表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/43

歴史よさらば

お気に入りが千件突破!ありがとうございます。

これからも精進してまいりますので、何卒応援宜しくお願い致します。

ご意見・ご感想もお待ちしております。

 



 岡崎城に入城した松平元康は、譜代の家臣たちを集めて評定を開き、これまで今川家城代による圧政の中、松平家に忠誠を誓ってきた彼らに深く感謝し謝辞を述べた。


「皆の者、今までご苦労であった。そしてこれからも俺に力を貸してくれ。この元康、お主たちの主君として恥ずかしくない人間になるよう努力する所存じゃ」

「殿、勿体無きお言葉にございます」

「苦節十年。殿のご帰還は我等の悲願でございました」


 皺や白髪が目立つ老臣たちが子供のように泣きじゃくる姿は中々に可笑しいものであるが、そんな姿を恥かしげもなく見せるほどの歓びなのだろう。

 特に家臣たちの中で最も上座に位置する鳥居忠吉(鳥居元忠の父)などは、床に臥せってわんわんと大声を挙げて泣いている。

 そんな彼を見て、元康が笑顔と共に声をかける。


「伊賀、泣くな泣くな。他の者どもが見ておろう。家臣筆頭であるお前がそんな姿では、皆辟易してしまうわ」

「はっ……」

「お前が苦しい生活の中、松平家の為に尽くしてくれたこと、この元康一生忘れぬ。改めて礼を申すぞ」

「ありがたきお言葉……」


 元康が嘗て父の墓参りのために岡崎城を訪れたころ、今川家城代の圧政によって松平家臣団の生活は非常に苦しいものだった。

 そんな中でも忠吉は家康が帰還した時のために、自らの生活費を削ってまで軍資金や兵糧米の備蓄に励んでいたのだ。

 そんな彼の苦労を元康が忘れるわけがなかった。


 そんな彼の姿は、ほかの家臣達にも多大な影響を与え、松平党は彼の下に結束したのであった。

 現代まで残る「三河武士」の武勇伝の大本を築き上げたのは、彼であったと言えるのかもしれない。


 元康は駿府で悶々とした生活を送る中で、ひと時も彼らのことを思わない時は無く、また国元に残された家臣たちも元康が帰還した時のために様々な準備を整えてきた。

 桶狭間において松平軍が二千もの兵を集めることができたのは、彼らの不断の努力の賜物といってもよいのだろう。

 美しき主君と家臣の関係である。


 ちなみにすべての元凶である城代・糟屋善兵衛は、松平党を圧迫していたという事実を知って激怒した義元によって駿府に連行されていった。

 二度と三河に戻ってくることは無いだろう。


「これから如何なさいますか?」


 元康と忠吉の会話が終わると、酒井忠次が元康に言った。

 松平家の実務全般を担当することになるであろう彼にとっては、早いとこ主君の方針を確認しておきたいのだろう。


「此度の敗戦によって力の衰えた今川家を見限り、織田方につくというのも一つの手ではあると思いますが」


 元康が言葉を発する前に、石川数正が喋った。

 外交に秀でる彼は、様々な状況を分析しているのだろう。

 あくまでも一つの手、と強調して進言する。


「ですが、今川の大殿にあれ程頭を下げられては……」


 それに反論したのは鳥居元忠だった。

 駿河への帰還途中で岡崎に立ち寄った義元は今までの城代の非礼・圧政を深く詫びると、ひき続き今川家への協力を依頼すると同時に、彼らへの最大限の援助を約束した。

 一国の主が実質的に陪臣に過ぎない彼らに頭を下げるとは異常な事態である。

 それほどまでに三河において松平党の力を必要としているのか、それとも主君と離れていても忠義を尽くし続けた彼らの姿に、桶狭間で散った井伊直盛と松井宗信の姿を重ね合わせたのか。

