知らない間に
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数正殿と平八郎が訪れた日より少し経ち、いつものように大量の書類と格闘していると、何やらごつい雰囲気の侍が上ノ郷城に押し掛けてきたという報告が入った。
なんとその侍は兄貴の紹介状を持っているという。
俺が数正殿に頼んだ、仕官斡旋の依頼。その結果がもう出てきたのだろうか。
……少々早すぎるような気もするが。
紹介状を持っているのなら、粗略に扱う訳にはいかない。俺自身が面会する必要がある。
藤兵衛を連れて、侍が待っているという城下の屋敷へ向かう。
たどり着いた屋敷にいた人物は、いかにも「無骨者」といった感じの人物であった。
がっしりとした体格に、日焼けして浅黒く変色した肌。
鷹を彷彿させる目に、しっかり切りそろえられた髪の毛。
年齢は三十くらいだろう。
一体どんな人物なのだろうか。
見た目の通り、武闘派の武将であることは間違いないと思うが。
「お初にお目にかかります、三郎様。それがし、米津小太夫政信と申します。三郎様が人をお探しと聞き、馳せ参じて参りました。どうぞ、臣下にお加え頂きますよう」
「米津……。ひょっとして米津三十郎殿の身内の方ですか」
「はい。三十郎常春は兄にあたります」
米津三十郎常春は、後世において徳川十六神将の一人に数えられる武将である。この三河においては、現在でもかなり名の通った人物だ。
そして、米津家自体も松平家に代々仕える譜代の家臣。
当主では無いとは言え、この政信という人もそこの一員だ。
そんな人物が「職にあぶれた」武士であるとは到底思えない。
「失礼ながら、松平家譜代の家の、それも御当主の弟であるお方が何故我が家に来て下さるのですか?」
「ははは、ごもっとも。ですが、それは三郎様ならば理解できるのではありませぬか?」
譜代の臣を他家に派遣する理由。兄貴が俺を気遣って、有力武将を回してくれたとか……?
いや、それはない。
これから先、松平家も色々と困難に直面するはずだ。信用でき、かつ実力のある武将はなるべく手元に置いておいた方が良い。
まさか、家中で問題を起こして追い出された、と言う訳でもあるまい。
と、すると。
「当家と松平との繋ぎ役ですか?」
「御名答」
有事の際の連絡係、といったところか。俺以外にも松平に関わりを持つ人間がこちら(鵜殿家側)にいた方が、連携もスムーズにいく。
兄貴はその辺を考えてこの人を派遣してきたのだろう。
鵜殿家に近い、というのであれば、俺と親交のある駿府随行組の面々の方が良いだろうが、彼らは未だに若い。ある程度経験のある武将でなければダメだったのだろう。
「それに、我が武芸が松平以外で通じるのか、自分の腕を試して見たくなりましてな」
「成程、それで招聘に応じて下さった、と」
「はい。ついでに殿からは三郎様を助けてくれ、と頼まれております」
「兄貴が……」
どうやら、兄貴が俺を気遣ってくれた、というのも間違いではなかったらしい。
今度会ったときにお礼を言わねば。
「藤兵衛、雇っても良いよね?」
「問題は無いかと」
「小太夫。これからよろしく頼む」
「ははっ。誠心誠意お仕え致しますので、何卒よろしくお願いいたします」
こうして、鵜殿家に米津政信という頼もしい人物が加わった。
今後、彼は護衛役として俺と行動を共にすることになる。
~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~
父上が駿府より戻ってきたのは、翌月の事であった。
駿府・今川館で行われた大評定で、今後数年間は外征を行わず先の戦で失った戦力を取戻す、という方針が伝えられたらしい。
それと同時に義元様から若様へ、ある程度の当主権限の譲渡が行われた。
隠居と言う訳ではないが、若様に国内統治の経験を積ませるための措置なのだろう。
義元様はまだ四十を過ぎたばかりだが、今後何が起っても良いように体制を整えておくことにした、と言った所か。
更に、今川領内における軍制の見直しが行われた。
まずは三河。
