黒の司祭
「司祭?」
静まり返る中ヴェントは背の高い老人をまじまじと見つめ、そして
「ジィさんデザスポワールの司祭なのか?」
「元………だがな」
「スゲェ!!!!!」
その思っても見なかった反応にアカトリエルは目を見張った。
「オイ! あんたたち何でそんなに静かになっちまってるんだよ!! デザスポワールの司祭だぞ!! 黒魔道師の最高峰じゃねぇか!! ジィさんだけどスゲェ戦力だぞ! 喜ばねぇのか?! お前もそう思わねぇ?」
「え? 私ですか?」
クラージュが目を丸くした。
「黒魔法を知り尽くしてる仲間が増えたって相当な事だぞ? ジィさんだけど元司祭だぞ! ジィさんだけどよ」
「え? あ、ああ、はい。そう…言われれば…というかそう考えれば心強いですよね。確かに…ご老体ですけど…」
ヴェントの空気に呑まれクラージュは無意識にそう答えていた。
「ヴェント・エグリーズ。ジィさんという言葉が少々多いぞ」
眉間にさらに深い皺を刻みながらウェルギリウスは勝手に心燃え上がる少年に冷静な言葉を投げかけた。
「スゲェ! ジィさん黒魔道師の最高峰なら黒魔道って奴を見せてくれよ! なっジィさん!!」
尚も連呼するジィさんという言葉に半ばあきれたため息を吐きながらもウェルギリウスは骨ばった両手を空に掲げた。
いつの間にか周囲の視線は空気を読まずして騒ぐヴェントに注がれていた。
「何をして良いのかは分からんが…物心つく前の息子をあやすのにはこれが一番だった」
ウェルギリウスは右手で教会の右の壁にずらりと並んだ数々の燭台に掲げると手の平を空気で切り裂くようにスライドさせた。
柱に備え付けられた燭代の炎が連鎖を起こし消えてゆく。
次に左手を左に並ぶ燭台に掲げ右手と同じ動きをすると左で赤々と燃えていた蝋燭たちも順序良く手前から消える。
全ての蝋燭の炎が見えない力で消され教会の中を照らすのは白み始めた外から注ぐ弱い光だけとなった。
「そこの娘」
老人の言葉に呼ばれマルガレーテは反射的に短い返事を返した。
「好みの色はあるか?」
「えっ私のですか? あの、私? 紫…かな?」
その言葉に頷くと黒魔道師は勢いよく前に突き出した両手を手前に引き寄せた。
次の瞬間、その手の動きに合わせるかのように、全ての燭台の蝋燭に鮮やかな紫の炎が宿り教会の全てを魅惑的に照らし出したのだ。
幻想的な蝋燭の光を全ての者がただ漠然と眺めていた。
決して灯る事の無い色の炎だ。
「我が息子はこの色を好んでいた」
黒魔道師が高く掲げた右手の指をパチンと鳴らすと紫の炎が一気に黄金色の物に変わる。
炎から生み出された金の鱗粉が舞い上がり、女神像の周囲を綿帽子のように飛び交っている。
掲げた手をゆっくりと下に下すと金色の炎は元の赤い炎へと戻り、いつしか縦横無尽に飛び交っていた金の粉雪は見えない空間に吸い込まれるように消えていった。
僅かな夢物語に心を奪われていた者たちを現実へ引き戻したのはヴェントが呟いた一言だった。
「シスターマルガレーテ…紫って…露出狂の色だぞ」
「ちょっ………ちょっとヴェントさん!!! 何て事をおっしゃるんですか!!! 私はそんな破廉恥な事……」
「いや…心理テストじゃそういう事になってる…」
「心理テストって何ですか?! 修道女に勝手に心理のテストをするのはやめて下さい!!!」
真っ赤な顔を両手で遮りながらマルガレーテは一番近くに居たクラージュの後ろに慌てて姿を隠してしまった。
爽やかな笑い声を上げながらヴェントは黒魔道師とアカトリエルに向き直った。
「アンタの親父スゲェじゃん。あれだけの事やろうと思ったら相当大掛かりな仕掛けが必要だよな。俺、黒魔道見せてくれって言ったらもっとグロいもん見せられると思ってたぜ。変な生き物召喚してみたりとか不気味な煙出してみたりとか……。妙な先入観があるんだけど、結構ロマンチストなんだな」
ヴェントの言葉にウェルギリウスは軽く笑うとフードを再び被った。
「憂愁に浸る夢想家と呼ぶのはどうかと思うが、本来お前達が言うのは我々の影の部分だな。敵を殺める術の部分を応用すれば先ほどのような世界が作り出せるという事だ」
「それでも心の荒みきった黒魔道師には出来ねぇ芸当だと思うぜ。ジィさん」
「よく言う………」
「それよりあんたたち何ぼぅっとしてんだよ! 行くんだろ? あの魔城に乗り込みにさ! 早く行こうぜ。街の人間が起きちまう。俺って派手に見送られるの嫌なんだよな」
待機する双剣徒たちを振り向くと少年は手をパンパンと叩いた。
「それとも何か? 混血のボスじゃ納得行かねぇ? そんな事ねぇよな。あんたらのボス、女神へのベタ惚れ度はある意味最強だぜ。ほれほれ女神の旦那さん達よ!!」
ヴェントの言葉に一人の双剣徒が歩み出た。
「アカトリエル騎士団長を冒涜するような言葉は控えてもらおう。影商人の少年よ」
そう言い捨てると彼はアカトリエルに向かって軽く祈りを捧げた。
それにつられ続々と白いローブの男達が彼の元に付く。
「不思議な少年だな。ジィさんという言葉は好かんが、私まで呑まれてしまう…。それに、言葉はあれ程酷くはなかったが黒き聖母もあのような性格だった。自然と魅かれ、無意識に統率する力を発揮し、誰にも好かれる。天性というやつだ」
ウェルギリウスは息子にそう囁くと彼の肩をポンと軽く叩き、教会の前に待たせてある黒馬に跨った。
「……父上……先ほどの魔法…未だ私の微かな記憶の中に宿っておりました」
「ほぅ…すごいな…思い出したか? お前がまだ乳飲み子であった時に使ったものだがな。お前はジョルジュの姿が見えぬとすぐ泣いたから……あやすのには苦労した」
めったに微笑むことの無い黒魔道師の口元が微かに歪んだ。
「ふむ……『父上』か、思っていた以上に心地の良い響きだ」
隣の白馬に乗ったアカトリエルの姿を横目で見ながら満足げにそう呟いていた。
目指すは遥か彼方に聳える巨城、一人の黒魔道師、一人の司祭、そして一人の少年を加えた白い騎士達は夜明け前の静寂の中を北に歩みだした。