、胸が熱くなっているのかもしれない。


「そういえば、吉良軍はどのような手を使ったのですか?ただの奇襲でここまで損害が出るとは思えないのですが」

「ああ、それなら……」


 叔父上の話を纏めるとこうだ。

 富永忠元は、自らが僅かな共を連れて松平軍の正面に立ち塞がることで彼らの注意を引き付け、周囲への警戒が薄くなったところを、伏兵に攻撃させると言う大胆不敵な戦法を取ったらしい。

 正面ばかりに気を取られていた松平軍は、予想外の攻撃に大混乱。総大将の酒井忠尚は何とか体勢を立て直そうとするも、上手く行かずにやがて敗走。

 総大将の敗走によって完全に統率を失った兵たちは、あっという間に崩れ次々と吉良兵に討たれてしまった。


 これが先の戦いの真相らしい。


「僅か数十騎で千近い軍勢の前に立ち塞がるって……」

「正に怪物、ですな」


 富永忠元。とんでもない強敵らしい。


「聞いたところでは、吉良軍がこの深溝に向かってくるそうだ。三郎、覚悟しておけよ」

「……承知しました。ところで叔父上、俺に一つ策があるのですが」

「よし、聞こう」






 ※※※※※※※※※※※※







「深溝城の者ども、きけーい!我は吉良家臣、尾崎修理である。今すぐに城を開いて、名門たるわれらの足元に跪くがよい!」

「その言葉、そっくりそのままお返しいたす。我らが主君は松平のみである!」


 ついに吉良軍が攻めてきた。兵力は千といった所だ。


 現在、吉良方の大将と思わしき尾崎某という人間と、酒井忠尚殿が舌戦を行っている。

 てっきり富永忠元が出てくると思っていたのだが。


「我らの背後を突く、という可能性もございますぞ」

「うん」


 政信も不信に思っているようだ。

 何処か釈然としない様子で語りかけてきた。


「言葉は語りつくした。後は弓矢を持って語るべし!」

「我らが温情を跳ね除けるとは、天に背く行い。その身に思い知らせてくれる。攻撃開始!」


 傲慢とも取れる台詞を吐いて、尾崎某が手に持った采配を高く掲げた。

 ついに俺の初陣の始まりである。


 怖い。

 だが、近くに政信という歴戦の猛者がいるお陰か、驚くほど冷静を保てている。


「三郎様の背後は拙者がお守りいたします。どうぞご安心を」


 政信に声をかけられながら、敵兵が迫ってくる城門の方を向いた。

 わーっという声を挙げて、吉良兵が俺たちの守っている城門に向けて突撃してくる。

 深溝城の大手門を守るのは、鵜殿家の兵五百名。先の敗戦で戦力の減った松平党では、敵兵の勢いを殺せないかもしれないからだ。

 それに、彼らには大事な仕事がある。

 意地でも城門を守らなければ、彼らの出番に繋ぐ事が出来ないのだ。


「まだだ、まだ射るなよ。もっと引き付けてからだ」


 叔父上の指示を聞きながら、弓の弦を引く。

 敵はじりじりと城門に迫ってきている。

 城門の前には空堀やら土塁やらが存在しているが、不安だ。


「今だ、放てっ」


 俺も含めた兵たちが、一斉に弓の弦を放した。

 鋭い風切音が空気を裂き、放たれた矢が敵兵に向けて降り注いでいく。

 それを受けて、矢じりが急所に突き刺さったと思わしき兵がばたりばたりと斃れる。


 だが、敵兵の勢いは止まらない。


 何人かの兵がハリネズミのようになりながらも如何にか土塁・空堀を越えて丸太を城門に向かって放り投げ、それがぶつかるたびに門はぎしぎしという鈍い悲鳴をあげる。

 その後ろでは、此方と同じく弓を持った兵が、城内に向かって矢を撃ち掛けてきている。

 此方の弓と同じような音が鳴り、味方の頭上に矢の雨が降る。銃弾が飛んでこないだけましだ。