西三河一帯の統治・軍権は地元に詳しく影響力の強い松平元康に一任。
彼は今後、松平党その他西三河の国人たちを率いて織田家への抑えにあたる事になる。
また、吉田(豊橋)城代・小原肥前守鎮実の権限を強化して、東三河及び奥三河一帯の豪族・国人の統率・監視にあたらせる。
小原鎮実は智将として知られ、義元様の評価が高い人物である。
ちなみに鵜殿家は一門衆として両者の補佐を命じられたらしい。
遠江においては、一国人に過ぎなかった井伊家の地位が向上。現当主・肥後守直親殿は駿河で奉行職に任じられている。
これは、義元様の影武者として討ち死にしたという直盛殿の功に報いるためだと思われる。
駿河についてはよく分らないが、何やら細かい所で変更があったらしい。
孕石主水が全役職を解任された上長期の謹慎処分になった、という話も聞いた。噂によれば、桶狭間直後に何かやらかしたとのこと。
大方兄貴や父上に食って掛かり、義元様に激怒されたのだろう。
自業自得だ。
こんな感じで編成し直された今川家。
史実から外れた歴史が、どのように動いていくのか。
流石にもう分らないが、俺は一家臣として今川家に尽くしていく心算である。
「ははは、貴殿が三郎殿ですか。なかなかの面構えですな」
「はぁ……」
上ノ郷城本丸・城主館。
俺は現在、父上と共にやってきた馬顔のお爺さんと喋っている最中である。父上から正式に仕官を認められた米津政信も同席している。
朝比奈筑前守輝勝。
元大高城主であり、先の合戦の元凶を作ったとも言える人物である。
本来ならば責任を取らされてもおかしくは無いのだが、丸根砦における奮戦と、織田方から大高城を一応守り抜いた功を称されて、逆に加増されたらしい。
今回上之郷城にやってきたのは、義元様から鵜殿家への与力を命ぜられたから、とのこと。
「三河がキナ臭くなっておりますが、儂が来たからにはもう安泰ですぞ。わはは」
(大丈夫でしょうか……)
(さあ?)
政信と二人で、ひそひそと囁きあう。
どうやら、彼も色々と不安なようだ。
信頼できそうな人柄ではあるが、自信過剰な性格が透けて見える。大丈夫だろうか。
父上が言うには、これでも昔に比べてマシになったとのことだが。
「お近づきの印に、これでもどうぞ。小太夫殿もどうかな?」
「……いただきます」
「これはご丁寧に」
輝勝殿が何処からか取り出したのは、手のひらよりも小さいサイズの、オレンジ色の皮に包まれた円形の果物。
「みかんですか」
「おや、御存じじゃったか。この甘酸っぱい味が大好きでしてな」
蜜柑。
日本を代表する柑橘類の果物である。
この歴史は案外に古く、貿易港として発展していた肥後八代(熊本県八代市)に中国から伝わり、それを現地の人間が育て始めたのが日本における蜜柑の始まりとされている。
古代には朝廷にも献上されていたとか。
ちなみに、この時代における蜜柑は、現代日本人が一般的に食する温州ミカンではなく、キシュウミカンと呼ばれる小型の蜜柑。紀伊国屋文左衛門の逸話で有名なアレである。
この名前の由来は、文字通り紀伊国(紀州)で大量栽培されていることからついたそうだ。
果皮をめくり、中から現れた果肉を頬張る。
現代日本で食べて以来、十数年ぶりの甘さと酸っぱさの混じった濃い味が口の中にじわりと広がっていく。
嗚呼、懐かしい。
温州ミカンではないのが残念だが、あれは種子が出ないことから武士の間では不吉とされ、全く広まっていないのである。
「輝勝殿は、何処でこれを?」
「二十年程前、紀州からやってきたという商船から購入しましてな。一口食べて気に入ってしまった故、種を貰って育てていたのじゃよ」
紀州みかんが育てられ始めたのは、ちょうど戦国期初めの事だったりする。宣伝のために行商を行っていたのだろうか。
「……筑前殿、是非とも種をお譲りいただきたい。上ノ郷でも育てて見たくなりました」
「別に構わぬが。育てるのは難しいぞ?わしも何度も失敗した」
「構いません。やれるだけやってみます。失敗したら、その時はその時です」
「そうか。ならば早速、植えられる場所を探すとしよう」
「はい。小太夫も手伝ってね」
「承知いたしました」
