下市場の合戦
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松平軍の出陣を知った挙母城主・中条常隆は驚きつつも、被官である鈴木重直とその軍勢を引き連れて城外の下市場に布陣。迎撃準備を整えた。
(侵攻が早すぎる。我らの謀は漏れたか)
中条常隆は自らの本陣で思案する。
松平家が義昭の計画に気が付くのは、早くとも今年の夏頃であろうという意見が大半を占めていたのだ。
寝耳に水。
辛うじて迎撃体制を整えることに成功したものの、完全に整っていない軍備では、精兵と名高い松平党とまともにやりあえるかどうかすら不安であった。
吉良家の救援は絶望的だ。
恐らく吉良義昭はこの事態に何の動きもとるまい。
いや、謀が漏れたことにも気がついておらぬかもしれぬ。
だが、戦わない訳にはいかない。
勢力は小さいが、中条家は幕府において守護職を務めたこともある鎌倉以来の名門だ。
戦わずして膝を屈するなど、武門の恥である。
最後の一兵まで戦い抜いて、意地を見せる……!
「殿、松平党です!」
「ついに来たか」
鈴木重直の報告に、常隆は顔色を変える。
南より現れたのは、ドドドという地響きを鳴らして迫りくる軍勢。
三つ葉葵の御紋が描かれた軍旗が空に翻り、激しい土煙を巻き上げて此方へと徐々に迫ってきている。
当然、此方の存在にも気づいているのだろう。
遠目から見ても、その勢いと威圧感には気押される。
常隆は今からでも挙母城に引き返したい気分に駆られるが、落城までに援軍が到来する望みはほぼ無い。
それに、挙兵に備えて改築中の挙母城では、籠城したところで松平党を防ぎきれるとは到底思えない。 どちらにしろ、ここで迎え撃つしかないのだ。
「矢掛けの準備を」
「はっ」
彼は重直に指示を出す。
勇猛な松平党相手ではどこまで効果が出るか分らないが、やらないよりはましだ。
そして、両軍が間近まで接近する。
「かかれ、かかれ!」
「挙母を余所者に渡すな、迎え撃て!」
両軍の大将の大声と法螺の音によって、戦いの火蓋が切って落とされた。
兵士達の叫び声が戦場一帯に木霊する。『下市場の戦い』の幕開けである。
先手を取ったのは中条方。
鈴木重直率いる前備が、一直線に突っ込んでくる松平勢先鋒に対して矢を降らせる。
「矢を射かけよ!」
「怯むな、突っ込め」
ひゅんひゅんという音を立てて飛んでくる矢を華麗に捌きながら、先鋒隊に加わっている本多忠真が叫ぶ。
当然そばには忠勝の姿もある。
「今回こそ兜首をとってやるぜ!」
「鷲津の時のようになるなよ!今度は助けられるかどうか分らんからな!」
今川義元より拝領した名槍を構え、矢雨が降り注ぐ中を怯むことなく突撃していく。
桶狭間では取れなかった大将首を取るつもりらしい。
「どけえええええ!」
「ひいっ」
「うわあああ」
群がる雑兵足軽をものともせず、忠勝は敵陣の中央めがけて突き進む。
忠真はその姿に呆れながらも、可愛い甥っ子を守るべくその後を追うのであった。
「全く、あの一家は。自重と言うものを知らんのか」
「ははは。平八郎も殿のために、と頑張ろうとしているのでしょう」
本多家が最前線で大暴れしている頃、松平党の先鋒の指揮を執る酒井忠次は、軍監として同行している石川数正に話しかけていた。
「彼らの働き、軍監として是非とも殿にご報告しなければなりますまい」
「頼むぞ。働きが評価されぬと、わしが文句を言われそうだからな」
軍監というのは戦場において軍律違反が無いかどうかを確認したり、手柄を挙げた武士を記録する役目をおった、いわば現場監督であった。
武将たちの論功行賞において絶大な権限を握る代わりに、非常に恨まれやすい立場でもあるのだ。
「彼らの大活躍のおかげで、敵軍は激しく押されております。総崩れになるのも近いかもしれませんな」
「だとよいがな」
忠次は、前方で挙がる乱戦の音を聞きながら無意識のうちに考察に浸る。
松平党には血の気の強い人間が多い。長坂九郎しかり、本多一族しかり。
合戦においては頼もしいことこの上ない。
その一方で政略に強い人間が多いかと言われると、答えはノーだ。
せいぜい石川数正と鳥居忠吉、そして主君である元康ぐらいだ。ずば抜けた才があると言えるのは。
一応自分も才はあると自負している方だが、彼らに比べるとどうしても見劣りする。
(今のままではまずいかもしれんな)
それに、家中において内政家や外交家は批判される傾向にある。
以前石川数正が外交政策を評定で進言した時も、彼を軟弱者扱いして非難するものが続出したという。
確かに侍である以上、武力至上主義の考え理解できる。
だが、このままではだめだ。
自分たちが今川傘下の一勢力であるうちはまだ良いかもしれない。