 詳しいことは義元本人にでも聞かなければ分らないが、桶狭間の敗戦が彼に与えた影響は大きかったのかもしれない。


 とにかく、彼のような無骨な三河武士にとっては、例え恨みがあるとしてもここまでされて織田方につくと言う訳にもいかないのだろう。

 やがて元康が決定を下した。


「今のところは今川家に従っておく。わしにとっては治部大輔様に恩義があるゆえな。虐げられてきたそなた達には申し訳が立たぬが……」

「いえ。先日治部大輔様が我等に詫びを入れて下さったお蔭で、我等の今川家に対する恨みは多少なりとも薄れております。問題ありませぬ」

「左様か……」


 数正の言葉に元康は俯いて答えた。そして、家臣たちに方針を伝え指示を出していく。

 流石というべきか、元康の指示は迅速かつ巧妙であった。師匠である太原雪斎の教えを的確に当て嵌めて、家臣たちに命を下していく。


「長門守殿や吉良家と連携して織田家に対する防備を整えなければならぬ。甚四郎、九郎。そなたたちは安翔城に入って織田家の侵攻に備えよ」

「了解いたしました。生まれたばかりの八男に聞かせる武勇伝が増えますな」

「この九郎、先々代から賜った皆朱槍にかけて織田軍を一兵たりとも三河の地に入れぬと誓いましょう」

「うむ」


 命令を受けた大久保忠員と長坂信政が平伏する。両名とも元康の祖父・清康の時代から仕える勇士である。

 先日の丸根攻略戦で活躍した『血鑓九郎』信政は無論のこと、甚四郎こと大久保忠員もそれに劣らず、天文二四(一五五五)年の尾張蟹江城攻めで活躍し『蟹江七本槍』の一人に数えられた勇将であった。 そして、今年生まれたばかりというの彼の八男こそ、後世に三河武士の活躍を遺した『三河物語』の著者・大久保彦左衛門である。

 松平家の殆ど前線に存在する安翔城を守るのに、これ以上の人材はいないと思われる。


「与七郎、そなたは西条(西尾)と上ノ郷に赴いて吉良殿と長門守殿に当家に協力を要請して参れ。ついでに平八郎、そなたも行け。三郎の様子を見てきてくれ」

「ははっ」


 二人が返答をした。

 石川数正(与七郎)は前述の通り外交に秀でている。使者にはもってこいの人物なのだろう。


「あとは桜井めの動きに注意を払わねば」

「……」


 松平家の分家の一つである桜井松平家は、何代にも渡って本家と対立を繰り返してきた家であった。

 現にこの場にも病気を理由として姿を現していない。


「今川家の勢力が後退した今、彼らは再び織田家と通じて岡崎に牙を剝くかもしれん。以前のようになってしまったら流石にまずい」


 嘗て先々代・清康が亡くなった際、当時の桜井家当主・松平信定は本家簒奪を企み、織田家の援助を得て岡崎城を占拠したという過去がある。

 あの時は今川家の援助と家臣たちの助力があって信定を追い返すことに成功したが、今度も上手く奪還できるという保証はない。

 せっかく取り戻した岡崎を再び他人に奪われるのは御免だ。

 それを防ぐためには、岡崎城の改築・支城の築城など防衛力の強化にも力を入れなければならない。


 時間はいくらあっても足りない。


 敵は織田家だけではないのだ。

 三河国内に存在する反今川勢力、さらにこの地に強い影響力をもつ一向衆寺院も場合によっては敵になるかもしれない。

 利用できるものは何でも利用しなければ。

 そう決心した元康の瞳には、決意の灯が輝いていた。






 ~鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名~






 永禄三(一五六〇)年七月某日。


 上ノ郷城代の職務を何とかこなしていた俺は、先日引き起こったとんでもない出来事に頭を抱えていた。


 桶狭間の合戦における今川義元戦死の回避。


 これが歴史に及ぼす影響は計り知れない。

 義元様の采配のよって岡崎に帰ったとは言え、兄貴が今川家から独立する可能性はほぼ無くなったと言える。

 松平家が今川家より独立しなければ、清州同盟は成立せず、今後信長・家康(元康)の同盟を中心に回っていく筈だった歴史がどう動くのか、全く予想がつかなくなってしまう。


 史実において信長が美濃攻めに集中できたのは、松平(徳川)家との同盟によって、背後を気にする必要が全く無かったという理由が大きい。

 この同盟が時空の彼方に消え去ってしまった以上、信長が美濃を攻略できる可能性は低くなる。

 信長が美濃を手に入れられなければ、彼の天下統一事業は全く進まず、本能寺の変も起らないだろう。

 本能寺の変が起こらなければ、秀吉がその後を継いで天下を取ることもなく、関ヶ原も起こらない。

 当然、その後の徳川幕府開幕も無くなってしまう訳である。



 ……日本の歴史が滅茶苦茶である。



「まずい。これはまずい」


 悩んだところでもうどうしようもないのは分かっているが、悩まずにはいられない。

 歴史が変わったせいで、俺の持つ史実の知識という情報アドバンテージはほぼ零になってしまった。

 これから先、何が起こるか全く予想できない。

 幸か不幸か、織田家とは停戦が成立したらしく、信長が美濃ではなく三河に進出する可能性は今のところ薄く、今川家も今回の敗戦で失った戦力を取り戻すのにかなりの時間を要するであろうことから、俺が懸念していた「今川家に織田家が滅ぼされる」という事態は避けられそうではある。

