後悔
「……私は……」
瞳から雫が溢れ出す。
「あの子と約束したのに…助けてあげると誓ったのに……あの子を助けるために神学校へ通ったのに……救ってあげると……ベアトリーチェ」
全て思い出した。
暴君ドミネイトが唯一手を出せないでいた教会、彼はそこの一員となる事で力を得ようとしていた事を。
彼女の温かな微笑の裏に見え隠れしていた父親への恐怖の眼差し、それでも常に苦しさを見せずに明るく努める少女の姿がとても痛々しかった。
地位と力を得るために離れた数年間………
とても苦痛だと少女から手紙をもらっていたのに、修練のために会いに行ってあげる事でさえ出来なかった。
「『もう少しで助けてあげられるから待っていて』…そんな手紙でしか私は慰めを与えられなかった。………あの時も……明日十五歳の誕生日を迎えるという手紙の中にも救いの言葉が隠されていたのに……ベアトリーチェを救えなかった!!!」
拳を地面に叩きつけ、叫ぶクラージュに声を掛けようとしたヴェントをウェルギリウスの言葉が遮った。
「少々手遅れだったな。本当に救いたかったのならば修道士としての規則を違えてでも迎えに行くべきだった」
「お…おいジィさん!! 今のこいつにそれは無いんじゃねぇか?!」
「だが、事実だ。お前は父親の脅威に晒されていたベアトリーチェを独りにした……と言う事だろう? それはあの娘が望んだ事か?」
その言葉が心に重く圧し掛かる。
確かに、ベアトリーチェがそんな事を望んでいただろうか…。
いや、彼女はそんな事を望んでは居なかった。
【寂しい。誰も私の気持ちを分かってくれない…】
手紙に書かれたたった一文が全てを物語っていたのに。
「要は、お前は逃げたのだよ。『助けるため』という言葉を盾にしてな」
あまりに残酷な言葉にヴェントが反論しようとするものの、ウェルギリウスはそれを許さずに淡々と話し続ける。
「その時に救われていれば今のこの国も変わっていただろう。お前だけではない、ドミネイトという男が領主をしている時、世界を変えなくてはならぬ者はここのエテルニテ全ての住人だった。
だが百万の民誰もが立ち上がろうとはしなかった。
我が息子も五年前にそれを悔いていたがな………。
ヴェント・エグリーズ、お前はここの国の者ではなかろう、私と同じよそ者だ。お前が五年前のこの国に居たのならば、恐らく今のように暴君に立ち向かっただろう。女神と言う存在に甘んじてはいないからな」
その言葉に思わずヴェントは口を噤んだ。
「……敵わずともそれだけでよいものを……きっかけは些細な事でも大きな波紋が生まれるものだ」
「………でも………でもよ! それじゃ…アンタは何してたんだよ!!! 五年前にもここに居たんだろ?!」
やっと絞り出したヴェントの言葉にしばらくの間を置くと老人は冷めた顔を向けた。
「私にとってはこの国などどうなっても構わん。しいて言うなれば掛け替えの無い物を…妻と子を守るためにしか力を使う必要もないと思っている。
ドミネイトが何をしようとも興味は無い。所詮はただの人間だ。
ジョルジュは常に私と共にあり、息子は奴よりも遥かに力を持っていたしな……」
「なっっっ??!!」
「デザスポワールの男の考えとはそんなものだ……変わっているのは奴の方よ」
そう言うとウェルギリウスは頭上の魔城を見上げた。
「ここの住民は何も分かってはいない。よく考えろ。あいつはドミネイトを始末し、エテルニテを一時は救った男だぞ? 本来ならば英雄と敬ってしかるべきだな」
その言葉にクラージュとヴェントはハッとした。
そうだ、見方を変えればそういう事になる。
誰も立ち向かおうとしなかったドミネイトを葬り、エテルニテに希望を与えたのはあの魔城の主だ。
だが住民はその力に恐怖する事しかしなかった。
「まぁ…とは言っても…美しの娘という報酬があったからやったのだろうがな…」
するとウェルギリウスは「ああ…」と顎に手を当てた。
「立ち上がった者が一人居たという事か……。領主の一人娘ベアトリーチェ・レーニュがな。ふむ、自己を犠牲にして百万の民を救う。まさに女神ベアトリーチェではないか」
愕然としているクラージュを冷たい視線が見下ろした。
「この国は大自然の恩恵に甘んじ、生きとし生けるものが持つ一つの物を忘れている。それは即ち生きるための闘争本能だ。女神に縋ってばかりではゆくゆく滅びるぞ」
「ウェルギリウス殿…私は彼女に会ってしまったら…どうすれば」
「己で考えろ。戦って死ぬか、再びここで逃げるか………あるいは魔道神から花嫁を奪うか…」
遠くでオランジュが呼んでいた。
そろそろ出発の時間だ。
ここからは誰も行った事の無い未知の世界
……ドミネイトの一人娘ベアトリーチェ・レーニュ唯一人を除いて……