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儀式

この回は残酷な描写が含まれてます。

────── 自分の姿を鏡を通して見たのは三十年ぶりだ。

今の『私』になってから自分の姿を見るのは好きではなかった。

唯一恐れるリュイーヌ・デューと全く同じ姿…長年拒み続けてきたこの姿をまさかこのような形で見る事になろうとは。──────


 大きな姿見に映し出されいるのは真新しい漆黒のビロードのローブに身を包んだ三十半ばの青白い顔をした男。


──────ひどいものだ、これではベアトリーチェが手を焼くのも分からなくはない。

 今まで服に気を使う事など全く無かった。

 年中着古したボロボロの薄汚れたローブを纏い、伸ばし放題の長い髪も手入れなどまったくしなかった。

 だがしかし今鏡が写している私の姿は普段の私では無い。

 今着ているローブはベアトリーチェが一年前に調達したものだ。

 肌触りの良い最高級の生地で作られた長いベール付きの服。

 短い毛房が黒豹の毛皮のように光沢を醸し出している。

 裏地には全て深紅のシルクが使われており何とも鮮やかだ。

 シンプルな中に優雅な気品を漂わせているそれは、何年か前にベアトリーチェが興味を示したデザスポワールの風俗書に書かれていた、黒魔道国家の花婿装束だ。

 だが私はあの女が生きている間にこのローブに手を通す事はなかった。

 興味も必要もなかったからだ。


「これは、私の我がままだから、着る必要はないわ」


 …そう言いながらも心では私がこれを着る事を願っていた。

 生きている間に一度でも着てやればどれ程喜んだだろうか…

 己の事ばかりですぐ近くに居た愛する者の心も悟れなかった自分が何とも愚かだったのか──────



 

 そして今、ガドリールはこれからの儀式を迎えるために始めてこの服に手を通し、髪を束ね、鏡の前に立っている。

 花婿にふさわしい装束となって…


 冷たい床の上にはこの2日で描いた直径2メートルの巨大などす黒い魔法円が描かれていた。

 その中心には真っ白なウェディングドレスを身に纏い白百合のブーケを手にする花嫁が静かに横たわっている。

 魔法円は自らの肉体を傷つけ、そこから流れ出る血液で描いたものだ。

 血が足りなくなれば再び己の肉を切り裂き(さかずき)を浸し、描き続けた。

 短剣が体を裂く痛みなど大したものではない。

 ベアトリーチェが再び癒しを与えてくれるならばどんな苦痛でも受け入れる事が出来る。


【我が描きし赤の陣よ。内に眠りし者にその闇の加護を与えよ。あらゆる刃から()の身を守り(たま)え】


 血塗れた魔法の陣に手をかざし、呪文を唱えると描かれた線から赤い光が放射された。

 これからから解放する狂神を自らが取り込むまでに花嫁を守護するための闇の護方陣だ。


『ようやく元に戻る気になったか?』


 頭に響く同じ声…その声の主が何処に居るのかは知っている。

 儀式の祭壇の中央、魔法で施錠してある水晶箱の中に眠る黒き書だ。

「お前の思惑通りだ」

『愚かな事を言うな。私は何もしてはいない。それ所か警告してやったはずだぞ。ただ、その意味をお前が理解していなかっただけだ』


 あの夜…ベアトリーチェが命を失う僅か数分ほど前もこの書物が語りかけて来た。

 解放させるために何千という言葉を囁かれてきたが、今まではその全ての言葉を拒絶してきた。

 だが、あの夜の言葉だけは拒絶する事が出来ない内容であったのだ。


『今夜お前の掛け替えのない者が失われるぞ?』

 

