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手記

この回にはグロテスクな表現が有ります。

「ん…」

 東の空が明けてきた。

 またいつもの一日が始まる。


 彼の朝食を用意しなくては…あの(ヒト)は私がしつこくすすめないとろくに食事も摂らないから…

 でも何だろう、身体がとても重くてだるい。

 まるで長い間眠っていたよう…


 ベアトリーチェは気だるく体を起こした。

 いつもと何ら変わらない夜明け、窓から吹き込む冬の風がとても冷たい。

 瞼を開くと暗い室内が鮮明に見渡せる。

「やだ…何? どうしたの?」

 部屋の中は荒れ果てていた。

 クローゼットのドレスは全て引き出され床やベッドの上に散らばり、家具はなぎ倒されていた。

「地震でもあったのかしら…私気付かなかったの?」

 ベッドサイドのテーブルの引き出しが開いている。

 中のものが乱雑に散らばり、いつもつけていた日記が無くなっていた。

 色々探して見るが見当たらない。

 しばらくして不思議な事に気付いた。

 まだ夜が明けきっていない暗い部屋が明かりも無くして細部まで見渡せている。

 いつもなら燭台の明かりを灯して一日が始まるのに。


 いつもと違う一日の始まりに違和感を覚えながら鏡台の前に行き、鏡の中に移り込む自分の姿を見て…悲鳴を上げていた。

 うっすらと顔には化粧が施されその身には純白のドレスを身に纏い、美しく結われた髪には白いレースのベールが飾り付けられている。

 何よりも恐怖したのは自分の目だ。

 暗闇で光る深紅の瞳…以前は青かったあの目が赤く染まり、獣のように煌煌(こうこう)と光を放っていた。

「な…に? 何よコレ! 私…何でこんな…」

 震える手で鏡を触れながらベアトリーチェの脳裏に自分の最後が沸きあがった。



───── そうだ、私は…発作を起こして…血を吐き出して…ガドリールの腕の中で…私は死んだはずだ。それでは今ここに居るのは誰?─────


 自分の身体が自分の物ではないように思われ、恐怖した。


─────纏っているドレスに見覚えがある。

私が夢見ながら日記に描いたウェディングドレス…

デザインから刺繍まで全く違わない。

それが形となってこの身を覆っている。

サイズも合わせたかのようにピッタリだ。─────


 鏡の中の自分の後ろのベッドには未だに瑞々しさを残す清楚な白百合のブーケも置かれていた。


「ガドリール…」

 

 考えられるのは一つしかない。


「ガドリール…私の体に何をしたの?」


 部屋を抜け出し仄暗い城の中を上に目指す。

 いつもの朝ではない…ここで五年間暮らし始めて迎えた全く別の朝だった。

 あんなに城を徘徊していた異形の従者の姿も何処にも無い、不気味な足音も呻きも息づかいでさえ何も無かった。


 だるく重い体に鞭打ち、長い階段を上がっていくうちに匂いが気になりだした。

 頂上から漂ってくる腐臭、ガドリールの部屋に近付くにつれてそれが強烈になってくる。

 込み上げる吐き気に耐えられず何度も嘔吐したが、七日間死んでいた肉体の口からは何も出ない。

 やがて朝日が差し込む窓に照らされた踊り場が姿を現す。

 毎日食事を作っていた厨房の中には腐り果てたスープと青くかびるパンが食器に乗せられていた。

 その光景には見覚えがある、自分が作った夕食だ。

 その傷み具合で初めて時が何日も過ぎ去っていった事を気付かされる。

 だがしかし、腐臭はそれが発しているものではない。

 匂いは厨房の向かいにある開け放たれた彼の部屋から漂ってきていた。

 扉が砕かれ、中の部屋が見える。

 遠目からでもよく分かる。


 異様なほど赤い部屋…


 ベアトリーチェは狂ったように彼の部屋に駆け込んだ。


 ガドリール…私の大切なヒトに何かあったのかも知れない!


 …鼻をつく腐敗臭…彼が朽ちていたら?


 部屋に足を踏み入れた瞬間に彼女は止まった。

 あれ程乱雑に積み上げてあった数々の魔導書は引き裂かれ、塵と化していた。

 高い天井から床に至るまで夥しい血がこびり付き、ポタポタと深紅の液体が床に垂れている。

 よく見ると無数の肉片でさえへばり付いている。

 そして開け放たれたままの寝室…

 匂いの原因はそこの何も無いベッドだった。

 全ての窓ガラスが内側に割れ、窓枠だけが取り残されている。

 部屋の中心には巨大な魔方陣と漆黒の血塗れた大剣が転がっており、その陣の中だけは不自然なほどに肉片も血溜まりも何も無い。

「何をしたの? …ガドリール? 何処に居るの?」

 忌まわしい儀式が行われた事だけは悟っていた。

 ふと、倒れた巨大な本棚の下に彼の手記を見つけた。

 棚に押しつぶされ守られたからか、それだけは完全な形のまま残されていた。


 彼は一日一日の成果を何十冊分の分厚いノートに書き留めていた。

 一度だけガドリールに見せてもらった事があった。

 難解な記号に失われた言葉…膨大な計算式、見ても理解が出来るものではなかったのを覚えている。

 最も新しいノートを手に取りページをめくって見るが、やはり自分の頭では解読は難しい。

 ペラペラと捲っていると突然彼の言葉が書かれていた。

 難解な記号も何も無いちゃんとした言葉だ。

 

