救いの手
崩壊しかかる城の外壁にウェルギリウスは必死に片腕でぶら下がっていた。
上層部での戦闘、彼の足の下には漆黒の闇が広がっている。
光の無い黒い空間で分からないが、恐らくここは百メートル近い高所だ。この左手を離してしまったら大地に叩きつけられ、まず命は無い。
だが、今のウェルギリウスが頼れるのはこの左手一本だけであった。
右手は魔法の反動で既に二の腕の中間から吹き飛ばされ遥か下に大量の血液が滴り落ちている。
「何と言う様だ……」
そう呟きながらウェルギリウスは死に方を考えていた。
このまま手を離し死ぬか…それともガドリールの餌食となって死ぬか……どちらにせよあまり時間は無い。
年齢も伴い左腕の力が激しく消耗されていく、そして城の内部から響く魔神の笑い声…
「奴の餌となるのなら………」
ふっと笑みを浮かべ死を受け入れようとしたその時、頭上に美しい金の髪がたなびいた。
「!!?」
顔を上げた先、そこにあったのは美しい女の姿。
彼女は両手でウェルギリウスの左腕を支えると視線を後ろに向け叫んでいた。
「ガドリール!! 私は殺戮をただ見ている傍観者にはならないわ!!!」
間を置く事無く魔神の怒涛が奥から響く。
必死でしがみ付く老人の手を見るなり彼女は何を考えるでもなく夫を押しのけ、ウェルギリウスの手を取っていたのだ。
その行動にガドリールの表情が一変する。
無数の瞳を見開き、牙を剥き出しにして恐ろしいほどの雄叫びを妻に浴びせる。
「嫌よ!! あなたに無駄な殺しはさせない!!! 彼らはあなたの玩具ではないのよ!!! どうしても嬲りたいなら私を殺しなさい!!!!」
《…………………ベアトリーチェ………ベア…ベアド……ヴヴヴヴヴヴヴヴ………ヴ・ううう…おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!》
魔神の両手が壁を粉砕した。
短い悲鳴を上げながらも彼女は必死でウェルギリウスの腕を掴んでいた。
《あ゛あ゛あ゛あ………は…あ……ああああああああああぁぁぁぁ》
息を荒くしながらガドリールは戸惑い、しばらく唸るとベアトリーチェを冷たく見下ろしながらも足元の闇に姿を消した。
「娘………」
「大丈夫よ。何処かに行ってしまったわ」
そう言いながらも彼女の顔には悲しみが浮かんでいた。
愛する夫からあんな視線を向けられたのは初めてだ。まるで裏切り者を見るかのような視線………
不意にウェルギリウスの手がずるりと滑り落ち、ベアトリーチェは悲鳴を上げた。
大量の出血に握力の低下、一気に襲い掛かった男の体重の重さに彼女の肩からゴキンッ!!という嫌な音が響く。
「離せ。お前では私の体重を持ち上げられぬ………」
「駄目よ!! 離せないわ!! ………っああぁぁ!!!」
外れた肩の関節から激痛が押し寄せながらもベアトリーチェの手は必死で老人の左腕を掴んでいた。
「もうよい!! 離せ!!! お前も落ちるぞ!!! お前が死んだらガドリールを誰が止める!!!」
苦痛に歪んだ女の顔が痛々しい笑みを浮かべた。
「駄目よ…あなたを家族のもとに返さないと………」
老人の左腕に食い込んだ彼女の爪がパキンッと音を立てて剥がれた。
しかし徐々にその腕は重力に引かれていく。
(駄目!! 落ちてしまう!!!)
心の中で叫ぶと同時に老人の手が彼女の両手から滑り落ちた………
「だめ………ッ」
次の瞬間彼女の後方からもう一つの腕が伸び、老人の手を掴んだ。
「!!!??」
物々しい篭手を付けた両手………
「父上!!!」
そこにあったのは息子のの姿だった。
真っ白なローブを着た男はしっかりと老人の手を取ると、その身体を勢いよく引き上げた。