 何故か拒絶する事が出来ずにそれを封する隠し扉を開いてしまった。

 掛け替えの無い物など自分にはないと信じていた。

 あるとしたらこの膨大な知識と長年の黒修行によって得た力だけだ。 

 その時はこの黒き魔導書に封じられている者が統制、制圧される事に恐れおののいての戯言(ざれごと)だと思っていた。

「もうすぐだ。もうすぐお前を制御する力を備えてやる」

 その言葉に黒き魔導書は低く笑った。

『掛け替えの無いモノも分からんようだな。それではまだ私を組み伏せられぬ。私の人である部分は(おの)の何も理解出来ぬとみた。お前が何度も()でた肉体は悲鳴をあげ死期を迎えようとしている』

 突如沸き起こった胸騒ぎを怒りでかき消す様に施錠を解き卓上に叩き付けた。

『心地よい…心地よいぞ。(おの)が真実の姿には勝てないものだ』 

 (あざけ)る言葉の意味が理解できず困惑した。

 乱れる心を落ち着けるために部屋を逃げるように抜け出していた。

 そして、封印せずに卓上に置き去りにした事に気付き部屋に戻ったとき…ベアトリーチェがその魔導書に手を伸ばし、触れようとしていた。


 後は…その言葉の通りだ。


 掛け替えの無い者の肉体は病に蝕まれ苦しみ、この腕の中でその存在は死を遂げた。

 それからの七日間は地獄だった。

 五年前まではこの城の静寂が辛いとは思わなかった。

 作り上げた異形の者たちが人語を解さないのが許せないとは思っていなかった。

 だがベアトリーチェを知り、そして失い、彼の恐怖は別のものへと変化していた。


 今は自我も理性も人としての肉体も惜しくは無い。




 黒魔道師は足元に用意していた大きな長方形のケースから刃渡りが一メートル近い漆黒の大剣を取り出した。

 黒光りする刃にはびっちりと魔導文字が記されている。

 それを床に突き立てると儀式台の上にある黒き書が封された水晶箱を力の限りに床に叩きつけ粉砕し、禍禍しい臭気を放つ魔導書を手に取った。

「あの力が欲しい。幼子の時に持っていた私の真の力が今必要なのだ」

『お前と同じく私も成長している。その肉体ではこの力は収まらんぞ?』

「ならばこの肉体を捨てよう。肉の(くさび)を解き放てば真実の私に(かえ)れるはずだ」

『互いの力が融合すれば私の自我もお前の理性も吹き飛ぶな』

 不気味な笑い声を上げる魔導書の言葉など、もはやどうでもいい。


 彼が求めるのは…魔方陣の中で横たわる美しい花嫁…


「ベアトリーチェへの思いだけ残れば後はどうなっても構わん」


『いいだろう! さぁ開け! 私とお前は元々がひとつだった! 開いて私を解放しろ! 真実の名を叫び刻め!』




 ガドリールの周囲に漆黒の渦が集結し始めた。

 彼を中心に沸き起こった竜巻が部屋のありとあらゆるものを巻き込み破壊する。

 窓ガラスは激しく音を立てて全てが砕け散り、轟音と共に巨城がうなりを上げ大地が揺れた。

 知能を持たない異形の従者たちでさえ危険を悟り儀式が行われる部屋から逃げ去っていく。


【闇は我なり、憎悪(あく)は我なり、恨みを(かて)に、(なげ)きを(かて)に、叫びを(わが)(よろ)びに。絶望は我が悦楽(えつらく)なり、大地は恐怖に震え、天空(そら)は絶望に嘆き、海原(うみ)は悲鳴に轟く。我こそ破滅。我こそ破壊。血塗られし黒き運命(さだめ)を今、この身に受けん・・・・・・】