 とはいえ、関ヶ原その他大戦に参加するという俺の夢が、こうもあっさり崩れ去るとは思わなかった。

 徳川幕府が成立しなくなる可能性が高い以上、譜代大名として後世に家と名を遺すというおまけの目標も全てパーである。



 反面、鵜殿家と松平家が争うことがほぼ無くなったと安心している自分もいる。

 いくら戦国時代とはいえ、友人である兄貴や鍋之助達と戦うのは嫌だったし、父上も死なずに済む。

 ついでに言えば、義元様が生きておられる限り、今川家が滅びることもないだろう。

 こう考えれば、決して悪い事ばかりではない筈である。




「よしっ。悩むのはこれまでだ。なるようになればいい」


 とにかく、今は史実云々について悩んでいるよりも、やれることに全力で取り込んだ方がいいに決まっている。

 気持ちを切り替えて、目の前に積まれた書類に目を通していく。

 やりたいことは山ほどある。


 上ノ郷城の改築、軍備の増強などなど。


 前述の通り織田家との大戦は当分ないだろうが、奥三河がキナ臭い事になっているらしい。

 もともとあの辺りの豪族は独立心が強い。数年前にも反乱を起こして義元様に叩き潰されているのだ。

 今川家の戦力が低下している今のうちに、遺恨を晴らそうと何か企んでもおかしくは無い。


 それに、あの辺りは信濃との国境地帯に位置する。

 信濃と言えば武田、武田と言えば一方的な同盟破棄⇒攻め込むのコンボである。

 義元様が生きているうちに同盟破棄してくることはまずないだろうが、調略を仕掛けてくる可能性は十分にあり得る。

 その調略に乗った奥三河の豪族が、以前のように一斉に蜂起しないとも限らない。

 そうなれば、鎮圧のために鵜殿家も兵を出さなければならなくなる。

 その時の為にも、しっかり軍備を整えておかなければならないのだ。

 今すぐにでも始めたいところである。


 といっても、正式な城主でない以上やれることは非常に限られてくる。

 せいぜい訓練を行ったり、防衛のために他城主と連絡を取り合ったりするだけだ。

 こんな地道な活動ではあるが、兵隊の訓練が行き届いてなければ戦場で敵に遅れをとってしまいかねないし、防衛網の体制がしっかりしていなければ、有事の際に敵に先制されてしまう。

 非常に大切なのである。


 あとは領内の治安維持。今川軍の大敗北によって、領内には目に見えない所で動揺が広がっているだろう。

 そんなところに野盗の群れや敵の間者が忍び込めば、何が起こるか分ったものではない。

 領内の集落を藤兵衛をはじめとした家臣に巡回させ、なにか有事があればすぐさま兵を率いて対応できるようにしている。

 そして、俺自身も暇を見つければ領内の集落を訪れている。

 こうすれば民の声に直接耳を傾けることができるし、領民と仲良くなれば、鵜殿家がなにか改革を行おうとしたときに、賛同を得られやすいかもしれないからだ。

 なによりも、こうした姿勢をアピールすることで、鵜殿家は領民思いという認識を周りに植えつけ、敵の間者が付け込み難くすることができる。ついでに領民からの人気もうなぎ上り。一石二鳥である。


 本来ならば検地や戸籍造りといった近代っぽいこともやってみたかったりするが、急激な改革は絶対に反感を生む。地道なことからやっていくしかない。

 鵜殿本家の当主ならば多少の無理は通るが、生憎未だ世継ぎの身だ。駿府に出張に行った父上が戻ってくるまで、留守を守ることだけを考えよう。

 他にも鵜殿家の拡大のために色々と考えていることがあるが、全て父上の許可が無ければ始められない事ばかりである。

 今のうちに腹案を整理して、書き出しておくことにする。今度父上が帰ってきたときに、それを見せながら説明すればよい。許可が貰えるかどうかは分からないが。

 やってみる価値はある。


「……その前にこの書類の山を何とかしないと」


 そんなことよりも、まずは自分に振られた仕事を片づけなければならない。いろいろメモるのはその後だ。

 そんなことを考えながら、俺は書類とのながーい戦闘に突入したのだった。





 その日の夕方。

 夕焼けによって赤く染まった空を、どす黒い色の鴉がカアカアと鳴き声をあげて飛び回っている。

 そんな空の下の上ノ郷城の館内で、俺は石川数正殿、そしてくっついて来たという鍋之助改め本多忠勝殿と面会していた。


 二人が上ノ郷を訪れた理由は、対織田戦線の為の協力要請だった。当然、此方から断る理由はない。有事の際には全面的に協力することを約束し、近いうちに兄貴と直接会って詳しい取り決めを行うことを確認する。

