魔城潜入
彼らの前に深い木々に覆われた城門が現れたのはそれから数時間の道を進んでからだった。細い巡礼道の先に鬱蒼とした草木が立ち塞がる。
アカトリエルを含めた双剣徒たちは剣で道を塞ぐ木々を切り開きながら森の中に続く古代の石畳を辿った。
生い茂った背の高い植物を断ち切りながら進む事数分、突然目の前が開かれ、巨大な城門が姿を現す。
朽ちかけた鉄製の門にはびっしりと茨が纏わりつき、その門の両脇に続く石造りの巨大な外壁が森の彼方に消えていた。
「開きそうもねぇけど……」
するとウェルギリウスは門のすぐ隣の外壁に備え付けられた小さな扉を押し出した。
腐りかけた木の扉はいとも簡単に崩壊し、中庭への道が開けた。
「三十年前の記憶はまだ衰えてねぇみたいだなジィさん」
「正確には二十五年だ」
十分に警戒しながら中に入った一同は皆息を呑んだ。
荒んで入るが、かなり広い庭には長年の風雨に晒された噴水や彫刻が所々に置かれ、神殿の名残を残している。
その向こうに巨大な城が聳え立っている。
「すごい。エテルニテからじゃあまりよく分からなかったけど…こんなに大きかったんだ」
コンデュイールが壮大な城を見つめながら唖然としていた。
中庭は長い間人が訪れていない墓地のように荒れ果てているのに目の前の巨城だけは時が止まったかのように揺らぎ無く鎮座している。
遠目からでは気付かなかったが、エテルニテで見るどんな建物よりも巨大だ。ざっと見ただけでも階層は十を越えている。
槍のように天を指す尖塔を主点に幾つもの棟が周囲を囲み、さらにそれらを守るようにして四つの巨塔が聳えている。
壁に建造された何千体という聖者達の石造がまるで外部の全てを拒んでいるかのようにも見えた。
「ちょっと…広すぎやしねぇか?」
「二十五年前の奴の生活スペースは尖塔の上層階に絞られていたが、今はどうか分からんな」
ウェルギリウスが指差したのは最も背の高い中心の塔だった。
「しかし、私達がここまで侵入しているにも関わらず何の動きも無いとはどういう事だ」
朽ち掛け、変色した巨大な女神像に祈りを捧げアカトリエルは周囲を見渡した。
この城の敷地内に入ってからは獣の呻きも、虫の声も何も聞こえない。不気味な静寂だけが取り巻いている。
「襲撃もあの一度だけだったしな」
始めの襲撃にはひやひやしたが、後は比較的何の障害も無くたどり着けた事には拍子抜けだ。
この城の敷地に入った時点であの魔神との戦いを覚悟していた双剣徒たちも困惑している様が伺える。
「まだ起きてないのかしら?」
「はぁ? 魔道神様が眠るのか?」
オランジュの言葉にヴェントは眉を顰めるがウェルギリウスは「いや…」と呟いた。
「その娘のいう事はあながちウソではないだろう。我々の侵入は神も気付いているだろうしな」
「先ほどの歌ですか?」
アカトリエルの言葉に頷くと老人は中庭の遥か先に見える正門に足を進めた。
ここまで城を汚されて何も起こらないという事は恐らく魔道神はベアトリーチェのあの歌声で眠りについているに違いない。
黒き聖母、ヴォワザンが幼き日のガドリールをあの歌で眠らせる事が出来たのだからそれは可能な事だろう。
正門に続く階段を上り、到底一人では開く事が不可能な巨大な扉の前に立つ。
「クレイメントさん。この大きなドア開けられるの?」
五メートル近い高さの鉄扉。二十五年前の記憶によると観音開きのその扉は内側から歯車式のカラクリで開くようになっていた。
「私は昔この扉を魔法で開けていた。後ろに下がれ」
ウェルギリウスは扉に手を掲げると短い呪文を紡ぐ。
そして、その言葉と同時に扉の向こうからガチャガチャと音が鳴り響く。
まるで鎖を外す時のような冷たい音。
そうして重い音が一つしたかと思うと次の瞬間巨大な扉が見えない何かに誘われるように軋みを上げ、ゆっくりゆっくりと開き始めた。
双剣徒たちも剣に手を掛け、ヴェントやコンデュイールも生唾を飲み込む。
漆黒の空間に差す弱い光、その中に人が佇んでいる。
警戒していた双剣徒たちも言葉を失い、アカトリエルも息を呑み、その容姿に無意識に呟いていた。
「女神…ベアトリーチェ…」
エントランスの中央で待ち構えていたのはあの醜い魔神ではなく、美しい女だった。
五年前に一度見た、幼さを微かに残す少女ではない…恋し焦がれ続けているあの石像と全く同じ姿。
石で創られた物ではない、生きている生身の女神ベアトリーチェだ。