開かれた魔道書から巨大な闇が大量に放出され、部屋に渦巻く城中の異形の者たちがたちまちその渦に巻き込まれ粉砕される。

 飛び散る肉片とどす黒い鮮血が部屋中を汚し、地獄と化しす。

 ただ強力な護方陣の中心に居る花嫁だけは美しいままに眠っていた。

 解放された破滅の力が大きなうねりを上げ宿り主を探していた。

 ガドリールは床に突き立てた大剣を手に取り、自らの首にその刃を押し当てる。


 この肉体を捨てれば強大な力が彼の肉体を(いしずえ)に新たな体を作り出すはずだ。


「ベアトリーチェ…互いに人を捨て、永久の愛を手に入れよう…」


 人である今、最後の愛しき女の姿を目に焼きつけ彼は(おのれ)の真実の名を叫んだ。


「我が名はガドリール・リュイーヌ・デュー・オグレス!! 終焉の魔導神なり!!」


 喉に押し当てたままの大剣を力の限り引くと体内を流れる血液が噴水のようにあふれ出す。


 筋が、骨が、気管が切り裂かれ首の皮一枚を残して両断され、ガドリールはその場に崩れ落ちた。


 嵐のような漆黒の渦が彼の肉体に吸い込まれていく。


 …そして訪れる静寂…


 この城に仕えていた者たちも全てが彼の餌食となった。


 しかし…


「はぁ……………」


 朽ち果てかけていたベアトリーチェが突然息を大きく吸い込んだのだ。

 腐敗が進み、石のようになっていた肉体にたちまち血液が流れ始め、柔らかな胸を上下させて必死で息をしている。

 美しい髪には艶が戻り青白い唇は紅をさしたかのように赤く染まる。

 意識は未だに戻らないが禁断の魔術によって魂は強引に連れ戻され、生に満ちた肉体に硬く溶け込んでいる。


 彼女の吐息だけが響く部屋の中にもう一つの息づかいが聞こえ始めたのはしばらくしてからだった。

 ベキベキ…と骨を軋ませる嫌な音に低く不気味な息づかい…ここにもう一つの『もの』が生まれようとしていた。


 バキ…ミシ…ゴキゴキン…


 気味の悪い音をたてギクシャクと立ち上がる漆黒のローブの『もの』…それは頭を背中にぶら下げながら深く両断された首で息をしていた。

 背に垂れる頭を不自然な程細く長い両腕で抱えると元の位置に戻す。

《は…あ゛あ゛あ゛…》

 声は首から発せられていた。


 メキメキという音と共に首の切り口から鋭い牙が生えると長い舌で首の周りに大量に付着した血液を舐め取る。

《リ…チェ…ベアドリ…ベアトリーチェェェェえぇえぇぇぇ》

 人ではない。

 この城の従者でもない。

 人の形はしては居るがまったくの別物だ。


 口も鼻も無いのっぺりとした顔中に無数の赤い瞳がきらめく。

 それはまだ慣れない体をゆらゆらと左右に揺らすと静かな息をたてる花嫁に体を添わせ生気の戻った肉体をいくつもの瞳で隅々と眺め、執拗にその体を撫で回した。


 暖かい肌から漂う香りは死臭ではない。

 この七日間恋し焦がれたベアトリーチェの香りだ。

 彼の中に残った唯一の心の欠片が示すのは、歪んだ愛情…強力な独占欲と(つい)えない激情だけだった。

《はああああぁぁぁぁ…》

 花嫁を抱え上げた長身の化け物の足元に不自然なまでに暗い影が出現する。

 それは液体のように波うち二人の体を飲み込んだ。


 石畳の床を貫通し、たどり着いたのはベアトリーチェの寝室。

 寝息を立てる花嫁をベッドに横たえると、化け物はもう一つの欲求を満たすために姿を消した…生きた血肉への欲望を…


 愛する女への執着だけを残して変貌したガドリールは最凶最大の災いをもたらす魔道神と生まれ変わった。


 死をも(くつがえ)す強大な力…


しかし理性は崩壊し、人の言葉も失い、新しく生まれた永久(とわ)に癒えない喉の渇き。


 ベアトリーチェを蘇らせる力を得るために彼が犠牲にしたものはあまりに大きすぎた。 




   たった一人の女の死が魔神を生み出し、百万の住人たちの(さち)は消え失せた。

   そして狂神(ガドリール)(たてまつ)り繁栄する魔国エテルニテの物語が今始まる。


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