「うわっ、掠った」

「おお、中々上手い身のこなしですな」


 そんなことをいう政信は、ひょいひょいと降り注ぐ矢を躱している。

 流石は歴戦の武者。


「もう一発、射てーっ」


 すかさずに弦を引き、もう一発。

 再び敵陣に矢の雨が降る。


 以下、それの繰り返し。

 何度も死にかけ、矢が突き刺さりそうにもなるが、その度にギリギリのところで回避する。



 敵兵も粘る。だが、やはり城という拠点があるのと無いのでは大きな差がある。

 土塁・空堀を中々越えられず、その身に矢を受けてバタバタと倒れていく吉良兵。

 同じように攻められている場所に目を向けるが、他も皆同じような状況である。


「そろそろだろうな」


 叔父上が呟いた。

 策がなるのはそろそろだろう。


『うおおおおおおっ』


 そう思った次の瞬間。敵陣の後方で、強い鬨の声が上がった。

 敵の背後に回り込んだ、本多広孝殿率いる松平党の奇襲である。


 俺が叔父上に進言した策は、別働隊を利用した挟撃作戦。

 まさか採用されるとは思わなかったが、どうやら先に同じような作戦を立てた人物がいたらしい。

 其方の策を採用したのだろう。


「我こそは本多彦三郎広孝なりっ!吉良の者ども、大炊助殿の仇をうたせてもらうぞぉ」


 雄たけびをあげて、広孝殿が叫ぶのが聞こえる。

 好景殿に守られたという広孝殿は、吉良軍を討ち、仇をとろうと必死なのだ。

 この別働隊の大将にも、自ら志願したという。


「松平党に負けるな。我らも出陣!」

「おう」


 深溝城の城門が開き、槍をもった足軽たちが崩れ始めた吉良軍に追撃をかける。

 城兵と別働隊、両方からの挟撃を受ける形となった吉良軍は完全に崩壊。陣形を保てずに退却と言う名の敗走を開始した。


「我らも出ましょうぞ」

「うん」


 弓から槍に武器を持ちかえ、俺と政信も城門を飛び出して逃げ遅れた敵を倒していく。

 城門の前に、もう敵は殆どいないが。


「尾崎修理、本多彦三郎が討ち取ったり……」


 ……敵将が討たれてしまったようだ。

 戦ももう終わりだろう。


「あっけない終わりでしたな」

「怖かったけど」

「なんの、すぐ馴れますぞ」


 これから先、この国は大きな騒乱に見舞われるだろう。

 一向一揆、東三河の乱、そして場合によっては武田家。


 ――俺は生き残れるだろうか。


 一抹の不安が脳裏をよぎるが、弱気になってはだめだ。

 世は弱肉強食。

 少しでも弱みを見せれば、すぐさま倒されてしまうだろう。


「鵜殿氏長」の歴史は幕を開けたばかりなのだから。

 せめて後世に残る活躍をするまでは、死んでも死にきれない。


 ――意地でもこの戦乱の時代で名を遺してやる!


 初陣を飾った直後に、俺はそう決意するのだった。






 深溝城の攻防戦は、松平(今川)方の大勝利に終わった。

 敵将・尾崎をはじめとする兜首が幾つも上がり、討ち取った兵も数知れず。

 別働隊を率いて勝利に貢献した本多広孝は戦功第一と讃えられ、ついでに挟撃作戦を進言した氏長もそれなりに称された。

 富永忠元の不在と言う謎を残しながらも、深溝城は勝利に沸いた。


 そして、数日後。

 挙母を抑えた松平元康が深溝城に入城する。

 吉良家の叛乱に伴う西三河一帯の騒乱は、節目を迎えようとしていた。






富永忠元が不在だった理由は次回。

13/02/01ご指摘を受けて、少し修正いたしました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