 そして、一通りこの連携に関する話が終わりを迎えると、数正殿が何やら気になる情報を持ち出した。


「実は我等はこちらに来る前、西条(西尾)にも立ち寄り、吉良家に協力を要請したのですが、やんわりと断られてしまいました」

「へぇ……。吉良殿はなんと?」

「織田如きへ対応するのは松平殿の力だけで十分だろう、と。我らが出張っても、足手まといにしかならぬとも申しておりました」

「それはまた。なんというか怪しいですね」


 今川家を破った織田家は日の出の勢いだ。

 自分たちにそんな家に対抗する力はないと卑屈になっているとも取れるが、だからこそ、松平家との連携を断るのはおかしい。

 彼らの領地も、織田家と隣接していないとは言えないのだ。攻められない可能性が無いわけではない。

 勿論、吉良家が今川家の本家筋であるという名族意識からくるプライドが、今川家の従属勢力に過ぎない松平党との連携を拒否しているとも考えられるが……。


「ひょっとして彼らは、この隙に今川家から離反しようとしているのでは?以前も単独で織田家と講和して、大殿から大目玉を喰らった事がありましたよね?」

「それは私も考えて少し探りを入れてみましたが、他家と連絡を取り合ったような形跡はありませんでした」


 今川家の本家であるとはいえ、現在の吉良家は二十一世紀でいうところの愛知県西尾市周辺を収めるだけの少勢力に過ぎない。

 他家の援助なしに、まともに今川家とやりあえるとも思えなかった。


「左様ですか。むむむ……」

「とにかく、彼らの監視は怠らぬことにします。三郎殿も、もしもの時はお頼み申します」

「任せてください」


 お互いに吉良家の行動に目を光らせることを約束すると、話は雑談へと移り変わって行った。


「鍋之助……じゃなかった、平八郎はいつの間にか元服していたんだな。まるで知らなかったよ」

「へへん、大高城での働きが認められて、元服を許されたのさ。今川の大殿からは記念に槍を貰ったんだ。羨ましいだろう!」


 そういって、忠勝は部屋の隅に丁重に置かれた槍を指差した。

 若年用なのか普通の槍よりは短い。どうやら通常の槍よりも長かったと伝わる忠勝愛用の槍・蜻蛉切ではなさそうである。


「ちょっと見てもいい?」

「いいぜ、ほら」


 そういって忠勝は槍を掴み、差し出してきた。

 見た目からして非常に高価そうな槍である。

 柄には奇麗な装飾が施され、刃の部分にも何やら刻まれている。生憎と武器の良しあしは分からないが、結構な名工の作であることは見て取れる。

 さすが義元様よりの槍、といった所である。


「ありがとう。うらやましい」

「だろう、やらんぞ!」

「いや、別に欲しいとは言ってないじゃん」


 馬鹿話をしつつ、三人でどうでもいい歓談を続ける。

 先ほどの深刻な話に比べれば此方の方が良い。気が楽になる。


「そうだ、平八郎。前にも聞いたが、うちに来るつもりはないか?厚遇するぞ?」

「無理だって。俺は一生殿についていくつもりだ」

「むむむ、残念だ」

「三郎殿、堂々と引き抜きをかけないでください……」

「申し訳ない。当家も人不足なもので。松平党の中に職にあぶれた侍がいたら、是非とも我が家に紹介して欲しいですね」

「ははは。とりあえず殿には伝えておきます」


 松平党の三河武士たちは皆有能である。

 一人ぐらい此方に来てもらえれば、非常に助かるのだ。


「お願いします。それと、今日はもう遅いので城に泊まって行ってください。大したお持て成しは出来ませんが」

「ありがとうございます」


 こうして、その日は過ぎて行った。


 その夜は母上や叔父上も含めての宴会となった。

 三河湾でとれた海の幸を囲み、皆でワイワイ騒ぐ。

 忠勝や数正殿の武勇伝を聞いたり、岡崎の近況に耳を傾けたり。

 途中で酔っ払った数正殿が忠勝の槍を持って走り出すという滅多にみられないような珍事も起った。



 こんな良好な関係が続けばいいなと思いつつ、俺自身も三河湾産の魚介に舌鼓を打ったのだった。











そろそろヒロインが欲しくなってきた……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