だがもしも今川家と決別し、松平家が大名として独立した場合、内政に強い人間が非難されてしまう現状では領国経営は無理だ。確実に破綻する。
そうならないためにも家中の雰囲気を改め、人材の発掘を行わなければならない。
(今度、殿に進言してみよう)
忠次はそう決めると、再び戦場に目を戻したのだった。
~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~
酒井忠次が松平家のこれからについて悩んでいる頃。
前線で戦う忠真は、それなりに身分のあると思われる侍と戦闘中であった。
「どうした。その程度ではわしの首はとれんぞ?」
凄腕という訳ではないが、歴戦の侍であることは間違いない。
彼が繰り出す槍の一手一手を上手く受け流し、反撃を繰り出す。
対する忠真もそれを楽々と捌きながら、侍が隙を見せる瞬間を狙う。
かきり、かきりとお互いの槍が交差し、金属音を鳴らす。
周りでは雑兵たちが乱闘を繰り広げているが、お互いに気にしてはいない。
そして、何合が打ち合った時だった。
がくり、という小さな音。
「隙あり!」
疲労か困憊か。
侍の体勢が崩れた。それを見逃さず、忠真は強い一撃を繰り出す。
体勢の崩れかかった侍では決して防ぐことができない、疾風の如き一撃。
その一撃は侍の胴丸をいとも簡単に破り、見事に心の臓を貫いた。
「み、みごとっ……」
そういって侍は仰向けに倒れ、動かなくなる。
既にこと切れているのだろう。
「何とかなったか」
なかなかの使い手であった。
生憎名前を聞き忘れたが、それなりに有名な者なのだろう。
(……平八郎の初首に丁度いいかもしれんな)
この場で忠勝に手柄を立てさせておけば、今後無茶をすることは無くなるだろう。
忠勝は彼が一騎打ちをしている間、周りで雑兵の相手をしていたのだ。
そのおかげでこの侍との対決に集中できたともいえる。忠勝の功績が無いわけではない。
そう思った忠真は、未だに雑兵を蹴散らしていた忠勝を呼び、声をかけた。
「平八郎、この首をお前やろう。初首としては丁度良い」
「やなこった。自分でとってこそ武功だろ」
そっぽを向いて一言。
顔に皺を寄せて、いかにもいやそうな顔をしている。
なにやら暴発しそうな雰囲気だ。
「……余計なお世話だったか」
「ふんだ。一人でとりに行くぜ」
なんと忠勝は、忠真の返答を待つまでもなく、突然敵陣に向かって駆け出してしまった。
慌てた忠真が後を追おうとするが、敵の雑兵に囲まれてなかなか前に進めない。
「くそっ、またか。あいつに何かあったら、兄上に申し訳が立たん。頼むから無事でいてくれよっ」
忠真は忠勝が駆けて行った方を見ながら、彼の無事を祈るのであった。
「ほら、ちゃんととってきたぜ」
「なんと」
その少し後。
忠真のもとに戻ってきた忠勝の手には、いかにも身分の高そうな武将の首がぶら下がっていた。
それを見た忠真は驚愕する。
あの乱戦の中を無事に潜り抜けてきただけでなく、敵将の首まで持って帰って来るとは。
しかも、この首には見覚えがある。
「す、鈴木越後守……」
忠勝が討ち取ってきた首級は、先鋒部隊の大将である鈴木重直のものだったのである。
「へ、平八郎。こ、これをどこで」
「ああ、あのまんまつっ走って行ったら、立派な格好をした侍と鉢合わせしてな。そいつを倒してきた」
「……」
予想外の出来事に、忠真をはじめ、その場に居合わせた者たちは硬直してしまう。
――まさか初首が城主格の人間のものだとは。これはとんでもない化け物になるかもしれんぞ。
その場にいた全ての人間の頭を、こんな考えがよぎった。
「なあ、叔父上」
「な、なんだ?」
「この首、ひょっとしたら大物なのか?なんかそいつの周りにうじゃうじゃ兵がいたからさ」
――気づいてないのかよ!
心の中の突っ込みを無視して、忠真は首の正体を告げる。
「その首は鈴木越後守重直殿といってな。足助城の城主だよ……」
「嘘だろ?」
「真だ」
それから数刻後。
鈴木重直の戦死と、それに伴う前備の壊滅によって中条軍は総崩れに陥り、撤退を開始した。
あるものは戦線から離脱し、またあるものは殿を果たすべく松平軍に突撃を敢行して果てていく。
そんな状況の中、挙母城に逃げ込んだ中条常隆は必死に籠城戦の指揮を執るも、兵力と士気の差はどうしようもなく、挙母城は即日陥落して常隆は降伏。
ここに鎌倉以来挙母を支配していた中条氏の歴史は幕を閉じた。それと同時に、当主を失った真弓山城の足助鈴木氏も松平に臣従を誓う。
こうして三河北部を手中に収めた元康は、戦後処理のために挙母城に酒井忠次を入れると、残る吉良家・桜井家と決着をつけるために一路岡崎を目指す。
そしてその裏側で、我らが主人公・氏長君も援軍の一員として深溝城に入城していた。
――次回、主人公初陣。
遠い未来への伏線。