そういって、ぞろぞろと三人で上ノ郷城内を探索する。
途中で興味を持った父上や藤三郎も一行に加わり、その日は城内総出で畑探しの日になったのであった。
栽培に成功した暁には、これが上ノ郷名物になるのかも知れなかった。
そうなった場合、「上ノ郷みかん」として大々的に売り出そうと思う。売れるかどうかは知らないが。
「結婚ですか?」
「……。大殿が是非、お前に嫁をとな」
翌日。
俺は父上にとんでもない爆弾を投下されていた。なんでも、義元様が縁談を強く勧めてきたらしい。
年齢を考えてもまだまだ早いと思うが、あの方の事だ。色々と事情があるのかもしれない。
たとえば、今川一門との縁談を強く望む有力家臣がいるとか、是非とも取り込んでおきたい有能な武将がいるとか。
または、お公家様から縁談を持ちかけられた可能性もある。
元服している有力な一門衆で正室がいないのは、今のところ俺ぐらいしかいない。
上記のような理由だった場合、お鉢が回ってくるのは当然と言えてしまう。
……正直言って断りたいが、義元様の勧めである以上、余程の理由が無い限り拒否することは出来ないだろう。
下手をすると今川家の政略にも関わってくる話だ。
「……お相手は誰なんですか?」
「……」
父上が神妙な顔をして固まっている。
思わず笑ってしまいそうな顔だが、これは絶対になにかある。よほど高貴な家の娘さんか、或いは……。
「……何か言ってください」
「……」
このままでは埒が明かない。何とかして父上を再起動させなければならない。
こういう場合に一番手っ取り早いのは、俺自身が縁談を受け入れる覚悟があることを伝えること。
恐らく父上は、俺が縁談を断って逃げ出すことを予想しているのだろう。こちらが受け入れることを示せば、どうにかして正気を取り戻してくれるはずだ。
「父上、俺は相手がだれであろうとも、縁談を受け入れる覚悟はできていますよ。大殿の勧めを断ったとあっては、今川一門の恥ですから。教えてください」
「……」
「父上」
「……殿だ」
よく聞こえない。
「……次郎法師殿だ。井伊信濃殿の御息女の」
「……マジですか」
「マジだ」
そんな事だろうと思ったよ。
しかし、縁談は以前父上が断った筈だが。
「大殿が信濃殿にしてやれる最後の『御恩』だと仰ってな。断るに断りきれなかった」
「そうですか……」
井伊直盛殿は、桶狭間の戦いにおいて、義元様の影武者となって壮絶な戦死を遂げたという。
その直盛殿が、生前唯一と言って言い程心配しておられたのが、次郎法師……井伊直虎殿の嫁ぎ先だった。
恐らく義元様は恩を返すべく、必死になって次郎法師殿を嫁がせるのに相応しい家を探したのだろう。
そしてついこの間、直盛殿が俺に縁談を持ちかけたことを知って、ダメもとで父上に再び縁談を持ちかけたのだと思われる。
上ノ郷鵜殿家は正真正銘今川家の一門。忠臣の娘の嫁ぎ先にしては、これほど良い家は無い。
「次郎法師殿って、今年で何歳でしたっけ?」
「……二十四だ」
俺よりも十二歳年上なわけか。年上すぎて実感がわかない。
母上が二十七だからなぁ……。
「とにかく、受けると言ってしまった以上受けるしかありますまい。大殿には感謝する、と伝えてください」
「すまん。俺が不甲斐ないせいで」
「構いません。武士とはこういうものでしょう」
口ではこう言っているが、次郎法師殿に会うのは結構楽しみだったりする。
直盛殿曰くなかなかの美人らしいし、悪い噂も全くと言っていい程聞かない。
実は、もの凄い良縁なのかもしれない。
「婚礼は来年の初めに駿府で行うそうだ。早めに井伊谷に挨拶にいっておいた方が良いな」
「……そうですね」
「準備を整えておきましょう」
いつのまにか同席していた藤兵衛が、そそくさと出て行った。
こうも早く、再び駿府に出向くことになるとは思わなかったが、仲人は義元様なのだろうか。
気になる。
こうして、自分でもよく知らないうちに縁談を進められてしまっていた俺は、父上に連れられて、一路井伊谷に向かう。
井伊直虎――今は次郎法師か――果たして、どんな女性なのだろうか。
年上ヒロインって珍しいんじゃなかろうか。