 ここからは手記ではなく日記に近い…


 [白水晶10の月…ベアトリーチェが死んだ]

 

 そう書かれてあって驚いた。

 彼女が命を失った時から日記になっているのだ。


 [大量の吐血から末期の病だと思われる。恐らく数ヶ月前から蝕まれていたのだろう。何故私に黙っていた。理解に苦しむ]

 

 冷静な彼らしい言葉に胸が痛む。

 彼の性格は理解していたがここまであっさり書かれると悲しい。

 彼も少しは自分を愛してくれていると思うようにしていた。

 だが、この文を読む限り異性としての愛情は感じられない。


 [白水晶11の月

  まだ何も口にしていない。使い魔に食事を持ってこさせるが味気が無い。ベアトリーチェは私のベッドで眠ったままだ。]


 [白水晶12の月

  眠るベアトリーチェの体に触れる。冷たく硬直し何の反応も示さない。死んでいる女に何を期待している。

  奴が語りかけて来た。そうだ、私が極めているのは黒き力だ。部屋中の書籍を読み漁り(かい)魂 (こん)の法を探すが死をも凌駕(りょうが)する魔法など存在しない。私は無力だ]

 

[白水晶13の月

  眠る体から腐臭が漂い始めた…何故だ! 何故この女は起きない! 私がお前を救ってやった! 私を求めていたはずだ! まだ五年しか報酬は得られていない! ベアトリーチェ! ベアトリーチェ…]


 次のページを捲くった時思わずその日記を落としてしまった。

 次のページには余白が無かった。

 見開き一杯に文字が書き記されていたのだ。


[白水晶14の月

  ベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアチトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェベアトリーチェ…………]


 びっしりと書き連ねられた彼女の名前、彼が壊れていく。


 恐れながら彼女は再び次のページを捲くった。

 

 [白水晶15の月

   奴が語りかける。そうだ奴なら持っている。ベアトリーチェも人ではなくなるが許してくれるだろう…許して欲しい…狂神の前で永遠の愛を誓って欲しい]


 狂神? 何の事を言っているの?

 

 次に目を走らせる。

 所々血で汚れたページ…

 

 [白水晶16の月

   いよいよ明日だ。ベアトリーチェが私に癒しを与えてくれるのが待ち遠しい。再びあの柔らかな胸に抱かれ、ゆっくりと眠れる。この肉体の痛みなど一瞬で消えうせる事だろう。私の花嫁、私のベアトリーチェ]


 胸を締め付けられる。彼が自分と同じ想いを抱いている事に胸が熱くなり涙がこぼれた。


 そして次のページだ…


 [白水晶17の月

   これから儀式に入る。その前に書き記しておかねばならない。恐らく私が私で居られるのはこれで最後だ。私の花嫁が目覚めた時、すでに私は違うものに化している事だろう。人の言葉を使える今のうちに言っておきたい。

 私の本名はガドリール・リュイーヌ・デュー・オグレス。破滅の魔導神として生を受けた。

 神である己を長年封印し続けたがそれと引き換えに力も失った。

 だが、今その力が必要となった。

 私はこれから元の自分に戻る。そしてお前の知っているガドリールではなくなる。

 だが、これだけは誓える。理性と自我を失い欲望の怪物になったとしてもお前の事だけは決して忘れない。

 だからお前も私を受け入れて欲しい…永遠の愛を与え続けて欲しい…

   愛している。私の妻ベアトリーチェ]


 そこで日記は終わっていた。


 ─────私のせいで彼は最も恐れていた事をしたのだ。

 この日記から私は七日間死んでいた事が分かる。

 その七日間の間に彼はたった一人で苦しみ、究極の決断を迫られた。

 支えなければいけないはずの私が彼を苦しめ、全てを奪い去った。─────


 日記が書かれた本を(かたく)なに抱きしめ、涙を零し続ける彼女の耳にふと音が聞えて来た。

 今まで物音一つしなかった城内に…いや、この部屋の自分のすぐ後ろの高い位置から低く不気味な息づかいが聞こえてくる。

 日記を読む事に夢中になっていて気付かなかったが、それはしばらく自分の後ろに居たらしい。

 全身から冷たい汗が吹き出した。

 何かとてつもなく恐ろしい『もの』が居る。

 直感がそう叫んでいた。

 高い息づかいは徐々に下に降り、彼女の首筋に氷のように冷たい息がかかるほどに近付いていた。

 覚悟を決めて恐る恐る後ろを振り向く。

 気付いたとき彼女はこの世の終わりとばかりの悲鳴を叫び上げていた


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